アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第六章 思想
ヴァルター・ベンヤミン
著者:柿木 伸之 
 1970年生まれ、「ドイツ語圏の近・現代の哲学と美学」の専門家で、広島市立大教授によるベンヤミン論の新書で、2019年9月の出版である。私が青春時代に傾倒した「フランクフルト学派」の流れに位置する人物の中でも、アドルノと並び特に難解な人物で、当時、「複製技術時代の芸術作品(当時読んだ本では少し違ったタイトルがついていた記憶がある)」等、一部を読んだだけで、それ以上に読み進めようという気分にはならなかった。しかし、ナチスから逃れるためにピレネーを越えようと試み、そこで拘束され強制送還されることになったことを悲観し自死した最期は、当時からこの学派の一連の人々の中でも最も悲劇的な人物として常に取り上げられていた。しかし、この新書をブックオフで見つけた時には、この学派の他の人々については、最後までドイツの論壇の重鎮であったハーバーマスが老境を迎える中、第一世代であるアドルノやホルクハイマーさえも、ほとんど忘れ去られている中で、このベンヤミンを専門に追いかけている、私よりも若い学者がいる、ということが驚きであった。私よりも一回り以上も若い学者が、この難解な批評家への関心を持ち、その議論をどのように捉えているのか。そうした関心で読み始めたのであるが、正直この著者の議論もベンヤミンその人以上に難解であった。

 もちろん、著者が紹介しているベンヤミンの生い立ちから、青春時代やその後の交友関係や、そこで出会った人々から受けた影響、そしてドイツにおけるナチスの政権掌握と第二次大戦開戦を受けた彼の最期といった系譜的な記述は、ある意味復習であり分かり易い。また、「フランクフルト学派」の流れの中に位置付けられているこの批評家が、実はアドルノなどから結構厳しい批判を受けて、学派の「社会研究」誌への掲載を拒絶されていたこと等も、今回初めて知ることになった。それだけ、この批評家が当時も評価の難しい人物であったことを物語っていると思われる。それを前提に、一応著者が年代を追って追いかけているベンヤミンの思索のポイントと思われるところだけを整理してみよう。

 まずベンヤミンの特徴として、親交のあったH.アーレントの「闇の時代の人々」からの、「ベンヤミンは偉大な学識を持っていたが、専門家という意味での学者ではなかったし、重要な訳業を残しているが、翻訳家でもなかった。彼は膨大な書評をはじめ、文学について多くの評論を書いたが、文芸批評家には括れない。その著述は、独特の詩的な特徴を示しているが、彼自身は詩人でも哲学者でもなかった」という言葉を引用している。そうしたカテゴリーにはめ込み難い彼の著作が、彼自身の人生の厳しさをもたらしたことは間違いないだろう。

 しかし、彼が語った多くの「暗喩」は、青春時代の私の記憶の中でもはっきりと残っている。その最も顕著なものは、彼のクレーの「新しい天使」への敬愛で、この風を受けながら苦しい表情を浮かべる天使像が、困難な時代に、過去の歴史を受け止めながら精一杯の抵抗を試みるという、彼の基本姿勢であった。また「複製技術時代の芸術作品」で語られた、「アウラ」を失い、権力者の道具と化した芸術の運命とそれへの批判も、当時大きな印象を受けた議論である。今回この著作を読んでみると、ベンヤミンの難解な著作と、それを読み解くこの新書の著者の同様に難解な文章に難儀しながらも、この私の若き頃の印象を改めて確認することになった。著者の理解では、「ベンヤミンの批評的な思考は、言語、芸術、そして歴史への根底的な問いに収斂する。」その鍵になるのが「歴史の天使」であり、「(アウラを失った)最新の情報技術を駆使して「民族」や「祖国」の神話を流布させ、その共同性に人々を束ねて、総力戦に動員していく」権力への批判なのである。この新書はそうした彼の思想形成とそれが彼の生涯にもたらした災禍を辿っていくことになるのである。

 こうした彼の思想形成は、裕福なユダヤ人家庭に生まれた彼の「ベルリンの少年時代」から始まる。自分の育ったブルジョアの華美な生活への違和感と郷愁は彼の人生に絶えず付きまとったようである。そして学生時代の「学校・教育改革」運動への傾倒とそこでの多くの人々との出会いと別れ、そして文筆活動の開始。そこでは、それまでの「経験」が破綻し、新たな「精神の覚醒」が必要であるという批判精神が既に現れていたとされる。そして1914年、第一次世界大戦がはじまった時、彼は22歳の学生であったが、徴兵に応じるかどうかを巡る親友の自殺が、彼の心に「生涯癒されることのない傷を残す」ことになる。確かに、この多感な20代前半に世界大戦を迎えたというのは、この時代の知的に敏感な人々にとっては厳しい体験であったことは容易に想像される。

 ヘルダーリンやドフトエフスキーについての当時の評論が、彼の批評家としての第一歩として紹介される。また戦後の1921年、ベンヤミンがクレーの「新しい天使」を購入し、以降生涯、この作品を身辺においていたことも語られている。また戦時中の1916年にベンヤミンがしたため、生前には公刊されることがなく、親しい友人の間で観覧されていただけという初期の論文「言語一般及び人間の言語について」という言語論の解説。翻訳という作業の中に「新たな言語の可能性を見出そうとした」とされるが、この辺りは著者の解釈もやや修辞的であり、余り印象には残らない。

