アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
ザ・フ−  Quadorophenia
日時:1997年5月6日
場所:Festhalle 
 ドイツとしては珍しく終日雨が振り続いた5月始めの一日、THE WHOのフランクフルトでのコンサ−トが行われた。私が中学時代にロック/ポップを聴き始めて以来30年、当初は彼らのヒットシングルに親しみ、その後、’Live at Leeds’、’Who’s Next’といったアルバムで彼らの実力を認識し、映画’Woodstock’での彼らのライブを見ながら、他の伝説的なモンタレ−やワイト島ロックフェスでのパフォ−マンスを想像し、そして最近ではフランクフルト近郊のオッフェンバッハで1年程続いた彼らの初のロックミュ−ジカル、’Tommy’のドイツ版を見逃した代わりに、リミックスされたこのオリジナルCDを廉価版で購入する等、間欠的に彼らの作品に接してきた。確かに私が生涯で一回は見たいと思っていたバンドであり、それがこの時期に、ここフランクフルトでも再結成ツア−(ドイツでは16年振りのツア−とのこと)を行うとあって、当初から強い関心を持っていたが、一方で直前のB.Adamsに続いて2週間の間に2回もFesthalleの雑踏に足を運ぶことの面倒臭さから前売りを買う気にならなかった。しかし、直前になり、結局はやる気持ちを抑えられず、雨の中、当日券を当てにして出かけていったのである。公式窓口ではやはりソ−ルドアウトであったので、残念ながらダフ屋にプレミアムを払っての調達になったが、それでもそのプレミアムは結果的には決して無駄ではなかったのである。

 まず当日のコンサ−トの様子から先にレポ−トしておこう。コンサ−トの開始は8時20分。ステ−ジ後方のスクリ−ンに、岩場の海岸に打ち寄せる波の映像が写し出されると共に’I am the sea’というイントロの語りがテ−プで流される。スクリ−ンには続いてこの物語の主人公の少年、髪を坊ちゃん刈りにした10代半ばのジミ−が登場、海岸の岩の上に腰かけながら独白による回想を始める(英語、ドイツ語ス−パ−)。「僕はいったい誰なんだ。僕の医者は何もおかしくなどない、という。ただ幾つかの人格に分裂しているだけなんだと。」この間バンドのメンバ−がステ−ジに登場し、最初の演奏’The Real Me’がスタ−ト。彼らの2作目のロックオペラである「4重人格」はこうして開始される。その後ステ−ジ後方のスクリ−ンは、曲の繋ぎに登場するジミ−少年の独白と物語の背景となる60年代初頭の英国、なかんずく南部のリゾ−ト地ブライトンでの、若者の社会風俗のフィルム、そして演奏中はステ−ジでのミュ−ジシャンたちのアップに使われる。スクリ−ンでのジミ−の物語とWHOの演奏が計算されたプログラムに基づくロック・ミュ−ジカルとして並行して展開していくのである。

 ステ−ジの構成は、ステ−ジ前列左からオリジナルメンバ−であるJ.Entwistle(べ−ス、以降ジョン)、R.Daltrey(ボ−カル、以降ロジャ−)、P.Tawnshend(ギタ−、以降ピ−ト)が並び、背後にサポ−ト・ミュ−ジッシャンが控える。サポ−トはまずステ−ジ左奥に5人からなるブラスセクション、中央前列にサポ−トのリ−ドギタ−(最後のメンバ紹介で、ピ−トの弟、Simon Townshendと判明)、後方にドラム(ドイツ・ツアのオ−プニングのキ−ル公演ではリンゴ・スタ−の息子がドラムで参加していたというが、この日のドラマ−Z.Starkeyが彼であるのかどうかは確認できなかった−後日注:そのとおり、リンゴの息子である)、そして左奥にキ−ボ−ドが2名とパ−カッション1名(彼は最後にミュ−ジカル・ダイレクタ−と紹介された)と、総勢13名のバンドである。

