アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第八章 民族
第一節 ユダヤ人問題 
ユダヤ人カリカチュア−風刺画に描かれた「ユダヤ人」
著者:E.フックス 
知人のユダヤ文学・文化研究者の邦訳による、1921年発表のユダヤ人論である。著者はマルクス主義の影響を受けたドイツ人ジャ−ナリストで、そのため理論的部分では、ユダヤ差別はあくまで経済下部構造の所産であるという、現在から見れば余りに単純な立場をとっており、その意味では著作の古さという運命を免れている訳ではない。しかし、欧州におけるユダヤ人への偏見あるいは評価を、風刺画に描かれたユダヤ人の姿を通じて表現しようという試みと、そのために収集されこの書物に挿入されている風刺画の数々は大変印象的で、20世紀初頭までの欧州におけるユダヤ人問題の歴史的理解を行う上での視覚的アプロ−チを提示していると言える。

著者は、これ以前にも「ヨ−ロッパ諸民族のカリカチュア」「カリカチュアの中の女性たち」と、カリカチュアを通じた文化・風俗の読み解きを発表してきたとのことで、この作品は言うまでもなくその延長線上にある。「ひとつのカリカチュアから、それが生まれた時代に、社会の中にどんな緊張や軋轢があったのかを、何世紀もあとになって読み取ることができる。」それは描かれた対象が称賛されていたのか、軽蔑されていたのか、あるいはそれが表現された時代の表現の自由がどの程度であったのか、はたまたその時代の芸術一般の状況がどうであったのか、といった視点を提供すると共に、作品製作のための技術的な考察も可能にしてくれる、と言うのである。もちろんある部分は、絵画を始めとする芸術一般の解釈と同じ位相の分析であるが、確かにカリカチュアの場合は、ちょうど20世紀社会主義国家に生まれたアネクド−トと同様に、より民衆に近い地点から発信された、相当な毒を持った表現形態であることは間違いない。その意味で、特にこのユダヤを扱ったカリカチュアの解読から示されるのは、市民社会成立以前から成立途上に至るサブ・カルチャ−において捉えられたユダヤ人の姿である、と理解してもそう外れていることはないだろう。

「歴史におけるユダヤ人の役割」と題された第3章は、言わばイントロダクションとしての理論編である。著者は貨幣経済=商品経済の成立する11世紀から15世紀までを、ユダヤ・カリカチュアの黎明期と考えるが、これは言うまでもなくユダヤ人が貨幣の所有者として台頭してきた時期と重複する。そして商品経済が栄えた欧州各都市の多くがユダヤ人に支えられていたことを示していく(17−18世紀繁栄したフランクフルトでは人口18000人中、ユダヤ人が3000人を数えた。他方同時期のニュルンベルグ、ウルム、アウグスブルグの没落はこれらの都市で発生したユダヤ人迫害の結果である、とする)。特にユダヤ人が、キリスト教徒が聖書に基づき忌避する金貸し業にその特殊な才能を発揮し、貨幣経済の発展に便乗する形で富を蓄積していったことは一般的に言われることである。

金融に加え、軍需商人としての役割も、成立しつつあった国民国家に対するユダヤ人の発言力を強化した要因であった。かつてツンフトやギルドヘの加盟や土地所有を許されなかったユダヤ人は、こうして抽象的思考が優位する商品経済の世界へ器用に適応し、それがキリスト教世界からは偏見をもって見られていく。貨幣経済の中枢で権カを握った少数者に対する羨望と妬み、嫉み。これから語られるカリカチュアは、こうした社会意識のサブ・カルチャ−における表現となるのである。そして、対象の特徴を誇張すること自体は、その対象を称揚するようにも、又誹謗するようにも使えるが、結果的にはユダヤ人を対象としたこれらのカリカチュアは、ほとんどがユダヤ人告発で終わっているのである。「他の場合と比べると、対象となっている人物や事柄を包み込むカリカチュアの笑いが、ここではほとんど中和剤の役割を果たしていない。」「カリカチュアはポグロムの雰囲気を醸成し、実際に暴カが振われたときは皮肉な響きを奏でる伴奏音楽になった。またユダヤ人迫害がそれに必要な力が欠けることによって息を潜める時期には、カリカチュアが不満の捌け口となった。」この不気味な分析は、中央ヨ−ロッパにおいて反ユダヤ主義が20世紀最悪の形を取りつつあったこの時代の不吉な分析となっている。

