アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第七章 文化
第四節 文学 
ベルリンの秋(上下)
著者:春江 一也 
 「プラハの春」の続編がようやく文庫本となった。今回の作品は1969年から1989年に至るロシア・東欧の戦後史にまでタイムスパンを広げながら、ラブロマンスとエスピオナ−ジを重ね合わせた物語となっている。まず主要なプロットの枠組みを記録しておこう。

 物語は1970年、KGBのテロリスト・ヘスが、東独における反社会主義運動を摘発するためのキーパーソンとして、主人公堀江亮介をマークするところから始まる。「プラハの春」の中でそのテロリストの凶弾に倒れた恋人カテリ−ナの一人娘シルビアを、在プラハのシュタ−ジのヘッド、マイヤ−の手引きでドレスデンに訪ね、カテリ−ナの形見と金を渡した後、彼は帰朝し本庁勤務となっていた。同じ時期、東独エルツ山系ではシュタ−ジ次官ベーナーがカテリ−ナの夫であるシュナイダ−に社会主義体制の変革を解き、またモスクワではKGB議長アンドロポフがドイツ問題担当特務機関長イワノフにウルブリヒトの状況を確認していた。ブラントの東方政策を受けこの年3月、初の東西ドイツ首脳会談が開かれていた。ブラントの首席秘書官となったギョ−ムは、ボスの信頼を利用し、シルビアはア−ルバッハにあるカテリ−ナの実家で祖母と生活していた。シルビア16歳。
 ベーナーがまとめた「ソ連崩壊」を予言する秘密報告を巡る、KGB,CIA,BNDの動き。イワノフによるベーナーの尋問に対し、ベーナーが確信をもって反駁する裏で、テロリスト・ヘスがベ−ナ−の家族をマークしている。12月、ドイツ・ポ−ランド条約が締結され、ワルシャワ・ゲット−を訪れたブラントは、雨で濡れた地面に跪くが、それを不快に思うウルブリヒトは、GRUの協力を受け、ベーナー暗殺計画を実行に移す。西部国境巡察の日、ベ−ナ−の乗ったヘリコプタ−は「事故」により墜落することになる。
 1973年、亮介は日本での去勢されたサラリ−マン生活を送っている。その間、71年にウルブリヒトは失脚しホ−ネッカ−がモスクワの支持を得て東独の独裁者となり、また72年、英国やフランスが東独との国交を樹立していた。シュナイダ−はベーナーの後任としてシュタ−ジ次官に昇格し、バ−ナ−の義妹アンネマリ−と再婚、シルビアは父親のコネで、東独外務省の儀典担当のアシスタントとして就職していた。5月、日本も東独を承認し、東独大使館設立のため亮介に白羽の矢が立つ。東ベルリンへの出発、そして東京での結婚生活に失敗した亮介と、外務省での仕事が合わないシルビアはクリスマスの回転木馬で再会する。ア−ルバッハでのクリスマス。年明けの新年パ−ティ−でのマイヤ−との再会。そのマイヤ−からは日本の技術協力についての秘密工作を依頼される。
 1974年、西独でギョ−ムが摘発され、ブラントは辞職する。シルビアは亮介との接触を服務義務違反に問われ外務省を懲戒免職となり、イタリア人デザイナ−・ビビアニのもとでマヌカンとしての訓練を受ける。マイヤ−の秘密工作はギョ−ムを通じてモスクワの知るところとなり、テロリスト・ヘスによりマイヤ−は暗殺され、秘密工作は失敗する。そしてビビアニの仲介でマヌカンとなったシルビアと亮介は再会し、結ばれる。

