アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第四部:東京編A (1998−2008年)
ポ−ル・マッカ−トニ−  Driving Japan Tour
日時:2002年11月14日
場所:東京ド−ム 
 私たちの前列には、おそらく中学生と小学生と思われる男の子2人を連れた40代とおぼしき夫婦が座っていた。会場を勘違いし、武道館のある九段下から、コンビニのおにぎりを車内でほおばりながら、タクシ−で開演時間に10分ほど遅れて到着した東京ド−ムは、既に、そうした家族連れも含めた幅広い世代の観客で溢れていた。ポ−ル・マッカ−トニ−9年ぶりの東京公演。そして私にとっては、初めてのビ−トルズ残党のライブである。

 ビ−トルズを初めて聴いたのは、小学校5年の時、彼ら唯一の来日時に一回だけ放映された東京公演のテレビ中継であった。その時は、世間の騒ぎを受け、何となくチャンネルを合わせたものの、その音楽自体には全く反応しなかったにもかかわらず、中学に進学するや否や、席が近い友人が好きだったことから突然はまり、その後は、ひたすらに習いたての英語で彼らの歌詞を覚えていくなど、彼らの音楽が生活の多くの部分を占めることになっていった。丁度、アルバムで言えば、「リボルバ−」が新譜であり、そこからのシングル、「Taxman」を、深夜放送から旧式のオ−プン・リ−ルのテ−プに録音したり、朝5時に起きて、当時としては画期的なテレビ衛星放送で、彼らの新曲「All You Need Is Love」のレコ−ディングがライブ中継されるのを見たりしていたのが、原初体験として残っている。親からのクリスマス・プレゼントとして、初めてのアルバム「Oldies」を買ってもらい、そしてラジオからは「Penny Lane」や「Strawberry Fields Forever」が流れ、そして続けて「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」が、当時のサイケデリック・ム−ブメントの影響を受けて発表されていった時代であった。

 しかし、ポップ・ミュ−ジックの世界に入り込むにつれ、次第に同時代の音楽に傾斜していった私にとっては、ビ−トルズは既に余りに成熟したバンドになっていた。その後も「Hello Goodbye」や「Hey Jude」等、引き続き、出すシングル、アルバムはチャ−トの上位を占めていたが、最早私の関心はビ−トルズに戻ることはなかった。サイケデリック・ム−ブメントを含めたアメリカのウエスト・コ−スト音楽から英国ハ−ド&プログレへ関心が移る中、中学1−2年の時にあれほど熱狂したビ−トルズは、過去のバンドになっていった。それぞれのメンバ−のソロ活動は、社会現象として何かと話題にのぼっていたレノンの奇抜な動きでさえ、関心の外にあった。その彼がニュ−ヨ−クで凶弾に倒れた時も、それまでも何度か噂にのぼっていたビ−トルズの再編が永遠になくなったという重大な事実にもかかわらず、さして気持ちが動かされることがなかったのである。

 80年代のロンドン滞在で、アビ−ロ−ドやリバプ−ルといった彼らの縁の地を訪ねた頃から、次第に衒いがなく彼らの音楽を聴くことができるようになった。34歳で、ロンドンからの帰国が決まった時、12歳の時に「Oldies」を買って以来の彼らのアルバムを、アナログのボックス・セットで購入。そしてバブル期の東京で初めて彼らのアルバムを全編通して聴く機会を持つことになったのであった。

 その後のドイツ滞在の7年間は、唯一「BBCライブ」なる2枚組みの発掘音源のCDを購入したくらいで、Beatles との接点は全くない状態が続いていたが、その頃の縁で、東京に戻って参加したバンドで、我が世代共通の体験としての Beatles をレパ−トリ−でやり始めたことで、ようやく彼らは意識の中に復活してきていた。しかし、その時も、残された残党のソロを聞くということもなく、そうこうしているうちに、今から丁度1年前の昨年11月29日、二人目の物故者としてG.ハリソンも他界していった(まさにこの1周忌の昨日、ロンドン、ロイヤル・アルバ−ト・ホ−ルで、ポ−ル、リンゴ、クラプトンらによる追悼コンサ−トが開催されたという)。最早、Beatles は、歴史の彼方に去ってしまった。しかし、そうした中、かつて「Abbey Road」リリ−ス直後には、メンバ−中一人だけ裸足で歩いていること等から一人死亡説さえも流れたことのあるポ−ルは、前妻のリンダが、乳がんで死亡するという不幸に会いながらも、社会活動家の女性と再婚し、そして音楽面でも元気に活動を続けている。
 
 今回のツア−は、11月12日から14日の3日間が東京ド−ム、17,18日が大阪と、5日間に渡るが、むしろチケットが14000円と高額なことで話題になった。個人的にもポ−ルのソロを、しかもド−ムで見るというのはさすがに引っかかったが、それでも一生の中で、一度は見ておいてもよい、と考え友人の誘いに乗ったのである。

