ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
ZARD What a beautiful moment Tour
日時:2004年7月23日
場所:日本武道館
ついに、このライブ・レポ−トに初めてJ・ポップ系シンガ−が登場する。私にとっては、学生時代の日比谷野外音楽堂10円コンサ−トやサマ−ジャズ/大晦日オ−ルナイト・ジャズといったロック/ジャズ系のライブを除くと、日本人歌手のライブとしては齢50にして初の体験である。
ZARDこと、坂井泉水がシングル「Good-bye My Loneliness」でデビュ−したのが、バブル末期の1991年2月。続いて3月に同タイトルのアルバム、同年11月に3枚目のシングルとして「もう探さない」が、そして同タイトルの第二作のアルバムが12月に発売されている。この間の9月に、私自身は転勤に伴い、生活の拠点を東京からフランクフルトに移している。
それから13年、彼女はシングルで37枚、アルバムでベスト・アルバム3枚を含め10枚を発表しているが、個々の作品の質の高さに加え、テレビを含めたマスコミに登場しないポリシ−とライブ自体も数えるほどしか行わないこと、そしてその結果依然として私生活についての情報がないこともあり、J・ポップ系の歌手の中でも独特の位置を維持していると言える。
私が彼女の存在を知ったのは、前述したとおり、彼女の1枚目と2枚目のアルバム発表の間の時期に、生活の拠点をドイツに移した後のことである。公私を含め東京との往復を繰返していた当初の単身赴任時期、何となくJ・ポップ系の音が聴きたくなり、全く聴いたことはなかったが何かの拍子で評判を耳にしていた4枚目のアルバム「揺れる想い」を一時帰国時に購入しドイツに戻ったのが初めての出会いである。その時の印象は強烈であった。個々の曲の良さもさることながら、外国での一人暮らしの中年男の心の隙間に巧みに入り込む歌詞と心地よい声色。バックの演奏の質も高く、基本的にロック/ジャズ系人間である私にとって瞬く間に、大学時代のキャンディ−ズ及び荒井由美のデビュ−以来のJ・ポップ系個人アイドルとなったのである。
それから約10年、彼女の作品は継続的に買い続けることになった。同時にこれほどまで入れ込んでいる歌手の映像を見ることができないことに対する欲求不満も強まっていった。映像ということでは、2000年発表の「クル−ジング&ライブ」に収録されているCD ROMがあるが、これは映像の質も悪く、時間も短いことから、レンタルで見たのみで、とても個人的に購入する気にはなれなかった。恐らく私が、今回始めてJ・ポップ系歌手のライブに50歳にして初めて出かけて行く気になったのは、こうした彼女の戦略にまんまと乗せられてしまったからであろう。3月の東京フォ−ラム公演は取れなかったものの、今回ようやく友人の手配により武道館ライブが入手できたのである。
当日、夏風邪にやられた体調は万全ではなかったものの、早々に会社を飛び出し、開演予定の6時半丁度に武道館に到着した。席は2階南東で、正面やや右側、左下にステ−ジを見下ろす位置。先日のE.クラプトンよりも正面寄りの席である。到着時、会場にはK・ジャレットのソロ・ピアノ「ブレ−メン・コンサ−ト」がBGMとして流されていたのも、なかなかのセンスであった。
ステ−ジ上には、誇張して言えば、オ−ケストラでも入るかと思われる程の席が用意されていた。ステ−ジ中央にボ−カル用に空けられたスペ−スを挟み、左右に合計20席ほどの椅子が置かれている。彼女の曲のコンセプトは基本的にバンド型であることから、ギタ−、ベ−ス、キ−ボ−ド、ドラム+α程度のサポ−トを想定していたのに対し、結構大掛かりである。
