アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第三部:ドイツ音楽日誌 (1991−1998年)
アル・ディ・メオラ(ワ−ルド・プロジェクト)&
ジョン・マクロウリン(ザ・フリ−・スピリット)
日付:1994年11月15日
場所:Alte Oper 
 レコ−ド販売店WOM発行のパンフレットで、新作「Orange and Blue」を発表したばかりのAl Di Meolaのフランクフルトでのコンサ−ト予告を見つけた。普段は町でよく見かける張り紙もなく、この小さな新作CDの宣伝に付け足しのように記載されたドイツでのツア−スケジュルに気付かなければ見逃していた程、そして会場であるAlte Operのスケジュ−ル表ではこの日はブランクになっていた程さりげなく行われるコンサ−トである。しかも、当日同行者に指摘されて、初めてJohn McLaughlinとのジョイントコンサ−トであることが分かったくらいであった。

 Di Meolaのコンサ−トは、ロンドン時代に、ス−パ−ギタ−トリオで一回、「Soaring Through A Dream」のツア−で一回、双方共Hammersmith Odeonで見ているが、日本ではチャンスがなかったことから、少なくとも6年振り以上である。他方、John McLaughlinはやはりロンドンでのス−パ−ギタ−トリオの他、日本で大昔にMahavishnu Orchestraで一回、そして最近では青山のBlue Noteでトリオの演奏を見たことがある。しかし、このバブルの産物であるジャズクラブでの演奏は、ドリンク一杯付き8000円で、しかも演奏時間は約一時間という高くついたものであった。それに比較すると今回のコンサ−トは、この二人のジョイントで、71.50マルクという納得できる値段であり、あわよくば、二人のデュオも見られるのではないか、ということで、近来にない期待感を持って出かけたのであった。

 午後8時の開演は、オフィ−スから歩いていける場所だけに、仕事を済ませてからでも余裕をもって行ける時間である。ロックと違って、ス−ツにネクタイという格好でも浮くことがないので気が楽である。ステ−ジに向かいやや右側の前列から4列目という好位置に席をとった。

 8時を少し過ぎたところで、ほぼ正確にJohn McLaughlin Band 「The Free Spirits」の演奏が開始された。最近のJohnのアンサンブルは、Blue Noteでのコンサ−トや「Live At The Royal Festival Hall」や「Que Alegria」等のCDがそうであったように、ベ−ス/パ−カッションという伝統的なギタ−トリオのスタイルであり、Johnのアコ−スティックギタ−にインド人パ−カッショニストTrilok Gurtuの、バスドラを使わないオリエンタルフレ−バ−のドラムが絡むものであったが、この日は、中央に若い白人のハモンドオルガン奏者、左に通常のドラムセットを使う黒人を配し、セミ・アコ−スティックを持っての登場であった。

 オ−プニングのスタンダ−ドジャズに近い演奏から、一転アップテンポの緊張感溢れるインタ−プレイに移り、そしてCD「Time Remembered」で聞かせたような、スロ−バラ−ドに流れ込んでいく。しかし、ハモンドの音は、スロ−バラ−ドではやや耳障りで、やはりスピ−ド感のあるバトルで真価を発揮する。考えてみれば、この編成は、Mahavishnu Orchestraを結成する直前に彼が在籍したTony Williams Lifetimeの編成である。中学生でポップミュ−ジックを聞き始めたころ、このバンドのアルバムジャケットを見て、まだ自分の知らないジャズの世界に想像を巡らしていたことを思い出す。しかしFMで聞いた彼らの、当時はフリ−ジャズと呼ばれた演奏は、テクニックはそれなりに理解したものの、感覚的にはまだ難解なものであった。それでも、その後、Mahavishnuのライブに武道館で接し、特にBilly Cobhamの強烈なまでに力強い変則ドラミングに圧倒されてからは、私は次第にこうしたフュ−ジョン系の音作りを感覚的に受け入れられるようになっていった。

 当時、私が背伸びをして追いかけていたこうした音楽は、言うまでもなくJohnが、その恩師であるMiles Davisから学び取ったものである。その意味ではこの日の編成は、JohnがMilesからMahavishnuに移行する過程で辿った通過地点のものであった。この日の演奏はその意味で約25年の歳月を経て再び彼がたち返った、若き時代の冒険に向けての出発点であったのである。

