ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
Avril Lavigne The Black Star Tour-Live in Singapore
日付:2011年5月9日 会場:Indoor Stadium
欧米ロック系の女性歌手は、今までそれほどライブに足を運んでいる訳ではない。思い返してみても1987年のロンドンでのマドンナ公演及び1992年のフランクフルトでのB.タイラー公演以来、女性ソロ・ボーカルのライブはほとんど20年近くご無沙汰していたというのが実態である。もちろん日常の音楽生活では、こうしたロック系女性歌手というのは私のレパートリーの定番であり、音源も相当量はあるが、なかなかコンサートに足を運ぶ機会がなかったのである。
ここシンガポールでも、今年2月に、昨年のグラミー賞の何部門かを受賞した米国カントリー系のテイラー・スイフトが来ていたが、これには興味はあったがイーグルスやサンタナが近かったことから断念。また80年代から好んで聴いてきたベリンダ・カーライルが、80年代のポピュラー音楽のフェスティバルの一部に登場するということで、直前まで行くかどうか悩んでいたが、結局フェスティバル自体が、理由は不明であるが中止されてしまったことも最近の出来事である。そうした中で、今回は、何となくなりゆきで、カナダのロック歌手アブリル・ラビーンのライブに参加することになった。
2002年に17歳でデビューした彼女は、言わば「元気なロック少女」ということで当初からヒット曲に恵まれ、それなりに注目されていた。特に3作目の「The Best of Damn Thing」(2007年)からのシングル「Girlfriend」が日本でも大ヒットし、Jポップ中心の私の子供の世代にも認知される存在になっていた。しかし、私のような古い世代からすると、バックのバンド演奏自体もあまり面白くなく、勢いで聴かせる若者向けのシンプルなロックという印象で、まずデビュー作の「Let Go」(2002年)を日本でレンタルショップから借りて聴いた後も、この3作目の「The Best of Damn Thing」をここシンガポールで廉価版があったので購入したくらいであり、しかしそれもあまり頻繁に聴くということもなかった。
その彼女も今や26歳になり、前作から4年振り4枚目の作品として発表したのが最新作である「Goodbye Lullaby」(2011年)で、今回はこのCDのツアーである。この作品では、その間に同じミュージシャンの恋人との結婚・離婚も経験し(但し、その別れた男は、「Alice(Underground)」をプロデュースするなど、時々一緒に仕事をしているようである)、「一回り大人」になった彼女が見られるという触れ込みである。しかし、コンサート・チケットを購入した後も、今ひとつこの最新作を買おうという気も起こらないまま当日を迎えることになってしまった。今回の席も、サンタナと同様、ステージに向かい右側横からの眺め。しかしサンタナの時よりもステージには近く、スクリーンやスピーカーも邪魔にならないので見晴らしは良い。聴衆は予想されたことではあるが、圧倒的に若く、それこそ10台前半と思えるシンガポーリアンや青眼の女の子たちのグループが、開演前からキャッキャと騒ぎながらステージを背景に写真を取ったりしている。私の横は、若い男の子の二人連れであるが、女の子だけのグループか若いカップルが圧倒的に多いという印象である。
サンタナのときと同様、開演予定時刻から待たされること25分、8時25分に会場が暗転し、まずは彼女のPVクリップが、ステージ左右にセットされたスクリーンに映し出される。恐らく最新CDからの曲と映像なのであろうが私は知らない曲である。暗転するなり会場全体が、色とりどりの棒状のライトで埋まったのは、この演出のために会場でそれが販売されていたのだろう。そしてそのPVが終了すると彼女が、バックバンドと共にスタージに現れコンサートが始まる。バンドは、正面左右にギターが2台、後方にベース、ドラム、キーボードが配置された5人の男のバンドである。オープニングは恐らく最新CDの収録曲で、今回のツアータイトルになっている「The Black Star」であろう。アブリルは、予想していたとおり、小柄な体格でおそらく身長も160センチくらいと思われるが、黒の長めのシャツと黒のタイツに淡い緑のブーツという地味な衣装である。多くの写真のとおり眼の下を黒いシャドウでどぎつくメイクし、長い金髪を振り乱しながらのパフォーマンスであるが、声量はさすがにこの世界でのし上がってきたきただけあり、激しいバンドの音に負けないだけの力を感じさせる。続けて当方の知らないハードな2曲を、ステージを激しく動き回りながら歌い、4曲目は、彼女もフェンダー・テレカスを抱え、PVなどで見てきたように、それをかき鳴らしながらのボーカルとなる。
