アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
Musical - Starlight Express
日付:2013年11月16日                                                         会場:Sands Theatre 
 7月の「オペラ座の怪人」に続く、サンズ・シアターでの今年2回目のアンドリュー・ロイド・ウェ―バーのミュージカルである。しかし、こちらは80年代のロンドンで見て以来、およそ30年振りに見る作品。しかも公演は11月13日(水)から11月24(日)の1週間ちょっとと、「オペラ座の怪人」よりも圧倒的に短い期間しか行われない。そんなこともあり、今回は奮発して、VIP席に次ぐランクであるS$160のチケットを購入した。席は最前列から15列位のど真ん中。なかなか良い席である。会場近くで夕食を済ませた上で、開始直前の7時半に席についた。

 このミュージカルが最初にロンドンで上演されたのは、「オペラ座の怪人」よりも若干速い1984年。その前年の年末に結婚したばかりの私にとっては、ロンドンで妻と一緒に見た最初のミュージカルの一つであったような記憶がある。アンドリュー・ロイド・ウェ―バーの新たな作品という触れ込みであったが、「オペラ座の怪人」よりはスムーズにチケットが取れ出かけていった。

 このミュージカルのテーマは、各種機関車のレースという他愛もないものであるが、当時米国で火がつき、日本でも人気があったローラーゲームをミュージカルに取り入れたというのが話題になっていた。当日ロンドンの会場に行くと、我々の席はローラーが走り回るトラックに囲まれた内側で、着席する際に、「開演後はトイレ等には行けません」という注意を受けた。そうなると人間は突然不安になるものであり、結果的には大丈夫であったが、観劇中、お腹の状況に心配しながら過ごすことになったのも、このミュージカル観劇で残っている記憶である。しかし、実際はそうした不安を打ち消すくらい、ローラースケーターを履いた俳優陣の歌と踊りに魅了された。更にこのミュージカルの主人公の一人は、ロンドンで最初に見て、東京の同人誌にレポートを送ったミュージカル「エヴィータ」で主人公を演じた女優である Stephanie Lawrence であった(この「エヴィータ」評は「ロンドン編」に別掲)。あの「エヴィータ」を演じた女優が、今度はローラースケーターを履いたミュージカルか、というのも当時の驚きであった。こうした30年前の記憶を蘇らせながら、この日のシンガポールでの再演を楽しむことになった。

 当日のパンフレットによると、1984年にロンドンはウエスト・エンドで初演されたこのミュージカルのオリジナルは、その後18年に渡るロングランになり、2002年の終演時は、世界で2番目のロングランを記録したという(その後この記録は直ぐ別のミュージカルで塗り替えられたが)。その途中1992年に、オリジナルのプロダクション・チームが再集合し、5曲の新曲を含めた演出の大きな変更を行ったが、上演中のミュージカルでこうした全面的な変更が行われるのは、ロンドン、ウエスト・エンドでは初めての試みであった。そしていったん終演後の2005−6年の英国ツアーで、レース・シーンの3Dシステムが導入されたとのこと。そしてこの時のツアー先には日本も入っているが、シンガポール公演は今回が初めてである。

 さすがに、この1週間ちょっとの移動公演では、かつてのロンドンのような、観客席にまで繰り出したトラックを設定するのは無理で、基本的にステージだけでの演技となる。従って、どちらかというと狭いステージだけで、このローラーコースターの競争をどのように表現するのだろうか、というのが当日の関心の一つであった。

 7時半丁度にホールが暗転し、「コントロール・コントロール」という、それから何度も繰り返されるアナウンスと共に公演が開始される。これもその後各種のパターンで繰り返される「Starlight Express」のオーケストラ演奏に従って、レースに参加する各国の列車をイメージした列車役の男優たちと客車を想定した4人の女優らが登場。国を代表するのは、英国、米国、日本、ドイツ、フランス、イタリー等。ドイツ役は、胸に「ICU」というパネルを張り付け、日本役はやはり胸に大きな日の丸を付けている。全員でローラー移動しながら、これも記憶があるアップテンポの「Rolling Stock」が披露される。舞台装置は、ローラーのターンに使われる2つの三日月状のスロープを除くと、あとは基本的に照明だけでの演出である。4人の女優によるコーラスの後に、主人公の一人である Pearl (一等客車)のソロで、これも当時何度も繰り返しアナログ版で聴いた「He’ll Whistle At Me」が歌われる。もちろん他の俳優たちの歌唱もきちんとしているが、やはりブロンド美人の Pearl のソロは素晴らしく、その後も当然のように私の視線は彼女にいってしまったのであった。

