赤い楯;ロスチャイルドの謎(上/下)
著者:広瀬 隆
帯にある通り確かに「知的興奮の書」であることは間違いない。ロスチャイルドを中心とする家系を後つける膨大な作業と表裏にまたがる歴史の細部への知識を駆使し、壮大なロスチャイルド帝国の全貌を描こうという意図と著者の自信が、本の至る所からひしひしと伝わってくる。この著者はフリ−のジャ−ナリストとして国内外の多くの市民団体にパイブを持っており、原発批判の著書などは、特にアメリカを中心としたこうした「市民グル−プ」の支援を受けたと言われているが、この本の作業もそうした支援がなければこなせない程膨大である。その意味でこの著者の力量には敬服するし、市井の評論家で、ここまでの作業が可能だと知るのは、私にとっても大きな励みである。
しかし、そうした全体としての敬意を前提にしてではあるが、世界史上の多くの事件をロスチャイルドの陰謀に結ぴつけるやり方はやや強引で、その意味で、次から次に繰り出す家系を含めた論拠は、読み進める内に次第にしらじらしいものになっていく。特に、欧州に貴族社会が存在し、そこで政略的婚姻が行われている限り、ロスチャイルドのみならず、このサ−クルに入っている家系が自己増殖し、権力基盤の維持を謀っていくのは自明の理である。そう考えると著者は何も本書をロスチャイルド物語とせずに、欧州の貴族、政治家、実業家を含めた支配層の、婚姻を中心に結ばれた相関図、と位置付けた方が、より自然な説明が出来たのではないか、と思えてくるのである。確かにそこには多くの事件に関係しているロスチャイルドというファミリ−がいたとしても。
こうした全体的な決めつけといった問題はあるが、この書が、歴史の思いがけない視点を数限りなく提示しているのは事実である。下巻でも多く出てくるであろうが、取り合えずここでは上巻から幾つかのトピックを抜き出しておくことにしよう。
出発点は現代のロスチャイルド・グル−プの総帥ジェ−ムズ・ゴ−ルドスミスである。我々の世界では、ロスチャイルドの名前は、同名のイギリスのマ−チャント・バンクとして知られているが、それ自体は、現代の金融界では指導的な力を有しているようには見えない。そしてこの現代のグル−プの総帥も、表面的には、英国の煙草会社やフランスの新聞社の買収話に時折名前を聞く一投資家に過ぎないかのように思える。しかし歴史を遡り、また家系図を丹念に見ていくと、彼の下に蓄積された膨大な権力が見えてくると著者は言うのである。一つの例として著者は、最近の投機家を一人一人見ていくと、彼らとロスチャイルドとの関係を示唆するような事実に遭遇するという事実を挙げる。こうした投機家とロスチャイルドとの関係は次の通りである。
マ−ドック(ロスチャイルド家の非鉄会社RTZを通しての関係)、ボウスキ−(NYのロスチャイルド商会証券アナリスト出身、ロスチャイルドより投機資金を捻出)、アイカ−ン−TWA会長−(NYのドレフュス商会出身)、ピケンズ(ゴ−ルドマン・サックスとの関係。ゴ−ルドマン家は南アのダイヤ取引でロスチャイルドのパ−トナ−)、ジェイコブス(ロンドンのジョン・ジェイコブス商会はロスチャイルドと連携)等々。
こうした推測が事実なのかどうか、これが膨大な作業の原点となる。
その作業はまずロスチャイルドの良く知られた歴史から始まる。16世紀フランクフルトのユダヤ人ゲット−で、貨幣の交換や金貸し業を営んでいたモ−ゼス・ゴ−ルドシュミットが知られている限りでの家系の初代。200年後の18世紀、マイヤ−・アムシェル・口スチャイルドが家紋を定めると共に姓を改めるが、この時使われたのが店の看板に書かれた"zum rothen Schilde"であった。ここから一族はイギリス、フランス、イタリア、オ−ストリア、ペルギ−、オランダ等へ拡大していく。この内イギリスに渡ったネイサンが、ワ−テルロ−の戦いによる伝説的な投機事件の主人公である。
ロンドンのネイサンは、自ら有カな金塊プロ−カ−であった「モカッタ・ゴ−ルドシュミット商会」と婚姻関係を結ぴ金地金を支配することにより、ライバルであるベアリング・ブラザ−スに対抗していく。著者によると、現代でも金価格を支配するのは、この2社に「シャ−プス&ピクスレ−商会」(ロスチャイルドがオ−ナ−であるクラインオ−ト・ベンソンの子会社)、「サミュエル・モンタギュ−商会」(モンタギュ−家はロスチャイルド家から誕生)、「ジョンソン・マッセィ」(ロスチャイルドが役員)を加えた5社であるが、かつてのライパル、ベアリングも含め、これらには全てロスチャイルドの息が掛っているのである。更に言えば現在の英国首相のメジャ−も、このモカッタ・ゴ−ルドシュミットの子会社スタンダ−ト・チャ−タ−ド銀行の出身であり、またパ−クレィズ、ナショナルウェストミンスタ−、ロイズ、ミッドランドの4大銀行も、その役員名簿を調べていくとロスチャイルドと関係を有する人間がうようよいる、ということになる。しかし、ロスチャイルドの触手は欧州で留まっている訳ではない。
