アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
ジ−ザス・クライスト・ス−パ−スタ−  
日時:1991年12月21日
場所:アルテ・オパ− 
 フランクフルト当着後、初めての舞台として、アルテ・オパ−で行われたミュ−ジカル、「ジ−ザス・クライスト・ス−パ−スタ−」を見た。70年代に初めての本格的なロック・オペラとして、ロンドン及びニュ−ヨ−クで記録的なロングランになると共に、作者であるティム・ライスとアンドリュ−・ロイド・ウェ−バ−の名前を一躍高めたこのミュ−ジカルは、私にとってはひとつの伝説であったと言っても過言ではない。戦後初めてと言っても良い程に大衆文化が成熟し、音楽においても、ポップ・ミュ−ジックと呼ばれた一過性の音楽が、その同時代的エネルギ−を吸収しつつ、演奏技術の飛躍的な向上を背景に、より大きな普遍性を獲得していった時代。このミュ−ジカルはそうした時代の落し子であり、その意味でこの時代を象徴するひとつの伝説たりえたのである。

 正直なところ、このミュ−ジカルが評判になっていた頃、私がこれにどれだけ同時代的関心を払っていたかと言うと、甚だ疑問である。確かに、ザ・フ−による「トミ−」や、「へア−」と共に、従来単なるショウに留まっていたミュ−ジカルに同時代性と社会性を持たせ、同時に作者の主張も織り込んだこうしたロック・オペラまたは、ロック・ミュ−ジカルが斬新なものであったのは間違いない。しかし、個々の音楽は、そのころ進行中であったロック革命の中では、どちらかというとトラディッショナルな分野に属していた、というのが正直な感覚であり、むしろこのミュ−ジカルのテ−マ・ソングや、イポンヌ・エリマンが歌う「I Don’t Know How To Love Him」がヒット・チャ−トの上位に進出するのを、やや冷ややかに見ていたと言うほうが正しかっただろう。

 この感覚が変わったのは、ロンドンに滞在し、そこで80年代のミュ−ジカルを見ていく過程においてであった。言うまでもなく80年代は、A.L.ウェ−バ−が、「エビ−タ」「キャッツ」「スタ−ライト・エクスプレス」そして「オペラ座の怪人」と立て続けにヒット作を連発していく時期であり、また一方のT.ライスもアバのメンバ−と組んだ「チェス」でその健在ぶりを示していた。この時代、ロンドンでこうした舞台の圧倒的な存在感と構成力に接することにより、私の中にあったミュ−ジカルに対する偏見が次第に変化し、結果的にこれらの作品の原点とも言える「ジ−ザス・クライスト・ス−パ−スタ−」に対する強い興味を引き出すことになったのである。しかし時は既に遅く、このミュ−ジカルは週去のものになっていた。それが私の中にひとつの伝説を作ることになったのである。

 このミュ−ジカルの再演がここフランクフルトで行われることに気づいたのは、到着直後、町で見かけた宣伝ポスタ−によってである。しかし不慣れな町で、且つ語学学校に通うためライン川沿いのポッパルドという町に滞在し、週末毎に約150キロ離れたフランクフルトに戻るという生活を送っていたこともありなかなか動くことができなかった。12月に入り、フランクフルトでの定住生活が始まり、何とか生活のリズムができてきたこともあり、人から教えてもらったハウプトバッヘのチケット・オフィスヘ行き、12月19日から翌年1月9日までの約20日間の限定公演のチケットがまだ残っていることを知った時は大変な驚きであった。人口60万の小都会だからであろう、ロンドンに比べて何とチケットの入手は簡単なのだろうと痛感したのであった。

