ロ−リング・スト−ンズ LICKS JAPAN TOUR 2003
日時:2003年3月12日
場所:横浜アリ−ナ
スト−ンズ4回目の日本公演である。今回は、1973年、初来日時の会場として予定されていた武道館での初のコンサ−トということで話題になっている。1973年の公演時は、チケット入手で多くの徹夜組が出たにも係らず、直前にミックらの麻薬騒ぎで公演自体がドタキャンとなったといういわくつきのものであったが、それから30年、既にグル−プとしては3回の来日公演を果たし、今回は4度目の日本公演ということになる。公演開始前の週末、テレビを見ていたら、北朝鮮による拉致被害者が武道館コンサ−トに招待された、という報道まであり、そのせいか、今回の来日は一般のマスコミでも随分取り上げられていたようである。また、海外のサイトを見ると、今回のツア−の話題は、中国での初公演(4月1日:上海、4月8日:北京、但し、その後キャンセル。末尾(注)参照)ということで、中国人ロッカ−の歓迎コメントなども紹介されていた。
個人的には、先般のポ−ル・マッカ−トニ−(ビ−トルズ)と同様、中学1年の時に洋楽を聞き始め、初めてシングル・レコ−ドを買ったバンドであるにも係わらず、その後は余りにビッグになってしまったために、ひねくれ者の私は、むしろ他のマイナ−なア−チストに関心の対象を移してしまい、結局一般的な情報としてはフォロ−しつつも、聞き込む機会がないまま現在まで来てしまったバンドである。更に、ビ−トルズの場合は、ジョンが射殺され、(その後の新音源は別として)ビ−トルズ名義の作品が完結した段階で、全作品をまとめ買いして聞き込む機会があったが、スト−ンズの場合は、60年代のB.ジョ−ンズのドラッグ死や、最近のB.ワイマンの脱退、といったメンバ−チェンジはあったものの、中核であるM.ジャガ−/K.リチャ−ドが、それこそドラッグ中毒という風評が若い頃からあった割にはしぶとく生き長らえ(いや、ミックなどむしろ若返ったくらいの健康さを保っている!)、引続き現在に至るまでスト−ンズ名義の作品を発表し続けていることもあり、まとめて聞き込む機会を逃すことになってしまった。実際、スト−ンズのソフトは、12歳の時に初めて買った洋楽シングル版である「Ruby Tuesday/Let’s Spend The Night Together」と、同じく10代の時に友人との交換で手に入れた4曲入りEP版及び最近購入したDVD数枚を除くと、アルバムとしては町のスタンドで売っている廉価版のCDベスト版を2種類持っているだけなのである。
このため、今回のスト−ンズ公演がアナウンスされた時も、「まあ一生で一度位見てもいいが、今回行かなくても、また機会はあるだろう」といった程度の気持ちで、あえて発売日の瞬間蒸発が予想されるチケット争奪戦に参加する気も起こらなかった。しかし考えてみれば、スト−ンズ公演は今までも常にそんな感じであった。1983年のロンドン・ウエンブレイ・スタジアム公演の時も、ロンドン赴任後、初めての海外一人暮らしの生活にも慣れ、結構ロック・コンサ−トには行き始めていたものの、会場が「スタジアム」ということでパスしたし、1996年の欧州ツア−も、チケットの入手は日本に比べ楽であったに係らず、あえてフランクフルトから約100キロ離れたライン川沿いの特設会場まで行くのも面倒くさいということで見送った記憶がある。
ところが、今回は、12日の公演の前日11日昼過ぎ、知人より電話で、翌日の横浜公演のチケットが入手可能との話が舞い込んだのである。ド−ムや武道館であれば、会場の広さに加え、帰路の遠さから、それほど心を動かされなかったが、会場が横浜アリ−ナということで、直ちに、翌日に予定していた友人との夜をドタキャンするなど、受け入れ準備を整えたのであった。
しかし、帰りは楽であるが、晴海のオフィ−スから横浜アリ−ナまでの道のりは長かった。6時丁度に会社を飛び出し、品川で通常の帰宅ル−トから外れ、東海道線で川崎へ。そこで京浜東北線に乗り換え、東神奈川で再度乗り換えた横浜線が出発した時は、既に7時6分。多少の遅れはあったとしても、開演に間に合うのは絶望的、と考えながら、新横浜駅で降り、既に旬を過ぎた売れ残りチケット在庫を持つダフ屋が声をかけてくる通路を通り、初めての横浜アリ−ナへ着いた時は7時半になっていた。席はアリ−ナ2階の、ステ−ジに向かい右側。かぶりつき、とは言えないまでも、先般のP.マッカ−トニ−のド−ム席に比べれば、格段にステ−ジに近い位置である。ステ−ジから私の席の正面まで花道が伸び、その先の狭い空間に、別の楽器セットが用意されている。
ラッキ−なことに、まだ公演は開始されていなかった。そしてガイドに連れられ席に着き、まさに一息入れたところで会場が暗転し、コンサ−トが開始されたのであった。
今回は、そもそも丹念にアルバムをフォロ−している訳でもなく、またチケット話も突然であり、いつものような予習ができないまま出かけたことから、その場で曲名が特定できないものが多かったが、その後友人が見つけてくれたインタ−ネット・サイト(http://www001.upp.so-net.ne.jp/keithrichards/tour/index.html)からこの横浜公演での演奏曲目が確認できた。それを抜き出しておくと、以下のとおりである。
