アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第一部:ロンドン音楽通信(1982−1988年)
序文
 
 ロンドンの夏の夜は短い。丁度夏至を過ぎて間もないこの時期は、9時半近くまで太陽が輝き、10時を過ぎた今も西の空には沈んだばかりの太陽の残光が薄く浮ぴ上っている。街灯りが徐々に数を増し、盛り場がようやく夜の賑わいに包まれる頃、街のいたるところで様々な音楽が奏でられ始める。ロンドンとは面白い町だ。それは、そもそも歴史的には全くと言って良い程強烈な個性を放つ文化を作ってこなかった。ヨーロッパ大陸の片端に位置し、大陸に生起する多様な文化を傍観者的に眺めていたロンドン。しかし、今、この瞬間にはおそらくヨーロッパのどこよりも多様な芸術家たちが活動しているだろう。事音楽に関してもロンドンあるいはイギリスから出た傑出した芸術家は数少ない。それにもかかわらず、ロンドンの夜は世界各地から集まってくる芸術家たちによって満たされる。それはあたかも、ロンドンに集まる世界各国の民族が、それぞれの文化を持ちより、それがここロンドンの街で文化的邂逅を逐げているかのようだ。そしてロック・ジャズ・フォ−クといった音楽についても、ロンドンの夜は数多くの体験を我々の前に提供してくれる。以下で報告する三つのコンサート(ペンタングル/キャメル/エヴィ−タ)は、ここ数週間のあいだに私が参加した、こうした文化的遭遇のほんの微かの断片と言える。それは決してこの現在のロンドンにおける音楽状況の全てを物語るものではないが、それにもかかわらずこの文化総体に入ってゆく糸口となるに違いない。私は自らの実感に基づき以下のレポートを進めたいと思う。

1883年 ロンドンから日本の同人誌への投稿原稿序文