新しい民族問題−EC統合とエスニシティ−
著者:梶田孝道
昨年読んだ同じ著者のEU論は第十章で取り上げるが、前著がEUの政治的側面に焦点を当て、欧州政治の三層からなる構造を中心に説明したものであったのに対し、今回の作品では、そのEUの再編をある部分で促し、また他方で脅かす民族問題を、EU論の立場から分析している。当然モスレム論はその大きなテ−マとなり、山内昌之らの論点とも重複してくるが、EU域内における移民、難民問題等、欧州在住の我々の日常的な問題関心をも整理しており、前著にも増して刺激的な作品であると言える。
西欧における外国人問題は、50年代に流入した移民を巡る各国個別の問題から、80年代には移民の2世、3世の統合と疎外、EU統合、ソ連・東欧社会主義政権の崩壊に伴う動乱、そしてその一部であり、且つそれ以上の広がりを持つモスレムとの文化的相克等が複雑に絡み合う問題に転化している。国際労働力移動という観点から見ると、歴史的には「60年代から石油危機までは西欧諸国が、石油危機以降の70年代までは中東産油国が、そして80年代以降は(日本を含む)東アジアが主要なフィ−ルド」であったという。その意味では世界的な規模では西欧は人口移動の大きな舞台ではなくなっている。しかし、欧州在住者という視点から見ると、依然欧州の外国人問題は世界的な規模での問題を集約している。それはまさに前述のように、欧州では単に経済的人口移動のみならず、政治的、宗教的人口移動が複雑に交錯しているからに他ならない。こうした状況が、EU統合という国民国家を超克する動きと重なった時、如何なる問題群が発生するか、以下著者の論点を追いながら見ていこう。
まずEU諸国の外国人には大きく分けると4つのカテゴリ−が存在し、夫々で現状、法的地位、将来の見通しが異なる。それを簡単に整理すると以下の通りとなる。
@EU諸国民の定住外国人:EU統合により「ヒトの自由移動」が実現し、雇用面での内外人平等の恩恵を受ける。欧州市民権等の理想主義的政策の対象。
A定住非欧州諸国民:特にアジア・アフリカ系外国人。EU域内での自由移動等の権利はないが、受人れ国では既に経済・社会的権利を含む一定の市民的権利を有す。
B欧州系の新規流入者:東欧・ソ連の変動の結果西欧に流入した欧州系外国人(旧東独人を含む)。EU諸国は一方で警戒感を抱きながらも、欧州人としての「身内意識」から相対的に寛大な対応。
C非欧州系途上国からの新規流入:多くが不法入国・不法滞在者。EU域内の移動の自由により管理の問題が深刻に。警備が手簿な国を経由しての入国が増加。
この4つのカテゴリ−を設定することにより、EU諸国民と非EU諸国民、定住外国人新規流入者、欧州人と非欧州人、キリスト教とイスラム教といった軸が複雑に錯綜する欧州の民族問題を解きほぐす出発点に立つのである。
その上で、著者はまずEU統合の外人問題に及ぼす影響について、F.パスの構造論的なエスニック論−「エスニック集団は、その客観的属性によってではなく、他のエスニック集団との相対的な関係の中で定義され、エスニック集団の定義と、内集団/外集団の境界設定が同時になされる」−を援用し、EUの外人問題が欧州周辺国家の出身者から、アジア・アフリカ諸国出身者に比重を移してきた、と主張する。ユダヤ人問題を別にすれば、EU統合は、この内外の境界設定を容易且つクリア−にすることに寄与するのである。例えば、EU統合に伴う「人の自由移動」の対象になるのは、言うまでもなくEU12カ国に属する労働者・企業家のみで、域外出身者の移動の自由は制限される。もちろん、EU域内出身者であっても、ホワイトカラ−とブル−カラ−、熟練労働者と未熟練労働者との場合では実質的な移動の可能性が大きく異なり、また商業上のサ−ビスにかかわる公務労働の開放問題や欧州議会、国政選挙、そして地方選挙に関わる投票権や被選挙権の問題などは引き続き議論されているが、他方シェンゲン協定の実施に伴う国境管理の緩和により、正規の外人労働者と不法滞在者との見極めが難しくなることから、外人滞在者管理の強化が必要になる、という現象も発生する。