15世紀以降木版技術の開発と共に生まれたカリカチュアの中でまず「ユダヤ人の豚」という比喩が登場し、ドイツ各地の教会や市役所を飾ったという。ユダヤの禁止する豚をあえてユダヤと親密な動物として描き出すことがユダヤ人にとってこの上ない侮辱であったことはいうまでもない。しかしそこにあるのは悲惨さではなく、むしろ描いた人間の卑屈さである。

次に登場するユダヤの金貸し、あるいは宮廷ユダヤ人、ユダヤ人兵士を描いたカリカチュアもその点では同様で、むしろ妬みを通した表現者の卑屈さを示していると言える。ユダヤ人解放によりユダヤ人の政治的市民権が認められるようになった後も、こうした傾向は基本的に変わることはない。アムシェル・ロスチャイルドの巨大な権カを戯画化した19世紀半ばのカリカチュアもこうした滑稽な表現の延長線上にある。

他方、民衆をポグロムに駆り立てる動きは19世紀に至っても時折発生していたという。ナポレオン戦争後の反動時代の1819年にビュルツブルグから始まりハンブルグ、デュッセルドルフ、フランクフルト、ハイデルベルグ、カ−ルスル−エ等主要都市に波及したへップ・ヘップ暴動は、経済的困窮を味わった中産階級が、その不満を反動勢力と結託する裕福なユダヤ人の迫害に転嫁させたものと理解される。またフランクフルトでは1811年にユダヤ人に対して認めた市民権を、1815年に再び剥奪するという「恥知らずな朝令暮改」が行われている。著者によると、この時期以降、「16世紀以来、ドイツがかつて経験したことのないほどのカリカチュアの氾濫」が起こると共に、カリカチュアの中に「言語を絶した憎しみがいよいよ主流を占めるようになっていった。」中には、ロスチャイルド家が作者の正体を割り出すために資金を出したと言われる、「われらが交際」という、大喝采を博した反ユダヤ道化芝居なども登場し、ここから無数のカリカチュアが生まれたのである。

また、この時期に誕生した反ユダヤ主義的風刺新聞がこの傾向を助長する役割を担うことになる。著者がまさにこの書物を執筆していた第一次大戦直後の時期には、こうして成立した反ユダヤ的ジャ−ナリズムが本格的に発展し、大衆社会の拡大と共により大きな影響力を持ちつつあったのである。そこでは戦争成金、闇商人、革命成金といった大衆のルサンチマンの対象を戯画化するのにユダヤ人が単も好都合な素材となったのである。

もちろんL.ベルネやH.ハイネが政治社説や文芸欄を導入し、現代型の知性的高級新聞の礎石を作ったことに象徴されるように、ジャ−ナリズムにおけるユダヤ人の影響力が強まったのも19世紀の特徴であったが、こうしたユダヤ人ジャ−ナリズムも、特にパナマ・スキャンダルやドレフュス事件、あるいはワグナ−事件で反ユダヤ主義的スキャンダル新聞の格好の標的になったという。その意味では、戦後ドイツで常に知識人攻撃の先端に立ってきた右翼シュプリンガ−系新聞が、発行部数の点では常に高級紙を凌駕し、依然サブ・カルチャ−をリ−ドしている事態が19世紀と何ら変わっていないのは驚きである。

