アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第一部:ロンドン音楽通信(1982−1988年)
KING CRIMSON  BEAT TOUR
日時:1982年9月12日
場所:Hammersmith Palais 
 KING CRIMSON。この伝説的なグル−プの名前に初めて接したのは、彼らのアルバムが英国でリリ−スされた1969年であるので、もう10年以上も前、私がまだ中学生であった頃である。当時、銀座のヤマハホ−ルで開かれていた「ニュ−ミュ−ジックマガジン」(現在の「ミュ−ジックマガジン」)主催の月例レコ−ドコンサ−トを聞いた後、何気なく会場に残っていた私の耳に、ある音楽評論家の話し声が跳び込んできた。コンサ−トが終わり、会場から引き上げる人々が、そこかしこで小集団を作って歓談をしているような時に、何故私にその会話が跳び込んできたのかは分からない。ある種の予感に憑かれたように私はその会話に耳を傾ける。彼らは一枚のレコ−ドを眺めながら話をしていた。「こいつはすごいぜ。」彼らはそんなありふれた賛辞を呈していたように思う。赤と青の原色に彩られたジャケットがやけに記憶にこびりついた。確かにそのレコ−ドが、何週も一位を続けていたビ−トルズの「アビ−ロ−ド」に替わって、英国のアルバム・チャ−トのトップに踊り出たという話は聞いていた。しかし、そのアルバムは、レコ−ド会社との契約の関係で、日本では発売されないかもしれない。
そんなことが引き金になったのかもしれない。その頃、中学生の僅かな小使いで買えるアルバムなどたかがしれていた。シングル盤ならともかく、アルバムを買う場合は、少なくとも収録されている曲の幾つかは知っているものでなければならなかった。単なる評判でアルバムを買うような冒険は、限られた小使いしかない中学生にはとてもできることではなかったのである。

 しかし、それにもかかわらず、数日後、私はこの小さな冒険をした。恐らくは、やはり銀座のヤマハであったと思うが、このジャケットに曲名も何も出ていない、怪物のイラストの描かれた輸入盤のジャケットを見つけ、購入した。そして家に帰りそれに初めて針を下ろした時の印象も事細かに覚えている。その時の印象、それは「21世紀の精神異常者」のスリリングなギタ−のリフでも、「I Talk To The Wind」のリリシズムでも、はたまた「エピタフ」のあの雄大でドラマチックな叙事詩でもなかった。私が感じたのは、いつまでたっても始まらず、始まらない間に終息してしまった「ム−ンチャイルド」のあの果てしないゲ−ムであったのだ。その頃の私にとって、10分というこの曲の時間は、余りに長く高価な時間であった。それをこのように使う者たちがいる。当時の私にとって、このアルバムの購入は、大きな失望となったのである。

 それから10数年の歳月が過ぎ、その時の失望は、今や伝説となった。その作品は今やブリティッシュ・ロックの古典となり、そこから巣立っていった者たち−G.レイク、マクドナルド&ジャイルス、M.コリンズ、J.ウェットンら−も、彼らのその後の活動と共に、既に古典の領域に入り始めている。そして終止一貫してこのバンドを率いている一人の男、それは今やあたかも生きる偶像であるかの如く、超然としてひたすら自分の音を追い続けているのだ。伝説の中で生き続けていたはずの彼らが眼前に現れる、というのは何とも不思議だ。まるで何かのパロディ−映画のように、自由の女神が突然動き出したり、アンデルセンの人魚が品をつくるようなものだ。それはある種のブラックユ−モアの領域を出ることのないコメディ−と化してしまう危険があるのだ。そう、その夜私はそんなブラックユ−モアを期待して、その会場へ出向いていったのだった。そこに何ら音が流れていなくても私は満足したかもしれない。