こうして問題は、EC統合の進捗に伴う、EU居住非EU諸国民の将来像に移る。50年代の移民労働者の流入後、純粋な経済問題であった外人問題は、70年代のオイルショック後まず、移民の「文化変容」又は「文化的同化」により変化し、更に80年代以降第二世代が出現すると、むしろ「アンデンティティ−の危機」ヘと移行していく。ここから今日的争点である、移民集中地区の出現、外国人の社会運動の誕生、第二世代問題と彼らの発言開始、「新しい市民権」を巡る論議が発生する。例えば、外国人集中に伴う「問題多発地区」化を防止するため、70年代のドイツで、「外国人過剰都市宣言」を発し、12%を越える外人の流入を抑えようとしたベルリン、クロイツベルグ等のケ−スが挙げられているが、結局これらの地区の外人人口は20%を越え、必ずしも効果があがらなかったと言われている。
次に第二世代の成人時期が西欧経済の不況期に当たったことから、彼らの失業率が増加し、そこから差別と非行の悪循環が発生してくることになる。社会運動としての外国人排斥運動とそれへの対抗勢力としての外国人自体の社会運動の誕生はそうした状況の一つの帰結である。後者についてはフランスで顕著であり、マグレブ系移民第二世代の自己主張、移民労働者の労働運動、そして市民社会内部における「イスラム」の本格的な登場が挙げられる。第二世代の運動としてはH.デジ−ルに率いられた「SOSラシズム」やアルジェリア出身のA.ダマニによる「フランス・ブリュス」といった結社が挙げられているが、双方とも移民又はイスラムの特殊な利益・文化を代表するのでなく、普遍主義的なフランスの理念に依拠しているというのは面白い現象である。
「新しい市民権」問題については、あくまで「一時的労働力」として外人労働者を導入したドイツ、スイスと、旧植民地との密接な関係から帰化や移民の社会統合に寛容な英国、オランダ、フランス、スウェ−デンとの間で程度の相違がある。特に定住外国人に対する「選挙権」「市民権」については、オランダ、デンマ−ク、アイルランドが非EU諸国民にも地方自治体ベ−スの選挙権を与えているが、ドイツではハンブルク市とシュレスウィヒ・ホルシュタイン州で一旦付与された選挙権が議論となり、結局1990年、最高裁で違憲判決を受けたという。しかし、反面では、ドイツの外国人労働者は、労働組合内での権利や職業訓練の権利といった社会経済的権利は、英国のような政治的権利が認められている国以上に確保されているという面もあり、一概に特定の国が進んでいるという訳でもない様である。こうして見ると、EUレベルでは、国境が除去され自由な空問が広がっているにもかかわらず、結局EU域外からの定住外国人の諸権利は、より個別の国家の決定に従わざるを得ない点において、より国家への依存を強めているという皮肉な現実が見えてくる。「域外出身の外国人はEU諸国民とは対照的な状況に置かれている」のである。
ロシア・東欧からの移民がヨ−ロッパという文脈で理解されるのに対し、イスラム問題は文化的・宗教的により異質な移民として、現代の欧州移民社会の中でもより差異化されている。「欧州の中で、イスラムとして生きる」という意識が、ます死者の埋葬問題を始めとする各種の通過儀礼から生まれてきたというのは当然であろう。そして当初は私的空間の中に閉じ込められていた宗教行為、例えば祈りの場といった施設が次第に公共の場に現れ、又日常的実践が自然発生的な域を超えて目的意識性を持つに至る。F.ダセットはこれを「公的空間におけるイスラムの可視化」と呼んだが、このイスラム問題の理解のために著者は以下の3つの実態を指摘する。一つはこうした西欧における「イスラム復興が第二世代以降の同化を危惧する第一世代に担われていること、二つ目は、ひとえにイスラムといってもファンダメンタリズムから伝統的保守主義に至るまで宗派は様々であること、そして三つ目は、西欧の反応を見る際に、この問題をレバノン問題、パレスチナ問題、イラク問題といった国際問題との連関の中で考えなければならない、という点である。特に二つ目の論点で著者は、現在西欧の移民の間に広がっているモスレムの中で最も影響力があるのがタグリグ系の結社であると指摘する。この宗派は、イスラム教徒がヒンズ−教徒の大海に囲まれた北インドで誕生したことから、同化圧力の強い西欧でマイナリティ−として生きていかざるを得ない移民の感性に適していたと言われ、草の根を通じた、原理主義とは一線を画した布教活動で勢力を伸ばしてきた。イスラム家族法と家父長権の確立とイスラム的慣習を具現した移民コミュニティ−の再構築を行った上で、この権利を西欧のコミュニティ−に認めさせていく、というのが彼らの戦略であり、これが西欧世俗国家にとっては、公的空間における非宗教性の原則と少数者の文化的・宗教的アイデンティティ−尊重という2つの基本権のジレンマをもたらすのである。著者はこの相克に西欧国家が苦闘したケ−スとして1989年から1990年にかけて発生したフランスでのスカ−フ事件(タグリグ系のイスラムが主人公)を挙げ詳しく解説している。もちろん、このケ−スは政府やマスコミ、知識人を巻き込み論議が最も拡大したものであり、イスラムヘの対応は、欧州各国によって夫々異なっている。著者はこの対応を以下の3つに類型化しているが、それは夫々の国家の特徴を示すことにもなっている。