 仰々しい雰囲気での電気機関車 Electra が登場。彼に闘志を燃やすディーゼル機関車の Greaseball(この二人は際立ってがっしりした大男で、如何にも存在感がある)との対峙を経て、予選のレースが3組ずつ2回開始される。ここで、舞台後方にスクリーンが降りてきて、そこに「安全のためゴーグルをつけるように」という表示が現われる。入口で3D用の紙眼鏡を配布していたのだが、ようやくそれの意図が分かり顔にセットすると、レースはそのスクリーン上の3D映像で表現される。

 実際の映像とゲーム的に創られた映像の合成で表現されるレースは、かつてのローラーゲームを想像させるような俳優同士の激しい激突や、その結果の脱線・離脱などが繰り広げられる。3D映像ならではの飛び散った破片が顔に迫ってきたり、トンネルでのレースに驚いた蝙蝠が飛びだしてきたりと、これが2005−6年に変更された演出なのであろう。日本役の「新幹線」は、線路の切れ目を跳び越えられず、「サヨナラ」と叫びながら奈落の底に落ちていく。この結果、 Pearl を牽引し たElectra と食堂車の Dinah を牽引した Greaseballの二人が決勝に勝ち残ることになる。

 ここで今までは余り目立たなかった蒸気機関車 Rusty が、ここから中心的な役割を現し始める。まずは、かつては Rust yの恋人であったと思しき Pearl が Electra をレースのパートナーに選ぶ。それに落胆した Rusty に対し、その父親で、かつてはレースで優勝したこともあるという老人蒸気機関車の Poppa が、かつての栄光の日々に思いを馳せながらブルースを歌い、Rusty に奮起を促す。それを受けて Rusty がレースへの挑戦を決め、光線が交錯する演出の中で Starlight Express をソロで歌いあげたところで、第一幕が終了する。丁度一時間、8時半の終了である。

 20分の休憩の後、8時50分から第二幕が始まる。ミュージカルの常で、冒頭は全員が集合したコーラスを聴かせるが、続けて Greaseball との別離を巡る Dinah のソロ、そして男の3人組のややコミカルな歌と踊りに移る。この辺りの曲はほとんど記憶もなく印象も薄いので、もしかしたら1992年の変更で新たに付け加えられた部分かもしれない。いずれにしろ、そこから最終レースに移っていく。参加者は Pearl を牽引する Electra と Dinah ではないパートナーを牽引する Greaseball、そしてコミカルなパートナーと一緒の Rusty の3組。Electra と Greaseball は Rusty をいびるが、Rusty は負けない。そして最終レースが始まり、また観客は3D眼鏡をかけてスクリーンを眺めることになる。スクリーンでは再び激しいぶつかりあいが始まり、そして Electra と Greaseball のせめぎ合いで彼ら双方が自滅し、結果的に Rusty が勝利するのである。衣装がぼろぼろになった Electra と Greaseball が疲れきって舞台に登場し、そこで倒れ込むと、Rusty がさっそうと現われ、よりを戻した Pearl とデュエットを聴かせ、そして大団円の全員によるコーラスに移っていくが、ここではPoppaが全員でのコーラスの中で中心になっている。こうして全てが終了したのは9時50分。第二幕も第一幕と同様、丁度一時間の公演であった。

 まず主要な歌は、30年前の記憶を甦らせてくれたが、レースが当時どのように演出されていたかを明確に思い出すことができない。冒頭に述べたように、ロンドンの劇場ではトラックが観客席に伸びていたので、おそらくレースはそこで実際の滑走を通じて行われていたのではないかと思う。しかし、まさにローラーゲームがそうであるように、実際に滑走し、且つ戦うというのは、それ自体たいへんな労力である。ましてやミュージカルではそれに歌と踊りも加わるのである。そうしたことを考えると、おそらくある時点で、俳優たちの負担と危険を考えて、レース・シーンはこの日見たようなスクリーンでの表現に変更したのではないだろうか? 実際、狭いステージの中でも、俳優たちは達者なローラースケーター捌きを見せていたし、時には明らかにその専門家であろうが、2つの三日月状のスロープを使い前方宙返りや後方宙返りのアクロバットを見せることもあった。そして一般の俳優たちも、例えば少しバランスを崩すといったこともなく、スケーティングのコンビネーションも見事であった。ただ、逆に言うと、単なる歌と踊りの演出に加え、こうしたスケーティングの訓練を必要とするために、このミュージカルは、簡単にその他の劇団がレパートリーに加えることができなかったのであろう。例えば、あの「劇団四季」も、このミュージカルを取り上げたという話は聞かない。実際この日の俳優たちのプロフィ−ルをパンフレットで見てみると、多くがロンドン・ウエスト・エンドを中心に活動している人々で、当地に来る巡回公演の大多数が、オーストラリア出身の俳優が多いのとやや差があるように感じた。例えば、主人公の Rusty は Kristofer Harding という俳優が演じているが、パンフレットには彼の国籍は記載されていないが、訓練を受けたのは英国の学校であり、その後もロンドンを中心に活動している。同様に、Pearl を演じた Leanne Garretty や Poppa 役の Julian Cannonier 等、この日の主要な俳優は、英国人あるいは、ロンドンを中心に活動している人々であった。

