アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第二部:東京編@ (1988−1991年)
パット・メセニ−・グル−プ
日付:1990年4月6日
場所:ゆうぽ−と簡易保険ホール 
 パット・メセニー・グル−プとしては、3年振りの東京公演を見た。個人的には、83年と86年のロンドン公演、昨年のモントリオ−ル・ジャズ・バレーとの共演に続く4回目のパット・メセニ−のコンサートである。

 昨年のジャズ・バレ−との共演は、はっきり言って失敗であった。バレ−自体、何の特徴もない上、言わばサイドマンとして伴奏を行ったパットの音楽も、単調で生彩を欠いていた。僅か1時間半程度のステージでアンコ−ルもなく、過去2回のコンサートの好印象は完全に裏切られた形であった。結局、彼の音楽はグループとして作り出されるものであり、特に、グループのキーボード奏者であるライル・メイズの存在を抜きにしては語れないものであった。その意味で、久々のグループとしての今回の公演は十分に我々の期待に答えてくれたコンサ−トであったと言える。

 当日の演奏曲目は、私の記憶に間違いがなければ、次のとおりである。

@PHASE DANCE(Pat Metheny Group,1978)
AHAVE Y0U HEARD(Letter From Home,1989)
BEVERY SUMMER NIGHT(Letter From Home,1989)
CMISS0URl UNC0MPR0MISED
(Bright Size Life,1976)
DLAST TRAIN HOME(Still Life,1987)
EFIRST CIRCLE(First Circle,1984)
FUNTITLE(未収録):Guitar Synthesizer ソロ
GUNTITLE(未収録):生ギター ソロ
HBETTER DAYS AHEAD(Letter From Home,1989)
ISTRAIGHT 0N RED)(Travels,1983)
JARE Y0U G0ING WITH ME?(0fframp,1982)
KL0NE JACK(Pat Metheny Group,1978)
LARE WE THERE YET−VIDALA
(Letter From Home,1989)
MMINUAN0(SlX ElGHT)(Still Life,1987)
Nアンコ−ル:THIRD WIND(Still Life,1987)

 86年のロンドン公演と同じPHASE DANCE に始まり、アンコ−ル・ナンバ一THIRD WIND に終わる2時間40分は、最近のアルバム中心に、過去の主要な曲も網羅した密度の濃いものであった。FIRST CIRCLE 以降のパット・メセニ−は次第にラテン色を強めているが、その原動力は、マルチ・プレーヤ−のペドロ・アズナールの参加によるところが大きいと思われる。もちろんパットの柔らかいタッチのギタ−とライルのリリカルなピアノは依然グル−プの音楽の中心である。しかし、インストゥルメンタル・グル−ブとして16年以上活動を持続させるには、それだけでは不十分である。実際パット自身もギタ−・シンセサイザーとシンクラビエ−ルをレパ−トリ−に加え、今回の公演でも、アルバム、REJOICING で試みたギタ−・シンセサイザ−のソロを披露している。また、ライル・メイズも既に2枚のソロ・アルバムを発表しているが、今回は、THE FALC0N AND THE SNOWMANの曲想をベースにした長時間のシンセサイザ−・ソロを聴かせてくれた。

 しかし、二人のそれぞれの試みは短時間の気分転換としてはともかく、じっくり味わう音楽としては必ずしも成功しているとは言えない。今回の公演においても、演奏の中心は、最近の2作からのアップ・テンポのナンバ−であり、この際に一際目立っていたのが、前記のペドロ・アズナ一ルであった。

 自身も既に4枚のソロ・アルバムを発表しているアルゼンチン出身のペドロがパットのアルバムに参加したのは、1984年のFlRST ClRCLE からであるが、この作品はまさにパットがラテン色を持ちはじめた最初のものである。そして、この作品及び続く2枚のアルバムの成功は、ともすれば単調になりがちなギターとピアノの音楽に多様性と緊張をもたらすペドロの存在によるところが大きいと思われる。実際、この日もボーカル、マリンバ、バイブ、サックス、メロディカ、そして数多くのパーカッションと使い分けることによって、耳慣れたパットの音楽に異化効果をもたらすのに成功していた。

 1974年弱冠19才でゲーリー・バートンのグループに参加してから16年、パット・メセニ−は今やフュ−ジョン・ギタリストとして最も高い評価を受ける一人となったが、他方で年月が次第に斬新な音楽性を枯渇させていくのも争えない事実である。今回のコンサ−トは、そうした過去の評価にたがわない質の高いものであったが、同時にその過去からいかに脱却するかというパットの懸命の模索は必ずしも成功していたとはいえない。過去の彼の栄光を作り上げたもののイメージが強ければ強いほどそれが今度は彼の一つの限界になってしまう。LETTER FR0M HOME の音作りは確かに成功であったが彼は最早これを繰り返すことはできないのである。彼の流れるように爽やかなフレ−ズに心地良く浸りながら、次の彼のコンサートではどのような試みを見せてくれるのだろう、といった、期待とも不安ともいえない気持ちを抱いた2時間40分であった。