アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
ボン・ジョビ  オ−プン・エア−
日時:1993年8月21日
場所:Mannheim Mainmarkt Geraende 
 B0N J0VIの「I’ll Sleep When I’m Dead Tour」と題されたワ−ルド・ツア−がフランクフルトから約70キロほど離れたマンハイムの町で行われた。昨年GENESlSのオ−プンエアがやはりこの町で行われたが、チケットを手配しながら行けずじまいであったこともあり、ドイツでのオ−プンエア−の雰囲気を知るため出かけていった。当日は、開場が午後1時、ということであったが、メインのB0N J0VIは、7時過ぎの登場、との情報を受け、ゆっくり出発し、5時半頃会場に到着した。しかし、既に会場前の駐車場は満杯で、警察官の指示に従い、会場から相当離れた再開発地域の駐車場に車を止め、暑い日指しの下20分程歩くと、ようやく畑の彼方に、異様にそびえるメインステ−ジが見えてきた。汗をかきかき、やっと入口にたどり着き、ゲートを抜けようとした時に、まず予期せぬ出来事が起こった。

 オ−プンエア−コンサ−トであるからには、畑の中でのピクニック、と考え、ミネラルウォター、コ−ラにつまみ等取り揃えて持参したのであるが、入口で没収されるはめになったのである。確かにアルコ−ルは、混乱のもとであるので禁止するのは理解できるとしても、何故水までも、とぶ然としていると、係員が、「チケットの裏に、カンやプラスチック容器は禁止、と書いてあるのを読んだか。」確かに後から読むと書いてある。これは中に入ると直ぐに理由は判明した。広い見本市会場を便ったこの日の会場の中には、ドイツの町によく出るソ−セ−ジ、焼肉、ポムフリッツ、ピザ等の屋台に加え、アルコール抜き飲料の屋台も並んでいる。そしてコンサ−トのスポンサ−として、いたる所にコカコ−ラの宣伝。そういうことか、と納得するのに時間はかからなかった。

 我々の到着時、ステ−ジでは前座のバンドが演奏していた。予想通りその前は、既に数千人の人々で埋まっている。ステ−ジに向い進んでみたが、数百メ−トルの位置でもう先には進めなくなる。その場所からもステ−ジは遥かかなたで、演奏者の姿は、大きいドイツ人の肩越しに時折見えるのみである。今日の会場は、予想していたような畑の中ではなく、この町の見本市会場の広場である。そのせいか、足下はじゃりが敷き詰められていたり、アスファルトであったりして、とても腰を下ろす気にはならないが、取り合えず、持ってきたビニールを広げ、B0N J0VIの開演まで待つことにした。周囲は、若者達が、はしやいだり、いちやついたり、あるいはアスファルトの上に横になったり。もう数時間は待っているのだろう。どうせだったら、草原を使って会場を作れば良いのに、等と考えるのは、余りにウッドストックの幻想に捕らわれ過ぎているのだろうか。さて、イントロが少々長すぎた。コンサ−トの中身に入ることにしよう。

 じっと座っているのに退屈して、仲間から離れ、会場の中をふらふらしていると、突然B0Ml J0VIの音が響き渡った。丁度7時半。まだ空は明るく、ドイツの晩夏の太陽が輝いている。彼らの登場の際には、観衆が、どっと盛り上がるだろうと考えていたのだが、特段の演出も、また大きな盛り上がりもなくコンサ−トは開始された。オ−プニングは、最新アルバムのオ−プニングである、I Believe、そしてタイトルトラックであるKeep The Faithと続く。前に肩車を組んだカップル等がいることもあり、ステ−ジの様子を探るのは容易ではない。何とか隙間から垣間見たステ−ジでは、前列に、Jon Bon Joviを中央にして、左がギタ−のRichie Sambora、右にベ−スのAlec John Suce、後列の壇上左にドラムのTico Torres、そして右にキ−ボ−ドのDavid Bryanというシンプルな構成。ミキシングは、各楽器の音がきれいにバランスがとれ、オ−プンエア−であるにもかかわらず、レコ−ドとほぼ変わらない音を出しているのはさすがである。上段の二人は何とか見えるが、前列の3人はほとんど見えないだけに、広い荒野の人並みの中で、レコ−ドを聞いているかのような錯覚に襲われる。シンプルなロックンロ−ルであるだけに、無難な演奏で、今一つスリルは感じられない。