 ’The Real Me’から既にサウンドはライブレコ−ディングや映画で聴き慣れたあのWHOの音である。今年50才になるロジャ−は、依然若々しく、シャツとジ−ンズというビデオでよく見るラフな衣装で、時折マイクを宙に放り投げ、振り回しながら衰えのないハイト−ンのシャウトを聞かせる。ピ−トはジャケットを羽織り、当初はアコ−スティック・ギタ−中心の演奏。こちらはロジャ−と同じ年齢の割には髪の毛が薄い分だけ初老のおじさんである。そして年齢不詳のジョンは、白く豊かな髪と髭を蓄え、完全に老成した紳士の雰囲気。しかしドラムが、1978年に自宅のプ−ルに自動車で飛び込み変死したオリジナルメンバ−であるKeith Moonの連打中心のスタイルをフォロ−していることもあり、全体のサウンドは、まぎれもなく’Live at Leeds’、’Who’s Next’等をリリースしていた全盛時のものである。

 ’The Real Me’に続く実質的なイントロであるインストルメンタルの’Quadrophenia’はスクリ−ンに同様のタイトルが写し出される中演奏される。親や女友達、医者など周囲の人間皆から理解されず、「気がおかしいのではないか」と見放された少年ジミ−が、60年代初頭に登場し始めたモッズファッションによる自己主張を始める’Cut My Hair’は主としてピ−トがボ−カルを担当。疎外されつつあるジミ−が参加するロックコンサ−トでス−パ−スタ−に扮し’Punk And The Godfather’を歌うのは、この日のスペシャルゲストの一人、P.J.Proby(私は初めて聞く名前であった)。生計を建てるためにジミ−が得たゴミ清掃人の仕事を歌う’The Dirty Jobs’では、ピ−トの弟サイモンが、リ−ドボ−カルとギタ−ソロを聞かせる。ジミ−は政治活動に捌け口を求めるが、満たされず次第に絶望の淵に沈んでいく。ここで歌われる’I’ve Had Enough’ではこの日のもう一人のゲスト、B.Idol(以降ビリ−)が、モッズのスタ−’Ace Face’として登場し、ステ−ジ右の高まった壇上で、左に控えるP.J.Proby、中央のロジャ−と掛け合いによるボ−カルを聞かせる。典型的なモッズファッションに身を固めたビリ−は、いかにも少年が初めてス−ツを着た、といった雰囲気で、登場した直後は、私は、スクリ−ン上のビリ−少年が出てきたのかと誤解したくらい子供っぽく見える。

 家出し、モッズの中心ブライトンにやってきたジミ−を歌う’5.15’は、この作品の中でも一際印象の強い曲であるが、ここで特筆されるのはジョンのベ−スソロ。表情一つ変えず、しかし左手の指だけを激しく動かしながらアルペジオで早弾きしていく様子はまさに芸能生活40年の職人芸という感じであった。ジミ−がモッズの栄光を回想する’Sea And Sand’。ブライトンの広い海さえも彼を慰めないことを歌う’Drowned’、かつてのモッズのヒ−ロ−Ace Faceが安ホテルのベルボ−イに身をやつし、客に顎で使われるのを目撃し矢望する’Bell Boy’、そしてジキルとハイドのように、ジミ−の攻撃性が奔馬のように出現する’Dr.Jimmy’と続き、そして最後に絶望して海での自殺を考えるまでに追い詰められたジミ−が、(物語としてはやや唐突であるが)海岸の岩の上で再び人生の意味と自分の性格を認識し(インストルメンタルの’The Rock’)、愛による救済に向かっていく’Love Reign O’er Me’の大団円を迎える。’Tommy’のみならず、Andrew Lloyd Webberらのミュ−ジカルでも一般的に使われる手法一この’Love Reign O’er Me’のテーマを、オ−プニングから何度となく繰り返しておいた上で、最後にいっきにこのテ−マソングを歌い上げる手法がここでも取られている。特に、’The Rock’の最後でジミ−の絶望を、館内を覆うレ−ザ−光線の不気味な動きと海岸に打ち寄せる波の効果音でしばらく表現した後、この絶望からの回復を、このメインテ−マのイントロのキ−ボ−ドのリフで浮かび上がらせる、という構成はなかなか感激的である。この8分の6拍子のメインテ−マが、ロジャ−の最後のシャウトで終息した時、時間は既に10時15分になっていた。延べ1時間半のミュ−ジカルは、モッズの抗争や狼籍(バンダリズム)、警官隊との衝突、あるいはエリザベス二世の即位といった当時の風俗のフィルムやビ−トルズ等のモンタ−ジュを挟みながらいっきに、休みなく演奏されたのであった。