そこで一旦アブリルはステージ奥に消えるが、その間はスクリーンに、昨年公開されたティム・バートン監督のディズニー映画「不思議の国のアリス」の編集シーンが映し出される。この昨年話題になった3D映画は、私は残念ながら見逃してしまったが、彼女はこの映画のエンディング・テーマを歌っているので、次の展開は容易に予想できた。直ぐに上着だけ白いシャツに着替えた彼女がステージに戻り、ドライアイスの煙がステージを覆う中、中央にセットされたグランドピアノの上に横向きに座り(このポーズは、最新CDのジャケット・デザインである)、このバラード「Alice (Underground)」を歌う。続けて、私が持っている唯一の作品である2枚目のCDから、同様のバラードである「When You’re Gone」、そして最新作ということで彼女がピアノに向かい歌う曲と続く。ピアノは、ごく簡単なコードだけの演奏であったが、バラードを歌う力もなかなかである。ここからは、ギターがアコースティックになり、やや大人しい曲が2曲続く。2曲目は最新CDからの「Wish You Were Here」であろう。
再びアブリルはステージ奥に引き込むが、この間はしばらくバンドだけの演奏が続く。ギターでのコード中心の激しい演奏であるが、あまり面白くはない。再び現れた彼女は、また衣装を替えたといっても、別の黒いシャツに変えただけで、あまり衣装で見せようという感じではない。最新CDからの「Not Enough」から現在ヒット・チャートに昇っているミディアム・テンポの最新シングル「Smile」、そしてスローな曲へと続く。続くバラードはデビュー盤からの「I’m With You」であるが、サビで彼女はマイクを客席に向けて歌うように促す。私の横にいたシンガポーリアンと思しき若い男の子の二人連れは結構きちんと歌っていたので、それなりにアブリルを聴き込んでいるのであろう。確かにコンサート後、もう一度聴きなおしてみると、なかなか良い曲である。そしてエンディングはアップテンポの「The Best Damn Thing」。直ちにアンコールで再登場し、若干のイントロの遊びの後に「Girlfriend」がノリノリで披露され、この日のコンサートが終了した。終了は、9時50分。賞味1時間半と、イーグルスやサンタナと比べると短いコンサートであった。
今日の新聞(The Straits Times)に掲載されたレビューでは、一応好意的な評になっている。「既に20歳というよりも、30歳に近くなっている彼女であるが、引続きポップロッククイーンとしてローティーンの支持を維持している」として、「会場は7000人、多くは金切り声で叫ぶ少女たちで満たされた。」そして「2008年の前回公演の時の甘いポップ的アピールやチェアダンス的な演出はなかったとしても、そうした年代以上にアピールするかというと、なかなか考えにくい」と、私の年代を代弁しているようなコメントを入れている。私が認知できなかった曲としては、「What The Hell」、「Sk8er Boi」、「Complicated」、「My Happy Ending」、「I Always Get What You Want」等も披露されたとされており、昔からの忠実なファンに対するサービスも忘れなかった。彼女のボーカルは太くクリアーで、特に「Alice」や「When You’re Gone」等のパワーバラードで力量を見せたが、低音域ではやや不安定であった。しかし、「叫びまくる少女たちにとってはそんなことはどうでも良いことだった。彼女たちが求めていたのは、完璧なボーカルではなく、若者のためのロックンロールであり、彼女はまさにそれを提供したのである」と結んでいる。
やはり今回は、当方は予習不足で、個別の曲を認知できなかったのが、結果的には残念であった。BGM的に聴いている彼女のCDではあったが、いざきちんと聞き込んでみると、確かに夫々の曲がそれなりに印象的なメロディーを持っていて、単に勢いだけで聴かせるだけではないことが理解された。但し、やはり音楽と演奏そのものは、新聞評にあるとおり荒削りの若者向けであるのは間違いない。コンサートが始まるや否や、周囲の若者は席を立って前に移動するか、席で立ち上がり、そのまま終了まで立ちっぱなしという状態で、当方も前が立ち上がるのでしょうがなく立ち上がったが、やはり若い頃と違いすぐ疲れ、曲の合間や彼女がステージを離れている時は席に座って休養することになった。ライブの高揚感は確かにリフレッシュできるものであったが、前日夕刻、酷暑の中3時間のテニスを終了したところで、東京から入ってきた旧友の突然の電話を受け、そのまま11時まで彼とホテルのバーで飲んでいたこともあり、こうした若者向けのコンサートに向けての体力的な準備が出来ていなかった。コンサート終了後、家に辿り着くなり、死んだようにベットに倒れこんだのであった。
2011年5月11日 記