アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第八章 民族
第二節 移民問題 
外国人襲撃と統一ドイツ
著者:山本知佳子 
この評を書いている94年1月始め、旧東独のハレで、ネオナチの少年が、ナチの標語に唱和することを拒否した17才の車椅子に乗る障害児の少女の左頬にハ−ケンクロイツを刻む、という不愉快な事件が発生した(しかもこの事件はその後、障害者の少女の狂言であったことが判明した。)。事件そのものの質とは別に、こうしたネオナチ報道に対するマスコミの対応についてはドイツでは議論が絶えないでいる。即ち、「ネオナチが、その行動の非常識性を、マスコミを通じて世界にアピ−ルしたいのであれば、こうした事件はマスコミから黙殺すべきである。」という見解と、「そうした消極的な対応がネオナチの勢力を拡大してきた。むしろ報道し、徹底的に糾弾する論陣を張るべきだ」という相反する見解があり、そして現在は後者の見解が次第に支配的になりつつある。これは一部の限られた地域での局地的な運動であったネオナチ運動が、西独地域の景気後退と東独の失業によりもはや黙殺するには余りに危険な状態にまで進んでいることを物語っている。前節で取り上げた作品で広瀬隆は、既にドイツではロスチャイルドによる支配が貫徹しており、そこでは反ユダヤ主義拡張の危険はない、と言い切ったが、もちろん現象面ではそうした楽観主義に安住できないのは確かである。かつて、D.マ−シュが看破したとおり、「ユダヤ人がいなくなっても、ドイツではユダヤ人問題は存在する。」ドイツにおいては、ナチスの人種主義、ア−リア人純潔主義はある意味で、「歴史意識の古層」である。政治、経済危機はただちにこうした古層を呼ぴ戻すのである。

岩波ブックレットのこの小著は、こうしたドイツのネオナチ問題の簡単な解説書であり、社会現象の見方につき特段新しい視点を提示している訳ではなく、既に、関連の書物で多く語られ、一般に知られている事実を若干のルポとともに伝えているに過ぎない。しかしドイツにおける最近の民族問題の中で、注目されるネオナチによる現在までの大きな外国人襲撃事件を整理しているので、それをまとめておこう。主要な事件は以下の通りである。

1991年9月:ホイヤ−スベルダ(ザクセン):難民収容所襲撃(ベトナム人中心)
1992年8月:ロストック(メクレンブルク・フォアポメルン):同上(ル−マニアやポ−ランドからのシンディ−ロマ及びベトナム人)
1992年11月:メルン(シュレスビッヒ・ホルスタイン):住居放火(トルコ人)
1993年5月:ゾ−リンゲン(ノルドライン・ウェストファ−レン):同上(トルコ人)

言うまでもなく、事件が、外国人へのなじみがなく、失業率の高い旧東独の政治難民を標的にするものから、旧西独の、しかも、低賃金労働者として戦後のドイツ経済成長を支えた移民の襲撃に移ってきたのが特徴である。同時に今回のハレでの事件−狂言を行った障害児の精神状態も考慮すると−も暗示しているように、外国人のみならず、障害者、同性愛者、ホ−ムレス等の社会的弱者にも拡大している(1992年1年間の公式な極右による暴力事件件数は2584件、死者17人。内、外国人7人、ホ−ムレスが6人。)

他方、一般庶民の中にも、政治難民、移民に対する嫌悪があり、これがネオナチの行動を、支持しないまでも、非難しないという気持ちを醸成する。曰く、「エイズと麻薬を広め、労働もせず、ドイツ人の税金を使い快適に生きている者たち。」こうした一般庶民の気持ちを考慮すると、ナチの贖罪という国際的配慮から難民受入れを積極的に行ってきた従来の政策を転換し、1993年5月、難民法の改正に踏み切ったコ−ル政権の対応を一方的に非難することはできない。

いずれにしろこの問題は、旧東独再建問題、世界的不況からの脱出問題、EC問題を含めた新たな欧州秩序とその中でのドイツの役割(「普通の国家」論=ナチ贖罪意識の忘却)といった大状況の問題を議論することなくしては解決できない問題である。大状況が不安定であるかぎり、小手先の対応はできても、根本的な解決にはまだ相当の時間を要すると考えざるを得ない。

読了:1993年12月29日