ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
トリ・エイモス Plugged ’98 Tour
日付:1998年6月9日
場所:Alte Oper, Grosser Saal
<演奏曲目>
@ Black Dove (January) (From The Choirgirl Hotel, 1998)
A Precious Things (Little Earthquakes, 1992)
B Unknown (短いピアノ弾き語り)
C iieee (From The Choirgirl Hotel, 1998)
D Cornflake Girl (Under The Pink, 1994)
E Unknown(スロ−テンポのバンド演奏)
F Pretty Good Year (Under The Pink, 1994)
G Cruel (From The Choirgirl Hotel, 1998)
H Winter (Little Earthquakes, 1992)
I Unknown (スロ−テンポのバンド演奏)
J Spark (From The Choirgirl Hotel, 1998)
K She’s Your Cocaine (From The Choirgirl Hotel, 1998)
L The Waitress (Under The Pink, 1994)
M アンコ−ル:God (Under The Pink, 1994)
N Raspberry Swirl (From The Choirgirl Hotel, 1998)
O Unknown(スロ−バラ−ド)
Tori Amosなる一風変わった女性歌手の名前に接したのは、彼女の2作目のアルバム、’Under The Pink’が発表された際に、WOMの店内で、ジャケットと同じポスタ−を目にした時であった。確かその当時もWOMの雑誌で若干の紹介は行われており、また店内での試聴もし、またそれに相前後してMTVで彼女のピアノ弾き語りのライブを見た記憶もあるが、その音楽自体に特段強い印象を抱いた訳ではない。ただ国籍不明のその奇妙な名前だけが、やけに記憶に残ることになった。
その後、彼女のデビュ−アルバムである’Little Earthquakes’と2作目の’Under The Pink’が他のCD店で安売りされていたため購入、本格的に彼女の音楽世界にコミットをし始めた。とは言いつつも、日本の音楽雑誌では全く取り上げられていない歌手であることから、彼女が米国人であるということを除けば、バックグラウンドとなる情報もなく聴いていたのである。
この2作を聴いて感じたのは、彼女が相当に内省的な、ピアノ弾き語りをベ−スにしたシンガ−・ソングライタ−で、系列的には、英国で言えばKate BushやSally Oldfield、日本で言えば矢野顕子といった、やや癖のある歌手たちと同様のタイプである、ということであった。この2つのアルバムはアコ−スティックな色彩が強く、アルバムは予想以上の出来であったが、それ以上に特徴的だったのは例えば「部屋のなかで指はみんな私を指している。それらの顔を目がけて唾を吐きかけてやりたかったけれど、そうしたからどうなると不安になった。」(Crusify, 1992)といった、ちょっと飛んだ象徴的な歌詞とそれを表現するややけだるくミステリアスな歌唱であった。特に高音部を裏声で表現する時は、精神症で追い詰められていた時期のKate Bushを思い起こさせたものである。K.Bushというと、私は作家であれば1920年代に入水自殺したV.ウルフを何故か連想してしまうのであるが、英国の場合は、その気候や国民性から、そうした内省的な危険さが自然に思い浮かぶのに対し、T.アモスが米国人と聞いて、やや不思議な感じがしたものである。米国の風土にはこうした’暗さ’は余り似合わない。しかし、そうした欧州的感性が、アモスに備わっているとすれぱそれはどこから来ているのだろう。そうした疑問を抱えていた矢先、彼女のフランクフルト公演のポスタ−が町に溢れ始め、やや躊躇しているうちに、既にチケットの販売は進んだ様子で、公演の3週間ほど前に前売りオフィ−スで確認すると、すでにアルテ・オパ−の6階「オリンプ」といわれる最後部の2席がやっと残っているに過ぎない状態であった。更にこの販売状況を受け、当初予定のドイツ・ツア−終了後、もう一度フランクフルトに戻り6月23日に追加公演が予定されているということで、こちらはまだ良い席の確保が可能、と薦められたが、仕事の都合を考えると少々不安があることからそのチケットを購入した。この手の音楽に対してドイツ人がこれほど強い関心を持つというのはやや意外であったが、その後、今回のツアーに合わせた新作である4作目の’From The Choirgirl Hotel’が新譜としては安い値段で出ていたこともあり購入。そしてこの日のコンサ−トに出かけていったのである。
