アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第一部:ロンドン音楽通信(1982−1988年)
Camel  1Oth Anniversary Concert
日時:1983年6月4日
場所:Hammersmith Odeon 
 ロンドンのロック状況をつぷさに報告しようとするのは全く至難の技である。無数に点在する所謂ライブ・スポットでは毎晩のごとく無数のバンドが登場し、またある程度名の知れたバンドになると中規模以上のいくつかのコンサ−ト・ホ−ルで演奏を行うが、これもほぼ連日行われているという状態で、とてもそれらに足繁く通うということは、仕事を持つ身としては不可能に近い。そうしたライブ・スポットとそのブログラムの一部について紹介すると、まず小さいものとしては、Yardbirds が出演していたことで有名なMarquee。Soho地区というロンドン最大の盛り場のど真中にあるこのクラブは、今やパンクを中心とした所謂ニュ−・ウエ−ブ系のバンドが多く出演しており、残念ながら私の知った名前はほとんどプログラムにはない。(例えば今週(6月)は、17日 Transporter 、18日 Rock Godess、19日 Wipe Out、20日 Dolly Mixture、21日 The Photas 、22日 Grand Prix、23日 True Life Confession、24日 Bernie Torme’s Electric Gypsies といった具合)またTrafficのライブ・アルバムで有名な Canteen は、Charing Crossという、ロンドンの言わば日本橋(地方からロンドンへの距離はここを起点に表示される)にあり、今はもっばらジャズ・ミュ−ジシャンの集まる店となっている。また中規模以上の以上のコンサ−ト・ホ−ルとしては、最大の中心が今回紹介するHammersmith Odeon で、私が参加したキャメルのコンサ−ト以前にも、Al Di Meola 、Ry Cooder 、Graham Parker 、そして、つい数日前には Frank Zappa がここで演奏しており、これからの予定としても、Bow Wow Wow 、Jackson Brown 、Shadows(まだいたのか、という感じ)、Saxons、Japan といったバンドのコンサ−トが予定されている。また、つい先日 Simon & Garfunkle のコンサ−トが行われたWembley Stadiumは、言わば後楽園球場級スタジアムで、ここでは、この6月24、25日の両日(昨日・一昨日)にあの Rolling Stones の数年ぷりのコンサ−トが行われたはずで、今後の予定としては Blondie、George Benson、AC/DCといった名前が挙げられる。

 さて、こうした中で今回私が報告しようと思うのは前述したハマ−スミス・オデオンで行われた、10th Anniversary Concert と題されたキャメルのコンサ−トである

 コンサ−トの様子を述ぺる前に、まずこのバンドの結成・デビュ−以来の10年の歴史を簡単に見ておこう。

 キャメルが Peter Bardens (キ−ボ−ド:以下「ピ−タ−」)、Andrew Latimer(ギタ―:以下「アンドリュー」)、Doug Ferguson(ベ−ス)、Andy Ward(ドラムス)というメンバ−で結成されたのが1972年。ピ−タ−は、それまで Rod Stewart やPeter Greenが在籍していたことで有名な Shotgun Express、そして Villageというバンドで演奏しており、残りの3人はBrewと呼ばれるバンドを結成していた。キャメルの結成と同時に「Camel」と題したデビュ−アルバムをリリ−スし、直後にMCAからDeccaへ移籍、そこで二枚目のアルバム「Mirage」を発表する。アンドリューが回想して言うには、「「Mirage」はまずまずの評判であったが、何らドラスティックな評価は得られなかった。それは単に丹念に作られたアルバムとして評判になったにすぎなかった。」しかし、それにもかかわらず、その作品は特にアメリカのウェスト・コ−ストで特に好評となり、続いて行われた3カ月に渡るアメリカ公演では大成功を収めることになったのだった。

 アメリカ公演から帰った後、彼らは3枚目のアルバムの準備にとりかかるため、英国西部にある Devon という小さい町に閉じこもる。そこで企画されたのが、 Paul Gallico作の「Snow Goose」という小説に触発された、同名の、彼らの三枚目のアルバムであった。「ピ−タ−と僕がデヴォンへ行った時には特にコンセプト・アルバムを作ろうという気はなかったのだけれど、そこに滞在している間に、それを作りたくなったんだ。始めピ−タ−は「Steppen Wolf(おそらく同じ作家による別の小説であろうと想像される)」をやりたがり、僕が「Snow Goose」をやろうと主張した。それから二人で相談した結果「Snow Goose」をやることにして、それから二週間以内で僕たちはほとんどの曲を書きあげたんだ」とアンドリューは語っている。