@中央政府としての明確な方針をもたず、プラグマティックに対応。教育問題を含め地域レベルでの移民コミュニティ−との交渉に委ねる(英国、オランダ)。
A公的にイスラム教育を公認するなど、宗教性を国家がある程度支援。そもそもキリスト教系の複数の宗教教育を認めてきた国家(ドイツ、ベルギ−、オ−ストリア)。
B「非宗教性」の原則をもち、学校を含む公的空間での宗教行為を基本的に禁じる国家(フランス)。最も紛争が生じ易いケ−ス。
こうした「移植されたイスラム」の問題は、西欧社会とその中で暮らすイスラム間の緊張をもたらすのみならず、西欧化したイスラム女性の文化的相克といったイスラム内での緊張も醸成する。欧州統合の流れの中で今後「ヨ−ロッパ」や「キリスト教」という理念がどの程度強調されてくるかにより、現在夫々の国家によって異なる外国人との、なかんずくイスラムとの関係が欧州全体としてより緊張を帯びてくる可能性がある、という著者の指摘には注意する必要がある。
次に注目されるのは、冷戦の終了に伴う旧ソ連・東欧から西欧を目指す人口移動である。既に1991年、シェンゲン協定に調印した西欧5カ国と、ポ−ランド、ハンガリ−、チェコスロバキアとの間でビザ取得の免除協定が結ばれ、ビサなしの3カ月の旅行が可能になっており、これに伴う東方からの人の移動が日常化すると共に、彼らの非合法な滞在・就労も増加していると言う。他方、旧ソ連、ル−マニア、ブルガリア、アルバニアに対しては西欧諸国は依然警戒的でビザ制限を持続している。その意味で、所謂中欧3カ国と、それ以外では位置付けが異なっている。又、移動を促す要因としては、中欧3カ国からの移動が純粋に経済的なものであるのに対し、それ以外の地域からの場合は経済的要因に民族的・宗教的緊張が加わってくる。これは、かつての共産圏からの移動が政治・イデオロギ−的なものであったこと、あるいは南欧からの移動がこの地域の人口爆発により促されてきたことからの変容を示している。著者は、これらの地域からの人口移動はまだ一時的・循環的なものであり、一部で懸念されているような大規模なものにはなっていない、と考えているが、他方ロシア政府がこうした懸念を西欧からの経済援助を引き出すための「脅し」として利用していること(中国政府と同様の発想)も指摘している。
又、こうした人口移動の受入れ国という点では旧ソ連・東欧との結びつきが緊密なドイツ、オ−ストリアがまず挙げられるが、同時にかつては移民の放出国であったイタリアが今日、アルバニアや旧ユ−ゴからの難民の受入れ国に変わっている。しかし、1990年7月、最初のアルバニア難民がイタリアに到着した際の歓迎ム−ドは1991年には既に変質し、1991年8月、1万人近いアルバニア難民の上陸に際しては彼らを「経済難民」と見倣し、強制送還した事実は、旧共産圏からの移民に対し依然警戒的な西欧諸国の対応を象徴している。いずれにしても、今後のこれらの地域から西欧への人口移動については、旧ソ連・東欧の政治体制と市場経済の行方、西欧諸国の入国管理体制、そしてその前提である西欧諸国の今後の経済成長動向により変わってくることになるのは問違いない。
又前述のようにロシアがある種の交渉材料に使っている、「帝国」崩壊後の旧ソ連の内外における人口移動も、場合によっては西欧に大きな不確定要因をもたらす可能性がある。大きな趨勢として著者は、@民主化・自由化に伴うドイツ系・ユダヤ系等の民族的少数者の流出、A各民族共和国の分離・独立に伴う「ポスト植民地」型の移動及び各共和国における「民族的純化」の進行に伴うもの、そしてB経済的動機に基づくものを挙げている。取り合えず@の絶対数は限られており、又Aも現在までのところはロシア系の周辺共和国からの帰還という国内的動きに留まっている。その意味ではBが西欧との関係では問題になるが、これもロシアやベラル−シ、ウクライナという西欧的な共和国が中心であり、中央アジアの諸共和国の場合は、西欧に移民社会を持つアルメニア人を除きイランや湾岸諸国との文化的つながりが強いことから人口移動もまずはこうしたイスラム諸国との間で活発化すると予想される。しかし著者はむしろ西欧文化の浸透が進み、所謂「文化変容」が終わった段階で、西側への大量の人口移動が起こる可能性も否定できないと論じている。
