アジア・ドイツ読書日誌と
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ドイツ読書日記
第八章 民族
第一節 ユダヤ人問題 
ユダヤ人の歴史
著者:鶴見 太郎 
 今年1月、旧友のユダヤ研究者にNPO主催で、ドイツ近代を中心とした講演をお願いし、面白く拝聴したが、それと略同じタイミングでこの新書が出ていることに気がついていた。それを約半年遅れでようやく読了することになった。著者は1982年生まれで、専門はユダヤ近現代史とのことであるが、ここでは古代から現代まで3000年に渡るユダヤ史をまとめている。

 当然ながら旧友の講演を思い出しながら読み進めることになった。旧友の講演は、この長大なユダヤ史を、�@古代から19世紀にかけての「ユダヤ人解放」まで、�Aそれ以降、そして�B1948年のイスラエル建国以降の3つの時期に分け、その内の�@、�Aの時期について、フランクフルト等のドイツ都市の姿を中心に考察したものであったが、この新書は、時期的には全歴史を、そして地理的にも、ドイツ等の西欧圏のみならず、ロシアや北アフリカ、あるいは移住先の米国なども包含するものになっている。その意味では、旧友が時間的な制約で省いた部分もカバーしている著作ということになる。

 古代から近世に至る部分は、旧友の講演でも、カナンの「約束の地」、モーゼの「出エジプト」といった聖書を根拠にした説話、そしてローマ支配下での「離散(ディアスポラ)」といった歴史で説明されていたが、ここでは前者での「モーゼの十戒」や「バビロン捕囚(一神教成立の契機となったという)」、そして後者では起源73年のパレスチナでのユダヤ人国家のローマ支配による消滅(以降1948年までユダヤ人は国家を持たない)等、そうした古代史が詳細に語られることになる。そしてローマ帝国下でキリスト教が主流となる中、ユダヤ人は「国家の法は法」と認め、帝国の法を尊重しながら、小さな自身の共同体内部では「律法中心主義」で、安息日や食物規定、あるいは偶像崇拝禁止などを実践することで、権力の介入を受けずに生き延びていったとされている。そしてそうした日常生活の掟を裁く指導者としてのラビが登場し、4世紀頃までには彼らの手で「タルムード」と呼ばれる律法解釈の経典が編纂されていくことになる。また同じ頃、ペルシャ帝国支配下でのバビロニアでも、より完成度の高い「タルムード」が編纂されたことで、この地域のユダヤ人がローマ支配下よりも広い自治を認められていたことが示されているという。更にこうした律法の学習により識字率が向上したこともあり、ユダヤ人の教育重視が進み、その後の金融や商業での成功の基礎になったとされる。

 7世紀以降イスラームが勃興する中で、「初期を除くとユダヤ人とモスレムが協調する場合が多かった」という指摘。それはイスラームの主要敵が、キリスト教のビザンツ帝国とゾロアスター教のペルシャ帝国であったという理由による。そしてイスラーム支配下では、支配に服従し、人頭税を支払えば、ユダヤ教徒は(そしてキリスト教徒も)生命・財産・宗教に自由が認められたということである。あくまでキリスト教支配下との比較ということではあるが、9−11世紀にかけてのイスラーム支配地域のパレスチナ等ではユダヤ学院といった教育機関も普及していったようである。ただ13世紀以降、この地域にモンゴルが侵入するとユダヤ人口は減少した半面、イスラーム支配が続いていたイベリア半島でのユダヤ社会が、その周辺地域との交流・交易を通じ興隆し、その中心都市コルドバでは、マイモニデスを始めとする著名な「宮廷ユダヤ人」や学者を生むことになる。しかし、レコンキスタでこの地域が再びキリスト教支配下に入ると、こうしたユダヤ世界への迫害も再開したようである。

 こうして中世のキリスト教世界でのユダヤ人の状況が、ドイツやスペインを中心に説明されるが、この辺りはまさに旧友の講演会で聴いた話と一部重なることになる。まずキリスト教の歴史観の中で、ユダヤ人はイエス殺しの責任を負うと同時に、そのメシア思想はキリスト教の正統性を導いたという両面があるということで、ユダヤ人差別を認めるが、殺す必要はない、という微妙な関係を持っていたことが説明され、それがキリスト教宗派や時代により多様であったとされる。この説明の中では、米国福音派の親イスラエル姿勢が一例として挙げられているが、この米国福音派は、先日NHKの「映像の世紀」でも取り上げられていたとおり、現代でもトランプを含む米国政権、ひいては世界情勢に影響力を持っていることには留意しておく必要がある。

 こうしてフランク王国や神聖ローマ帝国でのキリスト教会と世俗権力の狭間で、ユダヤ人社会が生き延びていった様子が語られる。そこでは特に世俗権力が実利的な観点から、「自治や免税、財産の保護等を約束」し、ユダヤ人を「誘致」した例として、友人の講演会でも紹介されていたドイツ中南部シュパイアーのユダヤ人共同体の例が紹介されている。そこでは世俗権力が、ユダヤ人が庶民から得た儲けを上納という形で吸い上げるシステムが成立することになったが、そうした「ユダヤ人を金づるとして利用する権力者と、それを腐敗と考える庶民の間にユダヤ人が挟まれるという三者関係」のバランスが崩れた際に「反ユダヤ」意識が盛り上がることになるという、その後の十字軍による「キリスト教正義感」の高揚に始まる近代に至るユダヤ人迫害の歴史の萌芽があったと見るのである。更に13世紀以降は、キリスト教徒の商業分野への進出によるユダヤ人との競合や、キリスト教腐敗批判が、その要因をタルムードに求めたこと等も加わり、反ユダヤ意識が拡大していく。それでも、この頃イギリスやフランスではユダヤ人追放令により域内のユダヤ人口が激減したのに対し、ドイツ地域では一部諸侯の保護を受け、彼らが生き延びることを可能にしたということである。それが、友人の講演でも取り上げられていたフランクフルトやシュパイアーであったということであろう。他方スペインではレコンキスタに伴い、それまでイスラームと協調してきたユダヤ人差別は強まり、前述のマイモニデスを始めとする多くのユダヤ人がキリスト教に改宗したという。

