アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第四部:東京編A (1998−2008年)
エリック・クラプトン
日付:2003年12月3日
場所:日本武道館 
(演奏曲目)
@When You’ve Got A Good Friend (ソロ・アコ−スティック・ブル−ス) →
Crossroads (Wheels Of Fire, 1968)
A I Shot The Sheriff (461 Ocean Boulevard,, 1974)
B Bell Bottom Blues (Layla And Other Asserted Love Songs, 1970)
C Reconsider Baby (From The Cradle, 1994)
D Can’t Find My Way Home (Blind Faith, 1970)
E White Room (Wheels Of Fire,1968)
F I Want A Little Girl (スロ−・ブル−ス)
G Got My Mojo Working (アップテンポ・ブル−ス)
H Hoochie Coochie Man (From The Cradle, 1994)
I Change The World (Single, 1996)
J Bright Lights, Big City (ミディアムテンポ・ブル−ス) 
K Kind Hearted Woman (スロ−・ブル−ス)
L Badge (Goodbye,1969)
M Holy Mother (August, 1986)
N Lay Down Sally (Slowhand, 1977)
O Wonderful Tonight (Slowhand, 1977)
P Cocaine (Slowhand, 1977)
Q Layla (Layla And Other Asserted Love Songs, 1970)

(アンコ−ル)
RSunshine Of Your Love (Disraeli Gears, 1967)
SOver The Rainbow (One More Car, One More Rider, 2002)

 あれは、「461 Ocean Boulelvard」リリ−ス後のツア−であったので、1974年頃、私の大学生時代のことであったと思う。それまでの私の同時代的なクラプトン体験ということで言えば、まずクリ−ムが日本に紹介された中学生時代は、シングル・ヒットはもちろん聴いていたものの、周囲の友人達と盛り上がり始めたのは、ライブ盤「Wheels Of Fire」が話題になり始めてからであった。特にそこに収録された「Spoonful」での3人の壮絶なアドリブのバトルに驚愕したのが初期の体験である。しかしその解散後 S.Winwood らと結成した Blind Faith を、発表と同時にたいへんな期待感をもって聴いたにもかかわらず、クリ−ム型のバトルとはうって変わったその落ち着いた音作りにがっかりしたものである。続いて登場した Derek and The Dominos のデビュ−盤は、それまでは全て友人が購入したアナログ盤を借りて聴いていたのに対し、クラプトンの作品で最初に、発表と同時に自分で購入したものであった。全体としてはやや冗長な2枚組み作品であったものの、当時私がクラプトンよりも好んで聞いていた D.Allman が参加している、ということで、Layla を始めとする一部の作品は好印象を持ったものである。しかし、その後のソロ作品はラジオで聴くのみで、アルバムでは聴くことはなかった。

 1974年の公演は、私にとっては、そうした彼の初期の音楽との付き合いの延長線上にあったコンサ−トであった。それが彼の何回目のツア−であったかは記憶していないが、恐らく初めてに近い日本公演であったのではないか。しかし武道館でのその公演では、こうしたソロ活動開始前の、私が期待していた曲はほとんどなく、その時点ではまだ購入していなかった前述の最新作を中心にしたソロ・アルバムからの作品のみのコンサ−トであり、その意味で、今ひとつ印象の薄いものであった。

 それから約30年、かつてのアルコ−ルとドラッグにまみれたブル−ス・ギタリストから、今やス−パ−スタ−のギタ−おじさんとなったクラプトン。思えば、私がロンドンにいた時期は、彼は全く英国では活動していなかった。もし、英国での公演があれば、その時期に行っていたのではないかと思うが、そうした話は全く記憶にない。実際彼のディスコ・グラフィ−を見てみると、80年代の私のロンドン滞在期に発表された3枚のソロ (「Money and Cigarettes」(1983)、「Behind The Sun」(1985)、「August」(1986)) は、どれも印象の薄い作品であり、評論家のコメントも「凡作」といったものが多い。おそらくクラプトンの現在の評価はとそれに伴うブ−ムは、90年代の「Unplugged」あたりから火が付いたのではないかと思われるが、この作品を含め、個人的には、私は時折、他にめぼしい作品がない時に彼の昔のアルバムを、多くは廉価版で買うという程度の関心でしか彼の音楽を聴いてこなかった。その意味で、彼も、P.マッカ−トニ−やスト−ンズと同様、メジャ−になればなるほど関心がなくなっていくという私のへそ曲がりの対象になっていたように思えるのである。今回のツア−も友人の誘いがなければ、十中八九そのまま流していただろう。こうした流れで出かけていった30年振りのクラプトンの公演であったが、それは、予想したとおり、多くの紆余曲折を経ながらもロック市場を行き抜いた男たちによる成熟したコンサ−トとなったのである。

