アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
Corea, Clarke+White  Power of Three
日時:2009年12月5日         会場:Esplanade Theatre 
 17年振りのチック・コリアのライブである。とは言いながらも、ジャズ・ミュージッシャンの中でも映像の多いピアニストで、小生も、結構頻繁に映像に接しているので、あまり久々という感じがしない。彼の映像で最初に安売りDVDを購入したKenny Garrettらと競演の「バド・パウエルの追想」は、スタンダード中心の地味な演奏で面白くなかったが、最近では特に、今回のメンバーであるStanley Clarke、 Lenny Whiteに、Al Di Meolaを加えた、オリジナル第二期Return To Foreverのモントルーでの映像(2008年)は秀逸であったし、また80年代に弦楽四重奏との共演をロンドンで見たGary Bartonとのデュオによる映像(1997年)も、最近の愛聴DVDである。別に90年代にフランクフルトで見たElectric Bandや、それと並行して企画されたAcoustic Band(先日そのプロジェクトのドラマーであるDave Wickelの参加したMike Sternのライブは別に掲載したとおりである)、更には最近のJohn McLaughlinとの競演も映像になっているようであるが、ここまで調達するとやや食傷気味になるだろうというのが正直なところである。LP/CD音源に関しては、チックがブレイクした第一期Return To Foreverの2枚から始まり、70年代に武道館で、彼の初めてのライブを見たHerbie Hancockとのピアノ・デュオ、彼のラテン音楽への嗜好を明らかにした「My Spanish Heart」、その他前述のElectric BandやAcoustic Band名義の数枚、そしてシンガポールに来てから購入したGary Burtonとの伝説的な共演「Crystal Silence」の再演盤など、愛聴盤には事欠かない。丁度ロンドンでGary Burtonとのデュオを見た時にも書いたが、彼の正確無比なタッチとラテンの雰囲気を漂わせる記憶に残る主旋律が、彼をジャズ・ピアニストの中でも独特の地位に祭り上げている。ジャズ・ピアニストとしては、私にとってはKeith Jarrett、McCoy Tynerに彼を加えた3人が特別な存在であると言って良いであろう。

 上記の多くの作品の中でも、昨年発売と同時に購入したReturn To Forever第二期の再結成映像は、まさにジャズ・フュージョンが初めて登場した70年代の熱さを感じさせてくれる作品であった。このバンドについては私は、ディメオラのソロから入った後、後追いで彼らのアルバムを聴いていったのではあるが、当時は30代のチックとそれこそ20代のメンバーによる白熱の演奏が、今回の作品では、チック67−8歳(1941年生まれ)を筆頭に他のメンバーも恐らく60台に入っているのだろうが、全く衰えを知らない緊張感と共に再現されているのである。そして今回、ディメオラは入っていないとしても、その中核メンバーでシンガポールに来るということで、その生での演奏を期待して、前売り開始と同時にチケットを調達したのであった。

 11月中旬から雨期に入ったシンガポールは、この日も昼過ぎに激しい雨が降り、オーチャードを歩いていた私もびっしょりと濡れたのであったが、夕方には雨も上がり、当地としては涼しい夕刻、当地唯一と言って良い屋内コンサート・ホール、エスプラネードでコンサートは行われた。7時半開演ということで、丁度7時に会場に入ったが、まだホールは開いておらず5分ほど外で待たされる。ようやく着席したが、会場はほとんど空で、7時半というのは「開場」であって、「開演」は8時くらいになるのかと思ったくらいである。7時半になってもまだ開場は7−8割の入り。先日のミュージカル「キャッツ」の開演前の賑わいとは異なる落ち着きに、やはりこうしたモダンジャズは、この地ではあまり人気がないのかなと考えている内に、最後の10分でそこそこ席が埋まり、7時40分、彼ら3人が登場した。今日の席は1階後方ではあるが正面にバンドを臨める、まずまずの位置である。セッティングは、向かって左にピアノ、中央にウッド・ベース、右側にドラムという形で、エレクトリックの機材は一切なく、アコースティック楽器によるシンプルな編成である。

