アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
Kenny Loggins  “Live” Concert Asia Tour 2011
日付:2011年5月24日                                  会場:Singapore EXPO 
 今月2回目のコンサートは、シンガポール・エクスポで行われたケニー・ロギンスのソロ・ライブである。

 ケニー・ロギンスを一躍有名にしたのが1984年のダンス映画「フットルーズ」の主題歌(Footloose)と1986年のT.クルーズ主演の「トップ・ガン」の主題歌(Danger Zone)であるが、個人的にはそれ以前の70年代が、ジム・メッシーナ(Jim Messina)とデュオを組んだロギンス&メッシーナ(Loggins & Messina)で、彼の音楽を最も聴き込んだ時代であった。そもそもは、ジムが在籍したBuffalo SpringfieldとPOCOに傾倒していたことから、彼が新たなプロジェクトとして始めたこのデュオを自然に聴き始めることになったのである。

 このデュオは、初めからややポップな音作りを目指し、BuffaloやPOCOよりも圧倒的にヒット曲も多かったことから、当初はやや冷ややかに見ていたというのが正直なところであった。しかし、ある時、彼らの3作目のアルバムである「Mother Lode」(1974年)を購入したところ、ラジオから流れていたヒット曲とは異なる凝った音創りで全編が構成されていたところから、その後いっきにこのデュオのアルバム全てを揃えることになったのである。ジムのいかにもアメリカ西海岸の雰囲気を漂わせる明るい曲想と、やや内にこもる感じであるが、心地よいケニーの声がデュオとして絶妙に交錯し、それにカントリーからロック、ジャズの要素が入り混じった凝ったバックの演奏が、当時の刺激を求めていた私にも十分満足できる作品を提供してくれたのである。

 彼らは1976年、最後のアルバムである「Native Sons」をもって解散し、二人は夫々ソロ活動に入る。80年代、私は生活の場をロンドンに移していたが、時折この両者のソロ・アルバムを廉価版などで見つけると購入していた。その頃の感じは、ジムがむしろロギンス&メッシーナの曲想を引き継ぎ、ケニーはむしろ本来のシンガー・ソングライター的なフォークソングと、よりロック色の濃いヒット曲を目指すという方向に舵を切ったように思われた。実際、ケニーは、70年代後半以降、Doobie Brothers版が有名な「What A Fool Believes」(注)で1980年のグラミー賞を受賞(”Song of the Year”と”Record of the Year”)すると共に、80年代には上記の2曲でヒット・チャートの上位に顔を出すことになる。しかし、私もロンドンでこの「フットルーズ」のサウンドトラック・アルバムを購入したが、いかにもポップな音創りで、当初何度か聞いた後はほとんど聴く機会はなく、その後時折彼らの楽曲を聴きたくなる時も、ロギンス&メッシーナか、ジムのソロを聴く機会が圧倒的に多かったのである。

(注)今回私は初めて知ったのであるが、「What A Fool Believes」は、Doobie Brothersのマイケル・マクドナルドとケニーの共作で、ケニーも自らのアルバム「Nightwatch」(1978年)や「Alive」(1980年)に収録している他、「Outside:From the Redwoods」(1993年)では、マイケルとのデュオで再録しているという。実際ユーチューブで、このRedwoodsでのマイケルとのデュオの映像も見ることができる。

 それから約20年が過ぎた2005年、ロギンス&メッシーナが再結成され、ケニーが現在も住んでいるサンタ・バーバラでのライブ映像が、昔の映像のボーナスと併せてリリースされた。昔は陽気なイメージがあったジムは、すっかり落ち着いたおじさんになり、他方かつては長髪に長い髭を蓄え、ナイーブなシンガー・ソングライター風であったケニーが、髪と髭をそりさっぱりした風貌で、陽気な米国人を演じたこの再結成ライブの映像は、その音楽的な素晴らしさとバック・バンドのかつてと変わらない巧みさで、秀逸の作品となった。私の数ある映像の中でも、最も好んで繰り返し見ている映像である。そして、それから6年、今や63歳になったケニーが、ここシンガポールでは初のライブを行うことになった。場所は、シンガポール・エクスポ・ホール。位置的には空港のあるチャンギのすぐ側で、町の中心からはシンガポールとしてはやや距離があるが、これはやはり見ておこうということで、席を確保した。私が購入したのはS$131のチケットであったが、数日前の週末、エージェントから電話が入り、理由は分からないが、今回の席を上のカテゴリーにアップグレードするということであった。

