アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
Musical −Chicago
日時:2010年5月1日                                                           会場:Esplanade Theatre  
 約1年前に、同じ会場で見た「Cats」以来の、久々の「Broadway Musical」である。この劇場ではだいたいこの時期にこの企画をやるのを恒例にしているのだろうか?そんなことを考えながら、1月のチケット販売開始と同時に、直ちに東京出張のないタイミングの、終演1週間前(5月9日が終演)のこの日を予約したが、あっという間に3か月が過ぎ、公演当日となった。

 開演ギリギリに飛び込んだ会場は、ほぼ満席。演目の性格からだろうか、前回の「Cats」で見かけた家族連れはほとんど居ず、年長者、特に欧米系白人の年長者が目につく。私の席は、ステージを左前に見る一階横。距離は近いが、やや身体を右に傾けて見なければならない。

 このミュージカルを見るのは初めてである。少なくとも80年代のロンドンではまだ興行されておらず、名前を耳にしたのはドイツから日本に帰ってきた後であったと思う。恐らくそれは日本での興業があったからであろうが、それが劇団四季など、日本のスタッフによるものであったかどうかは、余り記憶がない。

 観劇に先立ち、関連情報を集める。まず作曲はジョン・カンダー、作詞はフレッド・エップ、脚本はフレッド・エップとボブ・フォッシーということであるが、この3人の名前を聞くのは、私は初めてである。1975年、ニューヨーク初演で、ロンドン・ウエスト・エンドでも上演された後映画化されたが、まさにこの映画版の監督が、今年1月に見た映画「Nine」(映画日誌に掲載)のロブ・マーシャルであった。ミュージカルとして1997年のトニー賞6部門を受賞した他、映画版も2003年のアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞の作品賞を獲得しているという。今回の劇団も、前回の「Cats」と同様、オーストラリアの劇団である。

 ストーリーは、1920年代の二人のボードヴィリアンを目指す二人の女囚の野望と背徳の物語である。とは言ってももちろん暗いステージではない。主人公でボードヴィリアンを目指すロキシー・ハートは、自分を捨てた愛人を射殺し監獄に収監される。一方で同じく殺人罪で収監されているヴェルマは、策を弄してそこから脱出しようとしている。ヴェルマの紹介で、悪徳弁護士ビリー・フリンを紹介されたロキシーは、自分の殺人は正当防衛であり、また自分は妊娠していると嘘をつき、メディアの同情と注目を集め、結局無罪となる。しかし、無罪となったとたんにメディアの関心は彼女から離れ、結局ロキシーは監獄でいがみ合っていたヴェルマとコンビを組んで、「殺人犯二人のコンビ」を売りに、改めてボードヴィリアンの道を目指すのである。

 到着後直ちに暗転したステージ右前方に、まずダンサーが一人で登場し、「We are about to watch a story of murder, greed, corruption, violence, exploitation, adultery and treachery.」と告げる。それだけ聴くと、何と言う世界だ、と思うのであるが、これは別のミュージカル「キャバレー」と同様、このステージの舞台が、犯罪とジャズに満ち溢れていた1920年代のシカゴだ、と紹介している程度に考えた方が良い。直ちに、主人公ロキシー・ハートが登場し、彼女の愛人射殺場面も入れた、歌とダンスが始まる。

 ステージは、シンプルな作りである。中央に、階段状のボックスがセットされ、そこの今日のバンドが入る。正面左手前に女性指揮者が立ち、その正面は5人と2人で二列にホーンが並び、左手前にバイオリン。右上にドラマーが付き、中列は2台のピアノが向かい合う(左側のキーボードはオルガンのような音も出していた)。右手前にはウッド・ベースとギター/バンジョが入っている。指揮者を入れて14人の編成である(後で、プログラムを見たら、もう一人、パーカッションがクレジットされていた。恐らくドラムの横にいて、私の席からは目に入らなかったのであろう)。
 
 このバンド・スペースの手前のやや狭いステージが、今回のメイン・ステージで、その横や、バンド・スペース中央に設けられた通路を使って、俳優やダンサーたちが出入りすることになる。

