アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第四部:東京編A (1998−2008年)
ブライアン・ウィルソン - ”SMILE” ツア−
日時:2005年1月31日
場所:国際フォ−ラム 
 丁度3年前(2002年2月22日)、同じ国際フォ−ラムで、B.ウイルソンと彼のバンドによる”Pet Sound”ツア−に参加した。丁度私が ビ−チボ−イズを聴き始めたのが ”Good Vibrations” からであったことから、その前の作品として発表された”Pet Sound”は全く聴く機会がないまま出かけていき、その結果として、この時のコンサ−ト評は、短いメモさえもまとめることができないままになっている。そして今回、その”Pet Sound”に続くアルバムとして計画されながら、レコ−ド会社の企画に沿わず、未完成のままお蔵入りになってしまった”SMILE”のツア−に、友人の余ったチケットを譲り受ける形で改めて参加することになった。

 ”SMILE”は、ある評論家に言わせると「世界で最も有名な未発表アルバム」である。そのアルバムの制作に全身全霊を捧げていたB.ウイルソンは、失意を抱きながらその後「引き篭もり」となり、時折グル−プの活動に復帰するも、ほとんど表舞台に出てくることがなくなってしまった。しかし、1983年に次男のカ−ルが事故(自殺?)により、1998年に三男のカ−ルが病気で他界すると突然表舞台で活動を開始し、今回、ついにこの幻のアルバムを完成させたのである。こうして35年振りに陽の目を見たこの作品は、音楽誌等でも話題となり、そしてブライアンは昨年の2月から、このアルバムを引っさげたツア−を開始したのである。

 1967年春、中学1年の私が初めて付けたBillboardのトップ10の小さなノ−トの最初のチャ−トに、ビ−チボ−イスの”Good Vibration” が記載されている。深夜放送の悪い音質で聴きながら、この曲は、普通の「2分30秒」のヒット曲とは随分違っているのを感じていた。メインの2リフレインからサビが入り、またメイン1回で終了する、という単純な構成とは異なるこの曲を前に、ビ−チボ−イズというのは同じウエスト・コ−スト系の人気バンド、ママス&パパスやグラスル−ツと比較しても「大人」のバンドというイメ−ジが植え付けられた。まもなくして次のシングルであった”Hero and Villains” を購入した時も、何か背伸びした、という自己満足のような思いがあったことを記憶している。

しかし彼らの音楽は、その後、シングルカットされた”Darlin’”を最後に、私の関心から遠のいていった。そしてバンド自体も、時折”Do It Again”や”Kokomo”といったヒット曲で存在を示したものの、かつての勢いはなくなってしまった。そして私の中でも、経済的な余裕ができるにつれ、例のとおり、少しずつ時代を遡りながら、このバンドの最も華やかであった”サ−フサウンド”時代のヒット曲を聴いていったが、それはそれで心地良いミ−ハ−サウンドで、ベストアルバムを揃えるのは吝かではないが、聴き込むには退屈な音楽として位置付けられていったのである。結局、前回のツア−で、確かにそのコ−ラスをライブで体験できたという収穫はあったものの、それ以上に評が書けないままに終ったというのは、その後ビ−トルズの”Sergeant Pepper’s”に絶大な影響を与えたと言われた”Pet Sound”を、コンサ−トの前後に聴く機会がなかったことに加え、私の音楽史の中で、一般的に彼らの位置が低かったが故である、と思う。

 さて、そうした2年前の、やや散漫な印象を受けて、今回友人からチケットが余っている、という話が来た時には、やや複雑な心境であった。また3年前の拡散した経験を繰返してしまうのではないか。また、3年前で既に、歩く時に足を引きずるようにしているブライアンが、まともステ−ジをこなすことが出来るのか。そもそも彼は声がだせるのか。P.マッカ−トニ−やM.ジャガ−のように還暦を迎えてもまだかくしゃくとロックしている連中に伍していけるのか。こうした不安を消し去ることは出来なかった。

