ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
パット・メセニ−・グル−プ Imaginary Day Tour
日時:1998年5月3日
場所:Alte Oper
1990年4月の東京公演以来、8年振り、5回目のパット・メセニ−のステ−ジである。前回五反田ユ−ポ−トで参加した’Letter From Home’のツア−は、彼がデビュ−以来作りあげてきた、トラディッショナルなジャズギタ−によるリリカルな音作りを脱皮し、ラテン・フレ−バ−を前面に出した第二期の全盛時期にあたっていた。この時期の三部作である’First Circle’、’Still Life’、’Letter From Home’は、(その後アル・ディ・メオラ等にも影響を与えたのであるが)音楽的な完成度も高く、個人的にも彼の作品群の中では特に気に入っているものである。しかし、この時期、表現のアクセントは明らかにそのラテン色の強いサポ−トが担っていたこともあり、このコンサ−トでは私の関心も、メセニ−/メイズのフロント二人よりも、ラテン・フレバ−の核になっていたサイドメンたちに注がれていた記憶がある。更にこの頃メセニ−自身、三作同種の作品を続けた結果、やや曲の展開やサウンド面で新鮮味が失われつつあることに気づき始めていたと思われ、このツア−を最後に、続く8年の間、メセニ−はむしろスタジオでは新たな音作りを模索することになったのだった。この時のライブは少し遅れて1993年発表のライブ・レコ−ディング’The Road To You’としてフランクフルトにいた私のもとにも届けられたが、その前後の、1992年のソロ作’Secret Story’と、同時に発表された別のソロで、単なる騒音遊びか、ギタ−の可能性の限界を突き詰めたものかで評価が真っ二つに割れた−そして私が買う気にならなかった彼の唯一のリ−ダ−アルバムである’Zero Torelance for Silence’、1995年のル−プ感を前面に出した’We Live Here’、核になる4人のみでトラディッショナルなジャズ・インプロビゼ−ションを求めた1996年の’Quartet’と方向感のない作品群が続くことになったのである。
こうした時期を経て今回発表された新作の’Imaginary Day’は、第一期のリリシズムと第二期のラテン、そしてその後の模索の時期がうまく総合され、メセニ−の新たな音楽的総合力を示したものになった。私がフランクフルトに来てから耳にした作品にはどれにも一抹の物足りなさを感じていたが、この作品で久し振りにメセニ−の自信に溢れたサウンドに接した気がしたのである。その意味で、これは1989年の’Letter From Home’以来10年近くをかけて彼がたどり着いた一つの里程標とも言うべき作品であったと言える。実際私がフランクフルトに来てからメセニ−がここを訪れる機会は何度かあったが、その都度僅かな心のわだかまりからコンサ−トに出かけていく気にならなかったが、今回についてはツア−のポスタ−を見かけるや否やただちにチケットを入手し出かけていったのである。
Alte OperのGrosser Saalは開演予定の8時にはほぼ満席の観客で埋まっており、彼のドイツにおける人気の高さを物語っていた。予定から15分ほど遅れメセニ−がステ−ジ右手から一人で現れ、新作で初めて録音に使用したという、スタンドにセットされた42弦ピカソ・ギタ−によるソロでこの夜のコンサ−トを開始した。いつものように私が気づいた限りでの当日の演奏曲目を列挙すると以下のとおりである。
@ Into The Dream (Imaginary Day, 1997)
A Have You Heard (Letter From Home, 1989)
B A Story Within The Story (Imaginary Day, 1997)
C Follow Me (Imaginary Day, 1997)
D Unknown
E First Circle (First Circle, 1984)
F Imaginary Day (Imaginary Day, 1997)
