マルクスからヘーゲルへ
著者:G.リヒトハイム
考えてみると、1976年に翻訳が出版されたこの本を購入したのは、まだ学生であった頃か、あるいは就職して間もない時期であった気がする。その後、間違いなくロンドンやドイツにも持って行っていると思うが、なかなか手を付ける気にならなかった。そして、今回、ほとんど日本語の本が枯渇している状況の中で読み始め、1カ月以上かけて読了することになった。
一言で言えば、学生時代の西欧近代思想への傾倒を再度思い出させてくれる作品である。まさに60年代のドイツや欧州思想界の雰囲気をありありと髣髴させ、その時代と現在との格差を、嫌というほど感じさせてくれる。前に読んだソ連史もそうであるが、自分の学生時代の勉強は何であったのかを、改めて問いかけてくる書物である。著者は、1912年ベルリン生まれのドイツ人。1933年、ヒトラーの迫害から逃れ英国に亡命、その後英国に帰化し1973年、61歳でそこで逝去したという。まさに青春期をワイマールの中で過ごし、そしてここで著者が共感を込めて言及しているフランクフルト学派の第一世代と共に、国外亡命を余儀なくされた。それにも関わらず、アドルノやホルクハイマーらと異なり、戦後もドイツに帰ることなく、英国からドイツや欧州の思想状況を眺め、批評・分析を続けることになる。当然アドルノやホルクハイマーらとの親交もあったと思うが、やや外部から冷静に彼らや第二世代のハバーマスら、あるいは彼らに対応するフランス実存主義や構造主義を論評している。政治的文脈を含め、この時代を見つめる冷静な知性を感じることができるのである。
60年代というのは、今からもう一度振り返ってみると、戦後間もなくの政治・経済・社会状況が大きく変貌を遂げた時代であった。ファシズム対民主主義の世界大戦が終結した後、今度は戦勝国の「民主主義国家」の間で、自由主義・市場経済対社会主義・計画経済の対立が冷戦という形で顕在化し、自由主義・市場経済を信奉する西側世界でも、社会主義・計画経済を信奉する勢力がそれなりの勢力で存在した。しかし、スターリン批判や中ソ論争を契機に、所謂「コミンテルン派」に対する新左翼陣営からの批判が次第に高まり、それは、社会思想における正統派マルクス主義を批判する動きにも連なっていく。そこで注目されたのが、ファシズム時代を海外亡命という形で生き延び、冷戦時の対立を超えた視線から、西欧民主主義国家のみならず、ソ連を始めとする社会主義国家の存立基盤も、「道具的理性」に支えられた「権威主義的管理国家」として分析・批判するフランクフルト学派の一連の議論であった。もちろん日常的な場面では、その創始者のひとりで、最も有力な思想家であったアドルノが、60年代後半のドイツでの大学紛争の中で、より急進的な学生たちに批判されるという事態も発生したが、彼らが少なくとも時代の最も先端的・思弁的な思潮を主導していたことは間違いない。そしてここで著者が意図しているのは、この思想がこの時代に持っていた意味合いを、それに対抗するフランス構造主義(なかんずく、その先端で注目を浴びていたアルチュセールらの正統派マルクス主義)等を批判的に取り上げながら明らかにしていくことであった。
こうしてまずマルクスの思想を、ヘーゲルを含む「ドイツ観念論の正当な後継者」として位置付け、その現代における後継者としてのルカーチ、アドルノ、マルクーゼを論じた表題論文から始まり、マルクスの「パリ草稿」に再度注目した当時の最新の論考(例えばA.シュミットの「マルクス理論における自然概念」)等の紹介、あるいは「理論と実践の統一」という政治・社会運動としてのマルクス主義が変容し、硬直的な「マルクス・レーニン主義」に転化していく過程の、思想的分析など。言わば、あの時代の哲学・思想界での最も先端的な議論が展開されている。
そうした「正統派マルクス主義」に対するアンチテーゼとしてのソレルやアドルノを個別に読み解く論考を経て、当時の最も先端的な「正統派マルクス主義」思想家としてのアルチュセール批判が展開されるが、これは当時のやはり最も注目された思想潮流であったフランス構造主義に対する、ドイツ観念論からの回答になっている。