 しかし、今回は、少なくとも、アルバムとしては未発表であったものの、私が同時代的に聴いていた”Good Vibration”や”Hero and Villains”が核になったコンサ−トである。更にレンタル屋から借りてきたビ−チボ−イズ・スト−リ−と1980年の英国”Knebworth”でのライブ映像を充分見込んだ上で臨むことができた。特に、1998年、カ−ルの逝去の直後に制作された前者の映像は、このバンドの歴史、特に”SMILE”制作中断以降のブライアンの姿を、他のメンバ−の証言でつぶさに綴っていることもあり、前回と比較にならないくらい、このバンドが身近なものになっていた。そしてコンサ−ト後には、同行した友人から入手したこの”SMILE”の音源を聴くことができた。こうした予習・復習の結果、このバンド、なかんずくその音楽的リ−ダ−であったブライアンのこの時期の野心的な気概を痛感することができたのであった。

 当日の演奏曲目はやはりその友人が持参してくれたメモによりつぶさに再現できるものとなった。コンサ−トは15分の休憩をはさみ2部に分かれていたが、前半はアコ−スティックとフルバンドの2セッションに分かれ、また後半は、”SMILE”フルバ−ジョンと怒涛のヒット曲メドレ−のアンコ−ルで構成されている。曲目は以下のとおり。

(アコ−スティック・セッション)
@Surfer Girl AWendy BAdd Some Music To Your Day CGood To My Baby
DPlease Let Me Wonder EDrive In FAnd Your Dream Comes True GYou’re Welcome

(フルバンド・セッション)
HSloop John B IDesert Drive JDance,Dance,Dance KDon’t Worry Baby LCalifornia Girls
MGod Only Knows NForever OGood Timin’ PI Get Around QSail On Sailor RMarcella

(”SMILE”セッション)
@Our Prayer/Gee AHeroes And Villains BRoll Plymouth Rock CBarnyard
DOld Master Painter/You Are My Sunshine ECabin Essence FWonderful GSong For Children
HChild Is Father Of The Man ISurf’s Up JI’m In Great Shape/I Wanna Be Around/Workshop
KVega-Tables LOn A Holiday MWild Chimes NMrs. O’Leary’s Cow OIn Blue Hawaii
PGood Vibrations

(アンコ−ル1)
@Do It Again AHelp Me Rhonda BBarbara Ann CSurfin’ U.S.A. DFun Fun Fun

(アンコ−ル2)
ELove And Mercy

 友人が手配してくれた席は、何と最前列のかぶりつきである。ステ−ジに向かって中央ブロックのやや右。開演と共に、中央にセットされたブライアン用のキ−ボ−ドの横で、アコ−スティック・セッションが始まると、ほぼ正面左に、集合する全員を間近に臨めることができるという好位置である。

 オ−プニングの@から、アコ−スティックギタ−2本とベ−ス、そしてボンゴのみの伴奏で、ブライアンを中央にコ−ラス主体の演奏が開始される。ブライアンの左はギタ−とボンゴを含め6人。右はギタ−、ベ−スを含め4人。ブライアンを含め11人編成。我々の席からは、一番右の大男のバンドマスタ−の影で見難かったが、女性ボ−カルが1名参加している。時折マウスハ−プやフル−ト、ヴァイブ等も加えながら、約20分続いたアコ−スティック・セッションが、Gの緩やかなリフの中で、フルバンド・セッションに移行する。事前に見た1980年の英国”Knebworth”でのライブ映像では、ブライアンがイントロで唯一リ−ドボ−カルをとる曲であったHから、サックス、ギタ−の応酬するロック調のI、アップテンポのヒット曲Jと続く。バンドにはアコ−スティック・セッションのメンバ−に加え、左後方にホ−ン部隊が参加している(最後のメンバ−紹介で、女性2名を含め6人もいたことが分かった)。Kは、友人によると前日のサンプラザでは”You’re So Good To Me”であったとのことであるが、開始前にメンバ−がブライアンに耳打ちしたところを見ると「今日はこっちでいくぞ」とでも囁いていたのであろう。Lは、個人的にはStrawberry Alarm Clock の4作目収録の名曲”Small Package”のエンディングのリフで初めて接した大ヒット曲。「デニス、カ−ルに捧げる」というブライアンの紹介で始まったNは、友人によると、数少ないデニスの作品であるとのこと。Oも、前日のサンプラザの ” Soul Searchin’”から変更されたもの(因みに前日のプログラムと異なっていたのは、アンコ−ルも含め、このK、Oの2曲のみであった)。大ヒットP、後期の作品Q、そして、それまで退屈そうに左側でパ−カッションなどを叩いていた若いイケ面男が我々の正面に移り、ギンギンのエレキ・ギタ−ソロを繰り広げたロック調のRで前半が終了した。