第一次大戦による反ユダヤキャンペ−ンの一時的休戦の後、ロシア革命におけるトロツキ−らユダヤ人の役割が知られるようになると共に、ドイツにおける「背後のひと突き」論が昂揚すると、新たな且つより攻撃的な反ユダヤ主義が復活するが、この様子もカリカチュアの中に示されている。まさにこの著作が発表された時期は、この戦後のルサンチマンが渦巻く状況下であり、これが前述の著者の不気味な予言を引き出すのである。その後のナチスとアウシュビッツを経た現在の時点でこの書物に接する者は、このカリカチュアを通して見た西欧サブ・カルチャ−の危険性を再度身につまされる思いで眺めるのみである。

ユダヤ人差別が下部構造に由来する階級闘争に依存している、というこの書物の基本姿勢は、社会主義者としての著者の立場を示しており、またユダヤ人が共同体型社会から排除されていたが故に、貨幣、知性、芸術といったより合理性、抽象性の高い分野に進まざるを得なかった、という視点は例えぱサルトルのユダヤ人論にも引き継がれていったものである。その意味でこうした理論的枠組み自体は、現代の我々から見ればさして新鮮なものではない。しかし、この歴史的流れを、無数のカリカチュアを通じて跡付けた点において、作者の作業は現在から見ても新鮮な輝きを放っている。ある意味で、サブ・カルチャ−の中に政治・社会の構造を模索したという点で、こうした作業はナチスの迫害の最中、ドイツから亡命し、その後文化総体の分析に集中したフランクフルト学派の方法と類似する部分がないとは言えない。

英国滞在中に書店で、何気なく2つのジョ−ク集が置かれているのを目にしたことがある。ひとつは「アイリッシュ・ジョ−ク集」、そして他のひとつは「ユダヤ・ジョ−ク集」である。こうしたアネクド−トも、著者の言う通り、それが語られる状況により社会的意味が異なってくる。例えば1989年革命以前のソ連・東欧でのアネクド−トは言論統制下にある市民社会の呻吟であり、また「アイリッシュ・ジョ−ク集」は抑圧民族による被抑圧民族への蔑視を表現していた。しかしこの書物で語られたユダヤ人カリカチュアは、「ユダヤ・ジョ−ク集」と同様にもっと重層的意味合いを有している。それは宗教的・民族的蔑視・偏見であると同時に、ある種の権力者に対する市民社会一般からの妬み・嫉みでもあるのである。そうした偏見の重層構造故に、危機の時代にはその表現が簡単に先鋭化する特徴を有している。ドイツについて言うと、アウシュビッツの責任論を受けた戦後教育により、表面上はユダヤ人に対する偏見は相対的に縮小した。しかしD.マ−シュが指摘した通り、戦後の移民の流入とドイツ統一後の右翼民族主義の高揚は、「物理的にユダヤ人口が減少したために表面的には消滅したユダヤ人差別の、形を変えた表現」と見なされなくはないし、また同じイギリス人により看破されたとおり、「ドイツは、アングロ・サクソン社会との比較において経済危機と政治危機の相関度が高い」のも事実である。更に日本においてさえ大衆本で時折目にする所謂「ユダヤ陰謀論」(この前に取り上げた広瀬隆の「赤い楯」もこうした傾向の一部と言えないことはない)は、読み物としての面白さは認めるものの、こうした反ユダヤ的サブ・カルチャ−が日本においてさえ依然根強く存在していることを物語っている。その意味でこの書物に示されたドイツのサブ・カルチャ−における反ユダヤの通奏低音の強さは、欧州社会の今後の展開を追いかける際に、今後も常に念頭に置いておかねばならないだろう。他方、著者が依拠したユダヤ人差別=階級闘争、という単純化された見方は、大国支配が崩れた世界秩序の中で局地的民族・宗教問題が先鋭化してきている現代では最早説得力を失っている。旧ユ−ゴや旧ソ連で勃発している民族紛争が単なる階級闘争では説明がつかないのと同様、現代のパレスチナ問題は単純な差別・被差別構造では説明がつかない泥沼に入っている。こうして我々は再び永遠のエニグマの前に立ちすくんでいる自らの姿を発見するのである。

読了:1997年12月17日