アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
フィル・コリンズ ’Dance Into Europa’97 Tour
日時:1997年10月24日
場所:Festhalle 
 7年振り2回目のフィル・コリンズのソロ・コンサ−トであるが、彼の声をライブで聞くのはジェネシス時代を含めると1982年、1987年、1990年に続く4回目ということになる。前回の東京公演でも書いたとおり、この間にジェネシス、そしてフィルは押しも押されぬメジャ−にのし上がり、また曲想も、1982年までのプログレ・タイプからポップ・ミュ−ジック色の強いものに変貌していった。そもそもフィルが80年代の始めにジェネシスと並行しソロ活勤を始めた時期から、ソロ作品にはそうした傾向が出ていたが、1991年発表のジェネシスの前作’We Can Dance’ではジェネシス自体に、1960年代のビ−トルズやバ−ズを連想させるそうしたフィルの嗜好がより強く持ち込まれていた。昨年、最終的にフィルがジェネシスを離れることを決意した背景には、もちろん本人の離婚・再婚騒ぎに伴う、パパラッチの追跡を逃れたスイスヘの居所の移転といった理由もあったのだろうが、音楽的には、現在も尚プログレ的な色彩を引きずるT.バンクスとの方向感の相違があったのではないか、というのが私の個人的印象である。ソロプロジェクトのMike & Mechanicsで、むしろ70年代風ロックを指向しているM.ラザフォ−ドはその際T.バンクスと共に残り、28才のボカリスト、R.ウィルソンを迎え、新生ジェネシスとしての新作’Calling All Stations’を完成させるが、確かにこのアルバムはフィルが去ったためかポップ色は薄くなり、演奏自体のテンションは軽いが、曲の展開自体は明らかに80年代初期の傾向に戻ることになったのである。

 他方完全にソロとなったフィルは新作’Dance Into The Light’を発表し、今回のツア−に望むが、前作の’Both Sides’が、ドラムマシ−ンを除く全ての楽器をフィルが一人で演奏・録音したことが話題となったことを除けぱ、作品としては平凡な仕上がりになったのに対し、今回の新作はジェネシス以来行動を共にしているギタ−のD.ステルマ−を始めとするサポ−トが戻り、ポップ・アルバムとして質の高いものになっている。フィルの作品は全てメロディ−ラインがしっかりしており、’Both Sides’も例外ではないが、それにもかかわらずここでは個々の曲の印象が弱く、結果的にアルバム全体が散漫になってしまっていた。しかし新作では何よりも夫々の曲が明確な輪郭を持って心に残るものになっている。最初のシングルカットとなった’Dance Into The Light’以外にも、シングルとしてのヒット性を持った作品が並んでおり、その意味で、彼のアルバムとしては1989年発表の’But Seriously’以来の商業的な成功作となることは疑いない。もちろんそうした商業的成功自体に対するわだかまりが私の心にない、と言ったら嘘になるが、他方作品自体は文句なしに楽しめるものであったことから、今回のツア−に顔を出してみる気になった。

 本年5月以来のフェストハレであるが、当初から予定されていたこの日のコンサ−トに加え、前2日の追加公演が加わり3夜連続の公演となったこともあり、開演時点では幾分人は少なめの印象である。ステ−ジはホ−ル中央に円形で設定されており、アリ−ナの観客の多くがそこそこステ−ジに近い位置をとれるようになっている。我々も入口から回り込んだ反対側、ステ−ジから約20m程の位置についた。もちろんアリ−ナの立ち見の場合にドイツ人の巨漢の合間をぬって視線を確保しなけれぱならないのはいつものことである。

 8時10分、場内が暗転し、中期のインストルメンタルナンバ−で公演が開始される。サポ−トメンバ−がステ−ジに上がる中、スピ−カ−を適じて「イエオイエ−オ」と歌い始めたフィルの姿は見えない。すると我々が立っていた位置から1メ−トル程先が警備員により規制され、通路が確保された、と思う間もなくそこをスポットライトに照らされたフィルが歩き抜けてステ−ジに登っていった。一瞬の間であったが、至近距離で見た、おそらく私よりも身長が低いと思われる程の小柄な姿が印象に残ることになった。

 サポ−トは最新作のクレジットに近いメンバ−になっているのだろう。ギタ−はおなじみのD.ステルンマ−に加え、もう一人。ベ−ス、キ−ボ−ド、ドラム、パ−カッションそしてボ−カリストが黒人の男女一人づつ。それにホ−ンの4人が入り、フィルを含めると13人の編成である。ステ−ジが円形であることから、円周上に配置されたサポ−トメンバ−はキ−ボ−ドやドラムを除くと一定間隔で位置を変え、全ての聴衆に平等に姿を見せる。イントロで早速フィルはドラムセットに向かい、サポ−トのドラムと掛け合いながら変則ビ−トのドラミングを聞かせるが、その後は、ボ−カルに集中する時はこの円周上をうろつき、あるいはステ−ジ中央の高みに登り、また2カ所に設置されたパ−カッションを叩き、そしてまたドラムに戻る。あるいはキ−ボ−ド弾き語りのソロの場合はステ−ジ中央の高みが回転するといった形でコンサ−トが進められていった。個々の曲名は、4‐5分の雰囲気が似た曲が多いことから、全て特定するのは難しいが、取り合えず後刻手持ちのCDと突き合わせた限りでは以下のとおりである。