 こうして完成した「Snow Goose」は1975年に発表され、その成功により、同年彼らは 音楽雑誌Melody Makerの Brightest Hopeを獲得、またアルバムの発表を記念して行われた Royal Albert Hallでの London Symphony Orchestra とのコンサ−トも好評の内に終ったのだった。

 その後彼らは1976年には「 Moon Madness 」、77年には「 Rain Dances 」と順調アルバムを発表し、78年4月には二枚組のライブ・アルバムを完成する。私事ではあるが、このライブ・アルバムはこの年の8月、私が初めての海外旅行でロンドンを訪れた際に、こちらで購入した想い出深いアルバムで、また私の最も好むライブ・レコ−ディングの一つである。このアルバムについてアンドリューは次のように語っている、「僕たちがこのアルバムに望んだのは、それが多かれ少なかれ僕たちのバンドの歴史になるってことだ。それはつまり、これは非常に良いライブ・レコ−ドであるよりも、一つの Life History になるってことだ。」
しかし、順調に進んできた彼らにもやがて危機が訪れる。「 Rain Dances 」を製作していた頃から徐々に広がっていた、ピ−タ−とアンドリューの間での意見の相違が、次のアルバム「 Breathless 」の製作にあたって決定的になったのだった。そして、このアルバムの完成後と同時にピ−タ−はキャメルから去ることになる。ピ−タ−の代わりは、CaravanにいたD.Sinclarと J. Shelhaus という二人のキ−ボ−ド奏者が迎えられる。アンドリューはこの時期のキャメルについて、「全く我々のバンドは Caramel と呼んだ方が良いくらいだった」とジョ−クをとばしている。

 その後、彼等は「I Can See Your House From Here」と「Nude」という二枚のアルバムを発表する。この両方のアルバムは残念なから私はまだ耳にしていないが (その後ロンドン滞在中に購入−後日注)、特に興味深いのは後者の「Nude」である。アンドリューが語るには、このアルバムのテ−マは、ある日友人のS. Hoover (その後、アンドリューの生涯のパ−トナ−となった女性である−後日注) が彼に、30年間も離島におきざりにされ、第二次大戦を闘ってきた日本人兵士の話をしたことに触発された、と言う。「僕は日本への二回のツア−でも、この国に強い影響を受けたんだ。しかし、こうした日本的観念をとりあげて、それを普遍的なレベルにまで昂めて音楽化するのは、とても難しかった。」しかしアルバムは成功し「Breathless」と「I Can See Your House From Here」で去っていったキャメルのファンが再び彼らのもとへ戻ってきたという。「 Nude 」についての人々の反応は「キャメルはついに、別の形のコンセプト・アルバムを作ってくれた」というものだったし、僕もそれをたいへん嬉しく思う。」

 こうしてキャメルは10周年を迎えると共にニュ−アルバム「Single Factor」を発表する。今やオリジナル・メンバ−で残っているのはアンドリュー・ラティモア一人である。しかし新しいメンバ−と共に、このアルバムで彼らはまた新しいスタ−トを切った。今回のコンサ−トは、そうした意味で彼らの過去と未来をつなぐコンサ−トなのであった。

 会場のハマ−スミス・オデオンは、ロンドン西方のハマ−スミスの街にある。オデオンというのは日本と同様、ロンドンにおける映画館のチェ−ンであるが、ここハマ−スミスのオデオンだけは、ほとんどロック・コンサ−トが催されている。7時半頃会場に到着すると、前座のフォ−ク・シンガ−が弾き語りをやっており、聴衆もリラックスし、会場は笑いにつつまれている。聴衆は数千人は入っているだろうか。郵便貯金ホ−ルや厚生年金ホ−ルよりもひとまわり大きい感じである。前座が8時半頃終了、9時近くから人々が「早くやれ」とばかりに騒ぎ始める。そんなことにおかまいなく、ステ−ジには厚い椴帳がおろされだままである。