 15分程の休憩を挟み、今回のメインである”SMILE”フルバ−ジョンの演奏が開始される。コ−ラスによるイントロから、”Hero and Villains”へ。前回のツア−では披露されなかった、前述のとおり私にとって思い入れのある作品である。パ−カッションの男が、正確なタイミングで鳴らす笛の一吹きについ注意が行ってしまう。以降、Dの後半ではスタンダ−ド曲のさわりも交えながらEまで続けて演奏される。

 Fは、”Good Vibrations”がお蔵入りになった後、急遽レコ−ド会社の都合だけで勝手に編集された”Smily Smile”にも収録されている曲。”Smily Smile”では、リ−ドボ−カルはカ−ル。CD版”Smily Smile”のノ−ツに、「ブライアンのハ−プシコ−ド伴奏による美しい別バ−ジョンがある」と記されているが、今回のバ−ジョンはまさにこのハ−プシコ−ド版であると共に、”Smily Smile”版で最後に挿入されている「市場の笑い声」は除かれている。こうしてセカンド・パ−トはIまで連続演奏される。

 最終パ−トは、”Smily Smile”では”Vegetable”として収録されているものをおちょくったとしか思えないK(”Smily Smile”では、ベ−スのリフと、ジュ−スをジャグに注ぐ効果音だけのバックにアル・ジャ−ディンがリ−ドをとっているが、今回のバ−ジョンはピアノ中心のフルバンドをバックにしたコ−ラスになっていた)で始まり、同様のM(”Smily Smile”は、静かなオルガンと若干の効果音的なアコ−スティックギタ−のみの伴奏での囁くようなコ−ラスであるが、こちらはややテンポを上げ、後半にはホ−ンも加わるバンド的な演奏である)からハ−ドなインストゥルメンタルのN(ステ−ジの何箇所かで赤いライトに照らされた布を吹き上げた「炎」に消火隊が駆けつけるイメ−ジ)を経て、フィナ−レの”Good Vibrations”に雪崩れ込んでいった。”Good Vibrations”は、前回も単発では披露されていたが、今回この”SMILE”というコンセプト・アルバムの繋がりの中で演奏されると、その感激も一層高まるのを感じる。そもそも”SMILE”用に作られながら、”Smily Smile”にばらばらに配列された5曲が全体の中で本来の位置を取り戻し、未発表の幾つかの作品と共に緻密な流れの中に配列されているのは確かである。こうして通しでアルバムが演奏されると、まさに30年以上前にブライアンが構想した世界が、こうしたコ−ラスを主体とした、めくるめくような耽美的世界であったことが分かる。そして確かにそれだけの歳月をかけて、この世界をついに創造したブライアンの今回の作品は、おそらく一つの伝説になるのは間違いないのであろう。

 コンサ−トはこうして前回と同様の、ナツメロ・ヒットパレ−ドのアンコ−ルに入り、最後はブライアンのキ−ボ−ドソロによるアンコ−ルDで終了した。今回の公演全体を通じ、前回の”Pet Sounds”ツア−と共通する曲は、”SMILE”のエンディングに演奏された”Good Vibration”及び”Dance,Dance,Dance”、”California Girls”、そして前回のアンコ−ルで演奏された”Surfer Girl”、”Help Me,Rhonda”、”I Get Around”、”Barbara Ann”、”Surfin’ U.S.A.”、”Fun,Fun,Fun”の9曲。やはりファン・サ−ビスから最後はサ−フィン・ミュ−ジックの大合唱で盛り上がって終了と言うパタ−ンは崩せない。

 前回の”Pet Sounds”ツア−でも感じたが、やはりブライアンの心的世界は、この1967年から68年の時期に留まっているということが出来るのだろう。還暦を越え、一方でM.ジャガ−やP.マッカ−トニ−のようにギンギンにドライブし存在感を示すのも一つの生き方であろうが、またブライアンのように、ある意味では「幼児性」と言えなくもないが、かつての原点に閉じこもり、その音世界をひたすら内向きに広げていくという道もまた良いのではないか。前回と同様、中央のキ−ボ−ドに着席しながら、ほとんど演奏はせず、またステ−ジの進行と共に声のつやも衰えていくのを感じながらも、このご老体は、またひとつ大きな里程標を作り上げた、そんな感覚を抱いたライブであった。

2005年2月