 数曲進んだところで、正面を諦め、遠くからステ−ジを左に眺める位置に移動、結局そこに最後まで留まることになった。ステ−ジでは、最新アルバムからは、I’ll Sleep When I’m Dead、 Bed of Roses、 Fearといった曲が、また昔のアルバム、Slippery When Wetからは、ヒット曲You Gave Love A Bad NameやアコスティックなWanted Dead or Aliveが、そしてNew Jerseyからは、Lay Your Hand On Me 、Bad Medicine 、Born To Be My Baby、 Blood on Blood等が続いた。I’ll Sleep---では、間奏から、StonesのJumpin’ Jack Flashに移行したり、Lay Your---のイントロでは、ドラムとキーポードで掛け合いをやったりと、ライブならではの試みもあったが、ほとんどの曲はレコ−ドとさして差のない演奏で、その意味では、PAが良いことが、逆にライブの粗削りな迫力を奪ってしまった。8時40分を過ぎ、ようやく陽が沈み、あたりに夕闇が迫ってきた頃、やっとステ−ジ左右と、客席中央のPA/ライティングの櫓後方のスクリ−ンにステ−ジの様子が映り始めた。ステ−ジ狭しと動き回る、Jonの童顔がやっとスクリ−ンの上に見えるようになり、そのせいか、肉眼でも、ステージの様子が何となく追いかけられるようになった。暗闇がわずかながら、解放感を広げる。そう、ジャズは昼間でも様になるが、ロックは暗くなくてはいけないのだ。青空の下の、健康的なロックは、今一つ魂が感じられない。半分ご愛敬で演奏された、ルルのShoutなども、宵の闇が雰囲気を盛り上げてくれたと思う。

 こうして、メインパ−トが終了したのは、9時頃。まだまだ早い、と思っていると、アンコ−ルで再登場。まず演奏されたのは、BeatlesのHelp。Deep Purpleによるカバ−のように、テンポを落としての演奏であるが、余り工夫の無いアレンジである。むしろ、アンコ−ル2曲目の、タイトルは知らないアコ−スティック曲が、初期のDoobie Brothersの音を出していて私好み。Richieが、12弦と6弦アコ−スティックのダブルネックで、ソロを聞かせたが、やはり腕がでるのはアコ−スティックのソロである。それまでの曲は、一曲を除き、エレクトリックであり、Richieのギタ−は、どちらかというと、オ−ソドックスな進行のポップ性の強いメロディ−のサビで、やや内向的なフレ−ジングを聞かせていた。しかし、アコ−スティックのこの曲では、一音一音を大切にした、クリア−な世界を作りだした。もちろん、テクニックは、ジャズ、フュ−ジョン系のアコ−スティックギタリストにはるかに及ばないが、それでも、脳天気にストレ−トなロックンロ−ルを聞き飽きた耳には心地好く響く。ソロからバンドに移り終了し、更なるアンコ−ルヘ。「最新シングルをやる」と紹介されて始まったのは、In Your Arms。典型的なロックンロ−ルであるが、確かに最新アルバムの中では、最も印象に残る曲である。続いて更にもう一曲、中期のヒット曲のLivin’ on Prayerとアンコ−ルの大安売り。この第一回アンコ−ルが終了した頃から、そろそろ帰り始めた人並みが我々の前を横切る中、彼らは再度のアンコ−ルに登場。これまたBeatlesのWith A Little Help From My Friend。Joe Cockerと同じアレンジでの演奏である。そして驚いたことに、更に3度目のアンコ−ルでデビュ−曲のRunawayを披露し、最終的に終了したのは、10時40分。約2時間10分のコンサ−トであった。

 ドイツは8月中旬になると、既に冷たい秋の風が吹き始めるのが普通であるが、この日はコンサ−トが終了した時間でも、まだTシャツ−枚で丁度良い程度の心地良い気温であった。ゲ−トから表に出ると、通りは帰宅する若者で溢れかえっていた。今日の最後の商売をすべく、Tシャツを20マルクまでまける、と叫んでいる男達、そして人の群れの中に迷い込んで、どうにも動きが取れなくなった車。それらを避け、行きと同じ距離を歩きながら、私はコンサ−トの余韻に浸っていた。確かに、ステ−ジから遠く離れていただけに、生のステ−ジを見た、という感じは残っていない。ロックコンサ−トに行った後で必ず訪れる、耳の余韻も、今日は全く無い。そして、数万人が集まるコンサ−トで普通感じる共同感覚としてのアウラも余り残っていない。これは何故だったのだろうか。Bon Joviの音楽が余りに完成されて、演奏に危険が感じられないからなのか。あるいは、ロックを聞く時にさえ顕われるドイツ人の冷めた、真面目な性格の故なのだろうか。健康的な、適度のカタルシスと言えるようなストレ−トなロックと、それをおとなしく享受するドイツの聴衆。意外と根あかのアメリカンロックはドイツ人の感性に合っているのかもしれない。歩き続けるにつれ、次第に群衆から離れ、駐車場に着いた時は、あたりにはほとんど人がいなくなっていた。再び警察官が、正確に帰路を指示し、渋滞もなく高速道路に抜けた時、おそらく今日のコンサ−トで私が求めていたのは、日常の業務で味わうのとはまた異なったスリルであったことに気が付いたのであった。多くの若者の集団が集っていたにもかかわらず、そこにはマスコミ、特に外国のマスコミではやされているネオナチやスキンヘッドの姿は全く見られなかった。Bon Joviの基本的に楽天的な音楽とドイツの徹底した会場管理は、これを期待するには、余りにも健全な世界だったのであろう。