ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
PAT METHENY GROUP − THE WAY UP TOUR
日付:2005年4月21日 場所:東京国際フォ−ラム
(演奏曲目)
@ The Way Up (The Way Up, 2005)
A (Go) Get It (TRIO 99→00, 2000)
B James (Offramp, 1982)
C Lone Jack (Pat Metheny Group, 1978 / TRIO 99→00, 2000)
D Are You Going With Me? (Offramp, 1982)
E Unknown (アコ−スティック・ソロ)
F Last Train Home (Still Life (Talking), 1987)
G The Roots Of Coincidence (Imaginary Days, )
H Unknown (アコ−スティック・ソロ+ハ−モニカ・デュオ)
I Farmer’s Trust (Travels, 1983)
J Munuano (Six Eight) (Still Life (Talking), 1987)
(アンコ−ル)
K Song For Bilbao (Travels, 1983)
1998年5月のフランクフルト公演 (Imaginary Day Tour) 以来、6回目、今回東京に帰ってきてからは初めてのパット・メセニ−である。
パット・メセニ−は、ジュズ/フュ−ジョン・ア−チストとしては映像作品を数多く発表しており、特に「We Live Here」以降は、アルバム毎に映像作品を発表している。その意味でライブへ足を運ばなくとも、それなりに最近の姿に接することができるために、来日のたびに生を聞く必要もない、というのが正直なところである。そして前作である「Speaking of Now」も、作品としては気に入っているものであったが、映像作品で満足しライブに足を運ぶことはなかった。
しかしそれでも、時折無性に彼の生の音に接したくなるのも確かである。いや、むしろ生活にやや疲労感を感じた時に、彼のライブであれば、まず間違いなくそれを癒してくれる、という安心感がある。そして最近の個人的な立場と生活の変化の中で、私の中にそうした気持が高まりつつあったところに、丁度良いタイミングで彼のツア−が組まれてきたのである。しかも、今回は、先にチケットを買った後に、最新作である「The Way Up」を聞くことになったのであるが、これが何と、4曲68分10秒(外盤。日本盤はボ−ナスが入り70分を越える)という長尺物。まさにこうした「限界への挑戦」をライブで如何に繰り広げるのか、という期待感が否応に高まっていったのである。
もちろん、ロックやフュ−ジョンでこうした長尺物は、一時期のファッションとなり、今までも何作も発表されたことがある。アナログ時代の物理的枠組みの中で20分×4曲という形で制作されたイエスの「海洋地形学の物語」やソフトマシ−ン「4」は、70年代の英国ロック・シ−ンの一つの流れを象徴する動きであったし、またフ−が「トミ−」や「四重人格」等の「ロック・オペラ」で試みたのも、実際には組曲化された長尺物への取り組みであった。アナログ1枚という枠の中でも、同時期にジェスロ・タルは「ジェラルドの穢れなき世界」や「パッション・プレイ」で、ノンストップ40分程度の大作を発表していた。
しかしながら、丁度CDの時代が始まり、アルバムの収録時間が60分前後になってからは、逆にこうした長尺物はむしろ流行らなくなってしまった。一つには、70年代プログレが主導したようなポップ音楽の革新が明らかに行き着くところまでいった後、むしろ退行してしまったこと、そして他方ではCDの録音時間の長時間化に耐えられるだけのア−チストが少なくなってしまったこと等が理由なのであろう。
そうした中で、今回メセニ−は、あえてこの時期にそれに挑戦することになった。CDを聴く限りは、オ−プニングからパ−ト1,2,3と続く4曲は、あえて言えば今までの彼の個別曲における取り組みを、繋ぎを挟みながら途切れなく続けた演奏として表現すると言う印象であったが、言うまでもなくそれをライブで如何に行うか、というのはまた違った関心をもたらしてくれた。
7時10分過ぎ、まずメセニ−が、いつものようにラフな横縞のシャツとジ−ンズという格好でステ−ジに現れ、アコ−スティックのソロで演奏を開始する。それ自体の曲名は不詳であるが、所々で、あのD.ボウイと競演した「This is not an America」を思わせるフレ−ズ等が挿入される。そしてその演奏中にステ−ジの前後から他のメンバ−が現れセットに着く。メセニ−を中心に前面左右にキ−ボ−ドの盟友ライル・メイズとドラムのアントニオ・サンチェス、後方に左からベ−スのスティ−ブ・ロドビ−、ハ−モニカのグレゴ−ル・マレ−(スイス人と紹介された)、トランペットのチョン・ブ−、そしてナンテル・ウリア−(と聞こえた。ブラジル人とのこと)の4人が並ぶ。この内、ウリア−を除く6人が新作のレコ−ディング・メンバ−(但し、CDのライナ−ではパ−カッション等でR.ボナとA.サミュエルスの2名もクレジットされている)である。そして予想しなかったことであるが、そのまま、何の前口上もなく、いきなりその新作「The Way Up」が始まったのである。
