アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第二部:東京編@ (1988−1991年)
クロスビ−・スティルス & ナッシュ
日時:1991年4月22日
場所:NHKホ−ル 
 1967年、中学2年生の私がポップ・ミュ−ジックを聞き始めた時、ヒット・チャ−トの上位に Hollies の 「Bus Stop」 がランクされていた。また、そのころ初めて買った音楽雑誌「ティ−ン・ビ−ト」のレコ−ド評で、Buffalo Springfield の 「Bluebird」や Byrds の「Rock’n Roll Star」が「日本でははやらないタイプの音楽」と紹介されていた。

 何気なく記憶していたそうした名前が、一つに結びついたのは、1969年、ス−パ−・グル−プというふれこみで CR0SBY STlLLS & NASH(以降「CS&N」と略称)が結成された時であった。社会面でのベトナム反戦運動とヒッピ−・ム−ブメントの高まりと、それを受けたポップ・ミュ−ジックの音楽的、社会的な変革・発展の中で、このバンドの誕生はひとつの象徴的出来事であった。即ち、音楽的には、当時米国や英国のポップ、ロック・シ−ンで進行していた有能なミュ−ジッシャンによる、高度なテクニックを持つス−パ−・グループ結成の動きの中で、英国での Blind Faith やLed Zeppelin に対する、米国の側からの解答の一つが、このCS&Nであったのである。実際、英国でのロック革命が、ブル−スの影響下からでてきたのに対し、CS&Nの音楽は、米国ウエスト・コ−ストのフォ−ク・ミュ−ジックの伝統を発展させたものであった同時にそれは、米国におけるもうひとつのポップ革命である、サイケデリック音楽やジャズ・ロックの対局に位置していた。また社会的には、翌1970年の「Woodstock Rock Festival」 がポップ音楽の社会化現象としてこの時代の象徴となったが、この記録映画でのひとつのハイライトは、深夜のCS&Nの登場シーンであった。私自身の社会意識の目覚めがまさにこうした出来事の中で醸成されたこともあり、彼らの音楽は、私の自己形成史の原点ともいえ、その意味で、CS&Nによる初めての日本公演は私にとってたいへん興味あるものであった。

 まず、当日の曲目を見ると以下のとおりである。

〈第一部〉
@WASTE ON THE WAY (DAY LIGHT AGAIN, 1973)
AMILITARY MADNESS
BBLACKBIRD (ALLIES,1983)
CRESHORE (FOUR WAY STREET,1970)
DY0U DON’T HAVE T0 CRY (CROSBY STILLS & NASH, 1969)
EJUST A S0NG BEF0RE I G0 (CROSBY STILLS & NASH, 1977)
FHELPLESSLY HOPING (CROSBY STILLS & NASH, 1969)
GMARRAKESH EXPRESS (CROSBY STILLS & NASH, 1969)
HL0NG TIME GONE (CROSBY STILLS & NASH, 1969)
IUNTlTLED
JTEACH YOUR CHILDREN (DEJAVU, 1970)
KHOUSE OF BROKEN DREAMS (LIVE IT UP,1990)
LHIS EMPTY DAYS
MTHOUSAND ROAD
NALMOST CUT MY HAIR (DEJAVU, 1970)
OGUINNEVERE (CROSBY STILLS & NASH, 1969)
PL0VE THE ONE Y0U’RE WITH (STEPHAN STILLS, 1970)
OFOR WHAT lT’S WORTH(ALLIES,1983)
RS0UTHERN CROSS(DAY LIGHT AGAIN, 1973)
SWOODEN SHIPS (CROSBY STILLS & NASH, 1969)
アンコ−ル:SUlTE:JUDY BLUE EYES
      (CROSBY STILLS & NASH, 1969)

 私がCS&Nのライブに初めて接したのは、1983年のヨ−ロッパ・ツア−であった。しかしながら、「Allied Tour」と題されたロンドン・ウェンブレイ・アリ−ナでのコンサ−トはロック色の濃いものであり、もちろんMS等も演奏されたとはいえ、彼らの音に対する私の期待をやや裏切るものであった。それに対し、今同のコンサ−トは、アコ−スティック・ツアーというタイトルのとおり、生ギタ−とピアノを中心とした、かつバック・ミュ−ジッシャンを一切使わないものであったことから、よりCS&Nの原点に帰ったものといえ、私にとっても十分満足できるものであった。

