ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
Musical - The Lion King
日付:2011年3月19日 会場:Sands Theater
昨年12月初めの売り出し開始と同時に予約したサンズ劇場でのライオン・キング公演の当日が、あっという間に来てしまった。考えてみれば、その間、仕事面でいろいろ動きがあり、そして最後は、先週の日本の大震災・津波と続いたため、あっと言う間の4カ月であったという印象である。昼食から午後にかけて、まだ震災被害から間もない日本から入ってきた昔のお客から、最新の日本の状況なども聴いた後、夕刻、簡単な夕食を済ませ、サンズ劇場に出かけていった。
今回のこの公演は3月3日から5月31日までの約3ヵ月間。一昨年の「キャッツ」や昨年の「シカゴ」に比べても公演期間が長く、それなりの人気のほどがうかがわれる。席は、$240のプラティナ席から始まり、$185、$165、$125、$85、$65と、やはり前の二つの料金と比較してもやや高めである。今回の私のチケットはその内の$125。一階のステージに向かって中央やや左。ステージまでは約20列といった位置である。同じ劇場での「Riverdance」の席と比較すると、遠いけれども、中央に近い位置である。2階席を含め約1600席と言われる劇場は、少なくとも一階席はほぼ満席である。
このミュージカルは、相当前から、ニューヨークやロンドンで上演されている他、日本でも劇団四季により取り上げられており、当地での宣伝によると既に全世界で50百万人の観客を動員したということである。そもそもはディズニー製作の同名のアニメ映画を基に、恐らくアメリカ人と思われる女性演出家(且つ衣装デザインや歌詞の一部も手掛けている)のJulie Taymorがミュージカル化し、Elton Johnが音楽、ミュージカル界ではお馴染みのTim Riceが歌詞をつけたものである。しかし、ストーリー自体は、父親を殺され王国を乗っ取られ、そこから放逐された若いライオンの息子が、父親の仇を取り王国に戻る、という単純な話であることから、このミュージカルの良し悪しは、演出で如何にこの単純な話に観客を引き込むか、ということに集約される。シンガポール公演開始から約2週間。この劇団は、どこまでそれに成功したのだろうか?
8時5分に会場が暗転し、中央スクリーンに、大きな朝日が映し出され、ステージ袖の左右上方に、竿につけた鳥を飛ばす俳優が現れると共に、観客席後方から各種の動物たちが入場する。4本の足に、それぞれ人間が一人入った像や、高い杖にまたがったキリンを含め、まさにサバンナの動物をイメージした色とりどりの衣装でのイントロである。
音楽は、プログラムによると、指揮者に加え、キーボード二人、パーカッション二人、マリンバ、ドラム、ギター、ベース、フルート、フレンチホーンの11人編成。その内、パーカッションの二人は、オープニングでスタージ左右に現れた俳優の一階下の袖で演奏しているので常時見ることが出来るが、それ以外は、頭の先だけ見える指揮者を除き、全員ステージ下のオーケストラ・ボックに入っており、見ることはできない。従って、どこまでテープを使い、どこまで生の音か、というのは、左右袖上のパーカッションを除き、なかなか判別できなかった。
(第一幕:8時5分―9時15分)
アフリカ音階の賑やかな音楽とコーラスで、シンバ(Simba)の誕生を祝う生命の賛歌(「Circle of Life」)によるイントロが終わると、ストーリーの開始である。アフリカの王国プライドランド(Pridelands)の国王ムファサ(mufasa)とその弟であるスカー(Scar)の軋轢を示すさわりが、ステージ前方で一瞬繰り広げられた上で、ムファサと若いシンバによる父子の会話が交わされる。「総ての命は連鎖して回る。これを理解し、総ての命を大切に扱わなければならない。」そして「お前は王国の跡取りなので、勇敢でなければならない。しかし、この王国の外のある場所にいくことは危険なので、しないように!」しかし、好奇心に溢れる若いシンバは、ある日幼馴染のナラ(Nala)と共にその場所―「像の墓場」―へ向かう。そこでハイエナ3匹(Shenzi、Banazai、Ed)に襲われるが、シンバに同行したムファサの執事であるサイチョウのザズー(Zazu)の知らせを受けて駆け付けたムファサにより助けられる。
