アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第四部:東京編A (1998−2008年)
エルビス・コステロ  Japan Tour
日時:2002年7月5日
場所:国際フォ−ラム 
 70年代後半、エルビス・コステロが、パンクが吹き荒れるロンドンの音楽シ−ンに登場した時は、パンクよりはまとまっているけれども、音楽的にはやや荒削りで、どちらかというと一時的な流行に終わるポップ・ミュ−ジック型ではないか、といった印象をもった記憶がある。その後、R.ロンシュタットが70年代の後半のアルバムで彼の「Girl’s Talk」を取り上げており、これがなかなか秀逸の一曲であったことから、コステロの曲作りに対する関心を強めることになった。

 しかし、結局他の優先度の高い音源を追い求めた結果、彼の作品は90年代のフランクフルトで、1994年発表の「Brutal Youth」の廉価版を買うまで手にすることがなかった。しかし、この一般にはそこそこの評価であった「Brutal Youth」も、特に彼の声の質が必ずしも私の感覚にフィットするものでもなく、結局それ以来、特に関心を持って追いかけようという気が起こらなかった。

 今回、友人に誘われ、その気になったのも、コステロに対する関心というよりは、どちらかというと「ライブ」そのものに飢えていたところが大きかった。そしてそれからレンタルCD屋で、ベスト物を中心に幾つか借りて聞き、初めて初期のヒット曲の多くに接することになった。こうして聞き始めてみると、確かに声の質に対する好き嫌いは別にしても、メロディ−メ−カ−としての彼の力量は感じることができる。アップテンポのロックも、バラ−ドも、はっとさせる、コステロならではの展開を持っており、また私が今ひとつしっくりこなかった彼の声色も、その不安定なビブラ−トがそれなりの魅力を持っていることに気付かされたのである。R.ロンシュタットの70年代のアルバムに収録されている「Alison」も彼の代表曲であり、またJ.ロバ−ツの「ノッティング・ヒル」の恋人では、彼の「She」が使われていることも知った。そして友人からは、この6月末に終わった木村拓哉とさんま主演のテレビ・ドラマで「Smile」というチャップリンによる作品がメインテ−マで使われ、その結果コステロの名前が若い世代にも広がっていること、そしてその意味で、今回の来日は、このドラマ放映のタイミングも捉えていることを教えられた。パンク・ム−ブメントの傍流であるかのように見られていたコステロはこうして長く活動を続け、今また新たな客層にも広がろうとしていたのである。

 とはいっても、会場の国際フォ−ラムに集まった客層は、やはり年代的には高めであった。若目のカップルも目についたが、さすがに若い女性だけのグル−プというのはほとんどなく、やはりこのミュ−ジシャンの固定層は、それなりの彼を追いかけてきた中年層が中心という感じであった。そして後述するとおり、それは今だに疾走力のある中年ロッカ−に対するそうした世代の羨望も含めた共感に支えられているのであった。

 当日のプログラムは、にわかリスナ−の私には必ずしも多くの曲は特定できなかったが、気付いた曲のみ残しておくと、以下のとおりである。

第一部
 Chelsea
When I was a cruel
Tart
All This Useless Beauty
Watching The Detective

アンコ−ル1
Peace, Love & Understandings
Radio Radio  
Alison

アンコ−ル2
 Smile 
 Oliver’s Army
Pump It Up
I Want You

 前日の新聞で、前週の赤坂ブリッツでのコンサ−ト評が掲載されていたが、そこでも書かれていたとおり、オ−プニングからアップテンポにギタ−をかき鳴らす展開となった。バンドは中央にギタ−のコステロ。それを囲む形で左からキ−ボ−ドのS.ニ−ブ、ドラムスのP.ト−マス、そしてベ−スのD.ファラガ−のシンプルな4人編成。ギタ−はサポ−トがいて、コステロはボ−カル中心かと思っていたが、むしろ「ギタ−は俺だ」という自負の感じられる編成。そのギタ−では、ほとんどがコ−ドのかき鳴らしであるが、所々でソロの見せる。しかし、ソロで味付けを加えるのは、ほとんどがキ−ボ−ドのS.ニ−ブである。前半はで私が分かったのは5曲目の Chelsea が初めて。むしろ前半は、今回のツア−の直接の契機で、私はまだ聴いていない新作「When I was a cruel」からのナンバ−が中心であったのだろう。コステロは頻繁にギタ−を持ち帰るが、アコ−スティックで歌ったAll This Useless Beauty は、慣れてくると彼の声色がバラ−ドでもなかなか味のあるものになることを感じさせた。レゲエのリズムを入れた Watching The Detectiveを含め、前半は1時間余りの短いステ−ジで、「Good Night」の掛け声と共にコステロはそでに消えていった。

 アンコ−ルは、私がベスト版等で耳にしたオ−ルド・ヒット・パレ−ドとなった。 Peace, Love & Understandings、Radio Radio といったアップテンポ・ナンバ−に加え、先に書いたR.ロンシュタットがカバ−した名曲Alison 等。そして再び登場すると、「チャップリンの曲だ」と紹介し、Smileをほとんどピアノの伴奏だけで歌い始める。これが目的のファンも多いので、これがエンディングか、と思っていると、再びOliver’s ArmyやPump It Upが続き、そして最後に同名英国映画の主題歌 I Want You を切々と歌い、最後の絞り出すような呟きで、長いアンコ−ルが終わった時は、既に時は9時半になっていた。メイン・パ−トよりも2回のアンコ−ルの方が長い、しかしほとんど休むことのない2時間強のコンサ−トであった。

 基本的にコステロは当初考えていたとおり、演奏を聞かせるよりは、メロディ−ラインとボ−カルを聞かせるタイプの歌手であり、この日のコンサ−トでも、幾つかの例外を除き、基本的には3分程度の短いヒット性のある曲を数多く演奏していた。しかし、ヒット性のある曲であっても、コステロ節で歌われると、必ずしもストレ−トなロックンロ−ルではない捻りが利いており、そこがパンク全盛の中から登場し、それが退潮した後も生き残った、私と同世代のこのシンガ−の渋とさと才能を物語っている。久々のロックコンサ−トっぽいコンサ−トではあったが、他方で英国人ロッカ−の斜に構えた姿勢から単純に楽しむだけのものでもなかったことは確かである。

7月7日 七夕の朝 記