アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
チック・コリア・エレクトリック・バンド
日時:1992年4月10日
場所:アルテ・オパ− 
 フランクフルトに来て半年。その間、音楽的活動は、昨年12月の「ジ−ザス・クライスト」を見たのみで、その後チケットを取っていたレイナ−ド・スキナ−ドは東京からの客に潰されるなどで、コンサ−トの数の割にはなかなかチャンスが掴めなかった。ようやくこうしたコンサ−トを楽しむことができたのは、ドイツの長い冬も終わりかけた4月になってからであった。場所は「ジ−ザス・クライスト」と同じアルテ・オパ−。席はしかし前回の2階席と異なりアリ−ナの10列目。久々のチック・コリアを聞くには申し分ない席である。

 チック・コリアを聞くのはこれで3回目である。就職して間もない頃、慣れないス−ツ姿で日本武道館の寒さに震えながら聴いたのは、彼とハ−ビ−・ハンコックのピアノ・デュオ。その後、ロンドンのフェスティバル・ホ−ルで見たのは、弦楽四童奏団が加わったゲ−リ−・バ−トンとのデュオ。前者のデュオは、アコ−スティック・ピアノのみの演奏であったが、その頃既にエレクトリック・ミュ−ジックの世界が主要な活動領域であったこの二人の、時にはグル−ビ−な、そして時には華麗なテクニックに驚愕したのを記憶している。後者のデュオは、一層正確さを増したチックのテクニックに、ゲ−リ−・バ−トンのこれまた神業じみたスティックさばきが加わり、前者以上に圧巻であった。コンサ−トの後で買ったレコ−ドを聴くと、即興と思われた部分でさえ実際のステ−ジの演奏と寸分たがわなかったのにも驚いたものだった。

 こうして私にとってはチック・コリアの音楽はアコ−スティックの印象が強いものとなった。もちろん1970年代半ばのリタ−ン・トウ・フォ−エバ−の結成により、まずエレキ・ピアノを前面に出し、続いて第二期では彼のシンセサイザ−のみならず、ギタ−、ベ一スもエレキ化する等、彼の活動の中でエレクトリック・ミュ−ジックの占める比重は既に高くなっていたが、丁度その中で頭角を現したアル・ディ・メオラや、チックとほぼ同時期に「ヘッドハンタ−」でエレキ/ファンクを試みたH.ハンコック、あるいはそれに遡る「ビッチェス・ブリュ−」のマイルスのように、ジャズの側からよりロック的なリズムを求めていくと、ロックの側から見ると結局中途半端なものに終わっているように感じていた。その結果、私のレコ−ド・コレクションの中でも、チック・コリアについてはアコ−スティック物が大勢を占め、エレクトリック物については長い間手を出さないままであった。

 彼のエレクトリック物に対する私の固定観念が僅かに変化したのは、1988年、ロンドンからの帰国直後、最初に買った彼のアルバム「Eyes Of A Beholder」を聴いた時だった。ロックに媚びない、抑えた、繊細な音作りは、所謂フュジョン系の音楽としても出色で、何よりも個々のミュ−ジッシャンのテクニックが至るところでロックにない緊張感を作り出していた。そこに、マイルス学校の優等生、チックが長い模索の果てにたどり着いたエレクトリック・ミュ−ジックの洗練された姿を感じたのは、私だけではなかったのではないだろうか。

 こうして迎えた彼のフランクフルトでの一晩限りのコンサ−トは、金曜日の夜9時に開始され、前半1時間の演奏の後、ジャズ・コンサ−トとしては珍しい休憩をはさみ、12時まで、何と2時間半続くことになった。結果としては、予想通り、よりハ−ドな曲は今一つ中途半端であったが、スロー又はミディアム・テンポの曲ではいかんなくチックの真骨頂が示されたコンサートであったと言える。

 今回のメンバ−はチックに加え、ドラムにD.Wickel、ベ−スにJ.Earl、サックスにE.Marienthal、そしてギタ−にF.Gambaleという5人。D.Wickelは、チックの現在のもう一つのプロジェクトであるアコ−スティック・バンドでも行動を共にしている。J.Earlは、このバンド創設時のべーシストであるJ.Patitucciの脱退後、今年になってから加わった最も新しいメンバ−である。