 演奏は、My Favorite Thingsの聞き慣れたメロディ−から、カ−ラ・ブレイの曲を交え進行していく。しかし、Alte Operは、3人の緊張感を維持するには、やや大きすぎたようである。フリ−ジャズの緊張感よりも、スタンダ−ドなジャズプレイの方が目立ち、Johnのフレ−ジングも次第に単調になっていくにつれ、やはりJohnは今日のメイン・プレヤ−ではないな、という感覚が強くなっていった。約一時間の演奏が終了すると、アンコ−ルもなく、ステ−ジではただちに次のセッティングが始まったのであった。

 9時半を過ぎた頃、Al Di Meola World Projectのセッティングが完了、6人のメンバ−がステ−ジに登場する。中央にはGibsonのセミアコ、Ovationのアコ−スティックというAlの愛用する2本のギタ−が立てかけられ、その左にピアノを含むキ−ボ−ド群、右にパ−カッションがセットされている。後列は中央にドラム、その左に、ボ−カル用マイク、右にベ−スという配置。以前ロンドン公演で見た時よりもやや太った感じのAlであったが、それは今回の席がロンドン公演時よりもずっとステ−ジに近かったせいかもしれない。

 プログラムがないので、当日のメンバ−については確認できないものの、おそらくは、新作CDのクレジットとほぼ同じなのであろう。また当日の演奏曲目は、私のメモでは以下のとおりである。

@ Paradisio ( Orange and Blue,1994 )
A Capoeira ( Soaring Through A Dream,1985 )
B Chilean Pipe Song ( Orange and Blue,1994 )
C Ciero e Terra ?( Ciero e Terra,1985 )
D Summer Country Song ( Orange and Blue,1994 )
E This Way Before ( Orange and Blue,1994 )
F Orange and Blue ( Orange and Blue,1994 )
G Mediterranien Sundance ( Elegant Gipsy, 1977 )
H Tango Suite Part 1 ( World Sinfonia,1990 )
I アンコ−ル: Song To The Pharoah Kings ( Tirami Su, 1988 )

 イントロでのGibsonのピッキング音が特徴的な@で、演奏が開始された。Gibsonの音はCDよりもやや刺々しいが、気になる程ではない。ボ−カルが入ると、曲想としてはPat Methenyが目指しているようなラテンフレ−バ−のA0Rであるが、ピアノの間奏を経て第二テ−マに移りOvationに持ち替えると、紛れもないAlの世界に入っていく。椅子に着席し、相変わらずの早引きを披露した後、Gibsonでのテーマに戻り終了する。

 Aは、CBS時代の後半、方向性を見失って凡庸なアルバムが続いた後、マンハッタンレ−ベルに移り、後記Cのアコ−スティック・アルバムと並行して進められ、Al Di Meola Projectとして彼の音楽的成熟を示すことになった記念すべきアルバム「Soaring Through A Dream」 のオ−プニングナンバ−で、ロンドン公演でも演奏された曲である。当時、Hammersmith Odeonの2階席で、コ−ラを飲みながら、ス−パ−ギタ−トリオの時と異なり、ゆっくりリラックスしてこの曲を聞いたのを思い出した。

 BCと続けてのデュオでの演奏は、この日、最も緊張感の高いものの一つとなった。まずBは、シンセサイザ−/ピアノとアコ−スティックギタ−のデュオであるが、タイトルのとおり、シンセサイザ−が、南米音楽でよく見かける木管楽器のややくすんだ音で、Alのギタ−にからんでいく。パラグアイ出身と紹介されたキ−ボ−ド奏者M.Parmisanoのリズム感溢れる軽いタッチが印象的であった。そしてCでは今度はパカッションとのデュオ。言うまでもなく、この曲が収められている「Ciero e Terra」 はほとんどがAirto Moreilaとのデュオで録音されたアルバムであったが、この日は、黒人のパ−カッショニスト(新作のスタジオ録音でのパ−カッショニストであるGumbi Ortisではない)が、Moreila以上の迫力で、コンガを中心にAlとの緊迫した、そして時として笑いをも誘うインタ−プレイを聞かせた。

