アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
エアロスミス GET A GRIP TOUR joined by ミスタ−・ビッグ
日時:1993年11月25日
場所:Festhalle 
 最近、やはり歳のせいか、あるいは仕事の疲労からか、聞く音楽の趣味は明らかに変わってきていると思う。確かに元気な朝は、目覚し効果もあることからハ−ドなロックがまだ心地良いが、夜や休日には女性ボ−カルやジャズを聞くことが多くなってきている。無理にロック路線に固執する必要もないわけで、自分の感覚に合ったものを聞いていればそれはそれでいいわけだが、一方で感覚の老化に対する一抹の寂しさがあることも否定できない。自分のエネルギ−を存分にぷつけることのできる対象をひたすらに捜し求めていた学生時代、Deep Purple、 Led Zeppelin、 Who、 Black Sabbathといったブリティッシュ・ハ−ド・ロックは、そうした私の感覚をストレ−トに受け止めてくれていた。何でロックなのか。その頃、頭と体のバランスがとれていないが故に、よく自問したものだった。しかし、そんな自問に答えを出せるはずがなかった。それは、今の感覚なのだ。感覚のもたらす社会現象を頭で解釈することは可能だが、感覚そのものに意味付けをしようとしても無駄である。それに気付いた時には既に私は20代の後半にさしかかっていた。初めてロンドンでロックの地元に滞在した興奮から、感覚的には次第にハードロックからプログレないしはジャズに移っていたにも係わらず、ロンドンでは結構ハ−ドロックのコンサ−トに通ったものだった。Whitesnake、 UFO、 Ossy Osborneといった連中は、私の青春時代をそのままひきずったバンドであり、その意味で、感覚的には既に過去の音になっていたとはいえ、ノスタルジアがそれを繋ぎ止めていたのである。反対にその頃、既に下火になっていたとはいえ、まだ最後の余韻を残していたパンクや、その頃から盛り上がってきたインディ系のニュ−ウェイブに私がついていけなかったのはそれらの音楽が既に感覚では受け入れられないものであり、他方で、若い頃の感覚の記憶も伴わないものだったからであった。

 他方、そもそも私が10代の始めに最初に接したアメリカのロックからは、ロンドン滞在の間にだんだん遠ざかっていった。アメリカの西海岸の明るいロックは、日本の風土の中ではある種の適応力を持つが、英国の暗い、長い冬に聞くには余りに伸び伸びしすぎていた。気候が音楽を聴く者の感性さえも内省的にしていくのである。そしてその頃米国東部から出てきた音楽も、西部の音楽のような底無しの明るさではないにしても、ブリティッシュロックの持つ内省力を感じさせないものが多かったように思う。B.Springsteen、 Bon Jovi等のアメリカで圧倒的な支持を得たロッカ−達にあまり関心が向かなかったのも、こうした私のノスタルジアか、内省か、という感受性がなせる技だったと思う。

 エアロスミスもアメリカの東部的な感性を持つバンドであり、それ故に私の関心が向いていかないタイプのバンドであった。もちろん、彼らが70年代から活動していたことを考えると、そもそもその時代に私の関心を引かなかったことの理由付けがいるかもしれない。おそらくひとつには、たまたまそばにエアロスミス・フリ−クがいなかった、ということもあったと思う。そして、もちろんDream On、 Draw The Lineといったヒット曲はその頃耳にしていたが、私にとっては、彼らの音楽は余りにシンプルで技術的な斬新さも感じられず、あえてレコ−ドを買おうという気にはならなかったのである。その後、ボ−カルのSteven Taylerがドラッグ中毒でバンドは活動停止状態になった、といった話しが聞こえてきてもさして関心を引かれなかった。

 そのエアロスミスがここ数年また元気になっている、ということで、エアロスミス・フリ−クの後輩と一緒にフランクフルト公演に出かけてみた。場所は、Peter Gabrielと同じFesthalle。最新アルバムで、彼らの最高傑作と評価されている「Get A Grip」を引っさげたヨ−ロッパ・ツア−である。折からシングルカットされた「Livin’ On The Edge」が、MTVビデオ効果もありヒット中であったことから、会場は、おそらくは新しいファンである若い世代で埋まっていたが、所々に結構年配の夫婦らしき人々も垣間見え、さすが1973年デビュ−後の20年の歴史を感じさせた。チケットは2階席。P.Gabrielの時と同様、各階毎の自由席であり、我々は、この日はホ−ル南側奥に作られたステ−ジ(P.Gabrielの時の反対側)を右に見下ろす位置に席をとった。