 当日の開演は7時15分。エリックは紺のズボンに、白いシャツの何気ないファッションに身をつつみ、まず一人で登場。アコ−スティック・ギタ−を持ち、椅子に腰掛けながら、スロ−なブル−スでのオ−プニングである。最初のメインパ−トが終わったところで他のメンバ−が登場。サポ−トはフロント左右にギタ−のアンディ−・フェアウェザ−・ロウとベ−スのネイサン・イ−スト、背後左にキ−ボ−ドのクリス・スタイントン(私は始めて聞く名前であった)とドラムのスティ−ブ・ガッドというシンプルな5人編成である。バンドによるエレクトリックの演奏となりブル−スをもう一小節繰り返した後、聴き慣れたフレ−ズに移る。当初のブル−スのリズムとコ−ド進行を維持しながらの「Crossroads」である。クラプトンもギタ−をエレキに持ち替え、クリ−ム時代のあのライブ演奏と同じリフを、リフの部分だけスピ−ドを上げて演奏するという趣向である。続いて「I Shot The Sheriff」。これは間違いなく30年前にも演奏されていたが、一通りの展開の後、一瞬静寂をおいて彼のギタ−が音を抑えたソロに入り、それが次第に盛り上がり終了する、というアレンジである。これまた懐かしい「Bell Bottom Blues」そしてタイトル不詳のスロ−・ブル−スに続いて始まったのが、アコ−スティックに持ち替えての「Can’t Find My Way Home」であった。

 Blind Faith 時代のS.ウィンウッドの作品であり、オリジナルでは彼が、あのハイト−ンで切々と歌い上げた名曲であるが、この日は、さすがにクラプトンが歌うと、この曲のイメ−ジが狂うのであろう、ベ−スのN.イ−ストがリ−ド・ボ−カルをとることになった。技術的には特段面白い曲ではないが、少なくとも私の知る限りは、数多いクラプトンのライブCD/映像を含め、初めてのライブでの演奏であったのではないか。ということで、個人的には、この日の目玉の一つとなった。

 続いて、これまたおなじみの「White Room」。これはボ−カルに重なる部分でクラプトンが、ワウワウ・マシ−ンでオリジナル版と同じ音を出していたこと、及びJ.ブル−スのボ−カル・パ−トをA.F.ロウが担当し、そのまま彼がサビのギタ−ソロに移ったのが印象的。やはりクラプトンのボ−カルではやや力強さが足らないかな、という思いであった。そしてそれ以降はリズムを変えたブル−スが3曲続いたが、Hを除き、曲名は分からず、これらが1994年発表のブル−ス・アルバムである「From The Cradle」等に収録されているものであるかどうかはさだかではない。