 会場のアルテ・オパーは正確には「Neue Alte 0per」と言い、フランクフルト市のオベラ座が根拠地とするもうひとつのオペラ・ハウスである「Frankfurter 0per」と区別される。識者によると、戦後間もない時期に建築された後者と異なり、こちらは60年代まで戦争で破壊されたまま建設計画がまとまらず、一時は、その瓦礫を完全に撤去し、そこに市を半円形に囲む環状道路を通すという案まで出たことがあったと言う。再建計画がまとまったのはようやく60年代になってから、そして最終的に完成したのは80年代に入ってからであった。確かに外見こそ、破壊された瓦礫を使い再建しただけあり古風な重厚さを漂わせているが、一歩中へ入ると、会場のデザイン、内装とも全く新しいものである。私の席は2階であったが、そこへ行くにはエレベ−タ−の6階で降りなければならない、という構造である。そうした新しさのせいか、この会場はトラディッショナルなオペラというよりは、もっと大衆的な、単発的な公演に利用されているとのことであった。

 今回の公演は、ニュ−ヨ−クで編成されたメンバ−によるもので、演出、振り付けがL.フラ−、主役のジ−ザス、マリアそしてユダに夫々C.ラス、Y.ポルジェス、D.ゾ−リという配役であるが、残念ながら私の知る名前はない。パンフレットによると、演出のL.フラ−はアメリカ生まれのダンサ−。「ウエスト・サイド・スト−リ−」の「跳ぶ男」等で注目された後、振り付け、演出に転向。B.ストレイザンド主演のヒット作、「ファニ−・ガ−ル」等のダンス・キャプテンを務めると共に、ドイツにおいても、1972年に「ウエスト・サイド.スト−リ−」の初めてのドイツ語版を演出し、名前を知られることになった。そしてその後も彼は「キャンディ−ダ」「ガ−ル・クレイジ−」「オン・ザ・タウン」といったミュ−ジカルのドイツ語版の演出を続けてきたという。俳優のうち、ジ−ザス役のC.ラスは、やはり「ウエスト・サイド・ストリ−」のトニ−役で注目され、また今同の公演の直前は、ブロ−ドウェイ版「オペラ座の怪人」のラオ−ルを演じていた。マリア役のY.ポルジェスはアッテンボロウ監督による映画版「コ−ラス・ライン」のダイアナ役で知られている。そしてD.ゾ−リにとっては、今回のユダ役は初めての大きなチャンスということになる。

 今回の公演が、70年代のオリジナルと比較してどうであるか、ということは私には言うことができない。しかし、予習を兼ね購入したR.スティグウッド監督による映画のサウンド・トラックと比較してみると、第一幕で「Then We Are Decided」という一曲が除かれている以外は少なくとも曲目に関しては略オリジナルに忠実であることが分かる。第一幕、序曲と共に、古代ケルトの邪教の儀式が演じられ、それが大衆により駆逐され新たな神、ジ−ザス・クライストが誕生するところから歌が始まる。ユダによる、ジ−ザスへの賛美と警告、ジ−ザス、ユダを含めた13使徒による布教、改宗した娼婦、マグダラのマリアを巡るジ−ザスとユダの確執、ユダヤの高僧カイアファスとアナによるジ−ザス抹殺の決定、ロ−マ人の支配者ピラトウスの不吉な夢、ユダヤ教会でのライ患者のジ−ザスヘの殺到、疲れ果てたジ−ザスヘのマリアのララバイ、そして狂乱し金に目が眩んだユダによる裏切りで第一幕が終了する。

 第二幕は12使徒による最後の晩餐から始まる。ジ−ザスの最後の説教、そして自らを神と偽った不敬の罪による逮捕、ピラトウスやフランス貴族ハロルド王による審問、マリアの悲しみ、自責の念に駆られたユダの自殺、ピラトウスによる再度の審問と磔刑の決定を経て、ステ−ジはクライマックスへ向かっていく。ス−パ−スタ−として復活したユダが「ジ−ザスよ、お前はいったい何者だったのか」と歌うテ−マ・ソングの後、ゴルゴダで礫刑となったジ−ザスが闇夜の中に浮かび上がり、そして夕焼けと風が交錯する中、静かに終息していく。

