アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
Eagles : Long Road Out of Eden Tour
日付:2011年2月23日                                                  場所:Indoor Stadium 
 この2−3月のシンガポールは、ポップ・ロック系外タレの来星ラッシュである。旧正月の連休明け以降、昨年のグラミー賞で何部門かを受章し、いっきにブレークした21歳の米国シンガー・ソングライター、Taylor Swiftを皮切りに、メタルのIron Maiden、14日(月)にはEric Claptonが、其々Indoor Stadiumで公演している。クラプトン公演では、北朝鮮の金正日の二男が会場で目撃され、写真が世界に配信されるというおまけまでついた。Iron Maidenについては定かではないが、テイラー・スゥイフトは直前に日本公演を行った上でのシンガポールへの移動、クラプトンは、日本公演からバンコクを経ての移動である。日本が、こうしたロック系外タレにとって、昔から大きな市場であることは言うまでもないが、人口僅か五百万人のシンガポールもようやくこうしたツアーの公演地として定着してきたということなのだろう。

 そして、続いて行われたのが今回のEaglesである。彼らもまず日本は東京ドームでの2日間のコンサートを行い、クラプトンと同様、その後2月20日(日)のバンコックを経ての今回のシンガポール公演である。チケット売り出し開始直後、立て続けに来星する外タレのどれに行くか決め切れなかったことと、場合によっては出張が入ることも予想されたことから、当日の二週間前にようやくチケットの手配を行った。しかし、クラプトンもそうであるが、フロント席はS$499、S$368、S$268、S$168、S$98と、日本での料金を考えてもやや値が張ることもあり、あえて安い方から二番目のS$168で空席を探したが、時既に遅く、その価格帯以下ではステージ後方の席しか残っていない状態であった。

 このバンドの最盛期の70年代、私はあまり彼らには関心を持たず、音源も取得する余裕はなかった。もちろん、初期のTake It EasyやWitchy Woman(1972年)などは、時々ラジオ等で耳にし、そして不朽の名作Hotel California(1977年)も、それなりに流れてくれば聞いていた。しかし、やや気張っていた当時の私にとっては、彼らは器用だけれども売れ筋を狙ったコマーシャル・バンドであり、まあ、リンダ・ロンシュタットのバック・バンドを聴くのであれば、リンダの歌を聴いている方が好いな、という感覚であった。更に、当時、カントリーとフォーク、ロックが混在する同系列の音楽としてEaglesよりも好んで聞いていたPOCOから、ベーシストのTimothy B. Schmitが、このバンドに移籍し、またかつてJames Gangで、重いギターを聴かせたJoe Walshも移籍するに至り、むしろ良いバンドからメンバーを引き抜き、去勢してしまうバンドではないか、という印象さえ抱いたものであった。

 しかし、それでもロンドン時代には、彼らの代表作であるHotel Californiaのアナログ・アルバムを廉価版で仕入れ、更にドイツからの帰国後、バンド活動を再開した際は、Hotel CaliforniaやNew Kids in Townなどをレパートリーとしていたことから、再び彼らの音に接する機会が多くなった。そして、かつて軽かった彼らのサウンドが、自身の加齢と共に、むしろ耳あたりの良い、心地よいものになっていったのである。また生活の拠点をシンガポールに移してからは、マレーシアや最近のタイ北部への旅行で、彼らの廉価版の映像(1996年の「hell freezes over」と2004年の「メルボルン・ライブ」)も仕入れ、またCDとしては、今回のツアー・タイトルとなっている最新のスタジオ録音2枚組み「Long Road Out of Eden」(2007年)を購入した他、今回のツアーに併せた予習を兼ねCD2枚組みの「The Complete Greatest Hits」というベスト版を聴きこんでいたのである。

 前週末に、テニスで肉離れを起こし、痛む足を引きずりながら、会社のそばでタクシーに乗る。会場のインドア・スタジアムまではNicoll Highwayという三車線の基幹道路で東に10分程度の距離である。ところが、タクシーに乗るなり、この基幹道路が普段余り経験しない渋滞になっていた。タクシーの運転手によると、まさに今晩のコンサートのための交通規制が原因の渋滞であるとのこと。慌てて近所の地下鉄駅(City Hall)で降ろしてもらい、開演8時の直前に会場に到着した。