 7時15分、会場が暗転すると、ややサイケがかったシンセ音楽が流れ、ピンクフロイド風の複数の球体や花のオブジェが天井からつり下げられて観客席の頭上を回転していく中、欧州中世貴族風の衣装の一団が客席を通って舞台にあがり、モダンダンスの前座を繰り広げる。続けて中国サ−カスのようなアジア風衣装に衣替えし、柔軟体操等も見せながら、雰囲気を盛り上げていく。そして7時30分、中央のスライドにベ−スを抱えたポ−ルのシルエットが浮かび上がり、この日のコンサ−トが始まったのであった。

 ポ−ルは赤いシャツに白のジャケットで登場。ド−ム一塁側のジャンボスタンドからは、豆粒でしか見えないポ−ルの表情は肉眼では確認しようがないが、ステ−ジ両側と中央に配置されたスクリ−ンで映される姿は、とても今年60歳を迎えた男とは思えない若々しさである。相変わらずのたれ目を、髪を短く切った顔から覗かせながら、早速オ−プニングの「Hello Goodbye」がスタ−トする。

 バンドは、彼を中央にして左右にギタ−/ベ−スのサポ−ト、左後方にキ−ボ−ド、中央後方にデブの黒人ドラマ−の5人編成である。

 さて、当日の演奏曲目であるが、当日の朝日新聞朝刊に、元チュ−リップの財津和夫が「幸せの妙薬”同窓会”に響く」と題したレポ−トを寄せていたが、ここで恐らくは初日の曲目と思われる36曲が紹介されていた。念のため、このコピ−を持って会場に行った訳だが、結果的にはこの日もこれと寸分違わぬ選曲であった。更に、このツア−前に発売されていた「バック・イン・ザ・U.S.−ライブ2002」(CD&DVD)の演目とも一部を除きほとんど同じである。その意味では、選曲は結果的に余り「サプライズ」のない内容になってしまったが、取り合えずは、その36曲をリストアップしておこう。

1 Hello Goodbye (Magical Mystery Tour, 1967)   2 Jet (Band On The Run,1973)
3 All My Loving (Meet The Beatles, 1963)
4 Getting Better (Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band, 1967)
5 Coming Up (McCartney U,1980) 6 Let Me Roll It (Band On The Run,1973)
7 Lonely Road (Driving Rain, 2001)  8 Driving Rain (Driving Rain, 2001)
9 Your Loving Flame (Driving Rain, 2001)   10 Blackbird (The Beatles,1968)
11 Every Night (Paul McCartney, 1970)   12 We Can Work It Out (Oldies,1966)
13 You Never Give Me Your Money (Abbey Road, 1969) 
14 Carry That Weight (Abbey Road, 1969)
15 The Fool On The Hill (Magical Mystery Tour, 1967)
16 Here Today (Tug Of War,1982) 17 Something (Abbey Road,1969)
18 Eleanor Rigby (Revolver, 1966)   19 Here There And Everywhere (Revolver,1966)
20 Michelle (Rubber Soul, 1965)   21 Band On The Run (Band On The Run,1973)
22 Back In The U.S.S.R. (The Beatles, 1968)
23 Maybe I’m Amazed (Paul McCartney, 1970)
24 Let ’Em In (Wings At The Speed Of Sound, 1976)
25 My Love (Red Rose Speedway,1973)
26 She’s Leaving Home (Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band, 1967)
27 Can’t Buy Me Love (A Hard Days Night, 1964) 28 Live And Let Die (1973)
29 Let It Be (Let It Be, 1970)   30 Hey Jude
31 The Long And Winding Road (Let It Be, 1970)   32 Lady Madonna (1968)
33 I Saw Her Standing There (Please Please Me, 1963)   34 Yesterday (Help,1965)
35 Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band, 1967)
36 The End (Abbey Road, 1969)

 1から9までは、バンドによる演奏。途中のコメントは、舞台裏の同時通訳が直ちにスクリ−ンにタイプ打ちをして日本語ス−パ−になって流れる仕組み。そうしたコメントで、4は、昨年までライブでは演奏したことがなかったことが明かされる。と、イントロでトチッて、やり直すというおまけつきであった。

 10−12までは、ポ−ルのアコ−スティック・ソロ。60年代、公民権運動に触発されて書いたという英語での10の紹介の後、時折差し挟む日本語で「人権問題」と付け加えたのはご愛嬌。これは S.Stills も、CS&Nのライブでカバ−している曲であるが、ポ−ルの弾き語りもなかなか味がある。私が初めて買ったLP「Oldies」でも出色であった12は、この日、ライブで聴いて最も嬉しかった曲の一つ。13、14は、今度はエレキピアノに替えてのソロ。15ではサポ−トのキ−ボ−ドがフル−ト・パ−トを挿入した。