G Across The Sky (Imaginary Day, 1997)
H The Heat Of The Day (Imaginary Day, 1997)
I The Roots Of Coincidence (Imaginary Day, 1997)
J Are You Going With Me (Offramp, 1982)
K Third Wind (Still Life, 1987)
L Solo Guitar
M Too Soon Tomorrow (Imaginary Day, 1997)
N Minuano ( Six Eight ) (Still Life, 1987)
O Encore − Unknown
ピカソ・ギタ−の42弦がどういう構造になっているかは正確には分からなかったが、手の動きから判断すると基本的にはダブルネック・ギタ−の、更に右下にもう1ネック付いているという構造で、この右下の弦が高音の12弦ギタ−のような和音を聞かせる。スタジオ録音ではより琴に近い音色を出していたが、ライブではもっと金属的な響きになっている。
彼がステ−ジ右のスポットライトの中で@を終了するや否や、他のメンバ−が登場し、第二期の代表作であり、ライブ・アルバム’The Road To You’でもオ−プニングに使われたAに移る。アップテンポのリズムに乗った、セミ・アコ−スティックによる柔らかい、流れるような典型的なメセニ−の早弾きのソロは時差に疲れた体にも心地好い。そして続けて、新作から、スロ−に始まりセミアコ・ギタ−ソロにサイドメンのトランペットが絡み、ラテンコ−ラスで収東していくB、ミディアム・テンポでアコ−スティックのコ−ド中心に始まり、後半コ−ラスに重なるようにシンセ・ギタ−ソロを展開していくC、そしてギタ−トリオで始まり、後半パ−カッションとピアノが参加するスタンダ−ド風のDと、予想された通り静と動が交錯する選曲でステ−ジが進んでいった。メンバ−は’First Circle’以来、グル−プとしての作品では不動の4人に’Imaginary Day’のスタジオ録音に参加した2人のサイドメン、更にスタジオ録音ではクレジットされていない、黒人パ−カッション1名の計7人である。今まで見たステ−ジの中では最も照明が目まぐるしく変化し、ややサイケデリックな雰囲気さえも醸し出す演出になっている。
再び第二期の代表曲のひとつであるEを披露し、メセニ−によるメンバ−紹介が入った後、FGHIと新作から4曲が続けて演奏されるが、私見ではここがこの日のコンサ−トのハイライトであったと言える。タイトル曲で、メリハリのあるミディアム・テンポの変則リズムにロック的な硬質なギタ−が絡むF、アコ−スティック・ギタ−によるスロ−バラ−ドのG、5拍子の変則ラテンリズムによる鋭いアコ−スティック・ギタ−のイントロで始まり、メイズによるアップテンポのピアノ・ソロ、メセニ−のシンセ・ソロに移行していくH(盛り上がる中にもリリシズムを失わないメイズのピアノ・ソロは言わばメセニ−のギタ−ソロのピアノ版である。その両者の同質性が1978年のグル−プとしての第一作から20年にわたり共に歩むことができた最大の理由であろう)、そして今回の新作の中で、メセニ−が最も気に入っているというI。メイズもギタ−に持ち替え、ファズをきかせたへビ−且つファンキ−なロック調の硬質な展開は、あたかもデビュ−したての若者ロック・バンドが若さにまかせギタ−を掻き鳴らしている、という感じでこれまでのメセニ−の作品群にはなかったタイプの曲である。ベ−スのスティ−ブ・ロドビ−さえも珍しくエレキ・ベ−スに持ち替え、メセニ−、メイズを加えた3人が、点滅するライティングの中に浮き上がり、少しバンギング気味に音量を上げコ−ドを掻き鳴らしながらピ−クに達していくのを見ていると、自分があたかもへビ−メタルのコンサ−トに参加しているような錯覚に襲われたのである。
