アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
クリ−デンス・クリアウォ−タ−・リヴィジデッド
日時:1998年6月20日
場所:Stadthalle Offenbach 
<演奏曲目>
@ Born On The Bayou A Green River B Lodi C Commotion
D Who’ll Stop The Rain E Suzy Q F Hey Tonight G Long As I Can See The Light
H Down On The Corner I Lookin’ Out My Back Door J Cotton Fields
K Tombstone Shadow L I Heard It Through The Grapevine M Midnight Special
N Bad Moon Rising O Proud Mary P I Put A Spell On You Q Fortunate Sun
アンコ−ル
@ Have You Ever Seen The Rain A Travellin’ Band B Run Through The Jungle
C Up Around The Bend D Unknown

 フランクフルト最後のロック・コンサ−トは60-70年代のレトロ、Creedence Clearwater Revivalのリズムセクション二人が再結成したCreedence Clearwater Revisited(略すとCCRと同じところがミソ)なるリバイバルバンドのフランクフルト公演となった。

 元祖CCRは言うまでもなくギタ−及びボ−カルであるJ.Forgatyのワン・マン・バンドであり、そのJ.Forgaty自身、昨年ソロアルバムで復活した後、最近’Primonition Live on the Bayou’なるライブアルバムを発表し、その中でソロ作のみならず、往年の元祖CCRの主要ヒット曲を演奏し、雑誌のレビュ−でもまずまずの評判になっている。主役のそうした復活を睨みながら、そのサイドメンであったベスのStu CookとドラムのDoug Cliffordが、同様に元祖CCRの遺産で食っていこう、として結成されたのがこの日のCCRである。町でこのバンドのポスタ−を見た時に、何ら情報はなかったが、このバンドが命名の仕方や、写真から見て、こうしたバンドだという確信はあった。更にWOMのCCRコ−ナ−にこのバンドの二枚組ライプがあったことからその確信は強まっていたものの、最終的にはコンサ−トの前半のメンバ−紹介で、リズムセクションの二人が元祖CCRのオリジナルメンバ−と紹介されたことで、それまで抱いていた一抹の不安−元祖CCRの唯のコピ−バンドという懸念−を払拭できたのであった。

 さて、出発まで二週間を切った週末、過激なスケジュ−ルの中、やや道に迷いながら久方振りのオッフェンバッハ・スタットハレに到着した時は開演の8時を10分程過ぎた頃であった。近くに見つけた駐車スペ−スに車を止め、会場に入ると、前座のフォーク歌手が、ありフれた演奏を行っていた。CorrsやT.Amosの前座も退屈であったが、この日の歌手は、ほとんどまともに聴くに値しない内容で、前二者の前座からまた数段低いレベル。メイン自体の人気のなさを予想させるものであった。実際、数年前Dream Theaterのコンサ−トでここに来た時とは比べものにならないくらいガラガラである。アリ−ナを一回りし、一階席に腰を下ろし、前座の終了を待った。

 CCRの演奏が開始されたのは8時40分頃、ボ−カル兼リズムギタ−、リ−ドギタ−、アコ−スティックギタ−兼キ−ボ−ドの三人に、元祖CCRの二人を加えた5人からなるバンドである。私が持っている元祖CCRのライブと同様の@で演奏がスタ−トした。演奏曲リストから明らかなように、内容は元祖CCRのヒット曲のメドレ-である。ボ−カルのやや小太りの剥げ男は、間違いなくJ.Forgatyと同質のやや唄かすれたワイルドな声質故に選ばれたという感じで、確かにJohnではないが、元祖CCRの雰囲気は作っている。ギタ−は、縁取りのはっきりした牛乳瓶底メガネを付けR.Orbisonを思わせる風貌であるが、演奏はやや今風で、むしろJohnの時折音をはずすが、それでも何故かそれに引き込まれてしまうオリジナルの音と比較すると余り特徴はない。リズムギタ−兼キ−ボ−ド(途中でマウスハ−プも吹いていた)は余り出番がなく退屈そうである。そうしたフロント3名をリ−ドするのはオリジナルメンバ−2名。ドラムのおかずの入れ方やベ−スの絡みはまさに元祖CCRのメンバ−だけのことはあり、元祖CCRの聞き覚えたフレ−ズを再現している。こんなことなので、この際私は、時代を30年飛び越え、元祖CCRを聴いていることにしたのである。

 そうして聴いていると、こうしたリバイバル・バンドも結構楽しめるから不思議である。特に元祖CCRの場合は曲が良いだけに、演奏テクニックではなく曲で聴かせてしまうのである。私は解散前の数枚の作品はほとんど聴いていないが、それでも私が知らなかったのは一曲のみで、それ以外は何年たっても忘れないメロヂィを持つ私の青春歌謡曲である。EやPは、まさに私が中学生時代にポップスを聴き始めた頃、FENの深夜放送から何とか録音しようと悪戦苦闘した記憶などを思い出させてくれる。@及びOは、まさに彼らがブレイクした作品。そしてその後の曲はひたすらヒット街道を驀進することになる。そう、まさに彼らがヒット曲を連発し、’クリクリ’という愛称でさかんにDJに呼ばれていた時代は、個人的には私の中学から高校にかけてのまさにロックの原体験時代と重なるのである。もちろんそこにはJohnがいるのが好ましいものの、彼なしでも、あたかもライブ喫茶でコピ−バンドを聴いている感覚、そしてコピ−バンドでも十分楽しめてしまう感覚を味わうことができるのである。青春を駆け抜け、今は人の良い叔父さんになったかつての風雲児たちが、それを同時代的に体験した世代とかつての時を共有する。それは確かに現代におけるアクチャリティは有していない。しかしこの日のコンサ−トでは、私はかつてCrosby Stills & Nashのアコ−スティック・コンサ−トで感じたような懐古趣味に対する違和感を抱くことはなかった。おそらくはCS&Nはウッドストックを始めとする当時の社会環境に余りにも結びついているが故に、アクチャリティ−の欠如が、音楽的な不満をももたらしたのではないか、と思う。それに対し元祖CCRは、確かに同じ時代の産物ではあったものの、社会現象との結びつきは特段なく、むしろ能天気にヒット曲を連発したのであった。曲を曲としてだけ聴けるバンド。そうした気楽さが、30年後の今もそれらの曲をそれ自体として受け入れることを可能にしているのである。人のまばらなアリ−ナで、いつものように体をリズムに合わせながら、私は、こうして自分のポップスの原点に回帰していくのは、フランクフルト最後のロック体験として決して悪いものではない、と感じていたのである。

 こうしてコンサ−トが終了したのは10時40分頃。会場を飛び出し、A661を北に向け車を吹っ飛ばすと、既に11時には家にたどり着いていた。いつものように若干の耳鳴りが残る中、こうした快適な生活もこれが最後かと思うと一抹の寂しさがこみ上げてくるドイツの夏の一夜であった。