 割れるようなアンコ−ルの中登場したロジャ−とピ−トは、ピ−トのアコ−スティックギタ−のみを伴奏に、’Won’t Get Fooled Again’を始める。その後Van Halenもライブでカバ−したこの曲では、スタジオ録音のシンセサイザ−で打ち出される機械音を、ピ−トのアコ−スティックギタ−が代替し、ややテンポを落として演奏される。間奏から3回目のメインテ−マに移る頃からジョンのベ−スが加わり、サポ−ト無しのオリジナルメンバ−3人のみによりこの曲が終了。続いて今度はブラスを除くサポ−トが登場し、これも’Who’s Next’からの名曲’Behind Blue Eyes’が、こちらはアコ−スティックから、ハ−ドなエレキ中心のサビ、そして再びアコ−スティックなコ−ラスによるエンディングというスタジオ録音と同じ形で披露される。アンコ−ル3曲目は、’Live at Leeds’から’Substitute’。これはまさにオリジナルのライブ・レコ−ディングと、うり二つの演奏である。4曲目はまた時代が遡り、初期のヒット曲’Can You Explain’そしてエンディングはロジャ−がアコ−スティックギタ−を抱えソロでスタ−トした後、全員での演奏に突入していく’Who Are You’。ト−タル約2時間半の再結成ツア−のコンサ−トが最終的に終了した時は既に10時45分になっていたのである。

 さてこのコンサ−トの見方として二つの切り口がある。一つは、ロックミュ−ジカルとしてこの日のコンサ−トをエンタ−テイメントの構成という角度で切る見方。二つ目はこのミュ−ジカルの背景にある60年代初頭の英国の若者風俗という切り口である。まずは最初の切り口でこの日のコンサ−トを評価してみよう。

 このショウのポイントは、前述したように、ステ−ジとスクリ−ンの同時進行というパタ−ンである。イントロから始まり、曲の繋ぎには必ず主人公ジミ−の独白が挟まり、物語の展開を説明していくが、この独自は、オリジナルのCDにはないものである。その間にステ−ジではメンバ−の交替や、楽器の持ち替えが行われる。演奏中は、スクリ−ンは主として演奏者のアップに使われるが、展開によっては歴史や風俗ビデオが映し出される。これが、時としてソロのアドリブが続く演奏の中で、タイミングがずれる事なく映写され、観客に飽きる暇を失わせる。通常のコンサ−トであれば、曲と曲の間に、息抜きの間が訪れるが、この日のコンサ−トはまさに1時間半、息つく暇なく続けられたのである。こうした展開は、ディレクタ−が全体の流れをコントロ−ルし、歌手、伴奏者、映像、照明等の一体性を作り上げる英国ミュ−ジカルの手法を駆使している、と言える。P.ガブリエルのコンサ−トも、以前に書いたとおり、多分に演劇的要素の強いものであったが、この日のコンサ−ト程明確なスト−リ−を持つものでなく、その意味ではやはりこの日のコンサ−トは、ロックを見に来た、というよりも、ミュ−ジカルを立ちっ放しで見た、という印象をもたらしたのである。

 また今回の再結成ツア−で彼らが、映画としてもヒットし、その後、世界各地でそれぞれのバ−ジョンで興行されたあの育名な’Tommy’ではなく、この「四重人格」を選んだことも興味深い。この彼らにとって2作目のミュ−ジカルは、当日のパンフによると、アルバム発表直後の1973年10月の英国スト−ク・オン・トレントでのステ−ジを皮切りに、1974年2月のフランス、リヨンで終了するまで、米国、カナダを含み32回演奏されたが、その後は’The Real Me’や’Love Reign O’er Me’等が単独で演奏されることはあったが、全編を通した演奏は今回の再結成ツア−まで披露されることはなかった、という。今回の演奏は実に23年振りの、通しでの演奏であった訳だが、パンフの筆者は、それはこのミュ−ジカルが、WH0の完全主義からすれぱ、ステ−ジで特に4人だけで再現するには余りに困難であったからだ、と論じている。しかしやはり実態は’Tommy’に比較してこの2作目の評価が必ずしも高くなかったことが、当初のツア−の後、この作品が再演されることがなかった最大の理由であったのではないだろうか。もしそうであれば、彼らは何故今回のツア−で、一般のヒット曲中心のコンサ−トではなく、このミュ−ジカルを23年振りに演奏することを選んだのであろうか。この疑間はこのコンサ−トの2つ目の切り口である、60年代初頭の英国の若者風俗・文化の問題にいざなうことになる。