ここで紹介された4曲が、いわばメセニ−が8年の歳月をかけて取り合えず出した彼なりの結論のような気がする。即ち、第三期の模索が集約された新しいタイプの作品であるFとI、第一期からのG、そして黄金の第二期からのHと異なるタイプの曲想が続きながらも、それぞれがまさにメセニ−の世界を形作っているが故に進行は全く自然である。その意味で第三期にアルバム毎に実験を繰り返してきた結果、彼の音楽性の範囲が飛躍的に拡大し、この数10分の展開の中で従来の世界と架橋されて提示されるに至ったと言えるのである。個人的には例えばIは決して好みではない。この手の音は、それこそ粗削りなロック・バンドからのアプロ−チの方がより自然で、変に完成されたスタイルで演奏されるとやや白けてしまうところがある。しかし、それにもかかわらずそれは言わば’Zero Torelance for Silence’で行った実験を従来の彼の音楽性に挿入したものと言え、その意味では確かにメセニ−の音楽なのである。こうしてこの4曲が展開された数10分に、私はこの瞬間におけるメセニ−の音楽の集約された姿を見たような感覚を抱いたのである。
こうしてメセニ−の現在に浸っていると突然Jのイントロのリフが開始された。この日の曲目の中では最も古い1982年の作品。忘れもしない、私が期待に胸を膨らましながら一人でロンドンに着任した直後に発表されたアルバムのオ−プニングに収められ、メセニ−が初めてギタ−・シンセサイザ−を録音に使用した作品である。アルバム発表直後のロンドン公演でも確かオ−プニングで披露されたのではないかと記憶している。静かなリフで始まり、シンセ・ギタ−の絞り出すようなソロは次第に高揚し、最後は切り裂くようなフレ−ズを経て静かに終焉していくという展開は、その後ラテンリズムが加わり第二期のメセニ−のシンセ・ギタ−による典型的なスタイルに発展する契機となった作品であるが、この日はスタジオ録音、あるいは過去のコンサ−トで聴いた時には入っていなかったバックコ−ラスが強調された演奏であった。続けてステ−ジはドラムのポ−ル・ベルティコのソロから、これも第三期の作品であるKに移っていく。こちらはAと同様、前半はセミ・アコ−スティック・ギタ−による、そして後半はシンセ・ギタ−による流麗なソロをフィ−チャ−している。アップテンポの次はアコ−スティックによるメセニ−のソロのL。続いてメイズのピアノが加わり最新作からのM。このあたりになると私の時差ぼけも限界に達し、格好の子守歌に睡魔が押し寄せてくるが、それも再びアップテンポのNで覚醒される。サイドメン二人によるさびのマリンバが見事に決まりこれが終了すると、メンバ−6人は会場からのスタンディング・オベ−ションに答えた後退場。そしてアンコ−ルは私の知らない曲であったが、ややラテンがかったミディアム・テンポの作品で締めくくられたのであった。終了時間は10時55分。2時間40分の間、最後のスロ−・バラ−ドを除き、緊張がほとんど途切れることのないコンサ−トであった。
’Imaginary Day Tour’というタイトルのとおり、今回の公演は、最新作収録の9曲の内8曲を披露することで、自身の現在を聴衆にアピ−ルしたものだった。もちろん第二期からもいくつか私好みの曲を演奏はしたものの、第一期に関しては、丁度第二期への境界に位置されるJが紹介されたのみで、それ以前の’San Lorenzo’や’Phase Dance’といった名曲は演奏されなかった。しかしこの選曲が、既に書いたとおり、メセニ−が10年弱に及ぶ試行錯誤を経てたどり着いた現在に、相当の自信を持っていることを物語っているのではないだろうか。19才でゲ−リ−・バ−トン・カルテットに参加し、その存在をジャズ界に知らしめたメセニ−は、今その25年の軌跡を多様な音楽性の統合というコンセプトの基に取り合えず着地させたように思われる。そしてこうした彼の軌跡が、フランクフルトでの一時代が終わりに近づいている私にとっても、ある種のアレゴリ−をもって自分自身の生に重複してくるのを感じている。メセニ−の模索の時期が丁度私のフランクフルト時代と重なっているとすれぱ、彼がまさにこの日のコンサ−トで提示し得たように、私もまた今、過ぎ去ろうとしているこの時期の結論らしきものを出すことを促されているのである。その意味において、生のいくつかの時期にそれぞれの成長を遂げてきたこの同い歳のギタリストの現在は、フランクフルトでの一時代を終え、これから日本での新たな生活に向かおうとしている私に新たなプレッシャ−を投げかけていったのである。