〈演奏曲目〉

(1) インストルメンタル−オ−プニング
(2) Hang In Long Enough (---But Seriously, 1989)
(3) Don’t Lose My Number ( No Jacket Required,1986)
(4) River So Wide (Dance Into The Light, 1996)
(5) Take Me Down (Dance Into The Light, 1996)
(6) Find A Way To My Heart (---But Seriously, 1989)
(7) Another Day In Paradise (---But Seriously, 1989)
(8) Oughta Know By Now (Dance Into The Light, 1996)
(9) Against All Odds ( Take A Look At Me Now) (Serious Hits Live,1990)
(10) Lorenzo (Dance Into The Light, 1996)
(11) Separate Lives (Serious Hits Live, 1990)
(12) The Times They Are A-Changin’ (Dance Into The Light, 1996)
(13) Do You Remember? (---But Seriously, 1989)
(14) ? ( No Jacket Required,1986)
(15) One More Night (Face Value, 1981)
(16) In The Air Tonight ( No Jacket Required,1986)
(17) Percussion
(18) Easy Lover (Serious Hits Live, 1990)
(19) Dance Into The Light (Dance Into The Light, 1996)
(20) Wear My Hat (Dance Into The Light, 1996)
(21) You Can’t Hurry Love (Phil Collins, 1983)
(22) Two Heart (Serious Hits Live,1990)
(23) Something Happened On The Way To Heaven (---But Seriously, 1989)
(24) Sussudio ( No Jacket Required,1986)
(25) Take Me Home ( No Jacket Required,1986)−アンコ−ル

 10時40分に終了するまで、2時間半、25曲のステ−ジであったが、興味深いのは、まず新作CDからの作品が7曲と最も多いのは当然としても、同様に’---But Seriously’から5曲、’No Jacket Required’から4曲と最近発表されたCDからはまんべんなく曲を散らばらせたにも係わらず、’Both Sides’からの選曲が1つもなかったこと、並びに25曲の内、新作を除く18曲中13曲は1990年のライプレコ−ディングである’Serious Hits Live’に収録されているものであったことである。その意味で、この日のコンサ−トは、1990年の東京公演に、’Both Sides’を除きながら、今回の最新作を加えた構成になっていたことが分かる。
コンサ−トの前半は新作中心の展開である。フル・メンバ−による、アップ・テンポ、ミディアム・テンポ、スロ−を交互に組み合わせてステ−ジが進行していく。時折インタ−バルに、紙を見ながらドイツ語での紹介を行っていくのも、1990年の東京公演で、日本語で行ったのと同様のサ−ビス。(4)のように、パ−カッションを強調したアップ・テンポのポップナンバ−が今のフィルの最も典型的なサウンドと言える。他方で(6)から前面に出始めた黒人女性ボ−カルや、この2人に加わり(11)を3人で切々と歌い上げた黒人男性ボ−カルの参加は時折垣間見られるフィルのポップ感覚の表現である。(13)はステ−ジ中央の最高部にセットされたエレキピアノ弾き語りによる回転ステ−ジでのソロ。(15)では暗転した会場から4本の支柱に配置された8本のサ−チライトがステ−ジ脇から怪物のように盛り上がり、場内を徘徊した上でイントロに入っていくという演出も忘れない。(20)ではコミカルな歌詞に合わせるかのように、他のボ−カリストが、フィルのかぶった幅子を取り合いながらステ−ジ上を追いかけまわる。そして(21)以隆は’Serious Hits Live’あるいは東京公演の再演であり、そのまま同じエンディング曲である(25)に向けていっきに突入していったのであった。この曲の終了に向けて、東京公演ではメンバ−が一人一人ステ−ジから退場し、最後に閉ざされた緞帳の前にフィルが一人残り終了したが、この日は中央部のステ−ジから、これまた我々の横に人垣を掻き分け作られた通路を通り、東京公演と同様メンバ−紹介と共に一人一人が退場し、最後はフィルもここを通り、去っていったのであった。

 こうして見てみると、今回のフランクフルト公演は、新作キャンペ−ンを目的としたツア−の一環であるのは明らかであるが、他方コンサ−トの構成としては1990年の東京公演で披露された形式をほとんど変更なく踏襲したものであった。その意味で私は、この日のコンサ−トをエンタ−テイメントとしては十分楽しみながらも、フィルの新たな展開については何らの手掛かりをつかむことができなかったのが気になった。前述したとおり、前回の東京公演から今回の新作までの7年間に発表された作品は’Both Sides’のみであるが、この作品は今回の公演ではほとんど無視されているのである。考えようによっては、全くのソロ・プロジェクトがある種の自己満足に終わったことを受け、彼は再び従来のコンセプトに回帰したと言えなくはない。しかもジェネシスというコンセプトを取り含えず放棄した彼にとってはソロが唯一の回帰場所にならざるを得なかったのである。もちろん、英国ロックの工スタブリッシュメントとしてこの地点から彼もまた今後新たな実験を試みてくれるのだろうが、今回の公演ではそうした契機はほとんど見つけることができなかった。その意味で、今回のプロジェクトは、やや方向感を失った彼が次なる飛躍に移る前に、自分が安住できる原点を取り合えず確認するという作業であったと言えるのではないだろうか。その安住の場所は確かに存在し、おそらく商業的には成功を収めることになろう。しかし心の底では、私はフィルの音楽の愛好家として、彼がこうした一時の休息と商業的な成功に留まる事なく、次ぎなる飛躍へのエネルギーを蓄積してくれることを密かに期待しているのだった。