アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第一部:ロンドン音楽通信(1982−1988年)
EVITA
日付:1983年6月19日
場所:Prince Edward Theatre 
 今まで報告したフォ−ク、ロックのコンサ−トが英国における庶民あるいは若者たちのエネルギッシュなインフォ−マルな世界の顕われと考えると、言うまでもなく英国のフォ−マルな芸術世界も一方で広がっている。ロイヤル・フェスティバル・ホ−ルやロイヤル・アルバ−ト・ホ−ル、その他多くの会場で催されるクラシック・コンサ−ト。コベント・ガ−デン等で行われるオペラやバレ−。ピカデリ−周辺の劇場で無数に演じられている、ロングランを続ける演劇、そしてまたミュ−ジカルについてもロンドンはアメリカのブロ−ドウェイと並び世界の最大の中心である。そして、今回報告する「 Evita 」、モ−ツアルトを描いた「Amadeus」がそうであるように、日本の演劇界は、そうしたミュ−ジカルや映画・演劇の名作を何とか日本の土壌にもたらそうと一生懸命になっているのである。しかし、例えば細川俊之と木の実ナナの競演でヒットした「 Show Girl 」と言った連作を除けば日本で演劇やミュ−ジカルがロング・ランされるとしてもたかが知れている。しかし、ここロンドンではA.クリスティ−の「Mousetrap」の27年という期間のロングランを始めとして、多くの評判の演劇・ミュ−ジカルは瞬時に数年の興業を行ってしまう。余談ではあるが、先般ロンドンの南の保養地ブライトンを訪れた際、街にあったRoyal Theatre という劇場の中にあるパブで会った中年の紳士は、その劇場で今行われている演劇は、今世紀の始めに初演されたものであると自慢気に話していた。そうした保守性をどう評価するかは別問題としても、おそらく英国人の気質の中には良いものは大切に保持し、何度も何度も楽しみたい、という性格があるからなのだろう。この「エヴィ−タ」でさえ、1978年に初演された後、既に4年目に入っており、主演女優のStephanie Lawrence も、もう三代目のエヴィ−タ役といった具合である。

 物語については既に皆が知っているとおり、貧しい私生児として生まれたEva Duarteが、27才でアルゼンチン大統領ペロンの二人目の夫人となるが、33才でガンのために他界するという現代のシンデレラとその夭折の物語である。折しも英国は南大西洋に浮かぶフォ−クランド諸島の領有をめぐる問題からアルゼンチンと交戦状態にあり、ちょうど私がこのミュ−ジカルを見たのは、首都であるポ−ト・スタンレイを英国が制圧し、事実上戦争が終結した直後であった。従って私の関心は、当初は、こうした状況において果して、このアルゼンチンの精神的指導者を描いたミュ−ジカルがいったいいかなる反応で英国人の観客に迎えられているのだろうか、という点にあった。しかし実際に会場に入っても、あるいは舞台が始まっても、そうした戦争の影は微塵たりともこのミュ−ジカルの上に落ちていないだけでなく、むしろそうした傍観者としてではなく、このミュ−ジカルの持つ圧倒的な迫力と面白さに引きずり込まれてしまったのである。

 舞台は二幕に分かれている。第一幕の緞帳が引き上げられると、舞台中央のスクリ−ンに一人の男の影が写し出される。今後この物語りの傍観者であり進行をつかさどる若いアルゼンチン学生「Che」−彼は明らかにゲバラを想起させる容貌をしている−の姿である。彼の影がふと立ち止ると同時に「Eva Peron− the spiritual leader of the nation, has entered immortality. 」というアナウンスが流れ、エヴァの葬送のシ−ンとなる。ヴァチカン様式とハリウッド様式を合せたようなその葬送の中から「Requiem for Eva」のコ−ラスが湧きあがり、続けてチェの独唱へ移ってゆく。舞台前に陣取ったフル・オ−ケストラが、ドラムのリズムを入れつつチェの独唱を支えている。音楽は現代的であり、また何よりも不思議なのは、恐らく指向性の集音マイクを使っているのだろう、たった一人の人間の踊りながらの独唱が決してフル・オーケストラの演奏に負けることなく響き渡ってくることだ。