 ここに来るのは、昨年5月のDeep Purple以来である。ステージ後方の席ということで、正面入り口から180度回りステージの後方へ向かう。あまり期待をしていなかったその席は、ステージ背後に向かい左側であるが、前から8番目の列で、むしろ同じ値段の正面席よりは、圧倒的にステージまでの距離は近い。更に、後方に向かってのスクリーンが、左右についているが、その左側のスクリーンは目の前である。その後演奏が始まると、確かに、後方席からは、彼らの後姿を見る時間が圧倒的に長くなったが、それでもスクリーンがあるので、視覚的にはむしろ、実際のプレーヤーが近いこともあり、十分楽しめることが分かった。但し、技術的な理由なのだろうが、スクリーンに移る映像は、後方は全て左右が逆であるので、全員サウスポーでギターを弾く姿を見ることになった。後ろから眺めていると、開演前の会場はまだ心なしか空席が目立っているような印象であった。

 開演予定から15分ほど遅れ、8時15分、会場が暗転し、コンサートが始まる。現在のコアメンバーは、Glenn Frey(ギター)、 Joe Walsh(ギター)、 Timothy B. Schmit(ベース)、Don Henley(ドラム)の4人であるが、オープニングの@は、彼ら4人がアコギを抱え、サポート・ギタリスト(Steuart Smith)と共に一列に座ってのコーラスである。聞こえてくるギターは、サポート・ギタリストの音がほとんどである。そしてサポートのドラマーとキーボード3人が入り、バンド演奏でのAが始まる。ということで、いつものように、まず当日の演奏曲目を整理しておこう。
 
(演奏曲目)

(前半:8時15分―9時15分)
@ Seven Bridges Road (1981)
A How Long (2007)
B I Don’t Want To Hear Any More (2007)
C Hotel California (1977) 
D Peaceful Easy Feeling (1973) 
E I Can't Tell You Why (1980) 
F Witchy Woman (1972) 
G Lyin' Eyes (1975) 
H The Boys of Summer (Don Henley, Building the Perfect Beast,1984)
I In The City (1980)
J The Long Run (1980) 

(後半:9時35分―11時10分)
K No More Walks In The Wood (2007)
L Waiting In The Weeds(2007)
M No More Cloudy Days (2007) 
N Love Will Keep Us Alive(1994)
O The Best Of My Love (1975)  
P Take It To The Limit (1976) 
Q Long Road Out of Eden (2007)
R Walk Away (James Gang, 1971)
S One Of These Nights (1975)
21 Life’s Been Good(Joe Walsh, But Seriously Folks, 1978)
22 Heartache Tonight (1979)  
23 Life In The Fast Lane (1977) 

(アンコール:11時15分―11時30分)
24 Take It Easy (1972) 
25 Rocky Mountain Way (Joe Walsh, The Smoker You Drink, 1973)
26 Desperado (1973) 

 アカペラの@から、ドン・ヘンリー(以下「ドン」)がボーカルを取るバンド演奏でのA、そしてティモシー・B シュミット(以下「ティモシー」)ボーカルのBと、相対的に新しい作品でスタートするが、ABのサビのギターソロは、サポートのギタリストが取っている。本来ドラムのドンも、フロントに張り付き、ドラムはサポートが務めている。4人のコーラスは、さすがに年輪を感じさせる心地良さで、またPOCO時代から気に入っていたティモシーの、とてもハンサムとは言えない見かけからはそぐわない甘い声もいまだに健在である。そして4曲名は、まずトランペット奏者が現れ、ソロのメロディーを奏でる。「ニニ・ロッソ風だな」などと考えていると、スクリーンに見覚えのある、椰子の木に囲まれた小さな家屋のスライドが映し出され、聞きなれたギターのイントロが始まる。早くも彼ら最大のヒットであるCが演奏されることになる。ドンの高い、ややしわがれたあの声でメロディーが歌われ、ギターのソロは、まずサポート・ギタリストから始まるが続いてジョー・ウォルシュ(以下「ジョー」)に引き継がれ、彼が今日最初のソロを聞かせ、そしてあの有名な終盤のユニゾンを二人で展開していく。既に会場はたいへんな盛り上がりである。

 バイオリンのサポートが加わり、グレン・フライ(以下「グレン」)とティモシーのボーカルで、夫々D、Eとアコースティックな曲が続くが、Fは、ドンも再びフロントでギターを持ち、ややハードに演奏される。グレンが「皆で歌おうぜ」と言って始まり、会場が合唱したGから、ドンのソロ・アルバムからの大ヒット曲のHと、硬軟織り交ぜた進行である。4人のホーンが参加したIでは、この日初めてジョーがファズを派手に利かせたソロを披露した後、ドンのボーカルのJで前半が終了する。

