アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第二部:東京編@ (1988−1991年)
エイジャ
日付:1990年9月28日
場所:中野サンプラザホール 
 1985年に3枚目のアルバム、「ASTRA」を発表した後、本国の英国でもほとんど目立った活動のなかったASlAが、7年振りの東京公演のため来日するというのは、まったく思いがけない知らせであった。しかし昨年ロンドン・ウェンブレーでのコンサ−トに参加できた Anderson,Bruford,Wakeman,Howe と同様、私にとってはいろいろな意味で思い入れのあるこのプリティッシュ・プログレバンドの活動再開はたいへん嬉しいニュ−スであった。

 私がロンドンに滞在した1982年から88年の間、この種のバンドのコンサ−トだけでも随分たくさん行ったものだった。到着直後のCAMELとGENESlSを始めとして、KlNG CRIMS0N,SKY,ASlA,GTR等々。特にその中でもASlAの1982年の公演は、当時のレポートに書いたとおり、いろいろ不満はあったにしろ、それまでの自分の音楽経験の総括として私の記憶の中にはっきりと刻印されている(第一部「ロンドン編」をご参照下さい)。

 しかし、この時期は同時にこれらのプログレ・バンドが活動を休止し、次第にロックの世代交替が行われていた時代でもあった。80年代半ば以降、英国の音楽シ−ンはニュ−ウェープと総称される、ファッションとしては確かに現代的ではあるが、音楽的には技術の点でも緊張感の点でも物足りないタイプの音楽が主流となっていった。そうした傾向の中、例えぱGENESlSのように継続的に活動しているバンドでさえ、音楽の方向性はよりポップで分かりやすいものになっていった。もちろん聞いている当方も次第に歳をとり、より柔らかい音を好み始めていたのは確かであるが、他方で壮大な構成力と高度なテクニックのコンビネーションが生み出す緊張感のある音楽が消滅していくのには一抹の寂莫を感じえなかった。

 そうした中でまさにこの種の音楽は、ミュ−ジッシャン達が高度なテクニックを有しているだけに、彼ら自身がその気になれば再びミュージック・シーンに登場するのはさして難しいことではなく、また若い後継者を持たなかったために、夫々の時代において常に新鮮なものとして受け入られる素地をもっていた。例えば、YESについてみれば、彼らの第一次全盛期は、「FRAGlLE」 「CL0SE T0 THE EDGE」 等を次々に発表した1970年代初頭であるが、その後、一時期 YESを脱退していた J.Andersonが復帰し「90125」をリリ−スしたのが1983年。そしてこのアルバムからは、「0WNER 0F A L0NELY HEART」という、YESにとって初の全米ナンバ−ワン・ヒットを生み出すことになる。そしてそれからまた6年。事実上のYES再編成バンドである Andcrson,Bruford,Wakeman,Howe(以下「ABWH」と略称)のニュ−アルバムは、再び昔からのファンのみならず、若い世代の支持もつかむことができた。実際、前記のABWHのロンドン公演は、3時間以上にわたり、YESの1968年からの歴史を総括すると共に、新たな時代をも模素する意欲的なものであった。古くは2枚目のアルバムのテーマ「TIME AND A WARD」から、最盛期の「Y0UR M0VE」、「R0UNDAB0UT」、「CL0SE T0 THE EDGE」、そして「L0NELY HEART」等の80年代のヒットとABWHの最新アルバムのほぼ全曲を披露。全編を通じ、過去の曲さえも古さを感じさせないだけの完成度を持っていることを示してくれたのであった。

 ABWHがこのように私の期待を十分満たしてくれただけに、いわばABWHの兄弟バンドである今回のASlAについても同じような期待感を持っていなかったといえば嘘になる。ただし気になる点としては、ABWHのメンバ−が継続的な活動を続けていたのに対し、ASIAのメンバー、特にその中心である John Wetton が1985年の3枚目のアルバムである「ASTRA」以降ほとんど目立った活動をしていない、という点があった。確かに彼らは今回のツア−に際し「N0W AND THEN」なるアルバムを発表したが、これは過去の3枚のアルバムの主要曲に新曲を数曲加えたものであり、あまり購入する気を起こさせないものであった。

 さて、今回の東京公演は、才リジナル・メンバー3人にギターのPat Thralを加えたライン・アップによるものである。以前レボートを書いた1982年のコンサ−トは1枚目のアルバム発表直後のものであったが、2枚目の発表後、ギターの Steve Howeが抜け、Mandy Meyerが参加し3枚目の「ASTRA」を発表。その後 Carl Palmer は、かつての盟友 Keith EmersonとTHREEを結成、一枚アルバムを残すが、その他のメンバ−については、前記のとおりあまり表立った活動は行っていない。