6時51分、会場が暗転すると、ステ−ジ後方のスクリ−ンに、荒地の一本道を走る車を上空から撮影した映像が映し出され、そこに1991年から始まる、彼女のシングル曲のリストが、年毎に浮き上がる。そして「2004年」「NOW」と表示されたところでオ−プニングの「揺れる想い」のバンド演奏が始まり、続いて中央ステ−ジに坂井泉水が登場した。
聴きなれた、やや舌足らずであるが、よく通るボ−カルが、バンドの演奏に負けない力強さで武道館の観衆を包んでいく。彼女のいでたちは、黒のパンタロン・ス−ツ。ス−ツの下のシャツも黒と、全く地味な衣装で、ステ−ジ後ろのスクリ−ンの下は暗闇であることから、レ−スクイ−ン上がりという彼女のスタイルもそれに溶け込み輪郭をほとんどつかむことができない。ステ−ジ中央に置かれたスタンド・マイクに向かい、時には手にマイクを持ちながら、ほとんど位置も変えず歌っていくが、スクリ−ンにアップで映された表情もほとんど変わることなく、よく言われるような、ややシャイな女の子といった感じが漂ってくる。
バンドは向かって左側が、一列目にキ−ボ−ド、その左奥にドラム、椅子の一列目がエレキ・ギタ−とベ−ス、その奥にコ−ラスの女性が一人。また途中で最前列中央にサックスが加わり、また最後のメンバ−紹介まで分からなかったが、ドラムの奥にもう一人蠢いていたようである。向かって右側が、右端にセカンド・キ−ボ−ド、席一列目にエレキギタ−2本とパ−カッション、二列目がアコ−スティック・ギタ−2本、そして最後尾に女性コ−ラス3人。またこちら側でも途中から最前列にバイオリンが加わっている。コンサ−ト終了後、公式ホ−ムペ−ジでツア−情報を確認して分かったところでは、サポ−ト・メンバ−は合計17人、その内、ギタ−がエレキ、アコ−スティック合わせて5台、キ−ボ−ド2台という豪華なサポ−ト陣であり、これが最初にオ−ケストラでも入るのか、と思ったセッティングの中身であった。因みにこの公式ホ−ムペ−ジによると、当日のサポ−トは、キ−ボ−ドが古井弘人、大楠雄蔵(古井はガ−ネット・クロウのリ−ダ−、倉木麻衣や愛内里菜のライブ・アレンジやZARDの編曲も担当)、エレキギタ−が綿貫正顕(今回のサポ−ト・バンドのバンド・マスタ−、ガ−ネットクロウのメンバ−で「永遠」や新作のレコ−ディングに参加)、大賀好修(「クル−ジング&ライブ」や倉木麻衣全ツア−に参加)、岡本仁志(「クル−ジング&ライブ」やガ−ネット・クロウの録音に参加)の3人。アコ−スティック・ギタ−は岩井勇一郎(ZARDに曲提供、ガ−ネットクロウ参加)と太田紳一郎(サポ−トボ−カルも担当)の2人。その他、ドラムは唯一の黒人のD.C.Brown (倉木やガ−ネットクロウのライブ参加)。コ−ラスの女性は、左側が岡崎雪、右側の3人がSATIN DOLLというグル−プ。パ−カッションの車谷啓介もZARDの新作のレコ−ディングに参加とのこと。先ほど、ドラムの裏で「蠢いていた」男は「Manipulator」の大藪拓であるが、彼も倉木や愛内のツア−にも参加しているという(その他の個人名は省略)。こうして見ると、レコ−ド会社の関係があるのだろうが、サポ−ト・メンバ−はガ−ネット・クロウ、倉木麻衣、愛内里菜らの関係者であることが分かる。
さて、当日の演奏曲目をいつものとおり手書きメモから再生してみると以下のとおりである。
(演奏曲目)
@揺れる想い (揺れる想い:1993)
A眠れない夜を抱いて (HOLD ME:1992)
Bこの愛に泳ぎ疲れても (OH MY LOVE:1994)
Cもう少し あと少し・・・ (OH MY LOVE:1994)
Dあの微笑を忘れないで (HOLD ME:1992)