 20分の休憩を経て、後半が始まる。スタートのKは、前半と同様アカペラであるが、続いてドンとティモシーが夫々ボーカルのLMと、3曲今回のツアー・タイトルである「Long Road Out of Eden」からの作品が続いた。Mではテナーサックスのソロなども入る。このアルバムからの曲は、確かにまとまっていて熟練の味はあるものの、どうしてもヒット曲がないことから、やや飽きてきたところで、再び往年の名曲に移り、NOPと続く。ドンがOを「我々の最初のチャートNo1曲だ」と紹介すると、Pではグレンが、「我々の最初のミリオンセラーだ。クレジット・カードの歌でもあるけどね」と笑わせ、ボーカルを取る。全てボーカルを取るプレーヤーがMCとなって曲を紹介することになっているようだ。再び最新スタジオ録音版からテーマ曲のQ。効果音と共に、スクリーンに、ジャケット・デザインと同じ砂丘が映し出され、エレキピアノのイントロとドンのボーカルで静かに曲が始まる。10分程度の長い曲であるが、終盤ギターソロに移り、まずサポートがスライド・ギターを聴かせた後、ジョーが荒々しいソロを展開し、静かに終息していった。確かに最新アルバムの中では、確かに最も印象的な曲である。

 と、突然雰囲気が変わり、曲の紹介なくジョーがどこかで聴いたことのある荒々しいギターのイントロを奏でる。そう、彼がEaglesに参加する前に在籍したJames Gang時代の最大のヒット曲のRである。コンサート後に確認したところ、この曲のリリースは1971年であるので、それこそ懐かしい音で、私も「これは!」と一瞬盛り上がったが、しかし、何故か彼の声が突然聞こえなくなったのである。結局最後まで、今までのようなクリアーなボーカルが聞こえず、これはジョーのギターの音が大きすぎて聞こえないのかな、と思っていたところ、続くEaglesの代表曲の一つのSでも、ドンのボーカルとドラムの音が全く聞こえなかったのである。いったい何が起こったのだ、という感じである。

 ここで、当初から予定していたかどうか定かではないが、メンバー紹介が行われ、まずグレンがサポートを、そしてメインの4人は、夫々別の者が紹介していった。そしてこのグレンによる紹介の途中で、大きなハウリング音が聞こえ、そしてPAが再び普通の状態に戻ったのである。そして続いて始まった21は、Rと同様、ハードなロックナンバーであったが、ジョーのボーカルが普通に聞こえることになったのである。ここではグレンとドンもエレキを抱え、特にグレンは、ジョーとサポートの3人で、ソロのバトルにも参加したのであった。そしてグレンのボーカルの22、ドンのボーカルの23とロック系の曲が続いたが、ここではジョーのギターが暴れ回り、後半が終了した。

 そしてアンコール。時間は既に11時を回っている。私は、駅よりの正面から一番遠い位置にいるので、ここで席を立ち、正面入り口に近い通路で眺めることにした。正面ではあるが、ステージまでの距離は今まで座っていた位置と比較するとはるかに遠い。それでも、デビューシングルの24、Steve Stillsのライブ版でもお馴染みで、フォーク・ロック系のアメリカ人バンドが大好きな25、そしてドンがステージ中央でマイクを握り歌う26を堪能し、アンコールが終了することになった。時間は11時半。噂で聞いていたとおり、演奏部分だけで正味3時間のコンサートであった。全員での挨拶が終わり、コアメンバーがステージを回り、歓声に答えるのを横目で見ながら、私は、翌日の朝のことを考えながら、早々に地下鉄の駅に向かったのであった。

 事前に予告されていたことではあるが、正味3時間にわたるコンサートを、今や還暦前後にあるメンバーのバンドが行うということに、まず驚かされた。普通のロック系のコンサートであると、演奏側も、聴衆側も相当のエネルギーを必要とし、ましてや彼らや私の年代の人々にとってはかなりつらいものがある。しかし、それを彼らはこの日、いとも簡単にやってのけた。もちろん一部を除き3−4分の短い曲が多いこともあるが、全26曲のコンサートと言うのも、記憶のある限りでは私が参加した中では最多曲数である。