 下巻はマヌカンとして国内で成功したシルビアが、ミラノでのモ−ドショウへの出国を拒否され、不法越境を試み逮捕される事件から始まる。失語症の再開と、亮介が手配した人権弁護士フォ−ゲルによる弁護を経て、ア−ルバッハに引き込むシルビア。亮介は一方的に見舞いのカ−ドと差し入れを送ることしかできない。
 1975年7月、ヘルシンキ議定書が調印されるが、東独国内はむしろ引締めム−ドが高まる。亮介は、ノイロ−ゼとなった妻が帰国した後、ビビアニのもとでデザイナ−として再出発したシルビアとの生活が始まるが、もちろん彼女の出国はままならないまま、妊娠を告げられる。一方反体制歌手ビアマンの追放といった思想統制の強化が行われる中、バチカンとの歴史的妥協に踏み切ったイタリア共産党の連絡員であるビビアニにもテロリストの影が近付き、彼女はイタリアに逃亡する。出発前彼女がシルビアへの餞別として残したデザイナ−用の鋏の包みを、反体制派との対談ビデオと誤解したテロリスト・ヘスによるシルビアへの襲撃とそれによる流産。
 1977年亮介は転勤により帰国。帰国前、最後の逢瀬は、シルビアの祖母が倒れたことから果たせなかった。ユ−ロコミュニズムの活発化とイタリアのビビアニからの手紙、そして1978年年末、突然かかりやすくなった東独への電話によるシルビアとのコンタクトが再開される。
 1979年、病状の悪化するブレジネフは、ソ連の実態を暴くMr.Xによる論文に露骨に不快感を示していた頃、亮介に西独ケルン留学の話が持ち上がる。再度の訪独となったケルンの研究所には徹底したソ連批判を続けるMr.Xこと、セルゲイ・ペトロフがいたが、彼は1956年アンドロポフがハンガリ−暴動を圧殺した際、それまで信頼していたアンドロポフがハンガリ−のマ−テル将軍を騙し撃ちしたことと、妻をソ連軍に殺されたことから行方不明になっていたロシア人であった。ペトロフとの親交とシルビアとの逢瀬という幸せな日々はしかし続かない。ペトロフの居場所を突き止めたテロリスト・ヘスは亮介とファスナハトのロ−ゼンモンタッグの仮装行列で落ち合うことを知り、亮介を追う。一方BNDの警護の監視を逃げ出し亮介との約束の場所に現れたペトロフはヘスにより刺殺される。
 1980年、ペトロフ刺殺への責任とシルビアの想いを断ち切り亮介は1年間の留学から帰国。ポ−ランドにおける連帯の盛り上がりと戒厳令による圧殺。そして1982年、東ベルリン領事館総領事としての再度のドイツ赴任。しかし、亮介と別れ自暴自棄になったシルビアは言い寄る男の一人と関係を持ち、妊娠する。堕胎を迫る男と邂逅した亮介が打ち倒されるのを見てシルビアは亮介に従い男から脱出し、実家で静かに男児を出産する。出産後病院を見舞った亮介を待っていたのは、シルビア母子に加え、初めて会う父親シュナイダ−将軍であった。
 1986年、ソ連指導者が目まぐるしく変わる中、東独の権力抗争も次第に表面化する。教会による反体制運動の背後にシュナイダ−がいる、という噂が流され、彼は次官を解任され、アンゴラ内戦に、軍事顧問団指導者として放逐され、それを追いかけるように亮介もジンバブエ勤務を命じられる。妻との離婚も成立していた亮介は再び一人になる。しかし、今回は離れていてもシルビアとの信頼を維持した別れである。
 1988年、商社のアンゴラ支店爆破事件の現場検証に立ち会った亮介は、シュナイダ−との接触を試み、彼にもテロリスト・ヘスの暗殺の魔手が近付いていることを教えるが、その会談中に亮介を追って飛び込んだ「歴史の狩人」ヘスの凶弾に倒れる。しかし、ヘスもまたついに射殺され、歴史は動き続ける。シュナイダ−は歴史が満ちるのを待ち、そしてモ−ゼの「出エジプト」になぞらえた、東独からの大量脱出計画をライプチヒの牧師と仕組み、そしてそれがついにあの堅固に聳え立っていた壁を破壊することになるのである。
 1989年11月10日、ジンバブエからドイツに飛んだ亮介を待っていたのは、壁崩壊のニュ−スであった。壁を越えて殺到する大群衆の中、チャーリー検問所で待ち合わせした亮介は、そこに涙でぐしょぐしょになったシルビアと息子フリッツを見つけるのであった。

 私がかつて、理想主義的な社会主義思想と現実に存在する社会主義のギャップを認識し、更にその昇華の可能性を探るためにフォロ−してきた東欧圏の歴史が、この小説の中で、ラブ・ロマンとエスピオナ−ジ小説という甘味剤により包含されている。その徹底的に反社会主義的な根本思想に若干の違和感を抱きつつも、民衆の側から見れば、著者の指摘するとおり、非人間的な体制は必ず崩壊するという筋書きを辿った現実の歴史を整理しつつ、ドイツ問題を中心にここまでの作品に仕上げた著者の力量には、ただただ感服するのみである。私自身のドイツ、東欧問題の再検討に際しても、必ず帰っていかざるを得ない作品であることは間違いない。

読了:2001年4月15日