 この会場を訪れるのは初めてである。簡単な夕食を済ませ6時半に街中を出て地下鉄で移動する。EXPO駅はチャンギ空港の一つ手前で、上記のとおりここシンガポールとしてはやや遠いという感覚であるが、実際には30分かからず会場のあるEXPO駅に到着する。途中、シンガポール特有の激しい雷を伴ったシャワーが降り始め、傘を持っていない私は一瞬どうしようかと考えたが、EXPO会場は、地下鉄駅から屋根のついた短い通路で結ばれていることから、濡れることなく会場内に入った。しかし、想像していたとおり、だだっ広い会場の入り口近辺には、コンサートの情報らしきものは何もない。閑散とした会場内を、取り敢えず、通路に沿って奥へ奥へと向かう。途中で駐車関係のオフィスがあったので、そこで聞くと今日のコンサートの会場は「ホール4」で、その先であるとのこと。そしてようやく少し人が溜まっている場所にたどり着くと、そこがこの日の会場であった。

 開いた扉越しに中を覗くと、EXPO会場という位なので、ちょっと広めの体育館という感じの、ただの広いスペースににわかステージを作ったような会場である。チケットのアップグレードの話しをすると、入る時に係りの者が、新しい席に案内するとのことであった。まだ開演には40分以上もあったので、外のフードコートで、アイス・カチャン(シンガポール風カキ氷)を啜りながら時間を潰した。

 8時丁度に会場に入る。係員にチケットを示すと、入り口から直ぐの通路沿いの席を示される。広いスペースに、折りたたみ椅子を置いただけの、簡単な配置であり、そもそもの席がどこであり、それがどうアップグレードされたのかも定かではないが、ステージを左に見る、まあ悪くない席なので、あえてそれは詮索しないことにした。席数はせいぜい1000−2000人といったところだろうか。開演時間になっても、まだ至る所空席が目立っている。聴衆は、欧米人が多いかな、という予想に反し、大部分がシンガポーリアンと思しきアジア系の中年男女が目に付く。私の隣などは、女性がスカーフを着けたマレー系と思しき中年カップルである。ステージは、コリント風の柱が6本程度並べられただけの簡単なレイアウト。大きな体育館での地方巡業といった感じのセッティングである。

 再び開演予定時刻から待たされること25分、8時25分に会場が暗転し、まずは彼の幼少時の家族写真から、学生時代、そして音楽活動を開始してからの写真が、左右のスクリーンに映し出される。BGMはロギンス&メッシーナ時代の「Watching The River Run」やソロになってからの「Celebrate Me Home」。ジム・メッシーナとの写真に加え、D.クロスビー/G.ナッシュやC.キングと一緒の写真など、彼の交友関係を彩る写真も混じっている。そして最後にロギンス&メッシーナ時代の髭もじゃの姿で「Danny’s Song」を歌うヴィデオに替わるが、その途中でステージ上の本人が続けて肉声でこの歌を引き継ぐ、というのが、この日のオープニングの趣向であった。彼のアコギによるソロ・ボーカルが僅かの時間続いた後に、バンドのサポートが入る。バンドは、彼を挟み、正面左右にリード・ギターとベース、後方にドラム、キーボードが配置された4人組である。ケニーは、細身の上半身に、黒いシャツとシルバーのネクタイ、ヴェストの上に膝まである黒い上着を羽織り、長い足はいつものとおりジーンズである。

この日の楽曲は、私が分かった範囲では以下の通りである。

@ Danny’s Song ( Sittin’ In, 1972 )
A Unknown
B This Is It ( Keep The Fire, 1979 )
C For The First Time(One Fine Day, 1996)
D Whenever I Call You “Friend”(Nightwatch, 1978)
E Return To Pooh Corner(Return To Pooh Corner, 1994)
F Unknown
G Celebrate Me Home ( Celebrate Me Home, 1977 )
H Conviction of the Heart (Leap of Faith, 1991)
I Your Mama Don’t Dance ( Loggins & Messina, 1972 ) 
J Unknown
K Unknown
(アンコール)
L Medley – Danger Zone(Top Gun, 1986) → Footloose ( Footloose, 1983 )
M Crossroad
N Unknown

 2曲目、3曲目は、ハードなロック調であるが、2曲目は、私の知らない曲である。ケニーはギターを持たずマイクだけでヴォーカルに専念する。4曲目は、一転ピアノだけの伴奏のスローバラードである。後半にバンドの他のメンバーが入るが、基本的には歌をじっくり聴かせていく。

 「スティーヴィー・ニックスに捧げる曲だ。フリードウッド・マックとツアーを一緒にした時に作った曲である」と紹介されたのがD。ここではリード・ギターやベースも代わる代わるヴォーカルをとるが、彼らの歌っているパートは恐らく原曲ではスティーヴィーが歌っていたものであろう。