こうして欧州外からの人口移動を概観した後、著者は再ぴ西欧同盟の内部問題に戻るが、ここでは、EU内での中心と周辺が相対的に移動している、あるいは欧州市民とも呼ぶべき人々が増加している、といった、著者が前著で展開した議論が繰り返されているので多くは記さない。しかし、イタリアのように従来移民の出し手であった南欧諸国が80年代の経済成長の結果、今や移民の受入れ先になっており、相対的にEU外に対する出入国管理の緩いこれらの国が、EU外からEU内への人口移動の窓口になる可能性が高まっている、という問題は興味深い。又北部イタリアやスペインのカタル−ニャのように、従来はその国の中で被収奪意識が強かった地域への移民の流入が反移民感情を強め、その結果従来の「マジョリティ−/マイナリティ−」関係が変化している、とも指摘されている。
こうした問題の背景にあるのが「難民」と「移民」という2つの概念の法的カテゴリ−と社会学的実態の格差である、と著者は分析している。本来「難民」とは政治的カテゴリ−の概念であったが、今日では旱魃、飢饉、環境破壊、そして更には社会経済的破綻による犠牲者が「広義の難民」となって西欧に流入している。こうした変化により西欧諸国は、難民問題への新たな法的規制を行う必要に直面する。まだ我々の記憶に新しい1994年初頭、ドイツが、政治的庇護権を規定した基本法16条を改正し、政治的迫害の存在しない国からの難民受入れを拒否し、2国間協議に従って難民申請者を出身国に送り返す方法を採用したことは、こうした流れの中に位置付けるとやむを得ないものであったことが理解される。EUベ−スでの共通政策も、1990年に入ってからのダブリン条約とシェンゲン補足条約で大枠が決められているが、具体的な作業はこれからの問題というのが著者の印象である。
難民・移民問題の国内的反動が言うまでもなく右翼勢力による外国人排斥運動の問題である。高い失業率、移民第二世代に集中する社会問題、悪化する都市問題に加え、EU統合の進展によるナショナルなアイデンティティ−の喪失の恐れが極右への支持を生んでいる。EU統合が経済領域に限定されており、その担い手が経済人やテクノクラトであるという統合の「階級的」性格故に、右翼政党の「ポピュリズム」が統合から取り残こされた人々の気持ちを汲み上げている。それはある意味で「エリ−ト対大衆」という古典的テ−マの現代的表現とも言えるのである。
こうして欧州の民族問題をEU統合の流れの中で概観した上で、著者は最後に前述した4つの民族カテゴリ−間の問題を整理している。それは以下の通りである。
@EU諸国民とアジア・アフリカ系定住外国人の関係。「経済的なヨ−ロッパ」がただちに「社会的ヨ−ロッパ」を生む訳ではない。EU統合が「イスラム問題」に象徴される定住外国人の文化や宗教も含んだ開放的な道を歩むか、それとも「キリスト教」や「ヨ−ロッパ文化」を基礎とする、閉ざされた文化共同体への道を歩むか、という問題。
Aアジア・アフリカ系定住者と東欧・旧ソ連人などの新たな流入者の関係。ドイツで典型的に見られる、よりドイツ化したトルコ人に対する「二級市民」の劣等感を持つ東独市民の感情的悪化といった問題群。
Bアジア・アフリカ系定住外国人とアジア・アフリカ系難民、不法侵入者との関係。定住外国人の地位上昇とそれを補完する新たな難民、不法侵入者、という問題群。
CEU諸国民と東欧・旧ソ連人の関係。EUの拡大問題と共にEU諸国民と非EU諸国民との文化的境界をどこに設定するかという問題。
D東欧・旧ソ連人とアジア・アフリカ系の新たな流入者との関係。「東」に対する相対的門戸開放と「南」ヘの相対的門戸閉鎖という傾向。
こうした民族問題の複雑化、多層化は冷戦終了後の90年代特有の現象であると同時に、著者が繰り返し指摘しているとおり、EU統合の流れ自体がもたらした問題群であると言える。足下出口がないまま泥沼化しているボスニア内戦の報道に連日接しながら、欧州のみならず、日本も近い将来こうした政治的、社会的現実に直面し、それを理念と現実面の双方解決していかざるを得ないことを痛感する。そもそも他民族との融和どころか、交流の訓練さえもできていない日本人が、こうした局面で果たして世界的な規模で思考し、行動することができるのだろうか。欧州の経験と現実を明確に描いたこの書物を読み、私はやや陰鬱な気分にならざるを得ない。
読了:1995年3月26日