ムファサに厳しく叱責されながらも、シンバは、「I Just Can’t Wait to be King」と歌う。しかし、その頃、「像の墓場」ではスカーがハイエナの3人と陰謀を計画していた。ムファサを殺し、自分が王になった暁には、ハイエナたちに良い生活を約束してやる、というのである。そしてある日、水牛の大移動の中にシンバを誘き出し、それを助けようとしたムファサを崖から落として暗殺する。スカーは、父親の遺骸の前に悲嘆するシンバに、「父親が死んだ責任はお前にある。ここから消え失せ、二度と戻ってくるな」と告げる。逃げ出したシンバの後を、ハイエナたちが追う。
放浪に出たシンバにティモン(Timon)とプンバー(Pumbaa)という仲間が出来る。ティモンは河童のような衣装だが、これはミーアキャット、プンバーはイボ猪ということである(が、ミーアキャットとはどんな動物だ?)。そして「Hakuna Matana(気にするな)」という歌が歌われる中、彼らと共に成長した幼いシルバが、青年に変貌した姿が一瞬現れたところで、第一幕が終了する。
(第二幕:9時35分―10時45分)
25分ほどの休憩の後、第二幕が開始される。後半の最初は、再び多くの動物が舞台に集合するアフリカン・ダンス音楽(「One by One」)である。国王となったスカーであるが、国は荒れ、人々の人望もムファサのように集められない。これは美しい妃を迎えることで解決できるだろうと考えたスカーは、年頃に成長したナラに「自分の妃になれ」と迫り、ナラはそれを拒絶して逃げ出す。そしてそこで精悍な青年となったシンバと再会するのである。ナラは、シンバが国に戻り国王になって、王国を立て直してほしいと嘆願するが、父の死は自分に原因があると信じるシンバは受け入れない。
そこに呪術師のラフィキ(Rafiki)が現れ、ムファサの霊を呼び起こす。父は息子にプライドランドに戻り、王位を継ぐように諭し、星空の下、「Endless Night」がシンバのソロで歌われる中、シンバも決心を固めるのである。ティモン、ブンバー、ナラと共に、シンバの最期の闘いが始まる。そして、追い詰められたスカーの口から、父を殺したのは自分の陰謀であったことが語られ、そしてシンバはスカーを倒して王位につくのである。エンディングは「King of Pride Rock」と「Circle of Life」の再演である。
前述のとおり、ストーリーが単純なので(その意味では「Cats」等と同じである)、演出や歌、ダンスの出来がミュージカルとしての評価を左右すると言える。
例えば「Cats」との比較で言えば、まず歌については、前述のとおり、エルトン・ジョン作曲、ティム・ライス作詞という豪華チームであるが、私自身CD等で予習をしていかなかったこともあり、メイン・テーマである「Circle of Life」や「Endless Night」等でも今ひとつ強い印象が残らなかったというのが正直なところである。そうした曲では確かに「エルトン節」も感じられたが、むしろより楽しめたのは、オープニングを含めて何曲か披露されたアフリカ音階(一部はアフリカ言語―スワヒリであるかどうかは分からなかった)での歌であった。またダンスは、登場人物がほとんど全て動物の仮面や衣装をつけていることから、なかなか派手なダンスは披露できない。一部で、バック転、バック宙を入れたダンスもあったが、むしろダンスと言うよりも、動物の衣装を見せるというのがこのミュージカルでの演出の中心であると言える。