 ベルリンからミュンヘンを経てスイスはベルンでの大学生活と、そこでの、リルケを始めとする新たな人々との出会いや別れ、そしてノバーリスやゲーテを素材とする本格的な批評活動の開始。また第一次大戦後の社会的混乱の中から「暴力批判論」が執筆されるが、これは学生時代に私も読んだものの、余り印象に残っていない作品である。著者は、革命の動きを弾圧する武力としての「神話的暴力」に対し、「権力そのものの廃絶に向けて生じる」「神的暴力」を提示していると説明しているが、これは社会主義革命思想の影響を受けた発想である。しかし、こうした言論は今となっては夢物語であり、余り考慮するに値しない。

 ベンヤミンの大きな挫折となった、こうした批評をまとめて1925年、フランクルト大学に教授資格論文として提出された「ドイツ悲劇の根源」が不受理とされた一件。当時美学科の助手であったホルクハイマーもその内容を全く理解できなかったというのも理解できる。しかし、その直前ベンヤミンと交友関係を持つことになったアドルノによる、キルケゴールを扱った教授資格論文(それは受理された)に深い影響を与えた、というのは皮肉である。冒頭に述べたとおり、1930年代になると、そのアドルノから激しい批判に晒された、というのもベンヤミンの過酷な人生を物語っている。

 シュールリアリズムへの関心を含めたベンヤミンの美学や、「アレゴリー詩人」としてのボードレールへの傾倒。そこではデューラーの版画「メランコリア」等にも言及されている。そしてラジオでの定期番組を担当しながら構想した「複製技術時代の芸術作品」。しかしナチスの勢力拡大は、ベンヤミンに亡命を決意させ、1933年1月パリに向け出国し、以降二度とドイツの土を踏むことはなかった。同じくパリに亡命していたアーレントとの交友。またブレヒトとのデンマークはスヴェンボリでの交友は、やはり学生時代に読んだ日本人作家による「スヴェンボリの対話」という、当時感銘を受けた著作を思い出させる。こうしてパリでの生活を始めたベンヤミンは、パリのパサージュから喚起された歴史哲学に向かわせることになるが、この著作は当時も正直私の関心を惹かなかった。著者は、ベンヤミンの歴史哲学を、「過ぎ去ったことを想起することによって、不正を被った者の苦悩の記憶を、すでに物語られた歴史から解き放ち、今に呼び覚ますことができる「根源史」の追求」とまとめられているが、気持ちは分かるが、だから何なの、という感覚は残ることになる。

 以降、彼のパリやイビザでの最後の執筆の日々と、米国への亡命途上でのスペインはピレネー山中での自死という、良く知られた悲劇的最期で、この新書が締め括られることになる。

 冒頭に述べた通り、この難解で、当時もなかなか理解されなかったベンヤミンという作家に現在も強い関心を持って研究している学者がいる、というのは驚きであった。それではベンヤミンのこうした議論と曲折に満ちた人生は、現在に何を伝えているのだろうか?

 二度の世界大戦とそこでナチスによるユダヤ人ホロコーストという災禍にまみれた欧州では、歴史的に培われてきた文学、哲学、美術といった文化があり、そこに造詣の深い人々が、危機の中でそれを改めて問い質すことになった。ベンヤミンの営為と生涯は、そうした欧州の伝統とその変革を目指すものとして、この時代を反省し、次なる社会と思考を促す契機として評価されたことは疑いない。しかし、そうした世界的な危機の様相は、それから約80年を経て大きく変容している。もちろんウクライナやガザでの戦争は、取りあえず局地戦ではあるものの、それが世界的な戦争に拡大していく危険は残っている。しかし、そうした事態を防ぐ体制は、当時に比べると進んでおり、そこまでの危機感が日本のみならず、その他主要国及びその国民に共有されているとはとても思われない。またそうした国々でも、文学、哲学、美術の世界で、当時のような活発な議論が行われているとも思われない。その意味で、ベンヤミンのみならず、社会哲学や批評の社会全体での存在感も薄れているのが現代であろう。実際、日本のみならず、欧米を見回しても、文学、哲学、美術、あるいはそれらに関する批評の世界で、ベンヤミンが生きた時代に生み出された新鮮で豊饒な作品や著者の名前を挙げることは難しい。その意味では、まさに現代の芸術は、あまりに陳腐化し、知性に刺激を与える作品を生み出すことができなくなっている。むしろ「AIが小説を書けるか?」といった、新たなテクノロジーの発達が、ある意味、どうでもよい議論を呼んでいるのが現代である。そうした状況への批判を込めて、ベンヤミンら、苦難の時代に生き、そして残した含蓄に満ちた作品を、現代に少しでも呼び覚まそうというのが著者の研究であり、この新書の意味であると言えるのかもしれない。しかし、それを読む読者も相当限定的であるのが実態であろう。

 ただ歴史は繰り返す。ベンヤミンが生きたあの危機の時代がまた再び戻ってくる可能性もゼロではない。それをもたらすのが、米国でのトランプの大統領再選であるのか、中国による台湾進攻であるのか、はたまたウクライナやガザでの戦争の世界規模での戦闘への拡大であるかは分からない。危機の時代の知識人の奮闘を促すためにそうした事態を期待するのはもとより本末転倒であるが、ベンヤミンの時代を振り返りながら、そうした気持ちが心のどこかにあるのを感じているのである。

読了:2024年4月7日