こうした議論を受け、新たな世界を展望するのは「歴史主義からマルクス主義ヒューマニズム」に連なる流れであるとして、ホルクハイマー、アドルノから、その若き後継者としてのハバーマスが共感をもって論じられる。その流れの中で、特に当時のフランス政治に、「自由主義とマルクス主義が直面している技術主義的イデオロギー=科学主義の台頭」を看破し、この状態が「権威主義的な社会構造と私人化された個人との徹底的な離反」を招いている、そして「科学的合理性をどんなに積みあげても、決してこの離反に事態を変えることにはならない」と警告を発している。これはまさに、先進諸国が、この時代を契機により洗練された形で突き進んでいく、権威主義的管理社会の到来を悲観的に予言していると見ることができる。私が、かつて詳細に追いかけていた、アドルノ・ハバーマス対ポパー・アルバートの実証主義論争についても、「科学的技術の無制限の爆発によってわれわれが迷い込んだ迷路からの脱出路」を探る哲学者たちの懸命な努力とした上で、それを予言したアドルノ・ホルクハイマーによる「啓蒙の弁証法」をもって結論としている。それは、啓蒙の帰結としての資本主義と社会主義という二つの体制が、「もはや二つの相対立する生活様式の間で根本的な選択をすること」が問題なのではなく、これが今や「むしろひとつの地点へともに向かって」おり、そこでは「科学が、全体的再構成の道具」となっているが、それが「いかなる原理にもとづいての再構成なのか。どんな目標、どんな価値の名においての再構成なのか。科学そのものは、そのような問いに対する答えをもっていない。」「また永遠にその答えをもつことはないであろう。」そしてこの著作は、そうした時代の知識人の役割についての論考で結ばれることになる。
こうした60年代の先端思想―それから今や半世紀以上が過ぎているーから、今現在我々は何を読み取ることができるのだろうか?もちろん国際的な政治、経済、社会環境は、当時とはまったく異なっている。そうした中で、こうした体系的な思弁は、もはや全く見向きもされなくなっている。政治的には、西欧民主主義の制度疲労が、ポピュリズムやナショナリズムへの回帰を促し、他方では中国のような一党独裁国家が、先端科学技術の成果を利用し、益々権威主義的な政治運営を強めると共に、飛躍的に向上した経済力をもって、途上国への影響力を強めている。そこにあるのは、表面的には、毛沢東からケ小平を経て変容した中国型社会主義であるが、それはかつてのソ連のように、露骨にイデオロギー闘争を挑むような体制ではなく、より長期的な展望の下に、自国の影響力を拡大しようという伝統的な帝国主義的な自国拡張主義的である。しかし、そうした変容する欧米民主主義国家や、中国のような権威主義的一党独裁国家、あるいはそれらの間で蠢く、その他の諸国での根源的な現象を、鳥瞰的な分析・批判するような思想、現在ほとんど見られなくなっている。今や、政治、経済、社会は、それこそ分析的な理性で、ミクロ的に説明する技術は間違いなく精緻化しているが、それを統合した大きな世界観は失われているのが現状である。そして私自身が今までの生涯を過ごしてきた金融の世界も、そして今現在5年ほど身を置いている科学の世界も、まさにこうした分析的理性が支配する世界なのである。
そうした自分の人生について、今更懺悔をする必要もないし、またそうした気持ちもない。むしろ、かつて自分が傾倒した、こうした大きな歴史観をもとに、世界の大きな流れを俯瞰的に考えたいという姿勢は、少なくとも自分の中ではまだ維持されているし、またそうしなければならないと感じている。更に、世界が益々道具的理性に支配され、それがより巧妙に貫徹される体制で覆われているが故に、こうした批判的理性は、常に意識されなければならない。こうした思潮の最後のカリスマであるハバーマスは、1929年6月生まれであるので、現在90歳。まだ逝去の報道はないので、存命ということであろうが、彼がこの世を去る時に、改めてこの半世紀前の思想的営為が、改めて表舞台で紹介され、そしてすぐに忘却の彼方に去ってしまうのであろうが、そうした世間一般の評価とは別に、半世紀以上前にピークを迎えていたこうした思想は、自分の内面では、自分が死ぬまで生き続けるであろうことを改めて感じさせてくれた作品であった。
読了:2019年8月31日