こうして話は、1912年4月のタイタニック号の遭難事件に移っていく。この事件が重要なのは、この船の所有者が、了メリカのモルガン家とロスチャイルドが合体したモルガン・グレンフェル商会の子会社であったことだけではない。この船の重要な乗客で、遭難に巻き込まれたアメリカの鉱山王グッゲンハィム、不動産王アスタ−、デパ−ト王シュトラウスといったアメリカ新時代の巨人達が、皆ロスチャイルドとの関係を有していた、という事実が、この時代のロスチャイルドのアメリカヘの進出を物語っているのである。著者は、ク−ン・レ−プ、ソロモン、リ−マン、ラザ−ズ・フレ−ル、ゴ−ルドマン、デュロン・リ−ドといった米国の著名な投資銀行が全てロスチャイルドの息が掛かっているのみならず、「ユダヤ嫌い」のモルガン家でさえモルガン・グレンフェルを通してロスチャイルドとの関係を築いていた、という。そして、ク−ン・レ−プのジェイコプ・シフが高橋是清による日清戦争の戦費調達に協力したように、日本にも彼らの資本が流入していたのである。重要なことは、ロスチャイルドがこうして窓口を分散させることにより、一般の視線から自らの力を隠匿した点にある。実際この19世紀中頃の対米投資では、単体としてはロスチャイルドのライパルであるペアリング商会が圧倒的なシェアを有していたが、総合するとロスチャイルドの方が勝っていた、というのが著者の推測である。そして現代においても、冷戦終結とドイツ統一に合わせたかのように、ロスチャイルド家のフランクフルトヘの帰還が発表され、時を同じくしてドイツ銀行によるモルガン・グレンフェルの買収が行われる等、ロスチャイルドの戦略が密かに進められている。それでは、このロスチャイルドの世界制覇の武器は何か。こうして次に著者はダイヤの宝庫、南アフリカを支配する権力構造に話を移す。
南ア支配の歴史は、表向きはセシル・ロ−ズによるポ−ア戦争に始まるが、ここで著者が焦点を当てるのは「ミルナ−幼椎園」と呼ばれる影の軍事組織である。1866年のダイヤの発見、そしてそれに続く金鉱山の発見以来、南アは利権の山と転じ、ディズレイリ、グラッドスト−ンら英国指導者は急進的侵略政策を遂行する。第一次ポ−ア戦争に続く第二次ポ−ア戦争で、この侵略戦争の実際の下手人になったのが、南ア総督のミルナ−と、オックスフォ−ドの学生を中心に組織された軍団「ミルナ−幼椎園」であった。この組織の人脈は、前記の二人の首相を始めとする英国の政治指導者、英蘭銀行やナットウェスト銀行等の銀行、ロスチャイルドのモルガン・グレンフェル等の商業銀行、リオティント・ジンク等の植民地企業、はたまた英国王室といった、英国のエスタブリッシュメント全体を貫いているが、ここに英国の植民地3C(カイ口、カルカッタ、ケ−プタウン)を中心とする略奪の構造の小さな一部が示されているといえる。
しかし、ここでも著者は、ロスチャイルドによる支配構造を浮かぴ上がらせようと試みる。そこで登場するのが、セシル・ロ−ズが築き上げたダイヤ帝国を引き継いだア−ネスト・オッペンハイマ−という男である。モルガン商会、ラザ−ル・プラザ−ス、そして直接ロスチャイルドからの金融支援を受けつつ、オッベンハイマ−の設立したアングロ・アメリカンはセシル・ロ−ズのデピアスを乗っ取る形で南アのダイヤの利権を握っていく。その上で1830年からはロンドンにあるダイヤの独占的な中央販売機構であるCSOの実権を握り、流通を押え、ダイヤ価格の安定を確保することにより、その帝国をより確固たるものにしていくが、そのシナリオは最初からロスチャイルドによって描かれたものだったという。
英国が過去の遺産で食べているとはよく言われるが、確かに英国と南アの関係を見ると、如何にそれが英国にとって貴重な利権であるか、それ故に南アのアパルトヘイト問題に断固たる対応をすることが難しいかは明らかである。著者は、英国政権の閣僚が皆何等かの形でロスチャイルド・ファミリ−と関係を有していることを示しているが、これは英国支配層の一般的閨閥関係を語っているに過ぎない。しかし、それでも、こうして個々の利権と閨閥関係を示されると、階級社会としての英国の実態を否応に認識せざるを得ないのである。
