アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
キャッツ Cats   
日時:2009年4月25日          会場:Esplanade Theatre   
 前回、ロンドンでこのミュージカルを見たのは、おそらく1984−85年頃だと思うので、まさに20年振りの再会である。ロンドンでの観劇は、当時まだ記録をつける習慣がなかったことから、その時の詳細は遠い記憶を辿るしかないが、確か Covent Garden に近いところに設営された、円形の特設会場であったような気がする。車の駐車に手間取ったか、あるいは劇場の場所を迷ったかで、オープニングに間に合わず、イントロで猫たちが通路を伝ってステージに上がるところは、劇場内に入れず、外の通路でモニタースクリーンを見ていた記憶がある。そのまま、もう入れないのではないかと心配していたら、10分くらい待ったところでガイドから呼ばれ、ようやく席まで案内され、安心したものである。それ以降は、まだミュージカルを見始めて間もない頃だったこともあり、その斬新なステージとダンス、そして何よりもグリザベーラ役で当時人気の絶頂だった Elaine Page の歌う Memory、そしてその後王様猫に祝福された彼女が天井まで伸びた階段を昇って天国に消えていくというクライマックスに感動したものである。

 ここシンガポールは、ロンドンや東京などに比較して楽しめる芸術・文化の類が限定されている。昔に比べれば、経済水準の上昇と共に、割ける予算が増えてきたからだろうか、それなりに固有の芸術や外タレの公演も増えているようであるが、それでも先日のP.セテラのように、公演が予告されチケットを取っていても突然キャンセルされるケースさえもある。このミュージカルは4月10日から4月30日まで約3週間の限定公演であるが、1月に公演がアナウンスされ、チケットが販売されると、数少ない貴重なエンターテイメントであることから、直ちにネットで土曜日夜の予約を完了した。さすがにこの公演は、P.セテラのようにドタキャンされることはないだろう。実際、その後の新聞報道によると、この公演で用意された5万5百枚のチケットはすべて完売されたということであった。

 ところが、個人的にはその後、この週に東京での会議のための出張が入ってきたのである。しょうがない、家族との時間を削ることにして、会議終了後、直ちに土曜日の早朝日本を経ち、夕刻シンガポールに帰国。部屋でシャワーだけ浴びて、直ちに8時の公演に出かけたのであった。

 当日の席は、ステージに向かって右側の2階。ステージを見渡すのにはまずまず問題がない。開演直前、エスプラナード劇場の席は、土曜の夜ということもあり、略満席。老若男女に加え。小学生くらいの子供を連れた家族も目立っている。ステージのセッティングは、何となくかつての記憶を呼び起こす、タイヤや水道管などが散在するゴミ置場のイメージである。

 予定通り、8時を少し過ぎると会場が暗くなり、イントロのテーマが流れる中、アリーナの通路を猫たちがステージに向かって動く気配が感じられる。そして冒頭の「ジェリコ・キャット(Jellicle Cat)」で歌とダンスが始まる。このミュージカルは、内容はどうってことはない。満月の夜に、それぞれの猫が自分たちの特技を披露してチャンピオンを競うというだけであるが、アンドリュー・ロイズ・ウェーバーの音楽とそれに合わせたダンスと演出が素晴らしい。ウェーバーは、この作品の前後「エヴィータ」、「スターライト・エクスプレス」、「ファントム・オブ・ザ・オペラ」等、ヒット・ミュージカルを続々と送り出し「現代のモーツアルト」と呼ばれるほどになる。Old Gumbie Cat、Rum Tum Tugger、Mungojerrie & Rumpleteazer、Gus-The Theatre Cat、Skimbleshank-The Railway Cat、Macavity-The Mystery Cat、Mr.Mistoffelees-The Magical Cat など、様々な猫が登場するが、それこそ20年前の記憶が次々に呼び覚まされてくる。スロー・バラードからアップ・テンポのハリウッド風フォービートのスイングまで、曲は、その後もアナログ・レコードで時々聴いていたこともあり、自然に耳に入ってくる。しかしダンスは、確かに20年前に同じような振付けを見たような感じがするが、全く同じかどうかは定かではない。Rum Tum Tugger のマッチョなセクシーダンスや Mungojerrie & Rumpleteazer のデュエット・ダンスの最後のキメはまさに20年前のイメージのとおりである。20年前のロンドン公演はオーケストラの生演奏であったが、今回は、さすがに音楽はテープのように思われる。主役である Grizabella が登場し、主題である「メモリー」の一部が披露されたところで、第一幕が終了し、15分ほどの休憩に入る。休憩中は、猫たちが観客席の各所に登場し、観客と戯れていた。

