ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
Bert Jansh & Jackie McShee In Concert
日時:1983年5月26日
場所:Peterborough Arms
ペンタングルというフォ−クバンドを覚えているだろうか。60年代の終わりに、Bert JanshとJohn Renbournという、既にイギリス、トラディッショナル・フォ−ク界では名の知れていた二人のギタリストを中心に結成されたこのバンドは、そうしたトラッドの世界に素材を求めながらも、ジャズの要素もぶんだんに取り入れ、美しいが、スリリングな音楽空間を創りあげていった。ちょうど同時期、同じトラッドの世界から出発しながら、よりロックに近づいていったFairport Conventionと比較されたこのバンドは70年代終わりに解散する迄に10枚近いアルバムを残した。そして解散後は、メンバ−の一人一人が、そもそもの出発点であったソロ活動へと帰っていった。リ−ダ−の一人バ−ト・ジャンシュも実はつい最近新しいアルバムを発表したばかりである。
ロンドンには一週間単位で市内でのイベントを網羅した、日本の「ぴあ」にあたる情報誌である「Time Out」という雑誌がある。この雑誌が面白いのは、単に、音楽・映画・演劇等に留まらず、例えば詩の朗読、政治集会へのインヴィテ−ション等、幅広い分野の情報を掲載している点にある。が、それはともかくとして、この雑誌の片端で、既に解散して3年以上も経つペンタングルのメンパ−による再結成コンサ−トが行われる、という小さな記事を読んだ私は早速出かけていったのであった。
会社を8時頃飛び出し、軽い食事をとってから、雑誌に出ていた住所をたよりに、会場の Peterborough Arms を捜す。余談だがロンドンには「A to Z」という地図があり、総ての住所は索引付きでこの地図に載っている。この地図を見ながら、ロンドンの南西の Fulham という街に向かった。数十分のドライブで閑静な住宅街に着いたものの、しかし、とてもコンサ−ト会場があるようには思われない街並みである。道路の片側には広い公園、片側には、もうほとんど閉店した小さな商店の数々、その裏側は全くの住宅街である。たまたま開いていた酒屋に入って会場の名を言うと、それは、道にそって10分程歩いたところにあるという。しかし、車で通りすぎたその商店街には、とてもそうしたコンサ−ト・ホ−ルのようなものはなかったのだ。半信半疑で歩いてゆくと、確かにPeterborough Armsと書かれた看板が見えてきた。しかし、それはロンドンの街にいくらでもある何の変哲もないパブなのだ。扉を開けて中に入ると、そこでは人々がラガー(ビール)を呑みながら談笑しているといういつものパブの景色があるだけであった。
店の人に「今晩ここでコンサートが行われると聞いたが?」と質問すると、それは2階で確かに行われると言う。そういえば店の外にはいくつかのコンサ−トの予告をした小さな表示は出されていた。しかしいったいこんな店の二階で、目立たないとは言え、かつて英国トラッド界で一、二と言われたバンドが本当にギグをやるのだろうか。2階に上り、£2の入場料を払い入った部屋はまたもやライブ・ハウスとは程遠い、ただのパブの一室。せいぜい20畳程度の部屋の前半分にステ−ジと観客用の椅子がセットされ、後ろの半分では、人々がカウンタ−から酒をもらい、ごく普通の姿で談笑している。ステ−ジでは女の三人組が、簡単な楽器を使い、芝居だか、ミュ−ジカルだか分らないドタバタ喜劇を演じている。「何だ、これはまるで大学の学園祭ではないか」という意識に益々不安になり、受付に改めてペンタングルの残党が出るのか、と確認すると、そうだという答えが返ってくる。観客用の椅子の数も50人座れるか坐れないかという程度で空きも多いことから、カウンタ−によりかかりラガーを呑んでいる内にその喜劇が終了、前から2列目の席があいていたので坐って待つことにした。
ステ−ジの上では簡単なセッティングが終了し、店のお兄さんらしき者が、そろそろ始める、ということを告げると、まずベ−シストが出てきて、エレキ・ベ−スのチュ−ニングを開始。それが終了すると、私の椅子の横を、片手にギタ−、片手にラガ−のコッブを持った、くわえ煙草のお兄さんがステ−ジヘ向って行った。バ−ト・ジャンシュである。ステ−ジについた彼まではほぼ2m。まるで文化祭で友人たちのバンドを見ているかのようだ。