英国のもう一つの利権中国と香港を巡る歴史にもロスチャイルドの影が落ちているという。東インド会社によりインドを支配した英国が、次に注目したのは中国の銀であり、そのためのバ−タ−に使われたのがアヘンであった。後にアヘン戦争と香港割譲に繋がるこのアヘン貿易を紅茶貿易と共に取りしきっていたのが、ユダヤ商人のサッス−ンであり、この一族がロスチャイルド家と姻戚関係を有していたのである。アヘン戦争後、この一族は香港上海銀行の創立者となり、もう一方の香港の支配者ジャ−ディン・ケスウィック一族と連合し、香港の実権を握っていくことになる。
この香港にアヘンを供給したインドにおいても同様の支配構造がひかれる。ベンガル総督としてインドに赴任したリチャ−ド・ウェルズリ−が、セポイと呼ばれる傭兵を使用し、東インド会社の勢力圏を拡大し、1805年頃には全インドを支配する。(このリチャ−ドの弟で、マドラスの指揮官として兄のインド支配を手助けしたのが、ワ−テルロ−でナポレオンを破り、ロスチャイルドに巨万の富をもたらす後のウエリントン公爵である。)このウェルズリ−兄弟からインド独立時のマウントバッテンに至る32人のインド総督が閨閥図の中でヴィクトリア女王らのロ−ヤル・ファミリ−、アヘン王サッス−ン、ベアリングやモルガン・グレンフェル等のマ−チャント・バンクを経てロスチャイルドに繋がっていく。
こうした植民地支配により蓄積した資産の保全のために今度は地球にタックスヘブンという名のトンネルが掘られることになるが、その中心が、海賊による金塊隠しの伝説を持つ、バ−ミュダを始めとするカリブの島々である。ロスチャイルドはここでもキュラソ−に有する拠点を、メキシコとベネズエラからの油とアメリカの穀物の貿易に使うと共に、マルコスやノリエガらの独裁者達と共に資産隠しにも使用してきたのである。
更にもう一つのロスチャイルド王国イスラエルにも目を転じなければならない。そのイスラエルの建国の歴史は、欧州の近代史そのものであるが、著者は欧州における軍事産業とその黒幕を巡る歴史を理解の出発点に置く。即ち、第一次大戦前に世界の軍事産業を牛耳っていたのは、ドイツのクルップ、フランスのシュネ−デル、英国のア−ムストロングとピッカ−ス、オ−ストリア(チェコ)のシュコダ、そしてロシアのプティロスという6大メ−カ−だったが、この間を飛ぴ回っていたのが、火薬のノ−ベルであり、そして武器の商談を行ったザハ口フと呼ばれる出生不明の男であった。ザハロフは、ロスチャイルドが会長を務めるビッカ−スと手を組みつつ、世界の緊張を強め、敵味方の別なく商売を行ってきた。まさに死の商人の典型と言えるが、この男を繰り戦争から利益を得ていたのがこの時期のロスチャイルドであった。しかし、この時期、ロスチャイルドに対抗する動きが、まさにロスチャイルド発祥の地であるドイツから起こってきていた。一方で、ラ−テナウ一族が発展させたAEGや作曲家メンデルスゾ−ンの息子が起こしたフィルム会社AGFA等のユダヤ系企業が発展する中、他方でクルップ−ジ−メンス連合はそれに対抗し、ロスチャイルド家の排除を目指した動きを強めていく。そのために、後者が作り出したのが他ならぬドイツ銀行であり、これにより反ロスチャイルド勢力は、それまでロスチャイルド銀行、ディスコント銀行、ダルムシュタット銀行といったロスチャイルド系の銀行に独占されていたドイツ金融界の再編を試みたのである。
これにアメリカの石油王ロックフェラ−が参入、折から誕生していたダイムラ−やポルシェといった自動車産業及ぴディ−ゼルエンジン搭載の潜水艦といった新たな軍需産業等、石油と墓幹産業の結合により、世界の石油資源の分割を巡る英国、アメリカ、ドイツの熾烈な争いが勃発するのである。こうして第一次大戦からヒトラ−帝国の成立とユダヤ人虐殺を経て第二次大戦に突入していく時期は、ロスチャイルドが支配する英米資本対反ロスチャイルドのドイツ新興資本との争いと位置付けられることになる。
