アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第七章 文化
第二節 ワイマ−ル文化 
ワイマール文化とファシズム 
著者:蔭山 宏 
 1945年生まれで、この著作の出版時は慶応大学法学部で思想史を専攻している助教授による1986年の作品である。この世界ではあまり聞く名前ではなかったが、保土ヶ谷図書館で見つけ、面白そうなので目を通してみた。著者はあとがきで、専門分野では村瀬興雄、脇圭平、平井正らの、そしてより一般的には大塚久雄、丸山真男、藤田省三、森有正、谷川雁、寺山修二らの影響を受けたと言っているが、ワイマール期のドイツ保守主義ないしは保守革命を分析するのに社会心理学的な観点を重視している点でフランクフルト学派の影響を感じさせると共に、他方で「タート派」という、これまで余り私が耳にしていなかったグループの考え方について詳述していることもあり、従来の私の世界を若干なりと広げる意味があった。但し、文章はやや分かり難く、理念的な部分も多いことから、ここでは幾つかの論文で私の印象に残った部分のみを簡単に抜書きする。

 昨日ある研究会で、北大のインド政治思想研究者である中島岳志による「近代日本の右翼」と題する報告を聞いたが、そこでは「右派」を、「主意主義に基づき、理性に基づく設計主義を疑う立場」と規定し、特徴は「理想の過去へ回帰する運動である」としていた。ところが北一輝らの「設計主義的右翼」が台頭してきた際、彼らはこうした「伝統的右翼」にとっては脅威であったことから、これを天皇の威信によって粛清した、と位置付ける。即ち、北らの思想は「日本の右翼思想」としては異端であったと、中島は説明していた。

 この議論に対し、聴衆の中にいた「ドイツ保守主義」の研究者から、「言葉の規定の仕方が甘い」といった批判がなされていたが、この議論の鍵になるのが、ワイマール期の「保守革命論」についての分析や評価であるのではないか、という気がする。即ち、本来「保守」と言うのは「既存秩序の維持」を最優先するが、右翼や左翼は、この「変革」を目指すものである。したがって本来、「保守革命」というのは語義矛盾である。しかし、日本の戦前軍部体制が、基本的に陸軍を中心とした「保守思想」の産物であったのに対し、ナチス体制は、明らかに既往体制の「変革」、場合によっては「革命」とも言い得るドラスティックな「設計主義的な社会運動」であった。ドイツにおいて、何でそもそも両立し得ないはずの「保守」と「革命」がドイツでは発生したのか?著者は、この疑問に中心に、議論を進めるのである。

 著者の基本的意図は、「保守革命論」を「ナチスの思想」ではなく、「ワイマール体制崩壊の思想」と捉え、それを通じて「ワイマール体制崩壊の心的、精神的層位を探ること」であると言う。特に思想的には敵対したフランクフルト学派とハイデガー、ユンガー、シュミットらの決断主義が共有していたワイマール期ドイツの「問題状況=原状況」として「@現代社会において客観的価値と見なしえるものはなく、Aドイツに伝統的に見られた理論と実践の分裂をヘーゲルとは別の形で架橋しようとした」という観点からワイマールの文化的層位を見ようとするのである。そして著者は、啓蒙の洗礼を受けた後期市民社会において「市民的主知主義の技術主義への転換」が行われ、それに対し、外側からであるが大きな役割を果たしたのが「保守革命論」であったと考えるのである。

 こうして著者は、まず1920年代における「市民の解体」から「感情のアナーキーが大衆的拡がりをもって噴出してくる時代の傾向」をルカーチ、ベンヤミン、ハーバーマスらの理論に即して跡付けている。そしてそうした市民層の反応のひとつが、ティリッヒの言う「動態的」な対応であるが、これは「ある存在が可能態から現実態への運動のなかにあるかぎりでその存在そのものを表現するのに適切な概念」であり、「保守革命」派集団、なかんずく「タート派」と呼ばれる政治集団はこの系譜の中の典型的な運動であったと考えるのである。また著者は、「市民層の自己止揚型」の対応例としてE.ユンガーの「労働人概念」について詳述しているが、これは全体的な文脈における議論がいまひとつ分からない。

 続いてワイマール文化の諸相が語られる。まずワイマール時代の知的状況を「等価性の世界」という概念で捉えながら、「これを踏まえつつ、同時にそれを乗り越えようとしたのがワイマール文化のアバンギャルドたちであり」、そしてそこに、この文化の「志向性の影」を見ようとする。

 「等価性の世界」という概念は、伝統文化に対する大衆文化、いわゆるサブカルチャーの隆盛ということで、まさにワイマールの特徴として何度も言われてきたことでもあることから特段新しい概念ではない。そして60年代末の新たなサブカルチャーの勃興とも併せ、私自身こうした傾向についてはポジティブな評価を与えてきた。しかし、こうした大衆文化は、著者に言わせれば「伝統に対する解体的性格を示しているばかりか、新しい出来事の体験をいくらつみ重ねてみたところで、かれの意識を空間に何ら痕跡をとどめることもないという事態をも示している」としてやや否定的に捉えている。そしてこうした破壊の後の「無の状態」からどのように脱却していくか、ということでブロッホやベンヤミンの試みが言及されている。しかし、ここで言われていることは、煎じ詰めれば、文化革命による破壊の後にどのような新たな文化が生まれるか、という議論であり、ワイマールの場合は、大衆文化がむしろ政治的アパシーの享楽文化を生み、その結果文化自体が政治的な抵抗力を失ってしまった、ということにすぎないような気がする。むしろこの時代の文化を、如何にポジティブに現代に移植していけるのか、という私自身の関心からすれば、やや静的な議論であると言える。また次の論考で、「都市文化状況」という視点から20年代の文化を論じている。ここではクラカウアーの言う「気散じ(気分転換)」の状態が、「精神の集中」の対極概念として使用されているが、ベンヤミンはこれを「変貌に必要な一過程」とポジティブに位置付けた、と見る。更にここではジンメルの「流行論」に言及しているが、ジンメルがこれを「発端における新奇さの魅力と、それが同時に終焉でもあるというはかなさの魅力」と規定しているのは面白い。しかし、そのジンメルの議論をルカーチが、「真の完成」や「統一的な体系」にたどりつけなかった「印象主義=終結に到達するのを拒否し、動態性にとどまるところに成立する、本質的に過渡期の形成」、と批判しているのは、言わば、この文化的混乱期から新たな文化を生み出す契機を作れなかった、という議論であると考えられる。