 コンサ−トはまず1975年の再結成時のアルバムからの@でスタ−ト。G.ナッシュのソロ・ヒットのA、ビ−トルズのB、二−ル・ヤングが参加した時代のライブに収められていたC、結成時に3人で歌った初めての曲というDと、生ギターとピアノのみの伴奏で進行していく。ソロ・ボ−カルはそれぞれが取るが、3人のコーラス中心の構成である。S.スティルスのエレキ・ギタ−がリ−ドをとるE、ファ−スト・アルバムからのシンプルなアコ−スティック・チュ−ンF、「Woodstock 以来、数えるくらいしか演奏していないな」と紹介されたG、再びエレキ・ギタ−が前面に出たH、D.クロスビ―とG.ナッシュによる審美的な無伴奏コ−ラスから、グリ−ン・ピ−スに捧げるという後半部に移行するI、そしてアルバム「DEJAVU」からの大ヒットのJと続き、第一部は終了する。

 10分程の休憩後始まった第二部は、それぞれのソロでスタートする。まずG.ナッシュ。彼らの最新アルバムからのこの日唯一の曲となったKと2週間前に作ったばかりというLの2曲。

 続くD.クロスビ−は、12弦ギタ−を持ち、MNの2曲を披露。特にNは、スタジオ・レコ−ディングではロック調であったものをソロのアコ−スティックにアレンジしての演奏である。G.ナッシュとのデュオで美しいハ−モニ−を聞かせるOも私のフェイバリット・チュ−ンの一つである。そしてソロの最後はS.スティルス。ソロ・アルバムの数、質共に、3人の中では飛びぬけている彼だけに、ファ−スト・ソロ・アルバムからのPで既にたいへんなノリである。続いてエレキ・ギタ−に持ち変え、激しいオカズを入れながらのQ。この Buffalo Springfield 時代のヒット曲が新たなアレンジで演奏される。予想どおり、3人の中ではもっとも見せるステージである。十分盛り上がったところで、3人にもどり、RSがアップ・テンポで演奏され、そして最後は、間違いなく彼らのベスト・ソングである「組曲:青い目のジュディ」。アンコ−ルとして歌われたため、本来はじっくり聞きたいこの曲であったが、会場の興奮に呑まれてしまった。しかしこうして、21曲、2時間20分にわたるこの日のコンサ−トは満場の拍手の内に終了した。

 全体の選曲(ソロを除く)をアルバムごとにみると、ファ−スト(1969年)からの曲が7曲と圧倒的に多く、次いで、N.ヤングの参加したセカンド(1970年)、DAY LIGHT AGAIN(1975年)、及びALLIES(1983年)から各2曲、そして、FOUR WAY STREET(1970年)、CS&N(1977年)、LIVE IT UP(1990年)が各1曲づつという構成である。再び、N.ヤングが参加した1988年の AMERICAN DREAM からの曲はなく、また最新アルバムからの曲が1曲のみというのも、やや意外であった。この日本公演が3人揃っての初めてのものであったこと、及び彼らの全盛期は70年代初期であり、いまや彼らのカリスマ性は失われていることから、皮肉な見方をすれば、この選曲は彼らからの日本の観客にたいする精一杯のサ−ビスであったといえる。実際、私のように彼らのデビュ−時から最新アルバムまで、各人のソロも含めて継続して聞き続けているファンはごく一握りと思われるし、多くの観衆にとっても、期待していたのは初期のヒット曲であったのは間違いない。同時に、彼らにとってもアコ−スティック音楽の原点は、デビュ−当時の音作りの中にあったのは確かであり、この日のコンサ−トはこの両者の意向がうまく合致していたといえる。冒頭にも書いたように、私にとっても、まさに自身の精神的原点に回帰するかのような、ノス々ルジックな感覚を抱かせるものであった。

 しかし、一方では、やはりこの日のコンサ−トは、70年代のものであり、同時代に聞いてこそ、より感動的だったのではないか、という気持ちも否定できない。もちろん、彼らは継続的な活動を行い、予想に反し(?)最新アルバムも素晴らしい仕上がりになっており、その意味で、彼らの才能はまだ枯渇している訳ではない。従って、本来は1983年のロンドン公演がそうであったように、今回のコンサ−トも彼らの現在の音楽性を表現するべきものであったはずなのだ。ノスタルジックな音楽に接するときに、常に襲われるこの両義的感覚はこの日もまた私を捕らえてしまったのである。

1991年4月23日 記