アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
エマ−ソン・レイク & パ−マ−
日時:1992年11月30日
場所:フランクフルト・コングレスハレ 
<演奏曲目>
@TARKUS(TARKUS,1971)
AKNlFE EDGE(EMERS0N,LAKE&PALMER,1971)
BPAPER BLOOD(BLACK MOON,1992)
CBLACK MOON(BLACK MOON,1992)
DCLOSE TO HOME(BLACK MOON,1992)
ECREAL DANDE(UNRELEASED)
FFROM THE BEGlNNlNGS(TRIROGY,1972)
GSTlLL Y0U TURN ME 0N
(BRAlN SALAD SURGERY,1973)
HLUCKY MAN(EMERS0N LAKE&PALMER,1971)
IH0NKY T0NK TRAlN BLUES
(W0RKS,V0LUME2,1977)
JR0ME0 AND JULlET(BLACKMOON,1992)
KPlRATES(W0RKS,V0LUME1,1977)
LPlCTURES AT AN EXHlBlTI0N〜DRUM S0L0
(PlCTURES AT AN EXHlBlTI0N,1972)
MFANFARE F0R THE C0MM0N MAN
(W0RKS,V0LUME1,1977)
NR0NDO(THE NICE,1969)

 1978年の「L0VE BEACH」以来の最結成アルバムである「BLACK MOON」のワールド・ツア−が、ここフランクフルトで、当初の10月初めの予定から、2度のメンバ−病気による延期を受け約2ケ月遅れで行われた。会場も当初は、ヘキストのJahnhunderthalleが予定されていたが、延期の結果、メッセ内のCongresshalleに移しての公演である。

 言うまでもなく、70年台の英国のロック・ム−ブメントの革新を担い、また個人的にも、高校から大学にかけての生活の思い出が子細に刻印されているバンドである。おそらく、あれは4枚目のアルバム、Trilogyが発売される直前であったので、1972年のことであろう、彼らの初めての来日公演を、雨の後楽園、ジャンボ・スタンドで聴いたのは。遥かかなたのステ−ジで繰り広げられる彼らの演奏は、コンサ−トというよりは、祭りの幻想であり、所謂外タレが遠い存在であった時代の私にとってはまさにライブの現実感からは程遠いものであったのを記憶している。

 こうした現実感が身近なものになったのは、80年台、ロンドンでの生活を経験してからであるが、残念ながらその頃、このバンドは既に活動を停止していた。キ−ス・エマ−ソンはソロ活動に入っていたが、地味な映画音楽で時折名前が聞こえる程度、グレック・レイクは、若干のソロ活動の後、カ−ル・パ−マ−と共にASlAの結成に参加するものの、日本公演に参加したのみで脱退する、という状況で、音楽的な成果は何も残らなかった。もちろん、1983年のコンサ−ト評で書いたとおり、カ−ル・パ−マ−が参加したASlAは、私にとっては、70年台のELPを引き継ぐものと認識されていたが、音楽の構想は、ELPの指向したような、個人プレ−によるバトルを中心にしたものから、アンサンブル中心のものに変わってきていた。緊張感が漲ったスリリングな曲想から、落ち着いたポップ感のある音楽への変化に物足りないものを感じつつ、私はロンドンに遅れてきたのを感じていた。私のロンドン滞在後期の1986年、エマ−ソンとレイクは、レインボウのドラマ−であったコ−ジ−・パウエルを加え、アルバムを1枚発表したが、コンサ−ト・ツア−は組まれずじまい。また1988年には、エマ−ソンとパ−マ−がベ−シストを加え「3」なるバンドで一枚アルバムを発表している。双方のアルバム共、まとまってはいるものの、かつての緊張感は、全く垣間見れないものであり、結局私の中でELPは、70年台のバンドとして、復活を期待することのできない伝説となっていったのであった。

 今年の半ぱ、このELP復活の話しを聞いた時の気持ちはやや複雑なものであった。伝説は伝説のままであるのが良い。かつて美貌でならした女優が老醜を晒すのを嫌がるファンのような気持ちが、この時の私の中には確かにあった。と同時に、自分の青春がまた再び戻ってくるのは悪い気もしない、という意識も存在した。現在の若者から見れば、おそらくこのバンドの音楽はアクチャリティーを失っている。しかし、青春時代に彼らの音楽の洗礼を受け、同じに歳をとってきた者にのみ共有しうるアウラがあるのではないか、という期待もあった。演奏にかつての切れが見られなくとも良いではではないか。その時代を個人的に追体験しようではないか。こう考えている間に、今年の6月、最結成アルバムであるBLACK MOONが発売され、それを受けたワ−ルド・ツア−が開始されたのである。