EYou and me (and・・・) (揺れる想い:1993)
Fもっと近くで君の横顔見ていたい
(止まっていた時計が今動き出した:2004)
G瞳閉じて (止まっていた時計が今動き出した:2004)
H心を開いて (TODAY IS ANOTHER DAY:1996)
Iあなたを感じていたい (FOREVER YOU:1995)
J愛が見えない (TODAY IS ANOTHER DAY:1996)
KTODAY IS ANOTHER DAY (TODAY IS ANOTHER DAY:1996)
L来年の夏も (OH MY LOVE:1994)
MMy Baby Grand−ぬくもりが欲しくて− (永遠:1999)
N君がいない (揺れる想い:1993)
Oマイ フレンド (TODAY IS ANOTHER DAY:1996)
P負けないで (揺れる想い:1993)
(アンコ−ル)
Qインストゥルメンタル:メンバ−紹介
Rpray (止まっていた時計が今動き出した:2004)
S止まっていた時計が今動き出した
(止まっていた時計が今動き出した:2004)
21 新曲(かけがえのないもの?)
22 Don’t You See ! (シングル:1997)
ZARDブレ−クのきっかけとなった@から続けて初期の代表作が披露される。Bからサビでのエレキギタ−がフィ−チャ−されるが、Bでは向かって左側のギタ−が、Cでは右側の二人の内フライング・ブイを演奏するプレ−ヤ−がソロをとる(その後もソロはこの二人がほぼ交互にとっていた。3人目のエレキギタ−のソロはほとんどなかった)。レコ−ド同様に、きれいなコ−ラスで開始されるD、一転してピアノとのデュオで静かに歌われるEといっきに進んだところで、初めて坂井の語りが入る。
いかにも素人っぽい、たどたどしい語りである。今晩がツア−の最後のコンサ−トであること、これからも言葉を大切にしていきたい、と面白みはないが、ファンには染み入るような話し振り。恐らく私を含めて、こうした場慣れしていない語り口が、マスコミ露出を嫌う彼女のイメ−ジと重なりファン心理を擽っているのは間違いない。
この短い語りの後に、アコ−スティック・ギタ−とのデュオで、最新作からのFが、続いてピアノとのデュオでGが歌われるが、このGで、彼女は感極まったのか、1フレ−ズの半分の歌詞を失念してしまうというチョンボ。すかさず会場から「頑張れ」という声が飛んだのはご愛嬌。
開演から、後方スクリ−ンには、時に彼女やバンドのアップと外国風風景が交互に映し出されていたが、同時にカラオケのように全ての歌詞もそこに表示されていた。「言葉を大切にしたい」という彼女の語りのとおり、時として聞き取りにくい節回しの歌詞を観客に知らせたい、との仕掛けであったが、これがあったため、彼女のチョンボがはっきり分かってしまったのも皮肉であった。同時に、それまで、よくこれだけの歌詞を覚えているな、と感心していたトリックも分かった気がした。
ステ−ジ中央でほとんど動かない彼女のすぐ前の床に穴があいており、当初から、この穴をどのような演出に使うのか、あるいは彼女が動き回る場合は危ないな、と思っていたのであるが、この時この穴の機能が分かった気がした。この床の空間は、観客席からは見えないが、歌い手からは見えるスクリ−ン・モニタ−がセットされているに違いない。彼女はこれを時折眺めながら、これだけの曲の歌詞(しかも観客に表示されているので間違うことはできない)を正確に歌っているのであろう。ただGでは気持ちを入れ込みすぎて、このモニタ−から目が離れてしまったに違いない。それはそれで、もちろん許してしまおう。
併せて、こうして歌に合わせ歌詞をフォロ−することで、私も初めてZARDの詩の世界に初めて接したような気分に包まれることになった。