 再びアコ−スティック・ギタ−に持ち替え、16からはかつてのメンバ−への追悼が始まる。「ジョンとの対話」と日本語で紹介された16。「ジョ−ジの家での食後、彼はこれを引きながらよく歌ってたんだ」とウクレレを取り出し、ミディアム・テンポで歌った後、「ジョ−ジだったら、『違う違う、こう弾くんだよ』と言ってるかもしれないな。」といってアップテンポで1フレ−ズを繰返した17。バンドに戻りアコ−スティックのまま続けられた18-20。特に「Revolver」からの19がポ−ルの肉声で聴けるのは嬉しかった。

 エレキに戻り21-24まで飛ばしたが、22などはややポ−ルのボ−カルの衰えを感じざるを得ない。むしろリンダを歌ったバラ−ドの25の方が声は無理がなくあっているが、聴いている私のほうがやや退屈。しかし、26,27ではまた個人的に盛り上がっていた。

 28では私は、ステ−ジでの火薬の爆発音を聞きながら、トイレで小休止。行きに時間がなく替えなかったプログラムを探したら、外でしか買えないという不便さ。29-32は、私が同時代的にビ−トルズから離れていったきっかけになった時期のもの。ヒットチャ−トの上位で、常時耳にする割には、音楽的には全く面白くない、と感じた後期の作品であるが、それはそれとして、ポ−ル節そのものではある。既に31からアンコ−ルに入っている。

 この時期の作品に比較すると、やはりロックンロ−ルの33は、初期ビ−トルズの魅力が集約されている。アコ−スティック・ソロの34、バンドに戻り35の触りから、名作アルバム「Abbey Road」のエンディングへ。約2時間半、60歳のエネルギ−をふんだんに見せつけたコンサ−トはこうして終わり、私は友人と共に、会場の外へ直ちに飛び出した。その後の新聞報道によると、ポ−ルは何人かのファンをステ−ジに挙げ、半被姿で挨拶をしたという。

 コンサ−トから帰った週末、ロンドンからの帰国時に購入したビ−トルズのボックス・セットから、初期のアルバムを中心に流して聞いてみた。メジャ−・デビュ−・アルバムである「Please Please Me」の発表が1963年であるので、現在から見れば、この音は約40年前の音ということになる。またビ−トルズとしての最後のアルバム「Let It Be」の発表は1970年であるので、彼らがソロ活動に完全に移行して既に30年が経っている。

 さすがに、40年前の音は時代を感じさせるが、しかし多くの曲の完成度、そしてよく言われるようにジョンとポ−ルのコ−ラスは、何時聞いても絶品である。こうした曲想が、私が同時代的に聴き始めた「リボルバ−」あたりからやや変化し始め、ジョンやポ−ルが明確に自分の領域を主張し始め、ボ−カルも夫々の作品がソロ主体で唄われることが多くなる。当然そうしたエゴの衝突は、解散と夫々のメンバ−のソロ活動という、バンドの常となる流れに移行していく。

 ビ−トルズ後期への移行期のアルバムを聞いていると、その後、夫々がソロで展開していく、異なる方向性が次第に明確に現れてくるのが分かる。その中でもポ−ルは、明らかにポップ路線に傾斜していくが、私にとっては、このポップ路線と、ジョンとポ−ルのコ−ラスの減少が、恐らく後期ビ−トルズから離れていく感覚的理由になったのではないかと思われる。ソロとなったポ−ルの音楽は、結局ウイングスを含めて、この路線を突っ走り、ポ−ルはそこで持続的にヒットを生み出すのに充分な才能を有していたが、私にとっては彼の音楽は関心の対象外となったのである。

 こうして、この日のコンサ−トは結局私にとっては、やはりポ−ルのソロ・コンサ−トではなく、ビ−トルズの幻影を求めるものであった。それも後期ビ−トルズではなく、初期のそれである。その結果、この日、私が最も印象的に聴いたのは、既にCD「Paul is Live」に収録されている All My Loving、We Can Work It Out、Here There And Everywhere、Michelle を除けば、やはり Eleanor Rigby、Can’t Buy Me Love そして I Saw Her Standing There といったビ−トルズ初期から中期にかけての作品群であった。しかし、それらは、若いしっかりしたサポ−ト・ミュ−ジシャンによる、現代的処理を施された音で演奏されたが、やはり残念ながらジョンとのコ−ラスを欠いていることで、最後の一線でビ−トルズの幻影と一体化することはなかった。当然のことながら、ポ−ルはビ−トルズではなかったのである。

 このコンサ−トの前後、集中して聴いたビ−トルズを次に聴く機会は、恐らく相当先のことになるのではないだろうか。しかし、良質なロックやポップが常にそうであるように、それらは、常に一つの帰っていくべき場所となる。特にビ−トルズは私にとっては中学に進学した子供が、社会性の目覚めと共に触れ合ってきた原点である。そうした原点を想起することができた、ということのみでも、ド−ムでのこの日のコンサ−トも充分な意味があったのではないか、と感じているのである。

2002年11月30日 記