今回の新作発表とツア−に際して、WOMの雑誌に彼女の簡単な紹介及びインタビュ−記事が掲載されていた。彼女についての情報は現在のところ、このドイツ語情報が全てであるので簡単にそれを見ておこう。
メソジスト教会の牧師の娘として米国ノ−ス・キャロライナに生まれ、4才でピアノのレッスンを閲始し、ナット・キング・コ−ル、ファッツ・ウェラ−(?)、ジミ・ヘンドリックスらの音楽の影響を受けた。10代でピ−ボディ音楽学校の奨学金を受け専門教育を受けるが、「越えることのできない違和感」を感じ中退し、その後デビュ−アルバムである’Y Kant Tori Read’を発表(このアルバムは彼女の意向で現在は入手不可能)。しかしその後90年代に入り’Little Earthquakes’で独自の音声と表現により再度のデビュ−を果たすまでの間の記録はない。現在34才。私が購入した3つのアルバムの他に3作目として、南イングランド、コ−ンウォ−ルの海岸にある教会で書き上げた作品群からなる、やや憂鬱な’Boys For Pele’を発表しているが、今回の4作目はそれよりも明るい作品で、従来のソングライタ−的要素に、よりフォ−ク、テクノ、ロック的色彩を加えると共に、’Little Earthquakes’のポップ感覚をソフィスティケ−トされた教会音楽と結合させている、とのこと。インタビュ−では、影響を受けたミュ−ジシャンとして、K.ブッシュ、バルト−ク、レッド・ツェペリンを挙げている。
8時ちょっと過ぎに会場に到着すると、既に前座バンドの演奏が開始されていた。暗闇の中、番号が見えないこともあり、適当に空いている場所に着席し、男性3人組の演奏を聴く。フォ−クがかったシンプルなミディアム・テンポのロック中心の演奏であるが、ボ−カルもギタ−のソロもさして特徴がなく、ほとんど関心はひかれなかった。40分程度でこの前座が終了。結局バンドの名前も分からないままであった。
セッティングの中断の後、9時25分になりようやくT.アモスの演奏が始まる。中央にグランドピアノとシンセサイザ−に挟まれたアモス、その向かって右前にギタ−、右後方にドラムそして左奥にベ−スというシンプルな構成である。この日購入したほとんど写真だけで情報のないプログラムによると、ギタ−のS.CatonとドラムのM.Chamberlainはレコ−ディングと同じメンバ−であるが、ベ−スのJ.Evansはレコ−ディング時からは変わっている。
サポ−トの3人がまず登場し、イントロを開始した後アモスが現れ、最新作からの@でスタ−ト。今回のツア−はPluggedと銘打っていることもあり、スタジオ録音ではピアノのイントロから静かに始まる曲であるが、ライブでは始めからドラムの強いリズムを強調し、やや歪みをかけたギタ−が介入する。’on the other side of galaxy’と歌うサビの部分では、相当の音量の中をアモスの張りのあるボ−カルが貫いていく。その後に入るピアノも、もちろんAziza Mustafa Zadehなどのジャズ系のピアニストとは比べようがないが、それでもシンガ−・ソングライタ−系としてはまずまずの腕前である。続いてデビュ−・アルバムからのA。和音によるパ−カッシブなイントロからアップテンポに盛り上げていく。ハ−ドな中にも内省的な気配を残した曲である。曲を特定できないBをピアノのみの伴奏で短く披露した後、直ちに最新作からのC。最新アルバムの曲の中でも最も象徴的な歌詞の曲であるが、歌詞の中で’E’s’と’ease’を掛けていることからこの変てこりんなタイトルにしたのであろう。ゆったりとしたうねるようなリズムと共に、宗教がかった歌詞にファズをきかせたギタ−を絡ませ歪んだ音空間を作り上げていく。Dは2作目からのミディアム・テンポの作品。歌い方に明らかにK.ブッシュの影響が感じられる。サビでのピアノソロがなかなか決まっている。Eの未確認曲が入った後、2作目からきれいなバラ−ドであるFヘ。ピアノの弾き語りのイントロからサビでバンドが介入するが、メロディも親しみ易く、アルバムの冒頭に入れたのが頷ける作品である。