 こうして著者は「ワイマール時代末期の<精神状況>のはらんでいる問題性を保守革命論に即して検討する」という、この作品のメインテーマに移る。それはこの理論的曖昧さや混乱、あるいは「反動性」を批判するということではなく、この議論が持つ「時代表現的ないし時代診断的側面」を摘出する作業なのである。

「保守革命論」は、反ワイマール的且つ国家主義的ではあるがナチスとは異なり、また社会主義的ではあるがマルクス主義とも異なる、思想であり、これを担ったのはO.シュペングラーやM.ファン・デン・ブルック(池田浩士はナチスの系譜と捉えている)、社会民主党脱党組のE.ニーキッシュ、H.ツェーラーらの「タート派」、そしてナチ党脱党組のO.シュトラッサー、「革命的ナショナリスト」のユンガー兄弟らであったという。そしてこうした理論家=知識人が、従来の古典主義的教養理念に立脚する教養市民層のアカデミズム知識人とは異なる、新たなタイプの人間たちであったのである。

 彼らの登場の背景として、産業化による「労働知」と「教養知」の分裂やアカデミーから排除されていた人間の「文化産業」への流入があったが、結果的には、従来から「知」が持っていた「<生活の方向づけ>機能」の拡散が発生し、「教養」そのものが危機的状況になっていったとされる。更に第一次大戦と戦後の体験が、こうした「知」の前線に影を投げる。いわゆる「前線世代」は、「生死を賭けた『ゲマインシャフト』において『社会的不正』を感じ、労働者層に生きている『社会的ルサンチマン』の根拠を理解したからこそ『社会主義的』に帰郷した」のである。「保守革命」論は、こうした「過渡期の流動的な知識人によって担われた」と言うのである。

 著者は、続く論文で、文明批評家E=R.クルティウスによる「心情のアナーキー」論からのタート派批判(タート派の<運動>論が文化形成の基本条件を破壊するという批判)やP.ティリッヒの「保守革命=革命的ロマン主義論」に即して分析しているが、ここでのポイントは、どちらの議論にも共通する「保守革命論」の「動態」的性格と、それが現実的な目標を持たないために、結局はある段階まで進むと体制に組み込まれるか、あるいは粛清される運命にあるという点で、これは日本の「保守革命」論者である北一輝らの運動にも共通する特徴である。こうして続いて著者は、この「保守革命論」とナチスの関係について説明しているが、ここでは「保守革命論者=ナチス左派」のG.シュトラッサーから、同じく当時は左派と目されていたゲッペルスを抱きこむことで引離したり、最左派のグループを率いていたG.シュトラッサーの弟のO.シュトラッサーを脱党に追い込んだ、といったヒトラーの権謀術数が面白い。

 最後に著者は、主要論客であるH.ツェーラーに即したタート派の分析と、その対極で「社会主義的決断」を行ったP.ティリッヒの議論を紹介しているが、これは今まで触れた論考の一部を詳述したものに過ぎないので省略する。

 最初の問いに帰ろう。何でドイツでは「保守」と「革命」という本来は語義矛盾するような政治思想が力を持ちえたのか?回答の一つは、言うまでもなく、大衆一般に広がり、それを基盤に、一部行動派知識人が体現することになる、この時期における最も自由主義的、民主主義的であるワイマール体制へのルサンチマンに求められる。ワイマールにより破壊された安定した「保守主義」と新たにそこで発生した左翼的な「享楽的」モダニズム文化は「動態的」に「獲得・変革されねばならない」ものと考えられたのである。日本軍国主義は、保守主義の究極形態であったが故に、「設計主義的保守革命論」は容易に粛清されることになったのに対し、ドイツではそれが大衆の支持を受けた変革のエネルギーとなったのである。しかしそれも最終的にはヒトラー体制が確立するに従い弾き出されてしまうのである。

 しかし、ワイマールのモダニズム文化は、単にその「保守革命」のルサンチマンが向けられるだけの対象でしかなかったのか。むしろそれが保守革命に対する社会的抵抗力とならなかったのは何故なのか?こうして改めて私は、ドイツ文化の深淵に入っていかざるを得ない。それはクラカウアーの言うような「サラリーマン文化」の域を出なかったのか、それとも教養主義に基づくドイツ中産階級の崩壊と運命を共にせざるを得なかったのか?そうだとすれば、丁度60年代におけるそうしたモダニズムの復活というのは新たな「大衆の反逆」であったのか?そしてそこから今現在の文化状況をどう読み取ることができるのか?ワイマールの経験は、まだまだ多くの疑問を提示してくれる。残された自由な時間の中で、どこまでこうした思索を深めることができるのかがまた個人的に突きつけられている。

読了:2008年3月6日