当日の演奏は、その後の当地の新聞の評なども参考に推測すると以下のとおりである。

(前半:7時40分―8時30分)
@ Sometime Ago / La Fiesta (Return to Forever, 1972)
A Waltz For Debby (Bill Evans,1961)
B 未詳(スタンダード風)
C No Mystery (No Mystery, 1975)


(後半:8時55分―10時)
D My One And Only Love 
E 未詳(スタンダード風)
F La Concion De Sophia  (Rite of Strings, 1995)
G 未詳(スタンダード、ロック風)
H アンコール:Spain ( Light as a Feather, 1972) 

(終了:10時)

 オープニングは、1972年の大ヒット作からの@。オリジナル・アルバムのベーシストもスタンレーである。軽いタッチのピアノに、スタンレーの弦でのベースが絡むジャム風のイントロから、次第にメロディーラインが形成されてくる。オリジナル・アルバムではエレキ・ピアノで奏でられた主旋律が、5分ほどすると明らかになる。途中私の好きな8分の6拍子のリズムに移ってからは、まさにあの聴きなれたフレージングが次々と登場する。オープニングの選択としては申し分ない。オリジナルLPではB面20分に渡って展開したこの曲であるが、この日は10分ほどで終了した。

 続けて、チックのピアノ・ソロで始まる、ややスローなスタンダード風な4ビートのジャズに移る。メロディーは良く聴くものであるが、曲は特定できない。後に新聞評で、これがBill Evansの1961年の作品であることが分かる。Bill Evansのオリジナルでは、この録音直後にベーシストのScott LaFaroが事故死するのであるが、この天才的なベーシストに引けを取らないようなベース・ソロをスタンレーが披露する。新聞評では、チックのタッチは、Bad Powellを意識させるもの、と書かれている。レニーのドラムは、エレクトリックのサポートとは異なり、オーソドックスなものである。3曲目もメロディーはどこかで聴いたことのある曲であるが、タイトルは特定できなかった。4ビートの典型的なスタンダードである。途中、短いドラム・ソロが入るが、すぐにトリオの演奏に戻り、終了する。ここで連れの友人が、レニーのドラミングが、左手でリズムを取る変則のスタイルであることに気がついた。ドラムのセッティング自体は、左にハイハットを置く通常の配置であるので、サウスポーということではなく、しかし確かにシンバルでのリズムは左手で取っている。ハイハットでリズムを取るのは位置的にやり難いだろうな、と思って見ていると、ハイハットは足で強弱をつけるだけで、スティックが触れることはほとんどない。この点は、帰宅後、映像でも確認してみたが、やはりレニーは同じスタイルであった。初めて見るドラミング・スタイルということで、その後、ついつい意識して見ることになってしまった。

 この日の私の最大の関心は、第二期Return To Foreverの3人が、ディメオラを除いて、どのように、このエレクトリックの時代の曲を演奏するのだろう、という点であったが、4曲目にようやくその時代の曲が登場する。先に触れたディメオラを入れた4人でのエレクトリックでの演奏でも取り上げられた曲であるが、ディメオラ抜きのアコースティック版で演奏されると、そのラテン音階もあり、最後にアンコールとして演奏される「スペイン」と同じような曲想であることが分かる。実際、私は、最初これがあたかも「スペイン」であるかのように錯覚しまったのである。エレクトリックの演奏ほどの緊張感はないものの、やはりメイン・テーマからアドリブを通じての緊張感はそれなりに高い演奏である。

 20分ほどの休憩の後、第二部は、再びスタンダード風の曲での開始である。70年代のライブで、McCoy Tynerも演奏していた、ミュージカルでも使われそうな曲であるが、チックの演奏は、最盛期のMcCoyの力量感溢れる演奏とは異なる、繊細な演奏といってよい。アップ・テンポに移ると、70年代のモダンジャズ風の盛り上がりを見せる。続いてもう1曲、スタンダード風の曲が演奏された後、スタンレーの作品であるFに移る。