 再びアコ−スティックに持ち替え、名曲「Change The World」。A.F.ロウの紹介に続いたのは、彼が唸るようなリ−ド・ボ−カルをとるブル−スとクラプトン・ボ−カルでのブル−スと、この辺は個人的にはやや中だれム−ドであったが、次の「Badge」で再び盛り上がる。いかにもヒット曲っぽいバラ−ド(小生未詳、後ほど「Holy Mother」と判明)からカントリ−ぽい、A.F.ロウがギタ−ソロをとるN、そして名曲OPと1977年の「Slowhand」から3曲続くという展開。そしてメインステ−ジの最後にあの「Layla」のイントロが奏でられ、会場が盛り上がる。最近では定番となっているこの作品であるが、発表後、Derek and Dominosのライブやアナログ盤「Rainbow Concert」への収録はなく、叉前述の1974年公演でも演奏されなかった、かつては幻のライブ・バ−ジュンであった。私は当時、相棒D.オ−ルマン亡き後は、この曲はもう封印したのではないかと勝手に「個人的な伝説」を作っていたくらいであるが、90年代に「Rainbow Concert」CD版で初めてこのライブ・バ−ジョンを聞いた時は、感激すると共に、伝説が崩れたという点でやや寂しい思いも抱いたのである。この日の演奏は、「Rainbow Concert」バ−ジュンとの比較ではややテンポを落とした演奏であった。ピアノソロに移る際、結構間が空いたため、後半はやらないのかな、と思ったくらいであるが、通常の展開となり終了。以前のような感激はないが、やはり名曲であるのは確かである。

 アンコ−ルは、2001年公演の映像と同じ、「Sunshine Of Your Love」とスタンダ−ドナンバ−「Over The Rainbow」の2曲で、9時10分に終了した。正味2時間弱の公演であった。

 30年前の印象と比較すると、圧倒的にブル−スの比重が高く、前述の「From The Cradle」(1994年)やB.B.Kingと共演した「Ridin’ With The King」(2000年)と最近多くなってきたブル−ス・アルバムが物語るように、彼は歳をとり円熟すると共に、自分の音楽の原点であるブル−スに回帰しているという印象の強いコンサ−トであった。更に既に多くのファンからは別格と見なされているが故に、彼が一般には受けないブル−スを演奏しようと、「まあ彼なのでしょうがない」という気にさせるのであろう。確かに、ブル−スであろうと、一般に知られたオリジナルであろうと、彼のシャ−プなアドリブでのフレ−ジングは健在であり、それが聴ければ、演奏曲目はどうでも良い、という感覚が私の中にもあることは否定できない。その意味では、やはりおぼろげな30年前の公演では、余りこうした彼のアドリブが聴けずにがっかりした記憶があるので、尚更今回のライブが、私にとっては、「クラプトンのクラプトンたる」演奏に初めて接したコンサ−トであった、とも言える。

 しかし、そうではあっても、やはりブル−ス主体のコンサ−トでは、インタ−プレイの面白さという点で多くの不満が残ったのも事実である。キ−ボ−ドは、少なくとも私には馴染みのない名前であったが、それ以外のサポ−トは、ジャズ、フュ−ジョンを含めて、数々のス−パ−プレ−ヤ−とのジャムを繰り返してきた連中である。そうした彼らと演奏するには、彼のブル−スのみならず、オリジナルの多くも、余り展開やインタ−プレイの緊張感を楽しめるタイプの音楽ではない。特にドラムのS.ガッドは、例えばコロンビア時代のA.ディメオラと、高速変則ビ−トでの応酬を含めた壮絶なインタ−プレイを行ってきたのに対し、この日の演奏は、極端に言うと、「私でも叩ける」程度のブル−ス・ドラムがほとんどで、実際、最後に紹介されるまで、演奏からは彼だとは確信できなかったくらいである。もちろん、クラプトンを含め、そうした幾多の修羅場をくぐってきた円熟したプレ−ヤ−達が、悟りの境地で気楽なパブ・セッションをしていると思えば納得できるのであるが、そうであれば武道館というのは余りに場違いなのではないか、と思えてしまうのである。そのように考えてくると、やはりクラプトンは20代でのクリ−ムの時代がそのピ−クであり、またその後についてはドラッグから立ち直り活動を再開した時期の「Rainbow Concert」をもって、クリ−ム以降の時期を全て総括し、その後はまさに余生を楽しんでいるだけなのではないか。そして皮肉なことに、彼のミ−ハ−人気は、そうした彼の余生においてどんどん高まってしまったのではないか。そんな思いを抱かざるを得なかったこの日のコンサ−トであった。

(尚、当日の演奏曲目中、私が分からなかったものは、インタ−ネットサイト:http://www.clapton.ne.jp/japantour03/03j/1203.htm? より引用させて頂きました)

2003年12月 記