ビ−ルを一息飲むと、ギタ−とべ一スのデュオで曲が始まった。全く何気ないコンサ−トの始まりだ。強くはじくフィンガ−ピッキングの生ギタ−に、ベ−スがからみ、バ−トの半分寝ぼけたような、少々意図的に音をはずしたボ−カルが加わる。残念なから彼は余りに多くのソロ・アルバムを出しているため、曲はほとんど私の知らない曲ばかりである。しかし音の作り方は、確かにペンタングルのレコ−ドで聞くことのできたそれである。ぼさぼさの髪に、もうほとんど酔っぱらったような顔付きのバ−トは一曲終わる都度ビ−ルを呑み、なくなると店の者が追加をもってくる。そうこうして数曲終えたところで彼が Jackie McShee の名を呼ぶと、小柄な女性が、また私の横の通路を通りステ−ジの椅子についた。
ペンタングルの中心メンバ−は、バ−ト・ジャンシュとジョン・レンバ−ンという二人のギタリストであったとしても、このバンドの最大の魅力はこの紅一点の女性ボ−カリストであるジャッキ−の澄んだ美しい歌声にあったのは確かである。よく伸びる彼女の高音は、スリリングな二本のギタ−のもたらす緊張を柔らげ、心の安らぎをもたらしてくれたものであった。レコ−ドのジャケットで見る限り、長い髪で顔が隠れていることが多かったためか神秘的なイメ−ジがつきまとっていたが、今、こうして真近に見ているジャッキ−は髪を短く切り、整った顔立ちをした、とても小柄な、しかし、どこにでもいるような女性である。少々はにかみ気味に、心持ち下に視線を落して彼女が席につくと、再び演奏が開始された。
トリオになっての最初の曲はバ−トがソロ・ボ−カルをとり、ジャッキ−はひかえめにハミングのバッキング・ボ−カルでそれを支えている。しかし次の曲からはジャッキ−がリ−ドをとる。曲はまだ私の知らないものであるが雰囲気はまさにペンタングルのものである。数曲終えたところでバ−トが「ジャッキ−が彼女の Favorite な Old Trad Number を歌う」と紹介、彼女が無伴奏のソロを聞かせる。ペンタングルのスタジオ録音とライブ録音の二枚組レコ−ドの中で、ライブ・サイドに「So Early In The Spring 」と題された、やはり無伴奏のジャッキ−のソロ・ボ−カル・ナンバ−が入っている。おそらく相当広い会場での実況と思われるその曲で、彼女の歌声は森閑とした空間に広々と飛翔をとげてゆく。人々がその歌声に心から聞き入っている様子が、レコ−ドからもひしひしと感じられたものだった。今こうして狭い、煙草の煙とアルコ−ルの匂いに満ちた部屋に、彼女の静かだが張りのある声が浸みわたってゆくのを感じながら、私はあたかも広いコンサ−ト・ホ−ルでたった一人、彼女の歌に聞き惚れているかのような錯覚に襲われたのだった。
この陶酔の時が過ぎると再びバ−トがソロをとるハ−ドな曲が続き、その後は、ほぼ彼とジャッキ−が交互にリ−ドをとってゆく。進行は全てバ−トが行い、曲の合い間にもジャッキ−はほとんど口を開かない。彼が「情事を見つけられた男女が殺される、という残酷な内容の歌だ」と言って紹介したのが、この夜初めての私の知った曲である「 Sovay 」。前述した二枚組のスタジオ録音サイドに入っている曲である。残念ながら歌詞は東京に置いてきたために内容を確認するすべはない。
ロンドンのパブは、法規によって夜の営業時間に制限がある。地域によって若干の相違はあるが、ほとんどのパブの営業時間は夜11時迄である。10時少し前に始まったこのコンサ−トもそろそろ、そのパブの終了時間に近くなる。「これが最後だ」と言うバ−トの紹介によって始まったのは「 I Got A Feeling 」。やはり二枚組アルバムに収録されている、私の最も好きな曲の一つである。マイルス・デイビスの「 Blues In D 」という曲だったと思うが、三拍子のリズムとコード進行がはとんど同じジャズのスタンダ−ドがあり、このコンサ−トの前に、あるジャズクラブでこの曲を間き、ペンタングルの曲とそっくりだ、と思っていたのであるが、それが今エンディング曲として奏でられている。単純な構成の曲だが、不思議に聴衆を引き込んでゆく魅力を持った曲だ。間奏に入るバ−トの生ギタ−のソロも荒々しいが、抜群の乗りである。テ−マ・ソングのリフレインが静かに終煤してゆき、静寂の訪れにふと我にかえった時、時計は既に11時を回り、そしてコンサ−トも終了したのだった。数少ない聴衆の、しかし湧き上がる拍手の中、ミュ−ジッシャン3人が私の横を通り出ていき、それに続いて私も部屋から通りへと歩いていった。外はまたいつものロンドンのように霧雨が降り始めていたが、心地よい夢から覚めた頭にその霧雨は爽快で、駐車した車に戻るまで、私はその余韻に浸り続けたのだった。ロンドンの西南、フルハムというごくありふれた住宅街の、ごくありふれたパブでの出来事であった。