 これだけの長丁場をこなせるのは、まずは彼らの音楽が、ある意味でレイドバック的な要素を多くもっているからであろう。既に最盛期の70年代でさえ、彼らの音楽は、典型的なアメリカン・フォーク・ロックの王道を歩んでいた。同じフォーク・ロック系でも、POCO等の方がテクニックや曲の展開の面白さがあり、それに比べると若い頃の私にとってはイーグルスの音楽はやや刺激が足らなかったのである。しかし、それがまさに、彼らの音楽が長生きし、且つメンバーたちが現在もこうした長丁場をこなすことができることの最大の理由であろう。スローバラードを中心に、時折よりロック的な作品を織り交ぜる展開は、聴くほうにとっても非常に楽であり、且つ飽きることがない。実際この日は、アカペラやアコースティックでおとなしくスタートし、後半以降、ハードな側面を化体するジョーの派手なギターとパフォーマンスに比重が移っていくという構成であったが、これは最初からジョーが前面に出ると、双方とも疲れてしまったであろうし、逆にこれがないと3時間は退屈であったことも間違いない。言わば、彼らは、メンバーチェンジを経ながら、この静と動をうまく組み合わせることに成功し、その結果休止期間を経て、再び活動を開始した時も、最盛期と同じようなパフォーマンスを行うことができたのである。如何にも陽気なヤンキーといったグレン、やや疲れたおじさんになっているが、声はしっかり出ているドン、アウトロー的な汚さを漂わせながらも、その甘い声は全く変わらないティモシー、そして派手な赤い上着を羽織り、豊かなブロンドの長髪を振り乱しながら派手なエレキ・ソロを奏でるジョーという夫々タイプの違う4人が作り出す音楽は、確かに平行して歳を取ってきた私にとってもとても心地よいものであった。帰宅した時、時折音楽的には素晴らしいコンサートであっても肉体的に感じることのある疲労感がほとんどなかった、というのは驚くほどであった。

 また、この日の私の最大の感激は、Rのようなイーグルス結成前の曲の再現であったが、これについてはコンサート後、イーグルス関係のユーチューブを見ていたら、このJames GangのRのみならず、ジョーのソロ・アルバムからの21、24等も、イーグルスに移籍してからも結構やっていたようで、例えば1977年のイーグルスでのR等の映像はいくつも投稿されていた。言わば、この日のコンサートは、彼らが70年代から数限りなく行ってきたコンサートのレパートリーに、2007年の再結成アルバムを加えたものであった。その意味で、まさに彼らの音楽人生の集大成であったのだろう。

 いつものようにコンサート後の25日(金)の当地新聞(The Strait Times)に、レビューが掲載された。まず、この日の3時間に渡るコンサートで、Tequila Sunrise 、New Kid In Town、そしてAlready Gone等が取り上げられなかったことを指摘し、それでもベビーブーマー世代を中心とした1万人の聴衆は、28曲という曲数を考えれば、高めのこの日のチケット代を無駄にしたと感じることはなかっただろう、と始めている。28曲?これは私のカウントより2曲多い。どちらが正確であるのかは、今後分かれば確認してみよう。

 評者は、ドンが、一晩中ドラムに張り付くのではなく、ギターやパーカッションで前面に出ていたことに驚いており、これはある種のファン・サービスだった、としているが、これは私から見るとちょっと違うな、という感じである。アコースティックやスローバラードであればともかく、ジョーが主導するハードなロックになると、ドンのドラミングでは力不足であるというのが本当のところではないだろうか。実際ハードな曲はほとんどサポート・ドラマーが叩いていたが、ドラムが体力勝負だということを改めて感じたのである。

 レビューは、続けて演奏やコーラスの熟練度や、新旧織り交ぜた曲の選択、ジョーによる古いレパートリーも含めたロック的盛り上げ、そしてサポート・ギタリストのSteuart Smithが、90年代のギタリストであったDon Felderの替わりを完璧に努めていた点などを指摘している。

 面白いのは、この日のコンサートは予定が8時、実際には8時15分の開始であったが、多くの聴衆が、この日の実際の開始は8時半頃と考えゆっくり来たため、4曲目に早くも演奏されたHotel Californiaを聴き逃したというのである。シンガポール人は、ラテン系と同様に、予定時間は必ず遅れると考えているのだろうか?またコンサートが遅くまで続いたため、途中で帰宅した人も多かったとしている。そしてドンのDesperadoでのエンディングについて触れながら、「ドンの真摯なボーカルと歌詞が、聴衆に、自分たちが自信に溢れていた時代を蘇らせてくれ、人は一人でこの世界を歩いている訳ではない、と確信させてくれたのである」と結んでいる。私にとって、この日のコンサートで唯一残念であったWalk Away等でのPAの混乱については、特段コメントされていなかった。いったいあれは何であったのだろうか、という疑問が最後まで残ることになった。

2011年2月26日 記