こうしてドイツ国内の映画界を巡る争いやI.G.ファルベン設立の経緯、音楽界での、トスカニ−ニ(反ヒトラ−)、フルトベングラ−(やや遅れて反ヒトラ−)、リヒャルト・ストラウス〈親ヒトラ−〉、カラヤン(ナチス党員)の生き様、ロスチャイルド一族の中から「ユダヤ人絶滅」の声をあげた英国ファシスト連合の組織者オズワルド・モズレ−の話、ウィ−ンの当主ルイス・ロスチャイルドがナチスに逮捕されながら、毅然たる態度を崩さず、チェコのビトコピィッツ製鉄所を取引材料に使い自由を取り戻した話等が語られていく。
第二次大戦は著者によると、ロスチャイルドの反撃の開始であった。フランスがあっけなくナチの前に降伏した後、ヒトラ−に一人敢然と立ち向かったのが、若さ頃からロスチャイルド家と親交のあったチャ−チルであり、また降伏したフランスから出現したのがチャ−チルに見出されたド・ゴ−ルであったことが、この反撃の性格を物語っている。こうして史上最大の総力戦が繰り広げられるが、この「勝者なき戦争」が終わったのち、ロスチャイルドは不死鳥のように復活していく。そしてそれを担ったのがフランスのロスチャイルド家であった。そして今度はパリに話の舞台が移ることになる。
フランスのロスチャイルド家を一躍大富豪の地位に押し上げたのは、19世紀半ば、鉄道王と呼ばれたジェイムスの時代であった。しかし、ジェイムスの息子エドモンドの時代になると、ロシアでのポグロムに刺激され、フランス全土で反ユダヤ主義の嵐が吹きまくり、これが1894年のドレフュス事件を生み出すことになるが、そうした状況下、パリでこの事件を目撃したオ−ストリア人ジャ−ナリスト、ヘルツェルはユダヤ国家建設の必要性を痛感し、シオニズム運動を組織していくのである。
当初、ヨ−ロッパで十分成功していたロスチャイルドはこのヘルツェルのシオニズムに距離をおいていた。この運動への関与が、ロスチャイルドの放逐に繋がる危険を感じていた、というのがその理由である。しかし、20世紀に入るとロスチャイルドも当初の疑念を払拭し、ますロンドンに「レウミ銀行」というシオニズムの資金調達を目的とした銀行の設立という形で支援を開始する。他方第一次大戦の最中、パレスチナを巡る3つの相矛盾する案約、宣言が行われていた。即ちパレスチナの土地の所有権は、マクマホン書簡(1915年)ではアラブ人に、サイクス・ピコ条約(1916年)ではイキリス人とフランス人に、そしてバルフォア宣言(1917年)ではユダヤ人にという具合である。そして戦後の1920年、この矛盾した仕切りの中でユダヤ国家建国に向けた地下軍事組織ハガナ−が生まれ、今日まで続くパレスチナにおける、アラプとユダヤの戦闘が始まるが、この背後にロスチャイルドの支援があったことは知られている。将来のイスラエル国家の財政基盤を確保するため、農産物はマ−クス&スペンサ−を通じて英国に販売するル−トを作り、ナチから逃れたベルギ−等のダイヤ職人に為に、南アのダイヤを供給する等、それまでに築いたロスチャイルドのネットワ−クがフルに活用されていくのである。
下巻は、フランス銀行界を牛耳る「二百家族」による支配構造からフランスのロスチャイルドの活動を後付けることから始まる。まず興味を引くのは現在のフランス中銀であるフランス銀行の設立である。当初は一民間銀行に過ぎなかったフランス銀行は、2月革命後の1948年、ルイ・ナポレオンから発券業務の認可を受け、フランス銀行制度の預点に立つが、「管理委員」としてこれを支配したのが、パリ・ロスチャイルド家のジェイムス・ロスチャイルドであった。そしてこのフランス銀行及ひオ−ト・バンクと呼ばれるファミリ−の個人銀行を中核に、閨閥はパリバ、スエズ、BNP、クレディ・アグリコ−ル、ソシエテ・ジェネラル、クレディ・リヨネといった大手銀行に拡がり「二百家族」が成立していくのである。そして著者はこの「二百家族」が、革命ロシアの初代外相チチェ−リンやカ−メネフを通じてレ−ニン自身との関係を有しており、またカガノピッチを通じスタ−リンをも閨閥の中に取り込んでしまうというのである。
それはともかくとして、重要なのは、この「二百家族」の活動と資金源であるが、寸度英国のロスチャイルド家の略奪が3Cであったのと同様に、フランス・ロスチャイルド家は北アフリカとインドシナをその舞台として選んでいく。まずはアルシェリア、その略奪のキ−ワ−ドはファミリ−の会社である「地中海クラブ」。何故ならばこのクラフの経営者達の名前が、地中海の覇権を通じてのフランスのアルジェリア搾取構造を端的に示しているからである。