 チケットヘの記載はなかったが、コンサ−ト直前の新聞で、当日はMr.Bigがサポ−トをつとめるとの情報をキャッチしていた。Mr.Bigもここのところ何曲かヒットを送り出しており、若い世代のロッカ−として人気が出てきていることから、「前売り46マルクは安い」等と言いながら、8時の開始を待った。

 定刻通りに、Mr.Bigが登場、最新アルバム「Bump Ahead」のオープニング「Colorado Bulldog」をかわきりに演奏を開始、このアルバムからの曲を中心にドライブのかかったプレイを見せる。この日演奏された「To Be With You」や「Wild World」のように、シングルカットされてそこそこヒットした曲はアコ−スティックであったことから私はこのバンドはもっとポップなバンドかと思っていたが、コンサ−トの直前にアルバムを聞いたところ、むしろVan Halenを意識したギタ−バンドである。この日の演奏曲目は、私が分かった限りでは他に、Price You Gotta Pay、What’s It Gonna Be、The Whole World Gonna Knowといったところ。アルバムを聞く限りではギタ−、べ一スもしっかりしており、特に前作から今回の「Bump Ahead」に至る過程で、自らの音作りができるようになった、との印象だったが、この日のステ−ジは前座ということもあってか、ミキシングが雑で、折角のギタ−やべ−スのテクニックが全く聞こえてこない状態であった。観客にも今一つ盛り上がりがないまま、40分程で彼らのステ−ジは終了した。

 30分程セッティングに要した後、会場が暗転すると、ステ−ジ中央に張られたスクリ−ン越しに、Steven Tylerの影が大きく写し出されるという演出でAerosmithのステ−ジが開始された。Princeなどがよく振付で使う、軟体動物的に体をこねくり回す、Stevenの体にあわせて、最新アルバムのイントロが流れ、そしてそのスクリ−ンが外されるとバンド全員が登場する。オ−プニングは、そのアルバムから「Eat The Rich」。中央でStevenがマイクを握り、向かって右にリ−ドギターのJoe Perry、左側に、ギタ−のBrad Whitfordとべ−スのTom Hamiltonそして後方にドラムのJoey Kramerが並ぶというラインアップ。右後方に、キ−ボ−ドとサックスのサポ−トメンバ−が控えていることから、6人での演奏である。オ−プニングに続いては、むしろ初期の作品中心の選曲であるが、彼らの初期のアルバムを聞いていない私には、耳慣れない曲が多い。それでももちろんDraw The Line(1977年),Dream On(1973年)といったヒット曲にはある種の懐かしさがないとはいえない。また一作前の「Pump」からは、「Love In An Elevator」、「Jamie Got A Gun」等を、最新アルバムからは最初のシングル「Livin’ On The Edge」、二枚目のシングル「Cryin’」、そしてJoeがボ−カルをとる「Walk On Line」等が次々に演奏される。Stevenはステ−ジ狭しと走り回り、絞り出すような独特の唱法で歌い、JoeもStevenに合わせるように、激しくギタ−を弾きながら動き回っている。対照的に、BradとTomの二人はほとんど定位置のまま黙々と演奏をしている。彼らの音楽の特徴である、ユニゾンによるリフの繰り返しは確かに印象的であり、同じリフが繰り返される中、次第に聴衆はその世界に引きずり込まれていくのが分かる。しかし、時折聞かせるJoeのギタ−ソロは、最近のテクニックを聞き慣れた耳には単純過ぎてあまり面白みはない。結局のところ、彼らの音楽は、StevenとJoeの視覚的な面白さを除けば、全員一丸となって音の固まりを作りながらクライマックスに向かって突っ走る興奮を共有できるかどうかで、その評価が決まってしまうのだろう。個々のテクニックと音楽的なスリルを求めるというよりは、その感覚を心地好く受容できるかどうか、ということである。その意味では、残念ながら私の感覚は既にこうした許容力を喪失してしまった、と言わざるを得ない。

 こうして11時前にコンサ−トが終了した時には、正直なところ、冒頭に書いた私の音楽的な感受性が、かつてとは決定的に違ってしまったことに気付かざるを得なかったのである。しかし、感受性を無理やり変えようとしても無駄である。むしろ自分のそうした変化をじっと見つめながら、その時々の感情を正直に受容していく方が素直な音楽の楽しみ方なのであろう。それが内心ではやや寂しい感じを残すにしても。