 90年代に、スタンレーがディメオラにヴァイオリンのJean Luc Pontyを加えたRite of Stringsと題されたアコースティックトリオでの活動を行なうが、私はフランクフルトでライブを聴くと共に、シンガポールに来てからこの映像も調達した。このプロジェクトでも取り上げられ、スタンレーが印象的なベース・ソロを展開した曲であるが、この日も、まずはチックのピアノ・ソロで始まるが、途中スタンレーのベース・ソロに移り、それが約10分にわたり続くことになった。ベース・ソロの当初は時折軽いサポートをしていたチックが、ドラム・スティックを持って後方に下がり、ぶらぶら歩き回る中、スタンレーは、アルベジオから、タッピング、そしてコードをかき鳴らしたりと、多彩なソロを展開する。ただ10分に及ぶソロは、やや長すぎるかな、と感じた頃に、再びチックがピアノに戻り収束する。続けて8ビートのアップ・テンポの曲(曲名は未詳)に移り、後半が終了する。

 一旦引っ込んだ3人はすぐにアンコールで再登場する。アンコールは予想通り、彼の最も著名な作品である「スペイン」。他の多くのミュージッシャンに取り上げられ(特に、私は、70年代の録音である、Larry CoryellとSteve Kahnのアコースティック・ギター・デュオでのこの曲がお気に入りである)、彼自身もソロやアコースティック・バンド等のいろいろなコンセプトで取り上げているこの曲であるが、この日は、まず「My Spanish Heart」での展開のように、ロドリゴの「アランフェス交響曲」のメイン・テーマが演奏され、それからこの曲のメイン・テーマに移行するというもの。一通り演奏した後、チックは聴衆に向かって、声を上げてくれというしぐさをする。「Singapore choir !」という彼の声が聞こえてきた。彼がピアノで短いフレーズを弾き、それに聴衆がスキャットで呼応する。時々スキャットには難しいフレーズが繰り出され、会場から笑いが漏れる。10回ほど、そんな遊びが繰り返された後、再び3人の演奏に戻り、そしてこの最後の曲が終了した。

 後に見た日本の新聞に、彼らの11月27日、日本ブルーノート東京での演奏の評が掲載されていたので、彼らはこれを終えた後、(直接かどうかは分からないが)シンガポールに移動したようである。この日経新聞掲載の青木和富の評によると、東京での演奏中には、ピアノの旋律が狂い、コリアが旋律師を呼ぶというハプニングもあったとのこと。しかし演奏全体は、「寛ぎのステージ」ではあるが、「即興の楽しさを胸一杯に溜め込んだ離れ業の連続」で「演奏する楽しみ、聴く楽しみが見事に一致した熱いステージ」であったと書かれている。

 確かにシンガポールでの演奏も、トラッドなアコースティックなトリオによる、アドリブ中心の、それなりに展開を楽しめる演奏であったのは間違いない。

 しかしながら、今回この3人に私が期待していたのは、第二期Return To Foreverでメンバーが繰り広げた緊張感あるフレーズの応酬と、メイン・テーマでの息のあったユニゾンという、当時のフュージョン特有のインタープレイであった。残念ながら、この日の演奏では、もちろんそれぞれの技術や会場のPAは申し分なかったとは言え、彼ら3人はあまりにリラックスしており、特に後半は気楽に流したという感のほうが強かった。これが、シンガポールの聴衆が、それ程厳しく演奏を評価することがないだろうという意識の現われであったのか、あるいは冒頭チックがやや疲れた、という感じのしぐさをしたように、移動と当地の暑さからくる疲労感の結果であったのかは分からない。またチックとスタンレーには頻繁にソロの機会が与えられていたが、レニーのソロは、短時間の掛け合いを除けばほとんどなかった。第二期Return To Forever再編のエレクトリック・セットでは、まさに彼がアンサンブルの緊張感を高める重要な役割を果たしていただけに、この日は、聴衆のみならず、レニー自身にとって、やや物足りないものだったのではないか。そんな感覚を抱いたこの日のコンサートであった。

                              2009年12月9日 記