 当日の演奏曲目は、私が分かった限りで以下のとおりである。

@Wildest Dreams(ASlA,1982)
ASoul Surviver(ASlA,1982)
BDon’t Cry(ALPHA,1983)
CVoice of America(ASTRA,1985)
DPiano Solo(Cutting lt Fine)+1
〜Synthesizer Solo
ETime Again(ASlA,1982)
FPrayin’ For A Miracles(N0W AND THEN,1990)
G0nly Time Will Tell(ASlA,1982)
HRandezvous 6:02 (Danger Money by UK,1979)
IBook of Saturday
(Lizard by King Crimson,1970)
JThe Smile Has Left Your Eyes (ALPHA,1983)
KUnknown(Newl Single)
LThe Heat Goes 0n(ALPHA,1983)〜Drum Solo
MHeat 0f The Moment(ASlA,1982)
Nアンコール:0pen Your Eyes(ALPHA,1983)

 1982年のデビュ−コンサートのような大掛かりな舞台設定はなく、John Wettonを中心に、楽器も必要最小限に留めたセッティング。予想どおり、Johnのボ−カルを軸に、1枚目と2枚目の曲を中心にステージは進行した。やはり曲の展開は1枚目からのものが最も斬新で変化に富んでいる。いっきに@からBのアップテンポを演奏した後は、Cのスロ−・バラ−ド。続いての Geoff のキーボ−ド・ソロはアコ−スティック・ピアノを弾きながらも、それにシンセサイザ−音が自然に重なるという工夫をみせる。1982年のキ−ボ−ド・ソロよりは明らかにうまくなっている。Fは最近の新曲であるが、その後のKと同様、全くのポップ・ソングで面白味はない。ABWHの最新アルバムが依然自己主張を失っていないのと比較すると、残念ながらこれらの新曲には少々失望。

 個人的にこの夜のハイライトだったのはHからJの、JohnとGeoffによるデュオだった。まずUKの2枚目のアルバムからの Rendezvuos 6:02。そもそもUKのアルバムでも Eddie JobsonのエレキピアノをバックにJohnが絞るように歌い込んだ名曲だったが、こうして生で聞くと、ロンドンの早朝、テムズ川沿いをさまようという歌詞の情景が体の内側より彷彿と浮かび上がってくる。そしてベ一スから生ギターに持ち変えて歌われたのは、King Crimson 時代のI。そしてややディナ−ショ−的になってしまったが、キーボードのみの伴奏で歌われたJ。ASlAの曲はハ−ドロックのアプローチをしているものの、基本的なメロディ−ラインはしっかりしている。したがって、こうしたシンプルなアプロ−チでも十分聞がせることができるのである。一通り終了したところで全員が揃い、同じ曲のエンディングを演奏するという展開も見事であった。

 こうして最後にLからNのフィナーレに突入する。さすがにASlAのレパートリーの中でも最もポピュラーで迫力に満ちた展開である。Lの途中でのドラム・ソロも、当初はやや力の衰えを感じたが、すぐにその感想が誤りであったことに気がつかせるようなものであった。そしてNのエンディングでの4人の壮絶なバトルを経てこの日の1時間40分のコンサ一トは終了した。

 前回のレボートで指摘したとおり、このバンドは John の作り出すメロディーを軸としたバンドである。そして、この John のメロディーラインは過去においては、Robert Fripp や Eddie Jobson,Allan Holdsworthといったメンバーの強烈な個性と統合され、壮大な構成美の中に上手く位置付けられてきた。おそらくASlAはあまりに John の立場が強くなりすぎてしまったのではないだろうか。そしてそれがこのバンドと,例えばメンバ−間の力が拮抗しているABWHとの現代性の差になっているのではないだろうか。1982年のコンサ−トで感じた不満は今回のステージでも引き続き残らざるをえなかった。しかしながら彼らの抜きん出たテクニックと音楽性を考えると彼らがこのまま通俗性の暗やみに消滅していってしまうとは考えられない。YESがそうであったように、彼らもまた不死鳥の如く蘇るだろう。その時、彼らがいかなる展開を示してくれるか。ロックの20年の歴史は依然将来に向かって開かれていることを改めて思い返したコンサートであった。