アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第七章 文化
序文
 
文化という概念は多分に曖昧さを秘めている。それは一般的には時代を象徴するような人々の思考様式の表現された絵画、文学、映画、演劇、音楽といった芸術を指すことが多いが、現代の大衆社会においては、そのように表面には現れてこない人々の生活スタイル自体を示すことも、あるいは若者文化といった所謂サブ・カルチャーを指す場合もある。そうした曖昧さを念頭に置きつつも、私は、丁度歴史が書かれ、記録されて初めて歴史となるように、文化もそうした社会意識が何らかのスタイルをもって表現され、記録された時に初めて時の文化となると考えている。そしてそうした観点から歴史を眺める時、そこには間欠的に、その意味における文化が開花し、その絢爛たる姿を浮かび上がらせた時代があったことに気付くのである。欧州に滞在していると、そうした文化の最も壮大な興隆としてのルネッサンス文化に接する機会は多くなり、その流れの中でクラナッハやデュラ−の絵画やリーフェンシュナイダ−の彫刻といった中世ドイツの文化的成果に対する好奇心も強まる一方であった。

しかしそうした中世のキリスト教文化から離れた地点で、より現代にアクチャリティをもって関わってくるようなドイツ固有の表現を求めていくと、その流れは時代を下り19世紀末のミュンヘンから開始されたことが分かる。そしてその流れは、第一次大戦後の困難な時代の中で、革命的な動きとなりワイマ−ル文化として開花する。こうして、本文中で繰り返し語ったとおり、自分自身の原点としてのワイマール文化とその帰結を、歴史的な文化運動として再度確認するのがこの第七章の主目的となる。まず欧州の世紀末に発生した新たな文化運動のドイツからの回答としてのユ−ゲント・シュティルを見た上で、語の全き意味で総合的・全体的なワイマ−ル文化の総括を行うことにする。そしてそのワイマールを矛盾に満ちて生きたT.マンの生き様に、戦中から戦後にかけてのドイツ知識人が直面せざるを得なかった困難な世界を探った上で、最後にドイツ文学の世界にその派生的表現を見ていこうと思う。