@Street Fighting Man (Beggar’s Banquet,1968)
AIt’s Only Rock & Roll (It’s Only Rock’n Roll,1974)
BIf You Can’t Rock Me (It’s Only Rock’n Roll,1974)
CDon’t Stop (新曲)
DMonkey Man (Let It Breed,1969)
EYou Got Me Rocking (Voodoo Lounge,1994)
FRuby Tuesday (Through The Past Darkly,1969)
GLoving Cup (Exile on Main Street,1972)
HAll Down The Line (Exile on Main Street, 1972)
ITumbling Dice (Exile on Main Street, 1972)
(メンバ−紹介)
JSlipping Away (Steel Wheel, 1989) キ−ス・ソロ1
KHappy (Exile on Main Street, 1972) キ−ス・ソロ2
LSympathy for the Devil (Beggar’s Banquet,1968)
MStart Me Up (Tattoo You,1981)
NHonky Tonk Woman (Through The Past Darkly, 1969)
O(I Can’t Get No) Satisfaction
(中央ステ−ジ移動)
PMannish Boy
QWhen The Whip Comes Down (Some Girls, 1978)
RBrown Sugar (Sticky Fingers,1971)
(アンコ−ル)
S Jumpin’ Jack Flash (Through The Past Darkly, 1969)
7時30分、会場まで駆けつけた私の息が落ち着く間もなく暗転したステ−ジでのオ−プニングは、初日の武道館公演と異なる@であった。初日のオ−プニングであった「Jumpin’ Jack Flash」に続くシングルとして1960年代末に発表された作品であるが、当時、学生運動の波が席捲する時代世相の中で、「政治的には穏やかなビ−トルズに対し、随分と刺激的なタイトルの曲でスト−ンズらしい」という印象を持ったものである。赤いジャケットで登場したミックは、長い手足を柔軟に動かしながら、初めからステ−ジ狭しと動き回り、早くもミック節全開のボ−カルを聴かせる。彼を中心に、左にロン・ウッド、右にキ−ス・リチャ−ド、背後にチャ−リ−・ワッツというコア・メンバ−の配置で、キ−ボ−ド、ベ−スのサポ−トが左右に入っている。続いてAのアップテンポの演奏に移る。リ−ド・ギタ−はロンが取っているが、余り音は通らず、ミックの声だけがやたらに目立つ印象である。チャ−リ−のドラムは、予想されたとおり、60歳をゆうに越えた歳のせいか、やや単調で、余りテクニックは感じないが、右手のハイハットを刻むリズムが一拍分、溜めを作っているのが癖のようである。
3曲目は、私の聞き覚えのない作品。ここから背後のスクリ−ンに彼らの姿がアップで映し出される。「新曲をやります」というミックの日本語での紹介に続いて演奏されたのがC。ミックはギタ−を抱え、リズムを刻んでいる。Dのスロ−バラ−ドも私の分からない曲であったが、途中サックスのソロが入る曲である。ミックはここで上着を脱ぎ、シャツ1枚になっているが、スリムながら筋肉質の上半身は、男の私が見てもなかなかセクシ−である。更に1曲、馴染みのない曲を挟み「ルビ−チュ−ズデイ」に移る。先にも触れた、私が中学1年の時に、初めて手に入れた洋楽のシングル版である。「夜をぶっとばせ」と両面Aサイドという触れ込みが、当時もらい始めた小遣いの1ヶ月分をはたいてこのシングルを購入した理由であったように記憶している。まだ家にステレオなどない時代、それまではペラペラのソノシ−トばかり聞いていた卓上プレ−ヤ−で聴いたのが、今は懐かしい思い出である。既にこの曲のライブ映像は、「エド・サリバン・ショウ」でも接しているが、やはり生で聴く感激はひとしおである。「エド・サリバン・ショウ」では、亡きB.ジョ−ンズがリュ−トで担当していた音は、この日はキ−ボ−ドがサポ−トしている。
更に2曲、1曲はミックがアコ−スティック・ギタ−を持ち、もう1曲はサックス/ホ−ンをフュ−チャ−した私の知らない曲が続いた(但し、スクリ−ンには「Exile on Main Street」のジャケットと文字が写されていたので、この作品からのものであることは想像できた)後、「ダイスをころがせ」で再度個人的に盛り上がり、そこでメンバ−紹介となった。