 ここで、ケニーは上着、ヴェストとネクタイを取りさっぱりした後、「これからハイスクール時代に戻る。4年生の時だった。その本を読み、その後この曲を作った。今日はリメーク版の『Return』でいく」とのMCで始まったのが、彼の初期の代表曲であるE。言うまでもなく1972年の「Sittin’ In」収録の、彼の初期の代表的なソロ曲であり、1992年にリメークを再録したものであるが、最初のバージョンとそれほど変わっているものではない。アコースティックによる伴奏に、この絵本の映像が被さり、この懐かしい曲が披露される。続いてもう一曲私の知らないロック調のF。途中やや長いエレキ・ギター・ソロがサビと終盤の2回入り、更にベース・ソロと続き、最後にキーボードの重厚な音が被さり終焉する。丁度、ロギンス&メッシーナのライブで、クロスオーバー風の演奏が延々と続くところがあるが、それを思わせるような展開である。続けてロギンス&メッシーナ解散後の最初のソロ・アルバムのタイトル曲であるG。ピアノのイントロで静かに始まるが、サビは一層激しいエレキ・ギター・ソロが入り、続けてケニーのマイクを使った声音とギターの掛け合いで会場を盛り上げる。それから聴衆に「Celebrate me home」のコーラスを繰り返させながら、彼がそれに声をかぶせ、そして通常の演奏に戻り終息した。そしてメンバー紹介。

 「Leap of Faith」からの曲、ということで始まったのが、H。私は、彼のソロになってからの作品は、アナログで「Celebrate Me Home」(1977)と「Keep the Fire」(1979)、CDで「Leap of Faith」(1991)を持っているが、それ程聴きこんだわけでもなく、今回は全て音源を日本に残してきているので、なかなか良い曲ではあるが、あまり余り記憶に残っていない。ケニーがエレキ・ギターに持ち替えて始まったのがI。ロギンス&メッシーナの初期のヒット曲であるが、ハモンドのソロからケニーによるかき鳴らすようなエレキ・ギターでのサビのソロは、オリジナルと同じアレンジである。更に2曲、アップ・テンポのJと、アコースティックで始まるが、アップ・テンポのロックに移行し、途中スライド・ギター・ソロが入るK。ビーバーが踊る映像との関係が何であるのかは分からなかった。ここで一旦彼らはステージ奥に戻る。時間は8時40分。

 当然アンコールである。一曲目は、彼のソロになってからのヒット曲である「Danger Zone」。予想されたとおり、空母から飛び立つジェット・ファイターの映像がスクリーンに映されるが、同時に雪山でのアクロバティックなスノボーや水上スキー、サーフィンの映像も混じっているのはご愛嬌。そのまま間髪を入れず別のヒット曲である「Footloose」へ。今度はスクリーンには映画のダンスシーンが映し出される。「さて続けてもう一曲いくぞ!」というケニーの掛け声で始まったのが、何と「Crossroad」。言うまでもなくブルースのトラッドで、クリーム=E.クラプトン版が有名な曲であるが、この日の演奏も、同様のアレンジでの演奏。ケニーのヴォーカルはもちろんクラプトンより上手いが、ギターソロになると、やはりクラプトンのイメージがあり、今ひとつ。しかし、会場を乗らせるには充分である。そしてこの熱狂が終わったところで、エンディングはピアノのみの伴奏で始まるソロ・バラード。私は知らない曲であったが、回りは歌っていたので、それなりのヒット曲であろう。ケニーがしみじみと歌いながら、途中からバンドが入り盛り上がり、そして静かに終息していった。時間は10時5分。賞味1時間半強のコンサートであった。

 この日のコンサートは、全14曲中、ロギンス&メッシーナ時代のものは僅か3曲で、ほとんどがソロになってからの曲であった。考えてみれば、このデュオの活動期間は僅か4年。その後は30年以上もソロで活動してきたので、彼にしてみれば、デュオの時代は、彼の音楽人生のほんの一時期を占めるだけであるのは明らかである。しかし、私にとっては、一番彼の音楽を聴き込んだ時期の作品が少なく、あまり頭に残っていないソロ時代の作品中心のこの日のコンサートはやはり少々物足りなかったことは否定できない。

 しかし、それを除けば、小規模の会場で、この長いキャリアを誇る一流ヴォーカリストのライブに接することができたことは、楽しい経験であった。作曲家兼ヴォーカリストとしての彼の才能は、確かに優れており、丁度3月に見たイーグルスと同様に、年輪を重ねることで、益々その円熟味が増しているのは間違いない。若い元気なサポート・メンバーに支えられて、質の高いAORのライブであったといっても誇張はないであろう。時として激しいエレキ・ギターのソロもあったとはいえ、前回のエーブリルのコンサートとは異なり、私の年齢にふさわしい、ほとんど疲れないライブであった。

2011年5月28日 記