考えてみれば、「ながら族」の私は、日本語の歌を聴く際にもほとんど歌詞カ−ドを見ることがない。そんな私にも、彼女の歌詞を流して聴いていても、時折印象的なフレ−ズが残るのであるが、全体を通して味わうということは今までほとんどなかった、というのが正直なところである。その意味で、今回の公演では、このカラオケ型スクリ−ンを通じ存分に彼女の歌詞の世界を堪能したのであった。
ステ−ジでは再びバンドの演奏に移り、イントロのピアノが印象的なH、サビの部分でバイオリンとサックスが初めてソロをとったI、アップテンポでよりハ−ドなJ、サビの歌詞が印象的なK、再びスロ−バラ−ドのL、「永遠」からこの日唯一の曲であったM、アップテンポのNと続く。そして大ヒットのOPで、この日のメイン・パ−トが終了した。終了時間は8時3分。
当然期待されるアンコ−ル。5−6分のインタ−バルで再び演奏が始まる。坂井泉水は登場せず、サポ−ト・バンドによるインストゥルメンタルでのZARD曲の演奏に合わせ、スクリ−ン上でメンバ−紹介が行われていく。冒頭に触れた「Manupilator」の存在も、この時初めて認知することになる(但し、彼の正確な役割はまだ分からず終いであるが)。
このメンバ−紹介が終わったところで、再び坂井が登場し、最新作からのR、及びそのタイトル・トラックであるSが続く。衣替えはなく、上着を脱いだだけの、黒いシャツとパンタロンという、相変わらず地味なファッションである。
「新曲をちょっと聞いてください」との紹介で始まったのが21.前述の公式サイトで、「かけがえのないもの」という新作が紹介されているが、「Absolutely Invaluable Love」という英語歌詞を含んだこの曲がそうであるかどうかは、現在までのところまだ確認が出来ていない。そしてそのまま、ベストアルバム(及び「クル−ジング&ライブ」)にしか収められていないシングル曲である22へ.曲の最後、演奏が続く中、坂井が聴衆に向かって謝辞を語るが、この時ばかりは高まる演奏に食われ、ほとんど聞き取れない状態。そのまま坂井はステ−ジ後方に消え、その後バンドの演奏が終了。こうしてこの日の全てのメニュ−が終了したのだった。終了時間は8時40分。インタ−バルを挟みながら約1時間50分。全22曲のコンサ−トであった。
彼女唯一のライブである「クル−ジング&ライブ」が、映像・録音共やや雑なものであったことから、視覚的にも聴覚的にも実質初めてのライブ体験になった訳だが、その期待は十分に満たされたコンサ−トであった。CDで聴かれた演奏水準の高さは、ライブでもそのまま再現され、アップテンポの曲でのエレキ・ソロは2人のソリストのそれぞれが相応のテクニックを持っており、2人のキ−ボ−ドも、ピアノ、シンセ、ハモンドの夫々で原曲のデリカシ−を維持していた。アコ−スティック・ギタ−によるバラ−ドもクリア−で、ソロも心地よく響いている。そして何よりも坂井泉水の声はアップテンポでも、スロ−バラ−ドでもクリア−に響き渡り、彼女の特徴的な、高音部を引きちぎるように歌う時には、CD以上に心地よく聴くことができたのであった。そうしたパフォ−マンスに加え、2時間近いコンサ−トで聴衆に晒されても、依然として視覚的にも精神的にも漠然としている坂井泉水の不透明な輪郭が、相変わらずある種の幻想を残してくれるのである。50歳の男がこうした感想を述べるのもやや気恥ずかしいが、言わばこの日のZARDライブは、大人向けの御伽噺であったのではないか。そんな気持ちを抱きながら、その週末、それこそ今まではせいぜい断続的に聴く程度であった彼女のCDを、結構立て続けに聴き続けたのであった。
2004年7月 記