 フランクフルトでのコンサ−トについて触れる前に、それに先立って行われた日本公演の評価を、「ミュ−ジック・マガジン」11月号のレポ−トで見ておこう。「正直いってまったく期待してなかった。3人の『個人技』だけが売り物のすべて−その演奏テクニックも今の時代に通用するかというと疑問。」「しかし、その『個人技』がとにかく『面白い』。」そして結局「すがすがしさとともに、見せ物小屋的な興奮を味わった」と結んでいる。結論を先に言ってしまえば、確かに全盛時のELPにのめりこんだことのない、新しい世代がこういう見方をするのもやむを得ないと思う。しかし、私がこのバンドに求めていたのは、既に何度も書いたとおり、ロックの中でのインタ−プレイの緊張であり、それはこの評者が言っているように、現在の音楽水準の中で乗り越えられてしまったどころか、むしろ失われてしまったものなのである。現代のファッションから見れぱ間違いなく古いタイプの音楽であるが、演奏テクニックと個人のインタ−プレイという観点で見れば、残念ながら彼らのレベルを越える若い世代のロック音楽は育っていない。そしてその意味で、音楽のセンスは時代に適応しないとしても、丁度ジャズがそうであるように、時代のファッションを越えて生き残っていく力を有するのである。間題は、ELPの3人が、そうした緊張に耐えられるだけのテクニックと音楽的センスを維持し、発展させてきているかどうか、という点にある。新生YESを始めとしてそうした期待に答えてくれたミュ−ジッシャンも決して少なくない。ELPはどうであろうか。こうしたことを考えながら、メッセ会場にあるフランクフルト・コングレスハレヘ出かけて行ったのである。

 2度の延期を受け会場が変更になったことから、チケットの値段によるブロックの中での自由席である。こんなことなら、もっと早く来るべきだった、と悔やんでも後の祭り。それでも、正面5列目の右側に陣取った。ステ−ジまでは数メ−トル。キ−スは正面左にセットされているキ−ボ−ドの陰に隠れるが、中央のグレッグと右サイドのカ−ルを捉えるには絶好のポジションである。セットはそれぞれの楽器のみ、背景にギリシャ神殿風の柱のイラストを配しただけのシンプルなもので、学園祭の雰囲気である。そしてコンサ−トは前座もなく、定刻の8時丁度に始まった。

 司会者の紹介に続き、@のオ−プニングのジェットマシン音が会場を包む。20年振りに聴く生のTARKUSである。第一部のERUPTIONで既に、キ−スの早弾きキ−ボ−ドと、5拍子のメインテ−マから変則ビ−トに入っていくカ−ルのドラムが蘇る。第二部のSTONES OF YEARSでグレックのボ−カルが復活。心情的には既に興奮の虜であるが、オ−プニングはまだ夫々のテクニックが私自身の幻想についていっているとは言えない。ICONOCLASTに続くMASSではキ−スが、ム−グのリボンコントロ−ラを股に挟みステ−ジ中央でマスタベション的動作をすると、コントロ−ラの正面から火薬が噴き出すというサービス。これは取り合えずの御愛敬。そして曲はMANTICOREに続き、そこから突然Aに移行する。1971年のデビュ−アルバムからの曲であり、また、後期のライブアルバムに収められているが、そのライブアルバムはほとんどまじめに聴いていないことから、本当に久々に聴いたという印象である。

 続けてグレッグがマウスハ−プを口に加え、新アルバムからのBそしてC。新アルバム全体がミディアムテンポのストレ−トなリズムが主体となっているが、この2曲はその意味で彼らの現在そのものである。曲作りに面白さはないが、演奏は、さすがに@Aよりはまとまっている。

 Dはやはり新アルバムからであるが、キ−スのピアノソロ。アルバムでも叙情的な間奏曲であったが、コンサ−トにあっても、前4曲の音の洪水からしばし小体止をする、といった雰囲気である。むしろ未発表(又はキ−スのソロに入っているかもしれないが)のEが、丁度デビュ−アルバム中の「運命の3人の女神」でキ−スが見せたような、華麗さと緊張を再現したピアノソロになっており圧巻であった。

 続いてグレッグのソロ。まずはTrilogyからのF、そしてBrain Salad SurgeryからのG。アコ−スティックギタ−の音は相変わらず清んで、それにグレッグの太いにもかかわらず、リリカルな声がかぶさっていく。声の張りが哀えているのは事実であるが、あのグレッグ節は確かに健在である。再び3人になり、「皆で歌おうぜ」と紹介され始まったのが、これまた懐かしのH。初めてレコ−ドでシンセサイザ−の音を聞いた曲であるが、曲の最後で、全く同じ、「初期シンセ−」の音を再現したのもご愛敬である。