ここまで聴いてきて、彼女の歌唱法の中で、呼吸の音が必要以上にマイクを通じて増輻されていることに気がついた。実は雑誌インタビュ−の中で、それが録音過程の中でプロデュ−サ−から意図的に残すよう薦められたものであること、そして実はその特徴は既にマ−ケットでは彼女のトレ−ドマ−クになっているものである、ということが書かれていた。この事実はコンサ−ト後に知ったのであるが、しかしこの段階ではむしろ、私にとってはそれはどちらかというと耳障りに聞こえていたことを告白しておこう。
Gはドラムの強いビ−トが強調される最新作からの曲。バンドによる演奏時は、アモスはほとんどが、ピアノとシンセサイザ−を交互、あるいは同時に演奏するスタイルをとっている。Hはシンガ−・ソングライタ−の大道を行くような、ピアノの弾き語りであるが、彼女の場合やはりこういう曲の方が安心して聴けるのは否定しようがない。再び確認できない、スロ−なバンド曲が、ミラ−ボ−ルの照明が館内をあやしく駆け巡る中で展開するIに続いて、最新作のオ−プニングのJに移行する。ビデオでは、薄いネグルジェのようなドレスをまとい、目隠しをされ、手を後ろで縛られたアモスが、森の中の落ち葉の上に横たわる姿から始まり、そして何かから逃れるように森を裸足でさ迷い、ようやく出会った車に同乗させてくれと懇請するが、その女性運転手はそれを拒否し走り去る、というやや異様な演出の画像と共に歌われている曲で、そのイメ−ジが連想されてしまう。雑誌インタビュ−によると、彼女は前回のツア−の後、妊娠に気づき子供の誕生を心待ちにしていたが、それから3カ月後(それは1996年のクリスマスであった)流産するという辛い経験の中で作った曲であるという。そしてやはり最新作からのK。歪んだファズギタ−が耳にうるさい単調な曲である。2作目からのLでメインのプログラムは終了する。
アンコ−ルは2作目からのM。バラ−ドが多い2作目の中では、唯一新作の音に近い作品である。続いてややうるさめのN、そして未確認の、バンドによるスロ−なバラ−ドであるOをもって当日の公演は終了した。時問は10時50分。正味1時間半のコンサ−トであった。
選曲を見ると1作目から2曲、2作目から4曲、そして最新作から6曲。私が確認できなかった4曲がおそらくは3作目からの曲であろう。曲としては明らかに初期の2作からの方がメロディ−も親しみ易く、心地良い。しかし当然ながら今回のツア−は最新作の披露が主目的であり、そこからの作品がこの日の中心である。雑誌インタビュ−で彼女は「今回のアルバムでは自分のピアノをビ−トとリズムに結合しようと試みたが、それは自分の過去の演奏にはなかったものだ」と言っているが、このアルバムは彼女にとっては、従来のシンガ−・ソングライタ−の正統路線からの脱却を計ったものであったと言える。その結果、今回はよりバンドとしての演奏にアクセントを置いた作りになっているため、曲自体の展開がシンプルではなく、その分、従来の作品に接してきたリスナ−にとってはとっつき難いものとなってしまった。その意味で、これら4作目からの作品は、彼女が新たな段階に進みながらも、まだ最終的な形を見出せないでいる過度期に生まれたものと考えられる。
同時にこの新作は、3作目と同様、英国コ−ンウォ−ルで、しかし前作が教会で書かれたのに対し、今回の作品は農家に籠って書き上げた、とのことである。2作目の’Under The Pink’がニュ−メキシコの農場で作られたのと比較すると、恐らく私のまだ聴いていない3作目と同様、彼女の音楽性の中でイングランドの風土がもつ意味合いが深くなってきているのは確かなのであろう。米国人であるにもかかわらず、英国的雰囲気を有しているという、先に私が抱いた感覚は、まさにこうした彼女の活動から生まれてきた結果なのである。彼女がK.ブッシュの内省的・神経症的雰囲気の影響を受けたことも、最近の彼女の音楽スタイルの遠因となっていることは間違いない。しかしこうした側面の深化に、英国的な歪んだ電気処理が加わり、確かに彼女の従来のファンからすると、今回のツア−の中心的なサウンドがより分かり難くなっているのは確かである。既に書いたとおり、正直のところ私もこの日のコンサ−トでは、初期のメロディアスな作品群により親しみを感じていた。しかし、ひとりのプロフェッショナル・シンガ−が様々な人生経験を経ながら曲作りを行っていく過程では、どうしてもそれまでの傾向を一度否定する作業を避けて通る訳にはいかない。その意味でこの日のコンサ−トはT.アモスという歌手が新たな方向性を模索するための実験であった。その試みが成功するかどうか、まだ日本ではほとんど知られていないと思われるこの歌手の今後の活動についての情報が、帰国後の日本でも入手できることを期待したい。