ドイツとドイツ人
著者:ト−マス・マン
ワイマ−ル文化が時代文化の総体を象徴していたとすると、T.マンの場合は、このワイマ−ルから第二次大戦を経て戦後にいたるドイツの知識人文化を一身に体現していたと言える。T.マンの講演を集めた本書は、この第一次大戦から第二次大戦に至る過程で、状況にかかんに参加していったドイツ知識人のこうした精神の遍歴を生々しく示すと共に、それぞれの講演が行われた時代の雰囲気を伝えており、一般の客観的分析を行う書物にはない情熱を感じさせる作品であった。
この文庫版に収められた6編の講演は、第一次大戦後の「ドイツ共和国について」に始まり、勃興するナチに抵抗した1930年の「理性に訴える」と「ボン大学との往復書簡」、そして表題となっている1945年の講演を含む、第二次大戦後の3編からなっているが、圧巻は言うまでもなく「理性に訴える」と表題作の2つである。
ナチが総選挙で107議席を獲得し、いっきに第一党にのしあがった直後の講演である前者は、マンがナチの政治哲学の危険性にいち早く気付き、それに警告を発したものであった。時代の騷然とした雰囲気の中で、マンがレトリックを駆使し、人々に覚醒を促そうとする様子がひしひしと伝わってくる。かつて第一次大戦の最中、政治に背を向け、ドイツ・ロマン派を出発点とする芸術至上主義の中に沈潜したマンが、今や、国家社会主義運動を、ロマン主義と北欧信仰の混交物と見做し、そこで多用される人種・民族・結社・英雄といった語彙を、「神秘めかした愚直さと常軌を逸した悪趣味」と決めつけ、そして「高度に世界主義的博愛主義的要素を持つ19世紀市民的国家主義」と対峙させる時、彼の拠って立つ基盤はもはや明らかである。ドイツ的なものを自己の基盤とする文学者にとって、「誠実と節度と精神的実直さ」が、「狂信と無思想、そして理性と人間の品位と精神的自制の否定」に取って代わられるのは、まさに自己の依拠するものを否定することになるのである。そしてそれを救うため、彼は前回の大戦時には行わなかった政治的アンガジェを行っていく。ドイツ社会民主主義をマルクス主義から区別しつつ、その政策を懸命に擁護するマンは、まさにこの段階でナチに対する戦闘宣言をおこなったのである。積極的にナチに協力をしたわけではないにもかかわらず、不作為のナチ協力という非難を受けているワルトハイムやカラヤンのケ−スも念頭に置けば、それが如何に苦しい決断であったかは一目瞭然である。この講演の3年後、この余りにドイツ的な作家は、ドイツの土壌から強制的に引き離されてしまうのである。
第ニ次大戦の終結とドイツの敗北の中で、マンが再びドイツ的なものを総括したのが後者の講演である。「世界にかくも多くの良きもの、美しきものを与えた」ドイツが、「再三再四かくも宿命的に世界の厄介者になった」という両義性こそが、この講演のテ−マであり、それは結論的に言ってしまえば、ルタ−やファウストに見られるような「知性の高慢さと心情の古代的偏狭さとの台体」されたドイツの姿なのである。言葉を替えれば、ドイツの悲劇は「抽象的にして神秘的、すなわち音楽的なドイツ人の世界に対する関係」の中に存在したのである。こうした観点から彼は音楽的なルタ−ではなく、農民戦争における自由と正義の闘士であるリ−メンシュナイダ−に共感を示す。なぜならルタ−の反政治的敬虔さの中に彼は「国民的衝動と政治的自由の理想との分裂というドイツ特有の事情」を見るからである。更にマンはゲ−テの教養主義と政治的諦観についても批判的である。なぜなら、このゲ−テの態度が国民の指導的階級である市民階級に、精神的自由と政治的自由の分離というルタ−的二元論を確認し、深化させたからである。
しかしこうした批判にもかかわらず、ドイツ・ロマン派の流れはマンの出発点でもあり、そして最後に帰っていく故郷でもある。マンはこうしたロマン派の思考形態こそ最もドイツ的であり、それ故に、良きにつけ、悪しきにつけドイツの歴史とドイツ人の感性を理解する上では避けて通ることのできないものと考える。「ドイツ人は、啓蒙主義の哲学的主知主義と合理主義に反抗するロマン主義的反革命の民族−文学に対する音楽の、明晰に対する神秘主義の反抗の民族」であり、ロマン主義こそ「詩とは何か」を、実証主義に退屈していた世界に教え、「童話や民謡の埋もれていた宝」を掘り起こし、そしてニ−チェに見られたように、「神秘的恍惚やディオニソス的陶酔を通じた病気との新しい、実りの多い関係を築いてきた。それは「ドイツの『内向性』の歴史であり、憂鬱な歴史」であったが、決して「悲劇の歴史」であったわけではない。こうしてマンは、悪しきドイツの源泉となったこうしたロマン主義的感性を巡る一方的な見方を強いる時代に、こうしてロマン主義を擁護することがいかに困難なものであるか、というのは今の我々には明らかである。ナチヘの批判が、ヘ−ゲルから二−チェに至る、ノバ−リスからゲ−テに至る全てのドイツ的伝統の批判に向かう時、ただこうした傾向の政治化に対し存在を賭けて対峙したマンであったが故に、初めてこうしたロマン主義の擁護が可能になったと言えるのではないだろうか。自己の政治姿勢に決して奢ることなく、自国と自民族の苦悩を内面化していく力に、今世紀最大のドイツの文学者の素晴らしさを見る思いがしたのであった。
読了:1992年7月23日