 こうして歴史は16世紀から19世紀初めまでの近世に入っていく。この大航海時代の開始と共に始まるヨーロッパ勢力の拡大の中で、ユダヤ人社会にも大きな人口動態や文化の変化が発生したとされるが、それは著者によるとスファラディームとアシュケナジームというユダヤ人の2つの新しい集団の成立として説明される。スファラディームはスペインなどのイベリア半島出身者で、迫害を逃れて一部は北米に、そして多くはオランダ・アムステルダムやオスマン帝国に移住した一団で、前者の最初の有名人がスピノザ、また後者ではオスマン帝国の宮廷役人となったり、現在もユダヤ教の重要拠点であるサフェッドでユダヤ学院を創設した者などが紹介され、彼らの帝国内での社会生活の様子―それは時折軋轢を生むこともあったが、概ね安定したものであったことーなどが綴られている。

 もう一つの集団であるアシュケナジームは、フランクフルト等ユダヤ人がゲットー等で保護された一部のドイツ都市以外から追放されたユダヤ人が東欧圏、特にポーランド中心に移住したものである。ポーランドでは、小規模貴族が「中間マイノリティ(管理職)」として土地の管理や農民からの徴税等でユダヤ人を利用したということであるが、これが多数を占める農民の怨嗟を買ったことが、その後のポーランドの政治的運命とも合わさり、この地の現代でのポグロムの誘因となったという。そしてこの2集団は、特にラビの世界では慣習が異なることから、現代のイスラエルでも別々の首席ラビをおいているとのことである。

 そしてフランス革命に始まる現代へ。これ以降は良く知られた話が中心となるので、簡単に済ますが、足元の世界情勢に関連する事項として、改めてのユダヤ人の「民族大移動」、その中でも北米やパレスチナへの移住に加えて、「帝国内での都市化に伴う都市部への移動」、特にロシア帝国内のユダヤ人の特にウクライナへの移動を抑えておけば充分であろう。1900年時点で、世界のユダヤ人口の約半数に相当する520万人がロシア帝国に暮らしていた(第二位はオーストリア・ハンガリー帝国の207万人、三位が米国の100万人、4位のドイツは52万人)とされ、その多くがその後の情勢下で、国際的には米国などへ、また国内的にはモスクワのみならずウクライナの都市部に大移動していったとされる。そうしたロシアでのユダヤ人への度重なるポグロムーウクライナでは特に激しかったとされるー等が帝政期からロシア革命を経てボルシェビキ政権下に至るまで詳細に説明されているが、その辺りは省略する。そして西欧でのドレフュス事件を始めとする同様のユダヤ人に対する偏見増大を受けたユダヤ人側でのシオニズムの高まりが、ヒトラーによるホロコーストに至る過程も良く知られているとおりである。

 著作の最後は、旧友の講演でも「第三期」と規定されていた1948年のイスラエル建国以降のユダヤ史である。これも復習の範囲なので詳細は省くが、この時点のソ連には、200万人のユダヤ人が残っていたが、その後出国が急増し、現在では旧ソ連地域のユダヤ人口が20万人に激減していることは留意しておきたい。そして建国後のイスラエルでのラビ等の伝統派への対応や様々なシオニズム潮流間での緊張など、イスラエル側も一枚岩でなかったようである。また現代の米国には、2024年現在「イスラエルのユダヤ人口700百万人超に匹敵する600百万人程度のユダヤ人を擁している」というが、そのイスラエル・ロビーにも複数のグループがあり、現在のガザ問題についても、単純にイスラエルを支持するだけではないのも、ある意味当然である。著者は、こうした現代のユダヤ世界の「多様性」について、この新書の最後で、ウクライナのゼレンスキー大統領、イスラエルのベンヤミン・ネタニエフ首相、米国連邦最高裁判所(女性)判事のエレナ・ケイガンという3人を紹介している。夫々が固有の構造の中で、固有の個人史を経て現在の姿となっていることを紹介し、今後もこうした個人の活躍を横目に見ながらユダヤ人の歴史は紆余曲折を繰り返していくであろうことが示唆されるのである。

 繰り返しになるが、古代から中世に至る部分は、先般の旧友の講演の復習であり、またそのドイツでの在り様は、旧友の講演の方が詳細であった。またイスラエル独立以降の現代史については、足元のガザ問題等を巡る議論等も踏まえた復習的なものであったが、こうして改めてユダヤ人の3000年の歴史を振り返ってみると、やはりかつての被害者がやがては加害者となっていくという歴史の皮肉を痛感せざるを得ない。これから私が目撃できるのは、そのほんの僅かな将来ということになるのだろうが、それでも流動的な国際情勢をみる上で、この「ユダヤ人ファクター」は引続き無視することは出来ないだろう。

 このユダヤ通史は、私の旧友が書いてもおかしくない作品である。ただ、著者は本文中と末尾で、多くの参照文献を記しているが、その中には関連すると思われる私の旧友の著作は一冊も含まれていない。この辺り、やはりこの世界にも学閥の相違による研究者の交流の実態が示されているのだろうかと勘繰ってしまったのであった。

読了:2025年8月10日