多くの名作映画の舞台となったアルジェリアは、他方フランスの苛酷な植民地支配と戦後の激しい独立運動でも知られる。鉄鉱石資源に目を付けたフランスがアルジェリアヘの侵略を開始するのは1830年のことであるが、その派兵のための資金調達を行ったのがジェイムスであったという。そして20世紀に入り石油文明の開花と共に、こんどはアルジェリアの石油資源が、その時までに既に成立していた、ファミリ−の石油会社シェル・フランスと開発会社シュランベルジュの格好の獲物となったのである。1962年の独立によりアルジェリアはこの資源を自ら管理できることになったが、結局のところファミリ−は石油精製技術と販売ル−トを押えることにより引続き経済支配を貫徹しているのである。同じことはインドシナについても言える。
ここで興味深いのは、フランス社会におけるフリ−・メイソンについての記述である。古くはフランス革命でパスチ−ユを襲った民衆の中心、現代においては1985年のグリ−ンピ−ス巡回艇爆破を暴露された諜報機関、対外治安総局(SDECE)を牛耳るフリ−・メイソン。このフリ−・メイソンが前記の地中海クラブのみならず、フランスの原子カ産業、兵器産業をも支配しているという事実。そして最近時の二人の大統領、ジスカ−ルデスタンとミッテランがこの閨閥の中ではたった二家族を介するだけで結ばれる、というトリック。シュネ−デルの兵器と原子力、プレゲの爆撃機と航空輸送、そしてエ−ル・フランスが動かす謀報機関、これがフランス支配階級の構造であり、また、これがフランスのインドシナ戦争の背後にある楕造となる、と著者は言う。
この構造を具体的に説明するため、著者は、ウォ−ムス財閥のネットワ−クを引さ合いに出している。私が初めて名前を聞くこの財閥の中核は、同名の銀行である。フランクフルト近郊の町、ルタ−の異端審問を行ったことで有名なカトリックの拠点ウォ−ムス出身のこの一族は、ネイサン・ロスチャイルドの姉を一家に迎え、ロスチャイルドと閨閥を作った上で、英国がインドを略奪していた時、虚をついてセイロン島を占拠、ここから膨大な富を搾取し、後の権勢の基礎を築いたという。そのウォ−ムス家のアジア支配の手段となったのが強力な船団であり、この船団を使い、インドシナに植民地支配の触手を伸ばしていったのが、パリのロスチャイルドである。
インドシナでの目的は、米、綿花、煙草、コ−ヒ−といった農産物や林業、石炭、鉄、亜鉛といった鉱物であったが、この植民地支配のための直接投資をおこなったのが1875年にパリに設立されたインドシナ銀行(現代のインドスエズ・グル−プ)であり、大株主としてそれを動かしたのがロスチャイルドの息のかかったパリバ銀行であった。これに兵器産業コンツェルン、シュネ−デルが黒幕として登場するが、このシュネ−デル家こそがド・ゴ−ルのパトロンであり、また現代では、退陣したクレッソンが首相就任前にこの「社長特別顧問」であったというおまけまで付いている。こうしてロスチャイルドとフリ−・メイソンの結合が軍事、諜報部門を牛耳り、政治家を擁立、そして植民地支配に向かっていくという楕造が完成する。
奇しくもインドシナ銀行の設立から100年後、サイゴンが陥落し、フランスの植民地支配が事実上終了することになるが、ここに至るまでのフランス植民地支配の黄昏を見ると次の通りとなる。即ち、インドシナ戦争で無残に敗北したフランスは、その教訓(または腹いせ)からスエズとアルジェリアで残忍な行動に出たが、そこでも敗れたために、今度はベトナムでアメリカを引き込んだ、という歴史である。インドシナでのアメリカの関与は、フランスの敗戦色が濃厚になった際、駐仏アメリカ大使のダグラス・ディロン(ディロン・リ−ドのオ−ナ一族)が本国に発信した救援依頼を受け、新大統領となったばかりのケネディがベトナムヘの秘密部隊派遣を決定した1954年に既に始まっていたと言える。因に、時のフランス国防大臣プレパンは、息子が前記のセイロン島支配者ウォ−ムス家の娘と結婚しており、またディロンの娘は、ロスチャイルドと関係を有するルクセンブルグ公爵家(シャト−・ブリオン・オ−ナ−一族)に嫁いでいるが、これを称して著者は、この救援依頼は、「コ−ヒ−園のオ−ナ−とワイン畑のオ−ナ−の会話」の結果であったと言う。それが1965年の北爆から見れば20年続いた地獄の戦争の契機となったのである。直接の契機は常に喜劇であり、結果は悲劇となるが、その構造は社会の中に奥深く根を張っている。
