アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
ピ−タ−・ガブリエル
日時:1993年4月21日
場所:Festhalle 
 ニュ−アルバム「US」をひっさげたP.ガブリエルのワ−ルド・ツア−・コンサ−トがフランクフルトで行われた。当日は4月とは思えない程気温が上がり、夏の宵を思わせるような清々しい気候のもと、会社から徒歩10分程の会場のFesthalleへ向った。このFesthalleは、フランクフルトの見本市(メッセ)会場の入口にあるホ−ル。先般、数度の延期の後、EL&Pのコンサ−トが行われたCongresshalleは、この会場の横にある小ホ−ルであるが、集客力のある外タレのコンサ−トの多くはこちら、Festhalleにて行われる。当地に来てから何度かここでのコンサ−トのチケットを購入したが、その都度邪魔が入り行けずじまいで、この日が私にとっては始めての入場となった。

 楕円形のホ−ルは、この日は一階アリ−ナが立ち見、二階、三階が着席自由のスペ−スとなっていたが、8時の開演直前に既にアリ−ナの立ち見席はかなりの人で埋まっていた。我々はチケットの入手が遅かったこともあり、三階席である。ステ−ジを右に見下ろす第一列に落ち着いて開演を待った。

 ステ−ジのセッティングは開演前の状態では予想がつかないものであった。奥にある黒い仕切りで覆われた部分がおそらくはメインのステ−ジであろう。そこから花道がホ−ルの中央部に向って延び、その中央部に円形のステ−ジが作られている。その円形のステ−ジには楽器のセッティングは一切ないが、アリ−ナ席の観客は、これに向かって立っているように見える。前座の二人組がこの中央ステ−ジでギタ−とマイクのみのセッティングで演奏するのを見ながら、P.ガブリエルがどのようにこの中央ステ−ジを使うのか興味が膨れるのを感じていた。
私はこれまで決してガブリエルの音楽の熱心なファンであったとはいえないだろう。ジェネシスの変遷の中で、1975年のガブリエルの脱退は、P.コリンズの音楽性が前面に押し出されることにより、音楽的により洗練される方向に作用した、というのが以前からの私の印象であり、実際ガブリエル在籍のジェネシス最後の作晶となった、「The lamb lies dwn on broadway」では、ガブリエルのよりアバンギャルドな側面が前面に押し出され、その分音楽的には難解なものになっていた。おそらくは、噂に聞く、ガブリエルのステ−ジ・パフォ−マンスにより、視覚的要素も加え、その音楽は全体化できたのであろうが、ビデオも少ないその時代ではそうした総体感は分かるはずもなかった。こうして、「A trick of the tail」以降のジェネシスの音楽にのめりこむ反面、私はソロとして出発したガブリエルの音楽からは次第に遠去かっていった。

 もちろん、80年代初頭、私がロンドンで生活を始めた時、既に彼はソロ・ミュ−ジシャンとしての地位を確立していた。英国のテレビで、実験的な彼の音楽製作過程を、インタビュ−を交えてルポした番組を見たことがある。それはコンピュ−タを駆使した前衛的要素とアフリカ音楽を中心とした民族音楽の混交であり、文化現象としては確かに興味深いものであったが、それを機会にl枚購入した彼のソロ・アルバムは、必ずしも私の感覚に合うものではなかった。そんな訳で、1986年にリリ−スされた「So」が爆発的なヒットとなった時も、私は何となくこのアルバムを聞くことがなかった。そして今年に入り、その「So」以来6年振りの新作である「US」を耳にするまで彼の動向にはほとんど関心を払わなかった。

 しかしこうして手にした「US」は私の予想をはるかに上回る仕上がりであった。「So」からのヒット作である「Sledgehammer」と同タイプのアップテンポのR&Bナンバ−とスロ−な内省的且つ耽美的作品を織り混ぜながら、構想的な「Secret World」で終了する60分は充分にガブリエルの6年の沈黙を裏付けるものであった。しかし、一方で以前から感じていた、彼の音楽の総体性を知るにはやはりCDのみの世界では限界がある、という感覚を払拭することはできなかった。その意味で、彼のワ−ルド・ツア−がフランクフルトヘ来たのは私にとっては、彼の音楽の総体性に触れる良い機会であった。

 予定より30分遅れ、コンサ−トは開始された。オ−プニングは新作の一曲目に収められている「Come Talk To Me」。予想通り、奥のステ−ジを覆っていたフェンスが取り払われ、煙幕の中から中央にセットされた電話ボックスがスポットライトに浮かび上がる。ボックスの中には、受話器を手に「Come Talk To Me」と叫ぶガブリエルの姿。それを囲みギタ−、ベ−ス、キ−ボ−ド、ドラムのシンプルなバンドがサポ−トしている。私の席からはやや距離があるために定かではないがキ−ボ−ドとドラムは女性のように見える。またプログラムがないため、その他のミュ−ジッシャンも特定できないが、スティックベ−スの禿げの大男はT.レビンであろう。曲の途中からガブリエルが、ボックスから出て、よたよたした足取りで花道を中央ステ−ジに向けて歩き始める。白のソフトス−ツをきたガブリエルは、ワイアレスマイクを首に付け受話器を握ったまま、孤独な男の叫びを表現しようとしているかのような不確かな足取りで進んでいく。中央に到着し、その円形ステ−ジを回るように辿りながら曲が進行するが、スピ−カ−は、そのステ−ジ上方にセットされていることから、ガブリエルのいる位置と違う方向から声が聞こえ、やや非現実的な感覚である。