そしてその衣装は、恐らく全世界の公演で基本的には共通なのであろうが、例えばミーアキャットのティモンは、全身緑に塗った俳優による「操り人形」であるが、そのコミカルな言動を人形でうまく表現していた。その他は、ムファサとスカー、そしてハイエナたちは、仮面が頭の動きで位置を変えるデザインであるのに対し、シンバやナラは頭の上に固定されている。その他の動物たちも、いろいろ工夫は凝らされているが、基本的には、どちらかといえば子供向けのデザインというのが正直なところであり、これはという斬新なデザイン性は感じられなかった。
その分各シーンの演出については、これも全世界共通なのかもしれないが、それなりの工夫が見られる。短期公演であることから、基本的に大きな舞台セットが使えない中で、例えば、ムファサを暗殺する場面での水牛の大移動は、3つの枠を舞台に設定し、遠近感を持たせながら、それなりの迫力を感じさせる演出である。そしてムファサの暗殺や最後のスカー退治の場面は、夫々がワイヤーで落下する様子を照明とのコントラストで表現している。また、呪術師のラフィキが、シンバの前にムファサの霊を呼び起こす場面は、ラフィキの魔法で舞台中央にムファサの顔が大きく浮き上がり、それを前にシンバが決心を固める様子を幻想的に演出していた。更に、そのラフィキは、冒頭から度々重要な場面で、トリックスターとして笑いと真剣さを巧みに使い分ける、なかなか熟練の演技を見せていた。
シンバについては、恐らく幼少期を演じたのは小学生くらいの子供であるが、その年齢としては、歌やダンスの表現力もなかなかで、また青年シンバは、歌や演技よりも、まずそのマッチョな上半身が印象的であった。
そうした俳優陣であるが、まず父親ライオンのムファサはJean-Luc Guizonne aka Jee-Lという、名前からしてフランス人。パリの「ライオン・キング」に幾つかの役で登場しているとのことであるが、外見からするとマグレブ系であろう。弟のスカーはPatrick Brownというカナダ人。青年シルバを演じるのはJonathan Andrew Humeというロンドンを中心に活動する英国人。前記のとおり筋肉隆々のマッチョであるが、彼も黒人系である。その他ナラ、ラフィキ、プンバーは南アフリカ人、ティモンはニュージーランド人という多彩な国籍からなっている。ダンサーも含めると南アフリカ人が圧倒的に多いのは、舞台がアフリカに設定されているからなのだろうか?いずれにしろ、今回の劇団は恒常的なものというよりは、このシンガポール公演のために編成された寄集めチームという感じがする。そして面白いのは、幼少期のシンバとナラは、其々3人の複数キャストであるが、6人全員がフィリピン人であった。この日の配役が其々3人の誰であったのかは分からないが、これは、こうしたミュージカルでのフィリピンの子役層が充実していることを示していると共に、彼らに学校や労働規制の問題がないことが、こうした外国での夜遅い公演への出演を可能にしているのであろうか、等と考えていた。
こうして10時45分にカーテン・コールが終了した。満席の観客が、唯一の狭い出口に殺到することから、劇場の外に出るには結構時間がかかったが、その間、この日の公演の評価はなかなか難しいと考えていた。
確かにエンターテイメントの少ないシンガポールでは、このミュージカルも、それなりの評価を受けるのではあろう。しかし、上記のとおり、他の洗練されたミュージカルと比較すると、その素材の子供っぽさとストーリーの単純さに加え、歌やダンスに今ひとつ心に残るものがない、というのが私にとってはやや残念であった。このHPには入れていないが、昨年10月の日本への一時帰国時に、大井町で見た劇団四季の「美女と野獣」の方が、同様に全く予習なしで行ったにも拘らず、歌やダンス、そして演出の其々で圧倒的に強い印象を残していた。もちろん、「四季劇場」はある程度のロングランを想定しているので、舞台装置も豪華であり、その分観客に与える感動も大きい。その意味では、同じ演目でも、ロンドンやニューヨーク、あるいは東京で見ると、また違った印象になっていたのだろうか?あるいは、前週末から続いている日本の悲惨な状況が、個人的に今ひとつこうした能天気なエンターテーメントを楽しむ気にさせなかったのか?そんなことを感じたこの日の公演であった。
2011年3月20日 記