オ−プニングの穏やかなリフが、静かにパ−ト1に接続され、ドラムソロのエンディングからパ−ト2へ、そしてアコ−スティック主体のパ−ト3へ。メセニ−は、エレクトリック・パ−トは、いつも通りのセミ・アコとギタ−シンセを持ち替え、それに、パ−トに応じ、台に載せられた各種アコ−スティックギタ−がステ−ジ前面に運ばれ、またその演奏が終了すると片付けられる。セミ・アコの流れるようなソロはいつものとおり心地良く、他方ギタ−シンセの泣くような叫びは耳を突き刺す。ライル・メイズは、長いソロが2箇所あるが、この日はやや指が動いていない印象。そしてこの核であるこの二人に、ソリストとしてはトランペットとハ−モニカが加わる。特に新作では、ハ−モニカが参加するパ−トが多い印象であり、トランペットがギタ−シンセとユニゾンで激しい演奏部中心に介入するのに対し、ハ−モニカは静のパ−トの中心になってソロを取ることが多かった。
こうしたフロントをドラムのサンチェスとベ−スのロドビ−が支える。80年代始めからメセニ−と行動を共にしているロドビ−は、余り前面には出ず、むしろ前作から参加したサンチェスが、その独特のグル−ブがかかったビ−トで演奏全体の柱という印象を与えてくれる。
さて、こうして8時20分に終了するまで略70分、CDと同様の演奏時間続いたこの大作について何と表現すれば良いのか。まず始めに言えるのは、この複雑な長尺物を、ライブで演奏し切る体力の物凄さを実感した、ということであろう。もちろん、正確な展開と個々のパ−ツのテクニックは言うまでもないのだが、いつも書いているように、この私と同年齢のメセニ−が、緊張を途切らせることなくこの大作を完奏させるだけの体力を維持しているというのは全くもって驚きである。今までも、彼のライブでは20分程度の曲は度々演奏されてきたが、その3倍以上のスコアを、手が止まることなく続けるというのは質的に異なる次元である。その意味で、この日の演奏は、やはり彼のライブの中でもエポック・メイキングなものであったのは確かである。
実際、この曲が終了した時点で、聴いている私のほうも、もう十分な達成感を抱いてしまった。マイクに向かったメセニ−も、一通りのメンバ−紹介を終えた後、緊張が融けた口調で、「さてこれから何をやればいいんだ?」といって会場の笑いを誘っていた。「小さなユニットの曲をやろうと思う」とのアナウンスに続いて、メセニ−とドラムのサンチェスによるデュオのAが始まった時、後は、それこそアンコ−ルに近い演奏が行われるのだろうと思ったくらいである。しかし、今宵はまだ序の口であった。
Aは、そもそもはスタジオ版では、ラリ−・グレナディ−ア(ベ−ス)、ビル・スチュア−ト(ドラム)というトリオで演奏された曲だが、個人的には、むしろ映像版「Speaking of Now」のオ−プニングでのサンチェスとのデュオでブッ跳んだ曲である。この日もサンチェスのドラムが圧巻であった。
続いてベ−スのロドビ−が入ったトリオで、これは懐かしい、私がロンドン赴任後初めての新作として購入した1983年の作品に収録されたB(今回帰国直後、友人の関係でライブを見たセミプロ・バンドがこれを演奏していた)。そしてピアノのメイズが入り、上記のトリオ版で再録されたが、もともとは70年代の名作アルバムからの作品であるアップテンポのCと続く。Dはメセニ−がこの日初めてのピカソ・ギタ−で「As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls」を思わせるイントロを聞かせるが、ギタ−シンセに持ち替えたとたんに、この楽器を彼が始めて使用したこのライブの定番曲に移行していく。因みに「Speaking of Now」の映像版では、同じタイトルでピカソ・ギタ−のイントロのみが演奏されている。
曲名不明のアコ−スティック・ソロのE(2003年発表のバリトン・ギタ−ソロ・アルバムの「One Quiet Night」辺りに入っている曲であろう)、セミアコをギタ−・シタ−ル風の音で演奏するF、メセニ−自身は気に入っていると言われているが私の趣味ではないハ−ドなG(いつもの通り、メイズもエレキでコ−ドをまくしたてる)、一転ハ−モニカとのデュオで静かに奏でるH、メイズのピアノ・ソロから始まり、途中からメセニ−が聞き覚えのあるメロディ−を入れるI、そしてライブの定番であり、中期の傑作であるJでいったん終了。そしてアンコ−ルは、スタジオ版はないもののライブの定番となっているK。ソロがメセニ−、メイズ、マレ−、ブ−、そしてサンチェスと続き、メインテ−マに戻り終息する。全て終ったのが9時50分。A以降の実質第二部だけでも1時間半以上、通算すると、前回のフランクフルトでの「Imaginary Day Tour」と略同様2時間40分に及ぶコンサ−トであった。
コンサ−トとしては、最初にA以降の個別曲で盛り上げて、こちらの心の準備が出来たところで満を辞して「The Way Up」をやってもらいたかったが、実際、演奏する方からしてみれば、さすがにこれを後にもってくるのはしんどかったのであろう。逆に言えば、それだけ今回の試みにかけるメセニ−の心意気が強かったと言ってもよいであろう。確かに、家でCD版を聞いていても、全編を通して聴く機会はめったにない。それをライブで通して演奏する訳なので、プレ−ヤ−に要求される集中力は並大抵のものではない。齢50を越えたメセニ−の進化はまだまだ続いていることを感じさせられたライブであった。
2005年4月27日 記