「オ−ドリ−・ヘップパ−ンの謎」と題された次章では、同様の構造をこの女優の出身国であるオランダに見ている。彼女自身の祖父はオランダ領ギアナ総督、ベアトリックス女王とも姻戚関係を有し、親戚にハイネッケン重役、噂の愛人は英国ハンセン・トラストのジェ−ムズ・ハンセン、というお膳立てである。他方、オランダと言えば、シェル、ユニレパ−、フィリップスといった欧州最大の企業群を抱えている。面積にして日本の1/10のこの国で如何にしてこのような巨大産業の発展が可能であったのか。
ここで、植民地、石油、食品という3つの鍵を一人で持つ男、シェルとユニレパ−の二大マンモス企業を育てたジェ−ムス・コ−ヘンなる男が登場する。1901年、創立されて僅か4年目のシェルに入社した彼は、ポルネオの石油資源を確保すると共に、ロックフェラ−との競争に打ち勝つため、当時インドネシアのスマトラに進出していたロイヤル・ダッチ石油との合併を実現する。ロイヤル・ダッチ・シェルの誕生である。こうして「石油のナポレオン」と呼ばれたヘンリ−・デタ−ディンの右腕として活躍する一方で、彼はインドネシアのスパイスを始めとする食品業に触手を伸ばし、石鹸を挺子に植民地支配に進んでいたリ−バ−・ブラザ−スと、英国のセインズベリ−と結合し、マ−ガリンの一大メ−カ−に成長していたマ−ガリン・ユニとの合併を実現。こうして英国、オランダ二国籍を有する二つの巨大企業が誕生するのである。そしてこの大合同の背景には、オランダ・マ−ガリン帝国の所育者バンデンバ−グ家とロスチャイルドとの閏閥があった。これらの企業は、植民地が独立した現代においても、アフリカ最大の商社であるユナイテッド・アフリカ社やリオ・ティント・ジンク社との関係を維持しながら、実質的な経済支配を続けているのである。因みにロイヤル・ダッチ・シェルの合併の2年後、ミャンマ−の利権により英国最古の石油会社であるブ−マ−石油(ビルマ石油)を経営していたデピット・カ−ギルはペルシャの油田に資金を投入し、後のBPとなるアングロ・イラニアン石油を設立している。
1973年の中東戦争に端を発したオイルショックにより全世界が原子力に注目せざるを得なくなった。しかし、このオイルショックにより結果的には石油、原子力、電機の三業種は共に利益を享受するということになった。ここにきな臭い匂いを感じるのは著者たけではないだろう。そして戦略資源が石油から原子力に移行しつつある現在、この支配者達が既に手を打ってさているのは間違いない。こうして話は原子力の世界に移っていく。
1898年、キュ−リ−夫妻がラジウムを発見した時から、ネイサンの曾孫でパリに住むアンリ・ロスチャイルドはこの新しい放射性元素に注目していたという。そしてそれは一族の鉱物会社リオ・ティント・ジンクにより事業化されると共に、世界のウランを独占するという戦略に出ていく。そもそもリオ・ティント・ジンクはスベインの財閥と結びつき、この国の水銀や亜鉛そしてウランヘと進出していったのであるが、他方でノ−ベルの爆薬産業とも結合し、広大な鉱山トラストを形成してきた。一族の銀行ラザ−ル・フレ−ルとスペインのバブコックは南アとナミピアのウラン資源を押さえ、原料供給を確保する役割を担うことになる。アメリカのマンハッタン計画において、ウラン濃縮と重水の製造技術を提供したのはノ−ベルの国ノルウェ−最大の企業、ノルスク・ハイドロであり、それを取り持ったのがキュ−リ−夫人の娘婿ジュリオ.キュ−リ−だった、ということは、マンハッタン計画の性格を物語ると共に、既に大戦前からこのウラン・トラストが成立していたことをも示している。こうしてフランスのアンリが鉱山会社ペナロヤ、イメタル、モクタを通じ、他方英国のアンソニ−がリオ・ティント・ジンクを通じて世界のウランを独占するという体制が完成する。アメリカにおいてさえ、ウラン・メジャ−のユタ・インタ−ナショナルを支配するのは、ケネコットとアサルコというロスチャイルド系列の企業になっているのである。
他方、原子力産業自体はフランスにその産業立地を見出していく。終戦と共にド・ゴ−ルはジュリオ・キュ−リ−を初代長官として原子力庁を創設するが、実働部隊として化学部門を担当したのが一族で、マンハッタン計画の監督も行ったベルトラン・ゴ−ルドシュミットである。パリのキュ−リ−研究所に勤務し、カナダでウランの利権を漁った彼は、後に国際原子力機関(IAEA)の議長として、世界の原子カ産業の頂点に立つことになる。フランスの原子力産業は原子カ庁の基にある、核燃料公社コジェマと国営発電会社フランス電力、及ぴその周辺に位置する原子炉メ−カ−のフラマトム、重電機のジェネラル・デレクトリシテ、エレクトロ・メカニックや原子力工業社等の私企業により担われているが、それぞれにロスチャイルドの息のかかった人間が配置されている。このあたりの記述は、反原発運勤に関わってきた著者の面目躍如たるところである。