 会場のハマ−スミス・パレスは巨大な酒場(パブ)である。それは小学校の講堂か体育館をバザ−か何かのために飾り付け、開放したかのようで、ステ−ジを囲む壁面は全てカウンタ−となり、酒やちょっとした軽食がサ−ブされる。既にステ−ジでは中年のおじさんと若い男女の三人組のコ−ラス・グル−プが、中年のおじさんのギタ−だけの伴奏で、それにも係らずR&Bでカントリ−を料理したようなメリハリのきいた演奏とコ−ラスを聴かせている。チケットは全て立ち見であることから、広い体育館の中には椅子など全く見当たらない。既にクリムゾンの演奏のためか、ステ−ジの前はおおかた埋まっている。しかし、ある者はステ−ジからそっぽを向き、ひたすらカウンタ−でビ−ルをあおり、ある者は絨毯の上に横になって寝転がり、またある者は、二階の欄干にもたれ、ビ−ルを片手にステ−ジの音に合わせてリズムを取っている。全く勝手な光景。ステ−ジは盛大なバザ−の単なる余興のようである。会場を一回りした後、人並みの切れていたステ−ジに向かって右側の空間に位置を定めた。

 8時50分、会場の灯りが消されステ−ジが浮き上がると共に、ステ−ジ後方のスクリ−ンが真っ青に照らし出される。ニュ−アルバム「Beat」のジャケット・デザインである。と同時にシンセサイザ−によるテ−プが会場に流される。「Beat」に収録されている「Waiting Man」のイントロである。湧き上がる会場。拍手と歓声の中、まず白いジャケットを羽織った Bill Bruford が登場。テ−プに合わせ、ステ−ジ中央にセットされた7−8個のタムタムを打ち始める。続いてピンクのジャケットを羽織ったギタリストの Adrian Belew が現れ、ビルと向かい合いパ−カッションを打つ。

 しばらく二人の打ち合いが続いたところで、エイドリアンがマイクに向かいテ−マを歌い始める。俳優のポ−ル・ニュ−マンを細身にしたような顔立ちの、しかし結構年齢はいっているかに思えるエイドリアンの鋭いボ−カルが、パ−カッションとシンセサイザ−のテ−プのもたらすオリエンタルな雰囲気を雷鳴のように貫いていく。「I come back---come back. You see my return,my return face is smiling,smile of a waiting man」。ボ−カル・パ−トが終了するとエイドリアンは再びパ−カッションに戻る。そこにベ−シストの Tony Levin が、その見事に剃り上げたつるっ禿げの頭を晒しながら現れベ−スが加わる。そして観衆が見守る中、白のシャツと黒のス−ツに身を固めたあの伝説の男が登場。パ−カッションのリズムが続く中、あたかもアンコ−ルに答える俳優か何かにように、片手を胸に当て、左右に深々と頭を下げる。何とも真面目腐った顔つきである。彼は私の正面2メ−トル程の距離にあるモニタ−用のアンプの横に腰を下ろす。そして「 Waiting Man 」が終了。エイドリアンがギタ−を手に取ると共に、ビルもドラム・セットに着く。

 続いて始まったのは、私は特定できない、恐らく前作「Discipline」からであろう、ハ−ドなクリムゾンらしい曲である。三曲目、エイドリアンの「This is Red」という紹介と同時に、背後の今まで真っ青だったスクリ−ンが真っ赤に変わり、この昔の曲が演奏される。特徴的なのは、ステ−ジに向かい左側の二人、エイドリアンとトニ−が激しく動き回り、特にリ−ド・ボ−カルをとるエイドリアンは、時折プレスリ−やチャック・ベリ−が見せる、ギタ−を低く構え腰を落としたロカビリ−・スタイル等をとったりしながら楽しそうに演奏しているのに対し、右側の二人、ビルとロバ−トはほとんど無表情に演奏を続けていく。特にロバ−トはまさに宗教の教祖よろしく、時折チュ−ニングや演奏が気に入らないのか、気難し気に顔を横に振ったりするほかはほとんど体を動かすこともなく、ただひたすら全体を統括するのに集中しているかのようである。しかし、実際の音は、まさに感情が荒れ狂い、時折はそのロバ−トのギタ−がものすごい勢いで駆け抜けていくのである。G.レイクのボ−カルと共に、これまた伝説と化したあのデビュ−アルバムの歌詞の一部「Confusion will be my epitaph」。そう、まさに彼らの音楽はひとつの Confusion=混沌なのだ。しかしその混沌は最後の一線で食い止められ空中分解するのを阻止される。そこにいるのが恐らくこの男なのだ。彼の極度なまでに神経質な表情は、彼ら一人一人が作り出す勝手な音を一層煽りながらも、しかし限界で支えなければならないこの男の役割に由来するのではないだろうか。