 場末ジャズクラブ風ホンキ−トンクのI、新アルバムからのインストルメンタルナンバ−でプロコフィエフの作品を再アレンジしたJに続き、思いがけずKのイントロが始まった。壮大な構成と繊細なテクニックが調和した後期ELPの隠れた名作として、個人的に評価している曲であるが、ライブ音源が紹介されていなかったこともあり、今回の大きな収穫であった。確かにKarn Evil 9等に比較すると、リズムが遅い故に、まとまりやすい面はあるが、それでも曲の展開はめまぐるしく、これをやるためには、そこそこリハサルを積んだのだろうと思われてくる。そして15分を越えるこの曲から間髪を入れずLヘ。言うまでもなく、彼らをトップの座に押し上げた名曲であるが、この日は、レコ−ドAB面を通じ約35分のオリジナルを、20分程度に再度アレンジし直した形で演奏された。途中カ−ルのドラムソロ。ELP東京公演、1983年のASlAロンドン公演そして1990年のASlA束京公演と、今まで4回彼のソロを聴いているが、今回の特記事項は、まさに数メ−トルの距離でこれを見ることができた、ということであろう。カ−ル自身は、80年代も継続的に活動を続けてきただけに、そのテクニックは申し分ない。しかも今回はそれを至近距離で見たことから、彼の披露する技の細部を子細に楽しむことができた。こうして、ドラムソロがピ−クを迎えたところで他の二人が現れ、Lのエンディングヘと突入していくのである。

 オリジナルアルバムだと、ここで”Once more music”という大歓声に続いてNutkruckerが演奏されるのであるが、この日のアンコールはWORKS 1からのインストルメンタルのM。後期のライブアルバムでも取り上げられているシンセ主体の曲であるが、私には余り面自いと思われないものである。そうは言いつつも折角の機会なので、最前列ステ−ジ前に張りつきこの単調なリズムのアンコ−ルを楽しんでいると、突然これがR0ND0へと移行したのである。

 言うまでもなく、ELPの前身Niceが取り上げ、フィルモアライブでキ−スの名前を一躍有名にした曲。個人的にも、キ−ボ−ド曲の中でも20年に亘り、初めて聴いた時の興奮が未だに持続している私のロック体験の原点とも言える曲である。古典的ハモンドオルガンでの演奏であるが、この響きが何ともいえず心地好い。そしてこれは、20年前にも、キ−スがアクロバティックなパフォ−マンスを見せることで有名になった曲でもある。この日も、ハモンドを斜めに立てかけ、ナイフを片手にその上に飛び乗ろうとしたものの、裏の板が剥がれうまくいかず、代わりにピアノの上に飛び乗り、そこから後ろ向きのままシンセでバッハを弾くなど大サ−ビス。先の日本公演の評者も含めた若い世代の気持ちを引き付けたのである。

 こうしてコンサ−トはびったり2時間続き、10時丁度に終了した。音楽的には、どうしても聴きなれた彼らの1974年のライブアルバムである、”Wellcome Back,My Friend, To The Show That Never End”の演奏と聴き比べてしまうが、彼らの全盛期の演奏との比較で初期の曲が見劣りするのはやむを得ない。他方、前記のとおり、最新アルバムの曲は、演奏はまとまっているが、曲自体の魅力に欠けている。その意味で、やはり彼らに現在の音楽的アクチュアリティを期待するのはそもそも難しかったといえる。とは言いつつも、彼らの全盛期の音楽は、そのテクニックと構成美で、時間を超えた普遍性を有している。その意味で、かつての若さにまかせた奔放なステ−ジは期待できないとしても、音楽自体の魅力はいつまでも持続しうるものである。そして、これが古典音楽との相違であるが、これらの音楽は他でもないELPのみが作り出せる音楽なのである。依然として細身を保っているキ−スとカ−ルに対し、丸々と太ったグレッグの姿に、20年という歳月を痛感しながらも、これから20年後に同じコンサ−トに参加しても、おそらくは同じ感慨を抱くのであろう。この手のバンドのパンフレットに必ず付いているブリティッシュプログレの系譜図を眺めながら、この流れはまだとうとうと続き、そしてまた時折こうして原点に回帰していくであろうことを痛感したのである。

 最後に、今回のツア−の内、ロンドン、ロイヤル・アルバ−ト・ホ−ルでのライブが、「日本独占発売」された。いったい、本国でも発売されていないこうしたアルバムがただちに日本で発売されるというのをどう考えるべきなのだろう。未だに日本で中年のELPファンが数多く残っているのか、それとも、今回の「見世物小屋」的公演が新たな若いファンを掴んだからなのか。いずれにしろ、売れるものを、需要が存在する間に売っておく、という日本の音楽産業の軽薄さと貪欲さを垣間見た気がした。

(追記)

 上記のロンドン、ロイヤル・アルバ−ト・ホ−ル・ライブは、フランクフルト時代にCDでは購入していたが、日本への帰国後、映像版も入手した。内容的には、上記コンサ−トのDとGを除く総てが、同じ進行で収録されている。改めて映像版を見ると、上記の印象にも係らず、彼らのテクニックは決して衰えている訳ではないことを痛感させられる。特にキ−スのキ−ボ−ドさばきは、もちろん往年に比較すれば力はなくなっているとしても、現在登場している若いバンドではとても期待できないようなレベルを維持している。初期の映像版(例えば、あの不愉快なイラストで、最も盛り上がっている部分が妨害される「展覧会の絵」)のような、視覚的な若々しさはないにしても、私のロック経験の原点としての彼らの地位はますます強まった映像であった。