サポ−トは、先に述べたベ−ス、キ−ボ−ドに加え、ホ−ンが3人、コ−ラスが男2人、女1人の3人。「Bridges to Babylon」の映像に比較しても、今回のツア−メンバ−は、アジアを含めた長丁場ということもあってか、随分シンプルな構成である。またセットも、アンプの大きさや数も、この種の大物のコンサ−トとしては質素であるとの印象は隠せなかった。しかし、そこはミックのカリスマ力とでも言うのだろうか、彼の存在感で、セットの軽さを十分カバ−していたのであった。
メンバ−紹介に続いて、ミックが「キ−スが歌う」とアナウンスして、ステ−ジから下がり、キ−スが2曲リ−ド・ボ−カルを取る。ブル−スっぽい作品で、ようやく彼のギタ−が聴こえてくるようになる。後程、スト−ンズとしての作品であることが分かったが、そもそもスタジオ録音でも、キ−スがボ−カルを取っているのかは不明。やはり、ミックに比べると、ボ−カルの存在感は今一で、彼のギタ−ワ−クを聞く曲、という印象。
ステ−ジが暗転すると、Sympathy for the Devilが始まる。再登場したミックは長いジャケットをまとい、緑と赤のライトが、怪しくステ−ジを照らす中、この黒ミサ的な雰囲気を漂わせる曲が進行していく。69年B.ジョ−ンズ変死の直後、彼の追悼として野外で開催された「ハイドパ−ク・コンサ−ト」でも映像化されている曲であるが、今回は、ライトニングの効果が、この曲の不気味なム−ドをかもし出している。背後のスクリ−ンに映し出される幻想的な映像とも相俟って、個人的には、この日のハイライトと言ってもよい演出であった。そしてそのままStart Me Up、Honky Tonk Woman 、(I Can’t Get No) Satisfactionと、シングルヒット曲のオンパレ−ド。ミックはステ−ジを左右に走りまくり、コ−ラスに唱和させるべく、観衆を煽りたてる。私も開始直後から立ちっ放しで、途中やや疲労感を感じ始めていたが、さすがにこれだけのメドレ−が続くと、興奮の余り、その疲れも吹っ飛んでしまう。
こうしてヒット曲メドレ−が最高潮を迎えた後、一瞬の沈黙が訪れ、「これで、あとはアンコ−ルか」と思いきや、ミックを先頭にメンバ−4人にキ−ボ−ド、ベ−スのサポ−トを加えた最少メンバ−が一人ずつ、花道を通って、中央部のセカンド・ステ−ジに移動を開始した。昔行ったコンサ−トでは、P.ゲイブリエルやB.アダムスでも使われていた演出であるが、今回のスト−ンズのセカンド・ステ−ジも、それらと同様、20畳程度の狭いものである。位置は、私の席から丁度正面、メンバ−の表情が肉眼でも十分分かる距離である。
そこで始まったのが、徹底的なブル−ス・ナンバ−のP。後で分かったのは、この曲は彼らが敬愛するマディ−・ウォタ−ズ(バンド名も、彼のアルバム「Rolling Stone」から取られた、という伝説もある)のレパ−トリ−でもあり、P.バタフィ−ルドやジミヘンなどもカバ−している曲である。おそらくは彼らがメジャ−になる前に頻繁に演奏していたものなのであろうが、「Hoochie Koochie Man」といった、南部ブル−スによくあるフレ−ズを歌うミックの声も、心なしか気合が入っている。
更にアップテンポの曲が入った後、セカンド・ステ−ジのトリは「Brown Sugar」。そして、この終了と共に、メンバ−は花道途中の階段から観衆の中に降り、退場していった。
これでアンコ−ルは決まった。再びメイン・ステ−ジに現れた彼らは、言わずと知れた「JJF」のイントロを、キ−スのギタ−でスタ−ト。会場はもちろん興奮の坩堝である。個人的にも、この日最もライブでの演奏を期待していた曲である。J.ウィンタ−のカバ−曲のような強烈なギタ−ソロはないが、ミックのボ−カルと後半のキ−スとロンの2本のギタ−でのユニゾンも交えたソロは、まさにスト−ンズそのものである。そしてこの曲と共にこの日の横浜公演は終了した。終演は9時20分。2時間には満たなかったが、略期待通りの内容であった。
この日の曲名が、略半分くらいが分からなかった、ということで、自分のスト−ンズとの接点がいかに小さかったかを再認識することになった。収録曲のアルバムをチェックして見ると、レンタルCD屋にあった「Beggar’s Banquet」と「Let It Breed」は最近聴いていたものの、それ以外はヒット曲しか知らない状態であった。特に、20曲中、4曲が演奏された「Exile on Main Street」を通しで聴けていないため、「ダイスをころがせ」以外の3曲の印象が薄くなってしまっている。
しかしながら、この機会にようやく接することのできた、彼らの生ライブは、今後、まだ機会はあるにしても、やはり貴重な体験であったと思わざるを得ない。齢59のミックを始めとして、メンバ−の平均年齢60歳を超える英国の悪ガキどもは、引続き黄金の60年代の雰囲気を引き継ぎながら健在である。そして私も、間違いなく、その年齢でもロックを聴いているだろう、と感じたコンサ−トであった。
(注:3月31日新聞報道)
正体不明の肺炎「SARS」(重症急性呼吸器症候群)の流行で、英国のロックバンド「ローリング・ストーンズ」は29日、来月に予定されていた初の中国公演を中止すると発表しました。ボーカルのM・ジャガーさんは声明で「本当に残念」と胸中を吐露しました。
2003年4月 記