 このハ−ドな混乱が終息すると再び静寂が訪れる。ビルが直方体の木の箱を手に持ち打ち始めると、再びそこにはレヴィ・ストロ−ス風未開社会、あるいはインドの雰囲気を彷彿とさせる世界が開かれる。最新アルバムからの「 Two Hands 」である。エイドリアンの搾り出すようなボ−カルに続き、彼がスライド・ギタ−のソロを聞かせ、そしてそのままソロがロバ−トに引き継がれていく。静かな曲であるが、ロバ−トは音を絞りつつも、満身の力をギタ−に込めているかのような早弾きである。表情を全く変えないにもかかわらず、時折感極まったかのように椅子の上で体を揺すり足を高く上げるのが唯一の動きである。

 続いて再び「 Neurotica 」で混沌が訪れ、エイドリアンの早口のボ−カルが疾走。再び静寂。そして最後が最新アルバムのオ−プニングの「 Neal and Jack and Me 」。そしてアンコ−ルはやはり最新アルバムから「 Heartbeat 」、続いて「 Sartori in Tangier 」の2曲。立ち見のフロア−は今や大きな躍動に包まれ、隣の女性の長い髪の毛が体の動きに合わせ、私の顔にまともに叩きつけられる。しかしそんなことにかまっていられない。こちらも思いっきり腰をぶつけてやろう。前にいるティ−ンエ−ジャ−風の男の子の裸の背中がほんのり赤みを帯びている。そんな中、映画「エマニエル夫人」のテ−マ音楽を連想させるようなこの曲のリズムとアドリブが展開されていく。ルソ−、ゴ−ギャン、レヴィ・ストロ−スからエマニエル・アンサンに至るまで連綿として受継がれている、このアジア的旋律への憧憬は、今若者達のエネルギ−に加速されてキング・クリムゾンの音世界の中で見事な飛翔を遂げている。更なるアンコ−ル。再びロバ−トは、胸に手を当て最敬礼。ようやく彼の表情の中にも一抹の笑みが垣間見られる。

 最後のアンコ−ルに私が「21世紀の精神異常者」を期待しなかったかと言えば嘘になろう。しかし始まったのは、同じ位古典で、同じ位強烈な「 Lark’s Tongue and Aspic」。二本のギタ−の刻む歯切れ良いリズムにアクセントが加えられ、静かなリフの繰返しに移行し、再び突然激しい嵐の中へ跳び込んでいく。確かに彼らの音楽は、ディ−テイルは全く統制がとれていないにもかかわらず、全体の構成は実に緻密に練り上げられているのだ。そうした意味では、かつてフリ−ジャズと言われた音楽が、そして今でも山下洋輔などが作っている世界が、ひたすら世界を、そしてエゴを外へ外へと拡大していこうと試みているのに対し、キング・クリムゾンの世界は、一定の境界の中で、どこまで混沌とした粒子の密度を拡大できるかという意図から作り出されているように思えるのだ。

 コンサ−トが終了し、照明が灯された体育館の床には無数のビ−ルのポリカップが散乱していた。前座も合わせ三時間近く立ち続けた足は心なしか膝が抜けたような感覚に襲われ、また右スピ−カ−の音をまともに受けた耳は幾ばくかの残響が抜けきれないでいた。しかしそれにもかかわらず、私は全身に新しいもうひとつの伝説を刻印したかのような錯覚に捉えられていた。それは10年以上前に私が抱き、そのまま持ち続けていた伝説と必ずしも連続するものではないにしても、これから先の10数年、時に応じて記憶の底から呼び戻すであろう伝説である。そして願わくは、ここロンドンに私が滞在している間に、彼らは別の形で新しい歩みを見せて欲しい。そんな思いを抱きながら会場を後にしたのであった。

1982年9月24日  記