さて著者は続いて、カナダ及ぴオ−ストラリアにおける一族の浸透、並ぴにパチカンを中心としたイタリアの裏世界(例えばカルピ事件)での一族の暗躍を描いているが、これは省略し、次にマスコミの世界に目を向けて見よう。そこでも、今まで述べてきた支配階級の情報統制が構造的に貫徹することになるのである。
まず登場するのは英国の新聞王で、91年11月に怪死したユグヤ人ロバ−ト・マクスウェル。彼の出世街道は、戦後のベルリンで、Bild等を所有するドイツの新間王フェルディナンド・シュプリンガ−と出会ったところから始まる。そして彼に資金援助をしたのがイタリアではサンパオロ銀行を支配するロスチャイルド銀行であるハンブロ−ズ銀行。またラシディ−の「悪魔の詩」を出版したペンギンの親会社のピアソンの大株主は、このマクスウェルとオ−ストラリアの新聞王マ−ドック、そしてフィアットの副社長等を歴任しイタリア経済に隠然たる力を有するカルコ・デベネディティの3人であるが、こうした人間の意向が、ピアソンのフィナンシャル・タイムスを始めとする大新聞により大衆に伝達されるのである。当然のことながら、FTの支配人を始めとして、ここにもロスチャイルトの閨閥が入り込んでいる。
通信社の世界にも同様の構造を見ることができる。ロスチャイルドの直轄地フランスとイギリスでは、AFPの創始者シャルル−ルイ・アパスはハンガリ−系ユダヤ人、ロイタ−の創始者ボ−ル・ジュリアス・ロイタ−はドイツ系ユダヤ人である。ロイタ−とロスチャイルドの関係は知られており、AFPとロイタ−の秘密協定を取り仕切ったのがロスチャイルドであった他、一族の貿易商人のネットワ−クがそのままロイタ−社の情報ネットワ−クとなった。ワ−テルロ−の勝利という情報によりネイサンがのしあがったことを考えると、まさにこうした通信社の業務はロスチャイルドのカの根幹をなすものであると言える。また広告の世界においても、英国の新興広告代理店のサッチ&サッチは保守党の宣伝を請負い、サッチャ−を首相につけたことで有名だが、この会社を育てたのはやはり一族のロベ−ル・ルィ−ドレフュスであり、彼はフランスでも同様の広告代理店ピュブリシスの黒幕となり、ミッテラン大統領を誕生させた、ということになる。
さてこうして世界を我が物とした一族が帰ってくるのは、その発祥の地であるドイツである。ナチスにより放逐されたその祖国で一族は何を企んでいるのか。こうして、私が日常的に見ているドイツの異なった側面が、著者の記載の中から明らかになっていくのである。
終戦直後のドイツの占領政策に大きな影響を及ぽしたのは、時の米国財務長官、ユダヤ人のモ−ゲンソ−であるが、「ドイツの財閥を完全に解体し、農業国家にしろ」という彼の当初の主張は、すぐにドイツ産業の復活による戦後賠償という方向に転換した。こうしてドイツ再建の中核として我々が日常的に接している復興開発公庫が誕生することになる。ゲンシャ−、アプス、ペ−ル、シュトルテンベルクといった戦後ドイツを代表する政治家を生んできたこの機関を軸に、アリアンツ保険、ドイツ・シェル、ドイツ銀行、ダイムラ−・ベンツ、クルップ等、ナチ時代からの大手企業が復活していく。イスラエルに対する賠償に応じると同時に、ヒトラ−時代のライヒスバンク総裁シャハトがアラブ諸国に接近する。目的は、解禁されたドイツ造船業によるタンカ−をアラプに提供する代わりに石油を確保することにあったが、これを実際に行ったのがロスチャイルドと閏閥で結ばれる海運王オナシスであったという。石油の供給を受けたドイツ・シェルの役員ザスマンスハウゼンは同時にイラクのフセィンに毒ガスを輸出したプロイサグの会長でもある。こうして、戦後ドイツの再建を担う、金融、鉄鋼、造船、石油、化学といった業界が一つの関係の中に取り込まれていくのである。1990年10月3日、東西ドイツの政治統合と共に、フランクフルトの復興開発公庫、ドイツ銀行、証券取引所、そしてこの古巣に帰ってきたロスチャイルド商会が再ぴ一体となって動き出しているという。「週去の歴史を見るなら(中略)ドイツの軍事カがヨ−ロッパ最大になり、経済力が図抜けて大きいのはフランクフルトのお陰である。」
