アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第七章 文化
第四節 文学 
ウィ−ン世紀末文学選
編訳者:池内 紀 
 もともとは私のドイツ世紀末研究という課題に役立つと考え、1991年のドイツ転勤に際し、当時の新刊書として持参したが、結局そこでは読まず、帰国後5年以上も経ってからようやく手をつけることになった作品である。しかし、集中して読む気にもならず、娘の塾通いの出迎えを中心に、週末の時間つぶしに使っていたことから、また読み終えるまでに相当の時間を要してしまった。

 ワイマ−ルに至るドイツ圏の文化的活性期としての世紀末ウィ−ン。ハプスブルグの帝国文化が爛熟すると共に、崩壊に向けた密かな足跡が聴こえ始めたこの時代は、生と死の交錯する面白い時代である。それが文学世界にどのように反映されているのか。クリムトとフロイドの世界は、文学的表現と最も連動しているのではないか。言うまでもなくこれが、この作品への最大の関心であった。しかし、実際には、読了まで時間を要したことから示されるように、やや物足りなかったのが実態である。

 16人の異なる作家の短編が収録されているが、その中で私が文化史の中で名前を知っていた作家4人−ホフマンスタ−ル、カ−ル・クラウス、ステファン・ツバイク、ヨゼフ・ロ−ト−も含め、全て作品に触れるのは始めての作家達である。作品の傾向としても、ごく普通の風俗描写小説から、フロイト的幻想小説まで多様であり、何が「世紀末ウィ−ン小説」なのか、と言われても一言では答えようがない。従ってここでは、幾つかの作品だけ抽出しコメントを加えておこう。

 まずはホフマンスタ−ル。有名な作家であるが、「バッソンピエ−ル公奇憚」という小品は、貴族による、庶民の妻との情事が幻想であったというだけの話で、今ひとつ。
 ヘヴェジ−という作家は、クリムトらの分離派運動に共鳴し美術批評等に活躍したというが、「地獄のジュ−ル・ヴェルヌ 天国のジュ−ル・ヴェルヌ」という作品は、ジュ−ル・ヴェルヌが地獄と天国をルポする、という想定で、この分離派の影響を文学的に表現したものと言える。地獄のルポがやや気味悪い他は、感覚的には今ひとつピンとくるものがない。
 ブライの「文学動物大百科(抄)」は、同時代作家評である。ヴェデキントは、「上半身が性器で下半身が頭のスフィンクス」、カフカは「人間の眼を持つネズミ」、クラウス「汚物から生まれ汚物を貪り食っている反自然児」、ゲオルゲ「長い脚をもつ渉禽」、ヘッセ「愛らしい野生鳩」、ホフマンスタ−ル「当代きっての美獣の一つ」、ト−マス/ハインリッヒ・マン「どちらも相手の存在に我慢のできない木喰い虫」等が気付いたコメント。
 そこで取り上げられたクラウスの「楽天家と不平家の対談(『人類最後の日々』より)」は、そうした「汚物」としてのハブスブルグを徹底的に糾弾していく。楽天家はインタビュ−アにすぎず、不平家による、戦争とそれを促したフランツ・ヨ−ゼフ皇帝批判等が圧倒的である。チロル独立派の国会議員が軍部により殺され、その処刑の写真が絵葉書になって出回ったというバティスティ−事件も、その批判の対象となる。「裁判官ではなく死刑執行人が権力の唯一の守護者である」ハプスブルグ自身の死刑執行も目の前であるという予言は、まもなく実証されることになる。
 ツバイクの短編「落第生」は、苛めを受けた21歳にもなる学生の自殺の話で、この作家をもっと読みたい、と思わせる要素は全くない。
 ベ−ア=ホフマンの「ある夢の記憶」はシュ−ルな幻想小説で、フロイトを意識して書かれていると思われるが、スト−リ−はない言葉遊びである。
 最後近くに収録されているロ−トの「ファルメイヤ−駅長」は、漸くスト−リ−らしい展開がある短編である。列車事故で助けたロシア貴族夫人に、大戦の従軍兵士として再会し結ばれるが、その貴族の主人が戦争から戻り、彼は消えていく。それまでの小説が、言葉遊びが多かったことから、図式的な小説ではあるが、ややほっとして印象に残ることになった。しかし、第一次大戦ののんびりとしたおおらかさが顕れている小説でもある。

 世紀末ウィ−ンが、迫り来る大戦の影に怯えるハプスブルグ最後のあだ花であった、とはよく言われるが、こうした「宮廷文化」の能天気とタナトス衝動の共存が共存している様子は、例えばブルボン王朝文化や京都宮廷文化には見られないウィ−ン文化の特徴である。こうした「エロス衝動とタナトス衝動の交錯」は、その後のワイマ−ルを経て、本来はこうした文化に無縁であった60年代米国で、特に哲学的にはH.マルク−ゼにより表現され一般的に知られることになる。個々の小説としては面白みのないものが多い作品集ではあるが、こうしたワイマ−ルと60年代の米国カウンタ−カルチャ−の原点の一端は感じることができたのである。

読了:2004年2月16日