 チェがその曲「Oh What Circus」を歌い終えるや否や舞台は暗転し、1934年、エヴァの故郷 Juninの町のナイト・クラブヘと移る。そこで15才の彼女は一人の歌手Magaldiと出会い、ヴェノス・アイレスヘの旅に出発する。エヴァが街へ出ることの期待と不安を込めた「Buenos Aires」を歌うと、マガルディは、「Eva beware of the City」と歌い返す。

 以後物語りは、ヴェノス・アイレスに出た彼女がモデルから女優へと成功の道を歩み、アルゼンチン地震の披害者を救援するチャリティ−コンサ−トでペロンと出会うまでを歌と踊りでつづってゆく、彼女はペロンの生活の中へ入ってゆくが、それは軍隊と貴族性という生涯彼女の敵でありつづけた勢力の怒りをかっていく。しかも状況の悪化は迫っていた。将来のアルゼンチンを指導してゆくには、労働者を味方に引き入れてゆくしかない。こう判断したのはペロンではなく、むしろ極貧に生まれたエヴァの方だったのだ。こうして労働者にペロンとエヴァは支持され、「A New Arzentina」の大合唱が歌われる中、第一幕が終了する。

 エヴァの野望は達成された。第二幕はペロンの大統領就任のシ−ンで開始される。大統領官邸Casa Rosadaでの大衆の歓声をあぴてのペロンの演説に続き、正装したエヴァが登場、聴衆に答える。ここで歌われるのが、このミュ−ジカルのテ−マ・ソングとも言うべき「Don’t Cry For Me Argentina」だ。声量のある美しい声にいやが応でも舞台は盛りあがる。しかし他方で聴衆に混じったチェは、ペロン政権の許でも未だにアルゼンチンには多くの暴力と悲惨が存在することを指摘するのだった。そうした批判に答えるため、エヴァは貧民救済のためのペロン基金を創設する。それは、その基金の恩恵を受けた者たちから支持され彼女を神にまでまつりあげるが、国の政治・経済には何ら寄与するところはなかった。いまやチェは彼女に矢望し、彼女にペロン政権の腐敗を申し述べる。「Waltz For Eva And Che」が歌われる中、エヴァの結論はこうだった。「悪はいつの世にも存在する」。彼女は自分の病気に気がついていたのだった。

 反エヴァ感情は今や軍隊の中に主として広がっていた。悪化する政治状況と自分の健康から、彼女は副大統領に就任することを断念する。そして感動的な「Eva’s Final Broadcasting」を消え入るような声で歌いつつ、彼女は息絶えるのであった。

 様々に変化する舞台装置、あるいはスクリ−ンに写し出される実物のペロン、エヴァのフィルム等、その舞台は幾多の趣向に満ちているが、何よりも生きた人間たちの歌と踊りはやはり見事というしかない。他ならぬこのエネルギ−が「現代のシンデレラ物語」という、それ自体としては陳腐なテーマをもつこのミュ−ジカルを、数年のロングランにまで盛りたてているのだろう。また音楽と演奏も現代的であり、簡単に人を飽きさせないだけの力をもっている。そして、人々は、このミュ−ジカルの世界を、決して彼らが今現実の戦争の中で戦っている当の国であることなどは考えず、彼ら一人一人の心の中に形成された祝祭の世界としておそらくは受けとめているのだろう。それはまさに希望と絶望、歓喜と悲惨、熱狂と沈黙といったあらゆる相反する要素に満ちた現代とそこにおける生のありように対する総体としての介入を行うことを意味する。一つの閉ざされた空問で展開される世界の中に私たちは全体として巻き込まれ、そしてその混沌の中から各人が各人なりの脱出口を見出していくのである。文化というものが、そうした混沌を私たちの前に呈示することによって再び私たちは確かに人間的なあるものを取戻し、そこに帰ってゆくことが出来るようになる。そうした意味でもこの舞台は私たちに確かに人問的なあるものを回復させてくれたように思えるのである。