 再び後方ステ−ジに帰ったところで、早くも今回のアルバムからの最大のヒット曲である「Steam」が始まる。今度は歩調をよりリズミカルなものに変え、再び中央ステ−ジとの間を住復。バンドは奥に残っていることから、中央ステ−ジがガブリエル一人では閑散としており、このまま最後までいくのかと危惧していると、4曲目の途中で思わぬ展開が起こった。
曲自体は私の知らないものであったが、まず中央ステ−ジで6人目のメンバ−がバイオリンのソロで演奏を開始、それがキ−ボ−ドの打ち込みに移行し、ガブリエルのボ−カルが入ったところでバンド全員が、ガブリエルを筆頭に一列となり中央へ移動したのである。奥のステ−ジにスポットライトが当てられている間に、中央にはキ−ボ−ドとドラムがセットされていた。そこに向かい5人が、巡礼のように、足並みを合わせ行進する。この段階で分かったのだが、ギタ−とベ−スはコ−ドレスであることから移動には何の支障もないのである。

 こうしてメインステ−ジが中央に移行し、ここで新作からの「Blood of Eden」「Kiss That Frog」「Washing of the Water」「Digging in the Dirt」の4曲が披露される。スロ−バラ−ドでは、意識的にメンバ−の位置関係を造形し、またアップテンポナンバ−では、円形ステ−ジを陽気にステップを踏みながら跳ね回る。「Blood of Eden」での女性キ−ボ−ド奏者によるコ−ラスが何ともエロチックに聞こえる。そして大ヒット曲「Sledgehammer」。花道を往復しながら、ガブリエルは踊りまくるが、その動きは、コベントガ−デン等でよく見られるパントマイムの乗りである。会場全体が盛り上がる中、曲の後半、バンドは当初のステ−ジに戻り、そして新作のエンディング曲である「Secret World」に移行する。新作の中では最も音楽的に洗練され、展開も素晴らしい曲である。この日も抑えたイントロから次第に盛り上げ、そして再び静かに終焉していく展開は、最も聞きごたえがあるものであった。

 曲の後半、中央ステ−ジから一定間隔で、ス−ツケ−スのような箱が、花道に作られたコンベイヤ−に並べられ、奥のステ−ジに向け流される。花道の奥には、丁度歌舞伎からヒントを得たかのような奈落が設定されており、箱はそこに吸収されていく。そして、メンバ−が順にそこに沈んでいく形で退場、最後の箱がガブリエルに届くと、彼はそれを取り上げ奈落へ向かい、そしてその箱を開け、消えていった。同時に、中央ステ−ジ上方より、円盤形の覆いが降ろされ、ステ−ジ全体を包んでしまった。

 アンコ−ルの要求が会場全体を包む中、ゆっくりと、中央ステ−ジを覆っているカバ−が再び上げられると、そこにまた楽器のセッティングが行われており、「So」からのナンバ−である「In Your Eyes」が演奏される。アンコ−ルであることもあり、全員がリラックスして演奏している様子が伝わってくる。ガブリエルは、円形ステ−ジをくるくる回り、他のメンバ−とステップを合わせながら、そのややハスキ−な声で歌い続ける。当初から奥のステ−ジ上方に設定され、それまでは曲のイメ−ジを表すオブジェを写していたスクリ−ンも今はガブリエルの歌う姿を写し出す。親しみ易いメロディラインを持つこの曲は確かにリラックスしたアンコ−ルには最適である。そして、曲の最後、再びメンバ−が一人一人、中央部の台に腰を降ろし、最後にガブリエルが座ったところでそのまま沈んで行く。そしてまた上からカバ−。しかし、もう一度カバ−が上がり、2曲目のアンコ−ル。これは私の知らない曲であったので、個人的にはややしらけたが、まあ良しとしよう。一曲目のアンコ−ルと同様の展開の後、最終的にコンサ−トが終了したのは10時20分。約2時間のコンサ−トであった。

 先にも書いたとおり、ガブリエルの音楽は視覚的な要素を含めた総体的なパフォ−マンスである。この日の演奏も、バンドの各メンバ−のソロはほとんどなく、また個々のメンバ−の演奏技術でも特筆すべきものはなかった。それにもかかわらず、全体のコンサ−トの印象は決して否定的ではなかった。もちろん、一部にはガブリエルの作品のポップ性もあろうが、それ以上にこの日のコンサ−トを特徴付けていたのは、ステ−ジ展開の意外性と計算された進行であったと言える。繰り返しになるが、それは、大道芸や、英国のシェイクスピア劇を始めとする演劇的伝統と、歌舞伎のようなエキゾチズムをも取りこんだ総体的パフォーマンスなのである。音楽はそのための一つの要素にすぎない。私が想像していたようなシナリオがそこにはあった。視覚的にはシンプルで、曲を聞かせていくジェネシスのステ−ジとの相違はまさにそこにある。この点において、ガブリエルがジェネシスと袂を分かったのは、双方にとってメリットをもたらしたと言える。そしてその意味でこの日のコンサ−トでは、音楽的に英国のロックの最高水準を形作っているジェネシスから派生した、しかし、それと方向性を異にする音楽的方法論を見ることができたのであった。それは同時にロック音楽に入りこんだ英国的な伝統と、またそれを超えていこうとするミュ−ジッシャンの意思の混交であったといえるのである。ジェネシスが今後どういった音楽を作ってくれるかという期待とはまた別に、ガブリエルの場合は、今後彼の方法論がどのように展開していくだろうか、という興味に捉えられたこの日のコンサ−トであった。