 後半は、「The Moment of Happiness」で、「メモリー」のさわりが別の猫により歌われた後、Theatre Cat のスローな囁きから、アップテンポのダンスに移るが、ここでやや不思議な演出に出会うことになる。

 それまでの展開は、おぼろげな記憶ではあるが、略昔見た演出で進行しているように思えたが、ここでタイの戦士の衣装を着た一団と山車によるダンスが披露されたのである。これは間違いなくオリジナルの演出にはなかったものである。そこでの音楽がどうであったかは、残念ながら今となっては思い出せないが、公演後プログラムで各パートとそこで登場する猫を、これまた公演後購入したオリジナル版のDVDと比較してみると、恐らくは「Growltiger’s Last Stand」での演出だったのではないかと思われる。シンガポールでの公演を意識した演出であったのであろうが、一瞬、20年前にロンドンで見たバンコクを舞台にした別のミュージカル「Chess」を思い出したのであった。

 続いて舞台は、The Railway Cat (汽車のパーツを組み合わせ、それが最後にまたバラバラになる演出は、オリジナルそのもの)や Macavity を巡る若い女猫のデュエット、Macavity の一団による王様猫の網を被せての拉致、そして The Magical Cat の華麗なダンス(昔見たロンドン公演では、舞台下から煙と共に跳びだしてきた。その最後にマジックで揺れる布の下から王様猫を取り戻すのはオリジナルと同じ)、そしてそこからグリザベーラによる「メモリー」へと移っていく。ミュージカルの典型的なパターンであるが、それまでも何度も部分的に展開されてきたメイン・テーマが最後にフルに披露される。メイン・テーマだけに、この日のグリザベーラ役の歌もなかなか感動的であった。そして、そこで祝福されたグリザベーラが「天国への旅路」を辿るが、今回の演出は古タイヤのまま上昇して消えていくという演出であった。オリジナルでは、少し上昇した古タイヤに向けて階段が降りてきて、グリザベーラはこれを昇って天井に消えていったが、これは限定公演であるが故にしょうがないだろう。こうして最後のエンディングが終了したのはほぼ10時40分頃であった。

 公演後、既に述べたように、プログラムをもう一度眺めると共に、オリジナル版のDVDを購入し、記憶を呼び覚ましてみた。まず今回は、昔フランクフルトで見た「ジーザス・クライスト・スーパースター」がそうであったように、ニューヨークのオフ・ブロードウェイあたりの劇団かなと思っていたのであるが、実際にはオーストラリアの劇団で、出演者のほとんどがオーストラリア出身者であった。やはりシンガポールの位置を考えると、オーストラリアの劇団がコスト的にも一番呼び易いのであろう。この日の俳優は、もちろん全く知らない人たちばかりであるが、グリザベーラ役はデリア・ハナーという女優で、彼女は最近6カ月、娘の出産でショウビジネスを離れていたが、この公演から復帰したとのことである。またプログラムによると音楽担当ディレクターの他にベース、ドラム、キーボードの担当が記載されている。もしかしたら、一部生の音もあったのかもしれない。

 今回の公演全体を評価すると、もちろん期間限定公演であることによるセッティングの限界を除けば、原作の素晴らしさもあり、それなりに十分楽しめる内容であったと言える。その後、オリジナル版のDVDを見てしまうと、それぞれの猫の豊かな表情など、必ずしも当日気がつかなかった点も目についてしまうが、それは劇場公演であることの限界なのでしょうがない。オリジナルに比較して、バック転、バック宙の数も随分多かったように、オーストラリア出身の俳優たちも中々頑張っていた。そして何よりも、日本の劇団四季公演などでは1万円以上する料金がS$130(8000円程度)で購入でき、しかも終演後30分もせず帰宅できるという便利さはこの地ならではのことである。考えてみれば、そもそもこうしたミュージカル自体、フランクフルトに着任した直後の1991年12月に前述の「ジーザス・クライスト・スーパースター」(因みに、このミュージカルもA.L.ウェーバーの初期の作品―但しT.ライスとの共作―である)を見て以来であった。ここでは、こうした西欧風ミュージカル以外に、中国風ミュージカルなども時々上演されている。そんな作品も今後追いかけても面白いかもしれない。いずれにしろ、DVDを繰り返し見ながら、久々のミュージカルの余韻に浸ったのであった。