ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
S.クラ−ク/A.ディ・メオラ/J.R.ポンティ− The Rite of Strings Tour ’95
日時:1995年11月7日
場所:Jahrhunderthalle
チックコリアバンドから育ち、その後15年以上もソロで着実な実績を積み上げてきた3人の達人によるプロジェクトである。ディ・メオラは昨年11月のアルテオパ−でのコンサ−トを含め、既に数回見ているが、ポンティは今まで多くのアルバムを聞いてきた割にはライブに接する機会がなかったミュ−ジシャンである。クラ−クは、ソロよりも、サイドメンとしての関心しかなかったが、もちろん現代ジャズ界を代表するベ−ス・プレ−ヤ−であることは疑いがない。この3人のトリオがどんな音を作るのか。アルバムという形ではまだ存在しないために、当日は大きな期待を持って、会場であるJahrhunderthalleに足を運んだ。
フランクフルト西の郊外、化学会社の本拠地として知られているヘキストにあるこの会場に入るのは今回が初めてである。公演の僅か4日前に、前から4列目の席(62マルク)が取れた位なので客の入りは今一なのではないかと予想していたが、すり鉢状のホ−ルは既にほぼ満席である。この地味なセッションでこれだけのホ−ルが埋まることを考えると、フランクフルトはドイツにおけるジャズの中心である、とドイツ人が自慢気に言うのもまんざら嘘ではないのかもしれない。ステ−ジは全くシンプル。椅子が2つ、小型のアンプが5、6台、それに譜面台が置いてあるだけ。今日のコンサ−トが基本的にアコ−スティックで行われることを示している。
予定時間から15分程遅れた8時15分、演奏が開始された。ステ−ジに向かって、左に細身で小柄なポンティ、中央に、抱えたウッドベ−スが小さく見える程の、身長2mはあろうかというクラ−ク、そして右の椅子にアコ−スティックギタ−を持ったディ・メオラが席を取る。オ−プニングは、各人が肩ならしをしているかのようなスロ−バラ−ドのイントロから一転し、ポンティの70年代のアルバムでよく聞かれたアップテンポのモ−ド奏法に移行していく作品。ポンティによるテ−マから各人のソロに移っていくが、ベ−スの音が出なかったり、ディ・メオラのギタ−が目立ち過ぎたりと、PAのバランスがうまく取れていない。それでも、既に3人のインタ−プレイの緊張は随所に光り始めている。曲の終了後、ディ・メオラからこの作品がクラ−クによる「Song To John」なるタイトルでジョン・コルトレ−ンに捧げられたものであることが紹介された。
2曲目は、ディ・メオラの作品である「Indigo」。彼のアコ−スティック・プロジェクトである「World Sinfonia」2作目の「Heart of the Immigrants」に収録された曲である。聞き慣れたアルペジオによるイントロからメインテ−マヘ。オリジナルではギタ−で展開されたテ−マは、今日はポンティがバイオリンで演奏している。そして各人のソロヘ。1曲目では得意の早弾きフレ−ズでやや指がついていかなかった感のあったディ・メオラであるが、自分の作品であるせいもあろう、次第にペ−スを取り戻してくる。そして3曲目は、ポンティのオリジナルという「Memory Canyon」というバラ−ド曲。ポンティのバイオリンは、これと言った特徴や、ディメオラに匹敵するような早弾きテクニックはないが、1、2曲目もそうであったが、彼のフレ−ズが入ると、曲自体が殆どポンティーのアルバムで聞かれたスタイルになってしまう。その意味で、強烈な個性を持っていると言える。4曲目は、「La Cancion de Sofia」というクラ−クの作品である。チリでの思い出をもとに作ったと紹介されたが、必ずしもチリ音楽への傾倒は感じられなかった。
ここまで約1時間トリオの演奏を聞いてきて感じたのは、このプロジェクトは特にディ・メオラにとっては、別の形によるギタ−トリオの復活であった、ということである。クラ−クの活動については、私は多くの情報を持っていないが、ポンティについては、従来グル−プによる活動か、さもなくぱソロというのが彼のスタイルであった。もちろん、20年近く自分のグル−プで活動する中で彼も、70年代にはアラン・ホ−ルズワ−スやダリル・スティルマ−らの超絶ギタリストとのバトル、1991年の「Tchokola」以降はアフリカのミュ−ジシャンとの共演というように、新たな実験を繰り返してきた。しかし、ディ・メオラが、自分のアルバムの中でパコ・デ・ルシアやディノ・サルッティ(バンドネオン)を始めとする異質なミュ−ジシャンと、デュオないしはトリオによる小人数のアンサンブルで壮絶な緊張を高めてきたような機会が多くあった訳ではない。その意味では、今回のバンドリ−ダ−はスタン・クラ−クである、と紹介されていたが、実際には新たなトリオでの音楽的緊張を求めるディメオラの遍歴の中に位置付ける方が、このプロジェクトを理解しやすいのではないか、と思われる。