 こうして、「All That Jazz」に始まる、前半11曲、後半10曲の歌に乗ったダンスが繰り広げられていく。残念ながら、曲は、私の聴いたことのあるものは一曲もなかった。ロンドンで見たロイド・ウエーバー・ミュージカルの挿入歌の幾つかがシングルとしてヒットしたようなことは、このミュージカルについてはなかったのか、それとも私が偶々聴かなかっただけなのかは分からない。

 気性の激しいヒロイン、ロキシー・ハートを演じるのは、シャロン・ミラーチップ(Sharon Millerchip)。金髪でくっきりした目鼻立ちの如何にもステージ向きといった感じの女優で、マドンナのような雰囲気を漂わせている。17歳の時からミュージカルのキャリアーを積んで、「Cats」や「Phantom of the Opera」の豪州版に多くの役で出演し、数々のローカル・アワードを得ているという。

 彼女のライバルであるヴェルマは、デオーネ・ザロット(Deone Zanotto)。現在ニューヨークを拠点に活動している彼女は、ミュージカルの他にも、ロンドンで行われたフレディー・マーキュリー生誕60周年記念コンサートで、ブライアン・メイ他のクイーンのメンバーと共演するなど活動の幅を広げているようであるが、今回はこの公演のために「アジアに戻ってきた」とのことである。また悪徳弁護士ビリー・フリン役のクレイグ・マクラーレン(Craig McLachlan)は、ソロ・アルバムも2枚出しているオーストラリアの人気歌手(ギターも弾くそうである)で、特に本国ではTVドラマでも人気があるということである。その他、女囚監獄の官守長であるマトロン・ママ・モートン(Colleen Hewett)や、デブのスキンヘッドで人の良いロキシ・ハートの前夫アモス・ハート(Damien Bermingham)等が、脇を固めている。

 こうしたメンバーに若い男女約15−6人の歌手やダンサーが加わり、舞台が進行する。若い女囚が、自分が犯した犯罪を告白するところを含め、結構セリフ場面が多い。冗談に会場が笑いで反応するが、残念ながら私が率直に反応できる部分は少ない。あらかじめストーリーを予習していったので、展開は理解できるが、そうした笑いの部分を含め、やや緊張感をもってセリフをフォローしなければならないというのは、昔ニューヨークで見た「Chorus Line」以来であった。

 セリフ部分を除けば、後は音楽とダンスである。音楽は、先に書いたとおり私の知った曲はないが、歌手及びバックの演奏の双方とも、なかなかの出来である。単純な4ビート、8ビートの曲の伴奏だけでなく、効果音的な演奏も、ぴったりのタイミングではめるところは、さすがはプロという感じ。ダンスは、女性はシースルーの黒のビキニやランジェリー仕立ての衣装がほとんどで、セックスに絡む事件を表現する場面が多いこともあり、結構色っぽい演出である。踊るスペースは、最初に述べたとおり結構狭いのだが、その限られたスペースを有効に使い、特に典型的な椅子を使ったダンス等、ブロードウェー的な感覚をたっぷり織り込んだものになっていた。時々指揮者の女性も展開に巻き込んだりしながら、物語は展開し、最後にロキシー・ハートが陪審員から無罪を宣告される。しかし、その瞬間、それまで彼女に群がっていたメディアは別の事件を追いかけて、一斉に彼女から離れていく。寂しげな彼女に前夫アモスが「戻ってこいよ」と声をかけるが、ロキシーは彼も捨て、そしてかつてのライバル、ヴェルマと新たなボードヴィルのコンビを結成する。ステージの最後は、二人によるお揃いのボードヴィル衣装による歌と踊りである。1920年代の欲望と混沌に満ちたシカゴで果敢に生き抜く女たちの物語がこうして終わる。

 途中20分程度の休憩をはさみ、8時に開演した舞台が終わったのは10時半。歌やセリフが必ずしも耳に入らなかったことに加え、夕食時に飲んだビールの効果もあり、途中軽い睡魔に襲われることもあったが、久し振りのブロードウェイ・タイプのミュージカルということもあり、そこそこ楽しめた。しかし、それでもやはり前述のとおり、「Chorus Line」と同様セリフを多用するミュージカルは、気楽なエンターテイメントという点では、やや疲れるのも事実である。全般的に、ロイド・ウエーバーを始めとするロンドンのミュージカルの方が、NYブロ−ドーウェイ発のものより外国人には楽しみやすいのではないかと、改めて感じたのであった。

2010年5月2日 記