 E.Marienthalは1987年、チックにより見出されバンドに参加した若手。そしてF.Gambaleは、オーストラリア生まれ。Jean-Luc Pontyのバンドに加わった後、このチックのプロジェクトのオ−ディションを受け、3代目のギタリストとして1987年より参加している。言うまでもなく、展開の中心にいるのはチックであるが、フランクとエリックの二人もフロント・ラインとして交替にソリストとして前面に登場する。そして、私が参加した前二回のコンサ−トとの最も大きな違いを述べるとすれぱ、それは、前二回のそれが、デュオであることから個人のテクニックを前面に出したバトルであったのに対し、今回のそれはあくまでバンドとしてのアンサンブル中心のものであった、という点にある。それをどう感じるかで、このチックの現在のプロジェクトの評価が変わってくるのではないだろうか。

 コンサ−トはまずチックのシンセサイザーによるイントロで開始され、ただちにエイト・
ビ−トのフュージョン系の音に入っていく。前述のとおり、エイト・ビ−トのフュ−ジョンは、私にとってはやや退屈である。もちろんフロントの3人のテクニックは申し分ないが、それでもチックのキ−ボ−ドは前記のデュオのような繊細な緊張感はなく、フランクのギタ−は余りに力みすぎて耳につく。エリックのアルトとテナ−を持ち替えてのソロも、うまいが、まだ十分な個性を確立しているとは言えない。時折チックはシンセサイザ−から、肩掛けのキ−ボ−ド(私はこの楽器を何と総称するのか知らない)に持ち替える。これは彼の驚異的なテクニックを視覚的に追うには面白いが、音楽的には特段の新しさはない。またフランクをフュ−チャ−した曲では彼の早弾きをふんだんに楽しめるが、丁度私が持っている彼のソロ・アルバム「A Present To The Future」で感じたように、フレ−ズの単調さが時折出てしまう。これが結局、私がフランクのアルバムを続けて買おうと思わなかった最大の理由である。しかし、例えば、彼が昨年A.Holdsworthと競作した「Thust In Shredding」などは、最近の私のフュージョン系のギタ−・コレクションの中でも出色の仕上がりになっている。アランの強烈な個性とフレ−ジングに刺激されたからだとは言え、フランクの素質に並々ならないものがあるのは確かである。

 こうしてややものたりないまま第一部が1時間程で終了、30分の休憩の後、第二部に移った。第二部が特段変わった趣向をもっていた訳ではないが、心持ちスロ−ないしミディアム・テンポの曲が多かったように思える。ジミ−がアップ・テンポの派手なフィンガ−・ピッキングのベ−ス・プレイをやめ、通奏低音的に響かせる中、フロントの3人が、音量を絞りながら展開していくソロは、なかなかの聴きものである。フランクのアコ−スティック・ギタ−は、この日は一曲だけであったが、エレキの力みがなく、心地好いソロを聴かせた。エリックのソプラノ・サックスもこうした曲想の中でのほうが、より大きな広がりを表現している。そして何よりも、チックのキ−ボ−ドも、ようやく個々の音がクリアーに拾えるようになり、彼のテクニックを鮮明に追いかけることが可能になる。おそらくこの日の演奏曲目は、最新アルバムである「Beneath The Mask」からのものが多かったのであろうが、残念ながら私の聴き慣れた曲はほとんどなかった。それでも、どこかで聴いたことのあるフレ−ズはここかしこにあり、また曲の展開も、後半は「Eyes Of A Beholder」を思わせるものになっていった。突然、典型的なブル−スの陽気なセッションになったりもしたが、後半の中心は、静かなイントロから次第に盛り上がっていくタイプの曲が中心で、その意味で後半は全般的に私の趣向に合うものになっていった。終盤近く、早いテ−マのフレ−ズを、ベ−スも入れた4人が、ステ−ジで並びながらユニゾンで奏でるのを聴きながら、今年で51才になるチックが、その師であるマイルス・デイビスと同様に決して留まることを知らないミュ−ジッシャンであることを痛感していた。アコ−スティック・バンドでジャズの王道を行きながらも、他方でエレクトリック・バンドという形で新たな音作りを求める彼の旅はまだまだ続きそうである。次に接する時はどういう音楽を試みているか予想がつかない。その正確な演奏テクニックのみならず、この意外性が、このミュ−ジッシャンの最大の面白さであるような気がしたのである。