アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ドイツ読書日記
第八章 民族
第二節 移民問題 
ドイツの中のトルコ −移民社会の証言−
著者:野中恵子 
ドイツに滞在していると、いろいろな機会にトルコ人、あるいはトルコを巡るニュ−スと遭遇する。語学学校のトルコ人、フランクフルトのトルコ領事館に溢れる人々、駅からカイザ−通りにかけてふらつく、トルコ人ドラッグ・ディ−ラ−達。そして新聞には、最近のネオナチによる、トルコ人襲撃やら同じトルコ人内部での、クルド民族によるトルコ施設襲撃のニュ−ス等々、枚挙にいとまがないほどである。統一直前の旧西独移民人口、470万人に対し、トルコ移民総数は161万人というから、旧西独在住の外国人の1/3はトルコ人ということになる。こうした事態がどうして生じたのか、そしてこれらの人々が何を考えており、またドイツ政府は如何に対応しているのか。この書物はこうしたドイツにおけるトルコ移民の姿を主としてトルコ側からルポしたものである。

ドイツにおける外人労働者の受入れがナチス政権下でも行われていた、というのは新しい発見であった。第二次大戦開戦時、既に525万人に達していた外国人は、戦場に出向いたドイツ人労働者1100万人の穴埋めに回され、終戦時には750万人にも達していたという。

戦後になり、1955年のイタリアとの協定を皮切りに、スペイン、トルコ、モロッコ、ポルトガル、チュニジア、ギリシャ、そしてユ−ゴと次々に労働者派遣協定が結ばれていったというから、戦後の復興期においてドイツの労働力需要がいかに逼迫していたかが分かる。因みに、トルコとの協定が結ばれたのはベルリンの壁が建設され、東独からの亡命労働力が期待できなくなった1961年のことである。

ところが、第一次石油危機下の1973年、ケルンにあるフォ−ド自動車工場で、トルコ人の指揮下ドイツ人も加わった大規模な労働争議が発生し、それを契機にこのトルコとの協定はドイツ側から一方的に破棄される。しかし、この合法的移民の制限は、逆に最後の移民の波と、それに続く家族の呼び寄せラッシュに連なっていったのである。

この歴史の結果が現在のドイツの移民問題となっている。それでは具体的な移民問題とは何か。著者はまず、ドイツ社会での移民達の不適応と、その結果のトルコ人居住地域成立を挙げる。穏健イスラムであるとはいえ、その宗教的特殊性と言語能力から、トルコ人はドイツ社会に適応できず、その結果としてベルリンのクロイツベルク地区のようなトルコ人ゲット−がドイツの大都市に成立する。異郷で心の支えを見出すために、これらの地域に住む人々はより宗教的、保守的になり、その分ますますドイツ杜会から隔絶されていく、という悪循環が発生する。精神的不安の拡大、犯罪の増加がその直接の帰結である。そして壁の崩壊と統一による旧東独の労働者の吸収の過程で、移民達は、ネオナチの格好の攻撃対象となっていくのである。

しかし、トルコ移民達にとっては帰国することも安易な選択とはならない。1983年に外人労働者の帰国を促す目的で制定された「帰国奨励法」も、そもそも帰国を希望していた人々のために膨大な費用を負担したにすぎなかった、という。帰国者及ぴその家族のトルコ本国での不適応、そこでの資産の再投資の限られたチャンス、そしてそれ以上に本国の政治的、経済的混乱が本質的に彼らの帰国を阻んでいるのである。結局、これらの移民は、トルコにとっても、一方で、本国の失業の綬和、外貨準備の確保、そして文化的な開放をもたらした反面、熟練労働者の流出により国内の成長を鈍化させることになってしまったのである。

こうしてドイツの移民社会、特にトルコ人のそれは、簡単に縮小できないものになっている。ドイツ人達の反応はどうか。確かに、「90年連合」や「緑の党」は、移民のステ−タスを合法的に保証する移民国家を作ることを提唱している。特に移民側からは、最早ドイツは実体的にはアメリカと同じような移民国家なのだから、それを法的にも認めるべきである、という議論がなされる。こうした状況下で期待されていた1990年4月のドイツ外人法の改正も、結局ドイツ人と外国人の法的ステ−タスの格差を埋めることはなかった。そして前記のように、ドイツ統一は、これら既往の外人労働者に対する、新たな脅威をもたらすと共に、将来のEU統合に向けての大きな懸念ともなっていくのである。

このように、移民問題はドイツを理解するためには避けて通れない問題であるが、同時に日本において近時クロ−ズアップされてきた同じ問題を考える際の視点を与えてくれる。もちろん、日本の場合は、合法的な南米中心の外人労働者は少数であり、問題なのは中国人やイラン人といった所謂不法労働者であり、その限りにおいては、ドイツにおける移民問題ほど深刻ではない。戦後一貫して、出入国管理法で、外人労働者を徹底的に管理してきた日本は、ドイツのように過去の政策のつけを払わされる、といった側面はない。しかし、彼らが合法的滞在者であれ、非合法的滞在者であれ、現実には日本でも、東京を中心に外人労働者の居住区ができ始めている。こうした地域は次第に周囲から隔絶され、文化的租界となる可能性も依然大きいといえる。これは、日本社会から受け入れられない側に問題があると言うのは簡単であるが、そのままにしておけば結局日本社会自体が、そのつけを払わされることになることを忘れてはならないだろう。あえて完全な同化政策を採る必要もないが、同時にこれらの人々の不安と孤独感を払拭していくための交流は早いうちから必要なのであろう。私は決して自分が国粋主義者であるとは思わないが、あえて今の日本が、移民に門戸を公開する必要はない、と考えるし、その限りにおいて不法滞在者及びそれを幇助する日本側の組織に対しては厳格な措置を採っていくべきものと思う。同時に現実としての移民に対しては早い段階からの社会化と日本人の側からの交流を進めるべきである。さもないと、ドイツの戦後と同じような問題に、少々遅れてではあるが日本もまた直面することになるであろう。

読了:1993年6月28日