 DEFは、新作からのメドレ−である。今回の作品ではタイトル曲を含めて、より肩の力を抜いたAlのギタ−プレイを楽しむことができるが、スタジオ録音ではエレキとアコ−スティックの多重録音を行っているのに対し、ライブは、ギタ−の頻繁な持ち替えで対応していることから、曲想の変化が結構緊張感を持続させる。そして一定間隔で披露されるアコ−スティックでの早弾きのフレ−ジングは、こちらが期待しているせいか、相変わらず背筋にぞくぞくするものを感じさせる。面白かったのは、スロ−バラ−ドのEで、なぜか、テ−マ部分で楽譜を見ながら慎重にギタ−シンセサイザ−を演奏していたこと。楽譜を取り出し、演奏中、Alが真剣にそれを眺めていたことから、いったいどんなに複雑な展開になるかと期待していたところ、何気ないスロ−バラ−ドのまま終了した。他のアップテンポで、且つ目まぐるしくテ−マが移行していく曲では、こうしたことがなかっただけに、奇妙な感じが残ったのであった。

 そして、G。言うまでもなく、ギタリストとしてのAlの評価をいっきに高めた、1977年の2枚目のソロアルバムで、Paco De Luciaとデュオで演奏された名曲である。今まで、ロンドンでのス−パ−ギタ−トリオやAlのコンサ−ト、あるいは日本でのPaco De Luciaのコンサ−トで、デュオ又はソロで何回かこの曲のライブに接してきたが、この日は、私の経験の中では初めてアンサンブルでの演奏でこの曲を聞くことになった。デュオでの息詰まるような緊張感は、アンサンブルでの演奏では中和され、Al自身もリラックスしている感じが伝わってくる。

 Hは、Alが現在並行したアコ−スティック・プロジェクトとして進めているWorld Sinfoniaの第一作からの作品。「ここ6、7年、自分の音楽に大きな影響を与えた、Astor Piazzollaの作品です。彼は「no longer with us」と紹介されたが、A.Piazzollaについては、アルゼンチンの作曲家兼アコ−ディオンに似たバンドネオンという楽器の奏者で、モダンタンゴの父と呼ばれている、ということ以外の情報がないため、「no longer with us」の意味が、ただバンドから離れていったのか、それとも彼がもう死亡していることを言ったのかは分からない。スタジオ録音では、そのバンドネオンをアルゼンチン出身のDino Saluzziが演奏しているが、この日は、キ−ボ−ドのM.Parmisanoのグランドピアノが、バンドネオンのパ−トを代わって務めることになった。もちろん、バンドネオンによる演奏のほうが、よりタンゴ本来の味を引き出すことは疑いない。他方、この日のように、ギタ−とグランドピアノのデュオであると、タンゴ風味のジャズという側面が強くなる。どちらを好むかは、最終的には個人の趣味の間題ではあるが、私にとっては丁度Alの始めてのソロアルバムで、恩師であるChick Coreaと共横した「Short Tales of the Black Forest」以来の洗練されたギタ−/ピアノのデュオ曲であった、と感じられた。

 こうして、いったんステ−ジから下がった後、アンコ−ルとして演奏されたのがI。全編Les Paulをフルに使用し、この日の全体の雰囲気とはやや異なるハ−ドピッキング中心の激しい演奏となった。スタジオ録音では、赤城恵という日本人ピアニストが参加しているのが話題になったが、演奏終盤でのギタ−とピアノのソロの応酬もスタジオ録音以上に迫力のあるものとなり、そして最後は静かに終焉していった。時刻は既に11時30分を回っており、期待されたJ.McLaughlinとのギタ−デュオは行われなかったが、双方のバンドを合わせて3時間のコンサ−トは、私の期待に十分沿うものであった。

 Al Di Meolaのコンサ−トについて言えぱ、Mediterranien Sundanceを除き、他は全てマンハッタンレ−ベルに移ってからの曲であったのが特徴的であった。コロンビア時代が、彼にとっては典型的なフュ−ジョン時代であったのに対し、マンハッタン時代は自分の音楽をより内面化していった時代と言える。そしてそれは、ある意味で、私自身の成長過程と軌を一にしている。確かに、青春時代のエネルギ−と情熱は、コロンビア時代の彼の音楽にフィットしていた。それが今次第に風化してきているのを感じるのはやや寂しいものも感じるが、彼の音楽もそれに合わせたように変化しており、私自身の感覚の受容力はそれが受け入れられるだけ広くなってきていると思う。その意味で私が、Alの音楽を、10代の頃から飽きもせず追いかけていられるのは、彼のこうした音楽的発展が自分自身の感受性の変化にマッチしているからであると言える。同世代の共時的音楽体験を今後も彼の音楽がもたらしてくれることを期待しつつ、遅い家路に就いたのだった。