 ステ−ジ・セットは左右に階段が延び、それが中央で繋がっている。その階段の構にはスクリ−ンが張られ、序曲でのスト−ンヘンジ風の遺跡やユダヤ寺院の内装あるいはジ−ザスが礫刑にされている間の空の変化等、その時々の背景を映し出す。ステ−ジ中央には特段のセットはなく、最高12本まで増えることになる石柱が唯一のアクセントである。そして最後の磔の場面で、ジ−ザスが、舞台から直接十字架に繋がれたまま引き上げられる、というのがただ一つのトリックであった。こうしたシンプルなセットであることから、俳優たちの演技力が生に出てしまうのも、これが20日の限定公演であることからやむを得ないことなのであろう。しかし、さすがにジ−ザスのC.ラ−スとマリアのY.ホルジェスは安定した歌唱力で観客を引き付けるのに成功していた。またオ−プニングのジ−ザス賛歌から裏切りの苦悩、そして最後のテ−マ・ソングを通じ、むしろこのミュ−ジカルの実際の中心であるユダ役のD.ゾ−リが初めての大役を熱演していたのは特記すべきであろう。

 しかしながら他方、ステ−ジがシンプルでトリックが少ないことで、その後のミュ−ジカルが看板としてきた高度の娯楽性がなくなり、全体の進行が平板になったことは否定できない。もちろん、昔ロンドンで見たミュ−ジカルの中にもあったように、ステ−ジ・セットは壮大だが、音楽と演技は稚拙である舞台に比べれば、今回の公演は、俳優の実力は相当高かったといってよいと思う。しかしそれにもかかわらず、例えば、伝統歌舞伎や、猿之介一座の現代歌舞伎、そして唐十郎、野田秀樹あるいは井上ひさしらの現代劇等、私がこの3年半日本で親しんできた演劇のセットとの比較においても、期待感が大きかった故に、今回のセットがやや見劣りしていたことは否定できない。また歌の部分に比して、ダンスに見るべきものが少なかったことも指摘すべきであろう。「42nd Street」のようなトラディッショナル・アメリカン・ダンス・ミュ−ジカルの華麗なダンスや「キャッツ」のような激しい個人プレ−を期待するのは無理としても、スト−リ−の進行の中でのアクセントとして、もう少しダンス部分に張りを持たせても良かったのではないだろうか。特に、演出がダンサ−出身であるだけに、この点もやや残念であった。

 こうした印象は、自然にこのミュ−ジカルのオリジナルが、70年代にどのように演じられていたのか、という興味を引き起こすことになる。もちろんそれは今となっては知りようのないものである。しかし前述のように、70年代においては、そのミュ−ジカルとしての完成度以上に、キリストの生涯をロック・ミュ−ジカルにすること自体のインパクトの方が大きかったことは容易に想像される。スト−リ−は言わば聖書に忠実であり、その点においては、その後製作された映画「キリスト最後の誘惑」などの方が、よりジ−ザスの人間的側面を強調し、宗教的にも論議を呼んだものであった。従って、やはりこのミュ−ジカルは本来的には70年代の時代背景のもとで、同時代的に見て初めてそのインパクトを実感できたものなのであろう。

 しかしそれにもかかわらず、このミュ−ジカルが音楽的には決して古さを感じさせないのも事実である。その後のA.L.ウェバ−のミュ−ジカルのいくつかがそうであるように、このミュ−ジカルも、時代性を刻印しつつも時代を超えて受容されていくであろうことは疑いない。その意味でやや遅すぎたとはいえ、今回の公演でこれに初めて接することができたことは、現代ミュ−ジカルの一つの原点を知るという点で、私にとっても意義深いものであった。ここフランクフルトで今後どんな刺激が待ち受けているか、一層の期待を抱かせてくれた一夜であった。

 最後に、パンフレットで、T.ライスとA.L.ウェバ−の写真が逆になっているのは全くおそまつ。彼らは、当地では必ずしも名前が売れていないのであろうか。