 9時10分、突然会場が暗転すると同時にギタ−のイントロが始まり、ドラムその他が加わると共に緞帳が引きあげられる。オ−プニング・ナンバ−はニュ−アルバム「Single Factor 」から「Sasquatch」というインストゥルメンタル・ナンバ−である。今回のメンバ−は、A.Latimer(ギタ−)、A.Dalby(ギタ−)、D.Paton(ベ−ス)、C.Rainbow(キ−ボ−ド)、K.Watkins、(キ−ボ−ド)、S.Tosh(ドラムス)の6人。ステ−ジは二段に仕切られ、前方はA.ラティモアを中心にギタ−とベ−ス、後方の段上にはドラムを中心にキ−ボ−ドの二人が向い合う形。リズムに合わせてイルミネイションが色彩を変えながら点滅する。生ギタ−のアルペジオにアンドリューのエレキギタ−がからむレコ−ドでの演奏に対し、エレキニ本のステ−ジはよりハ−ドでオ−プニングにふさわしい。二台のキ−ボ−ドが音楽に厚みをもたせている。アンドリュウは、その中心で、長身のからだをリズムに合せて揺らしながら楽しげにギタ−をひいている。しかし、そのギタ−の音は、相当に強烈で音楽全体を貫いている。アンドリューは、さして超人的なギタリストではないが、例えばライブ・アルバム中の「Lunar Sea」の終盤でのM.コリンズのサックスとのバトルは見事であるし「Breathless」収録の「Summer Lighting」における彼のソロは私の好きなギタ−ソロの一つである。しかし音を抑える必要のないステ−ジでの演奏では、彼のギタ−はより荒々しい。二曲目はやはり「Single Factor」から「No Easy Answer」。レコ−ドと異なり、ここではベ−スのD.パットンがリ−ド・ボ−カルをとる。

 この日のコンサ−トは、「Single Factor」発表後初のコンサ−トというためであろうか、選曲は、はとんどこのアルバムを中心に行われた。「You Are The One」、「Heroes」、「Manic」、「A Heart’s Desire」、「End Peace」等々。これらの曲にまざり、おそらく「Rain Dances」のオーブニングと思われる曲、そして私の知らない、おそらく、「I Can See Your House From Here」と「Nude」に収録されていると思われる曲をおりまぜコンサ−トは進行していった。キ−ボ−ドのC.レインボウは、Jon Anderson のニュ−・アルバム「Animation」にも参加してしているが、「A Heart’s Desire」での彼のボ−カルは、その美しいメロディーと共にたいへん印象的であり、この曲から続けて演奏される「End Peace」ではアンドリューが静かで美しいギタ−の旋律を奏でる。かと思うと突然ハ−ドな「Manic」が始まるといった具合に動静織り交ぜた進行である。そうこうしている内に1時間ちょっとが瞬時に過ぎてしまう。私が過去の曲が全くと言ってよい程ないに少々失望していると、アンドリューが「ファ−スト・アルバムの曲をやる」とアナウンス。会場から「Never Let Go やれ」という声があがる。と同時に、この曲のイントロが始まり会場がわっと湧き上る。ライブ・アルバムでもオ−プニングに収録されていた彼らの初期の代表的なナンバ−。ライブ・アルバムではM.コリンズのサックスが入っている分厚みがあったが、いずれにしろ私にとっても感動的な展開である。キ−ボ−ドのソロからギタ−ソロへ移り、再ぴテ−マヘ帰り、突如終息する。これが本日のメインステ−ジでのエンディングとなった。割れるような拍手と歓声の中、彼らはステ−ジから引き上げていく。

 しかし、まだ会場の明りは灯らない。直ちに彼らはステ−ジに再ぴ戻りアンコールに答える。聴衆は総立ちである。アンコ−ル・ナンバ−は私の知らない曲、テクノっぼい構成の曲で、アンドリューも半分遊んで、テクノ・ポ−ズをとっている。しかし、キャメルの曲としては余り面白くない。これが最後かと思っていると再び彼らが二度目のアンコ−ルに登場。そしてアンドリューがフル−トを構えると、「Snow Goose」のテ−マの演奏を開始した。そう二度目のアンコ−ルでついに彼らは過去のあの名曲を披露したのだった。ダイナミックな展開と美しいメロディ−、そしてアンドリューの鋭く貫くギタ−の波に揺られて20分近く演奏されたそのアンコ−ル・ナンパ−が終わった時、私は充分に自分が満ちたりているのを感じていた。EL&P、YES.King Crimson 、Pink Floyd 、あるいは、最近のニュ−グル−プASIAらと共に、キャメルは確かにブリティッシュ・プログレと呼ばれる流れの中心を歩いてきた。そしてこれからもそうあり続けるだろう。度々引用したインタヴュ−の中で、A.ラティモアは次のように述べている。

「I always wanted to keep the muslc very Engllsh because l didn’t feel it was worth competing wlth the Amerlcans.At one stage Peter(Bardens)wanted to be a Santana type band,but l believe we should stick to doing what we did best and not try to copy other people’s music.」

 時代の変化が例えばブリティッシュ・ロックの中心をパンクの方向へ押しやっていくことがあったとしても、底流にはこうした壮大で構成的な、しかしエネルギ−を喪失しないロックが流れ続けるだろう。私はこれから数年こうしたブリティッシュ・ロックの展開を興味をもって目撃したいと思う。

(文中、A.ラティモアのインタビュ−は全て、キャメル・コンサ−トのオフィシャル・プログラムよりの引用)