 前作’Tommy’が、三重苦の少年がピンボ−ルのプロとして世に認められていくという、創作ミュ−ジカルであったのに対し、この作品は、このバンドが辿ってきた青春自体を回想したと言えるものであった。WH0は登場直後からモッズに属するバンドと言われていた。それまで支配的だったリ−ゼントヘア−でバイクを繰りながらロックンロ−ルに興じる一団に対し、彼らは小ぎれいなス−ツと長めのコ−トに身を包み、髪の毛も坊ちゃん刈りの短髪、音楽もモ−タウン系に代表されるようなR&B、ソウル、ブル−スの影響を受けていたが、WH0の音楽は当初から後者のフレバ−を持ち、モッズに支持されたのである。この旧来のロックンロ−ラ−とモッズは英国各地で抗争事件を引き起こしたが、その最も激しかったのがこのミュ−ジカルの舞台にもなっている英国南部のブライトンであったと言われている。彼らの初期のヒット’My Generation’を挙げるまでもなく、当初から自分たちの世代のアイデンティティ−にこだわってきたピ−トが、まさにこの作品を書いていた時に思い浮かべていたのは、こうしてモッズの若者文化の中を歩んできた彼ら自身の青春を総括しようという意識であったのではなかっただろうか。加えてそもそも「四重人格」という設定自体が、欧州の中世占星術でいうところの、人間の四類型を踏まえ、ジミ−少年の中にWH0の4人の夫々の性格を投影した一憂鬱質(ジョン)、多血質(ロジャ−)、分裂質(キ−ス)、偏執質(ピ−ト)一ものであると解釈することもできる。こうして見ると、このミュ−ジカルはまさに20代後半にさしかかった彼らが、自身の軌跡を1973年の時点で歌い上げた記念すべき作品であったということになる。この作品をこうして彼ら自身のBildungsroman(教養小説)であると位置付けると、彼らが久々の再結成ツア−のメインテ−マにこの作品を選んだのも十分に納得のいくところとなる。

 「子どもたちの大英帝国」という新書で、井野瀬久美恵は、19世紀末ビクトリア期の英国で、表面的には帝国の力が絶頂に達している頃、全体的な生活水準の向上と、それにも拘らず確固として存在する階級格差の中からフ−リガンと呼ばれる、反抗的若者集団が社会的に認知される存在として登場したことを後付けているが、こうした中産階級の道徳からはみ出た若者文化は、特に英国では第二次大戦後も階級社会が残存したことから間欠的に生み出されできた。そして1960年代のそれは、その後の世界的な大学紛争を経て社会意識の変革を生んでいく重要な契機となったが、まさにWH0が活動してきた英国もそうした時代にあった。そうした時代を駆け抜け初老を迎えたモッズの残党たちが自分の人生を回顧するとき、この「四重人格」が、商業的には比較にならないくらい成功した前作よりも、彼ら自身にとってより重みのあるものであったのは明らかである。

 英国がかつて自分自身で生み出した文化はロックのみである、と私は言い続けてきたが、こうして4半世紀の後にも新たな感動をもたらしてくれるロックの作品に接する時、そうした気持ちはより強くなる。コンサ−トの余韻に浸りながら、自室でその後買いこんだこのロックミュ−ジカルCDに聞き入る時、私は、エンディングに向けての’The Rock’から’Love reign O’er Me’に至る流れが、丁度、昔、大江健三郎の「同時代ゲ−ム」の最終部を読んでいた時に感じたような、想像力の浮遊感をもたらしてくれるのを心地好く味わっていたのであった。