トリオでの4曲の後、各人のソロに入ることが告げられる。まずはポンティのバイオリン・ソロである。調弦を行っているように見えたピッキングが、次第にパ−カッションのリズムを作っていく。フィ−ドバックを最大に利かせることにより、実際のピッキングの回数を越えるリズムが生まれていく。これで一定のリズムが成立した段階から通常のバイオリンのテ−マが開始されていくが、その際エコ−マシンを最大に活用することにより、小さなアンプしか使用していないにもかかわらず、豊かで厚い音質が、ホ−ル全体に広がっていく。70年代の彼のライブ・アルバムでのソロで、既にこの拡張感のある音が使用されていたのを思い出した。
続いてのソロはディ・メオラである。まずはス−パ−ギタ−トリオの2作目で始めて発表され、「World Sinfonia」1作目にも収録された「Oriental Blue」でスタ−ト。既に幾度となく接している彼のソロは、何時聞いても安心できると共に、決して緊張感が途切れることがないのはさすがである。途中で、おそらくは「Terami Su」からと思われる曲、更にはおどけてビ−トルズの「Daytripper」のテ−マを挿入(ス−パ−ギタ−トリオで、緊張したバトルの中に突然「Pink Panther」のテ−マが挿入され、会場から笑いが洩れていたのを思い出す)した後、「Mediterraniea Sundance」に移行していく。前回のアルテオパ−では、コンボで演奏され、又違った印象を与えた名曲であるが、今日はややテンポを落とし、メリハリを利かせながらのソロによる演奏となった。
ソロの最後はクラ−ク。彼の作品についての知識は私は全く持っていないが、今日のソロはベ−スの演奏テクニックの博覧会といった様相である。大きなウッド・ベ−スを、工レキ・ベ−スの様に軽々と操り、時には演奏ではなく、ダンスを見ているように思わせる彼のスタイルを15分程楽しんだのだった。
こうして、ソロが終了。再びトリオになって演奏されたのは、ディ・メオラの最新アルバムからの「Chilean Pipe Song」。前回でのアルテ・オパ−での演奏がまだ耳に新鮮に残っている作品である。その時シンセサイザ−で演奏されたテ−マは、今回はポンティのバイオリンが担当。テンポの早いメインテ−マと3人が次々とソロをかけ合っていくサビの部分が交互に展開し、緊張が高まったところでいっきに終息する。そして一且ステ−ジから引き上げた後アンコ−ルとして紹介されたのが、ポンティの70年代の名曲である「Renassaince」。それまでは各人が、これでもか、これでもかとばかりにテクニックを披露していたが、このミディアムテンポのゆったりしたナンバ−では、皆リラックスして演奏をしている雰囲気が伝わって来る。こうして2時間にわたる緊張が最後に静かに収まっていった時、この日のコンサ−トが終了したのだった。
このコンサ−トから2週間後の週末、今回のプロジェクトである「The Rite of Strings」がCDの新譜として発売された。コンサ−トでは、ディ・メオラが半分冗談のように、「もうこのメンバ−で8カ月もやっているからね」と、いかにもこのプロジェクトには飽きた、という感じで言っていたが、その割に、フランクフルトを含めたドイツ・ツア−の終了直後に新譜として発売する、というのもやや意図的なものを感じさせる。それはそれとしてこのアルバムを聞きながら、今回のコンサ−トをもう一度振り返って見よう。
ソロ・パートを除き、アンサンブルで演奏された6曲は全てこのアルバムに収められているので、今回のプロジェクトが速成されたものではなく、ディ・メオラが言っていたとおり、相当期間にわたり準備され、又ツア−が続けられてきたものであることは明らかである。又、この3人が相互に対等な関係にあるのは、アルバムの9曲は各人3曲づつ持ち寄り、又今回の公演では、その内夫々2曲づつ演奏されていることに示されている。その意味では、私はディ・メオラに最も多く接しているので、彼のプロジェクトの延長に今回のトリオを位置付けたが、アルバムを聞いた後は、やはりこれは3人の全く対等なプロジェクトである、と感じるようになった。アルバムの中では、各人のソロがバランス良く挿入され、それぞれの持ち味が対等に示される様、細かい注意が配られている。チック・コリアという師匠から独立し、夫々のリ−ダ−アルバムの中で、エゴを丸出しにした音楽を作ってきた3人が再会し、もちろん時として仕絶なインタ−プレイの緊張を高めながらも、基本的には相互に敬意を払いつつ、3つの弦楽器の可能性を追求したのが今回のプロジェクトである。その意味で、今回のトリオによるアルバムは、ス−パ−ギタ−トリオ等のディ・メオラの過去のプロジェクトに比較すると、より成熟し安定した音に仕上がっており、丁度モダンジャズ界のもう一つのス−パ−グル−プである、J.デジョネット、H.ハンコック、P.メセニ−、D.ホ−ランドによる「Parallel Realities」のカルテットのように安心して聞ける仕上がりになっている。しかしそれを老成と言うにはまだ早いだろう。彼らの音楽が尚十分な冒険心を有していることを考えると、むしろこれは熟練職人達が次のステップに進む前に、自らの位置を相互に確認するため仕組んだブロジェクトであると言えるのではないだろうか。前回のディ・メオラのレビュ−でも書いたとおり、私自身の音楽史にほぽ並行して歩んできたこれらのミュ−ジシャンの今後の展開は、おそらく私の今後の感性の変化にもまた並行して進んでいくであろうことを、今回のコンサ−ト及びアルバムで改めて痛感したのであった。