終戦直後からのドイツとアラブとの開係が、他方で1990年の湾岸戦争の奇怪な構造も明らかにしている。そもそも19世紀末に、首郡ベルリンからイスタンブ−ルを抜けてバグダットに至る鉄道を建設したのがドイツ帝国であり、またより直接には、当時石油の支配権を巡りロスチャイルドと戦っていたロックフェラ−の後押しを受けたドイツ銀行であったが、反ユダヤのナチスの崩壊後、実際にアラプから石油を購入しているのがBPやシェルであり、これらがロスチャイルドにより支配されているという事実。そのロスチャイルドが欧米の軍事産業を支配しているとすれば、あの壮大なテレビショウと化した湾岸戦争は、仕組まれた中古武器の大処分戦争に過ぎなかったのではないか。イラクが侵入したのが、宿敵イスラエルではなく、同胞のクウェ−トであったこと、また結局フセインが生さ残ったという不思議も、こう考えれば簡単に説明できる。さらに言えば、利益を貪り徘徊する軍事産業が政界、財界の中核でロスチャイルドという結ぴ目で一体になっているとすれは、この世界にデタントなどはありえない、ということになってしまうだろう。一方で、ドイツの政治、経済の中枢に既にファミリ−の息が掛かっていることが、ドイツ統一の前提だったとすれば、ドイツが再ぴナチの反ユダヤ主義に転ずる可能性は少なくなるが、他方で第三世界の民衆は、今後も輸出された戦争に苦しめられていくことになるのだろう。
こうしてロスチャイルド家の支配構造を追いかけてきて最後にたどり着くのが、世界の、あるいはロスチャイルドの金庫とも言うべき、スイスの秘密口座である。スイスの金融社会の特徴は、1988年麻薬資金のマネ−ロンダリング問題が生じた時、司法大臣兼警察大臣であったエリザベ−ト・コップがその捜査情報をチュ−リッヒで金融会社を有する夫に伝えたという事件が端的に物語っている。最高裁判所から銀行まで国家ぐるみでマフィアの犯罪を勤かし、世界の兵器商と取引をしているスイス。それが永世中立の理念を有し、美しい自然と精密機械で世界に知られるこの国の本質である。
さて、こうして長々とロスチャイルドを巡るユダヤ・コネクション仮説を見てきた後で、聞違いなく言えることが2つある。ひとつは仮説にしろ、これほどまでにユダヤ人を巡る権力構造が喧伝されるという事実自体が、欧州又はドイツにおける反ユダヤ感情がいまだに生き続ける最大の原因となっているという事実。そして二つめは、その権力構造がユダヤ・シンジケ−トによって支配されているか、いないかにかかわらず、ヨ−ロッパは、いや世界は、今まさに裏の裏まで見なければ理解することはできない、ということである。最初に書いたとおり、これは口スチャイルド物語というよりも、欧州を中心とした支配層の閏閥論と考えた方が良い。しかも、著者の記載には無理なこじつけも多く、論理も往々にして脈絡なく跳んでしまう。一つの事象をきっかけに、本論と関係のない記載に入り、その結果本論は何であったのかが不透明になってしまう。この評においても、住々にして論理の飛躍が認められるのも、本書のそうしだ性格の故である。しかし、それは他方で、本書の膨大な情報量の結果であり、やむを得ないものでもある。問題は、著者の(全てをロスチャイルドに結ぴつける)論理の妥当性を議論することではなく、そこで提示された多くの事実を如何に我々自身が再構成するかにある。度々書いたとおり、特に欧州世界においては、事実上権力を握り、政策に影響を及ぽす一握りの階級が存在する。彼らの意向が、本当にどこまで貫徹しているのか、例えば湾岸戦争や、米ソのデタント、ユ−ゴ内戦、統一ドイツの運命といった政治現象を見る際に、またより日常的には、日々の証券、為替、資金市場等の動きを見る際に、公表される情報の裏に蠢くこうした裏の世界を、確信はできないまでも、常に想定しながら思考し、行動することが我々のとれる第一の戦略である。その上で、この構造を変えるためになんらかの行動を開始するのか、あるいは、諦観の中で静かに生きるのか、はたまた、この構造を最大限に生かすために、この中に入ろうとするか、その選択もまた我々に託されている。何れにしろ個人を越えた大きなカが世界の中で働いているのは事実であり、世界の構造が表面的に変化し、デタント後の新たな体制が模索できないでいる現在、この力が世界の次なる運命の大きな鍵を握っていることは間違いなさそうである。
読了(上):1993年9月26日
読了(下):1993年12月26日