 こうして私は、前回見た「オペラ座の怪人」も含め、こちらで見た作品のどれよりも、かつてのロンドン時代の記憶に浸ると共に、終焉後ある種のノスタルジーにふけることになった。あえて当日販売されていたCDを買おうというところまではいかなかったが、日本に帰国した際には、かつてのアナログ・レコードをもう一度引っ張り出してこようという気持ちになったのであった。

2013年11月17日 記

(追記)

 いつものように、当地の新聞(11月22日、The Business Times)に「小さな機関車は成功しなかった」と題されたレビューが掲載されたので、これを簡単に見ておこう。

 「このミュージカルを、古典である『オペラ座の怪人』、『エヴィータ』や『キャッツ』と比較するのはフェアーではないであろうが、それでもこれはミュージカル界の巨人であるアンドリュー・ロイド・ウエーバーの作品であるので、そうすることは避けられない。そして彼の作品としては、これはとんでもない小物の作品で、またミュージカル一般として見れば、『オズの魔法使い』に登場する『鉛男』のように決定的に心が欠けている作品である。」という厳しい書き出しでレビューは始まっている。そして、「このミュージカルは、小さな子どもが、おもちゃの機関車が生命をもつ夢をみるというモチーフで、夫々個性のある衣装を纏い、ローラースケーターを穿いた機関車役の俳優が登場、そして勝ち目のない Rusty という蒸気機関車が、『最速の機関車』をかけて彼らと戦う物語である。」

 Rusty の Pearl への想いと彼女の Electra への変心、最初のレース後の Pearl の Greaseballへの乗り換え、そして Rusty が最後は Starlight Express の加護を受けて幸運にもレースに勝利して、Pearl への愛も成就させるというストーリーを説明した上で、「勝ち目のない者がハードワークと精神力で最後は勝利するというのはいとも安易な物語である。しかし、ここでの勝ち目のない者(Rusty)に対しては、もっと大きな困難が待ち構えており、それは、第一幕の最後に主人公が心を込めて Starlight Express を歌い上げるや否や、レースの点滅する照明や耳をつんざく轟音でその印象がかき消されてしまったことである。しかもそれを更に冷やしたのは、(皮肉にも)レースが始まると、観客が“安全ゴーグル”なる3D紙眼鏡を掛けさせられ、3Dのスクリーンの上で繰り広げられるレースを見ることによってであった。熱狂的なミュージカル・ファンは、この日のカテゴリー1席でS$160を払いーVIP席はもっと高いー“LIVE”のショウを見に来たにもかかわらず、である。」

 「もちろん、これは巡業公演であるには避けられないことでもあった。結局のところ、全ての公演がロンドンはウエスト・エンドのアポロ劇場のように、俳優たちが生で走り回る演出をすることはできない。あるいは、もしかしたら、これは少しだけこった演出を試みたにも関わらず、ちょっと軌道をはずしてしまっただけだったのかもしれないが。」

 こうして、このやや「トラッドなミュージカル」ファンらしき評者は、モチーフの他愛なさや、3Dスクリーンを使ったレースの演出に相当不満であったようである。そしてロンドン、アポロ劇場の演出に触れているところから考えても、確かにロンドン公演では実際に俳優たちがレースで会場内を走り回っていたという私の記憶も間違いないようである。

 ただ他方で、パンフレットには、そのロンドン公演でさえ2005−6年の演出で3Dスクリーンが取り入れられたと書かれているところから見ても、この演出は必ずしも巡業公演であるための特別のものという訳でもないように思われる。「このスクリーン演出にS$160も払うのか?」という評者のコメントは、やや的外れのように思われる。

 確かに、ミュージカルは、単に歌と踊りだけではなく、ストーリーの展開による感動を与えてくれるところに醍醐味がある。その意味ではこのミュージカルは確かに、そうしたストーリー展開に伴う感動は少ない。しかし、ここにはそれに変えてローラー・スケーティングという別の楽しみを導入している。そしてウエーバーの幾つかの印象的な曲により、一時流行ったそのスポーツとミュージカルを一体化させることに成功した。個人的には、この日の俳優たちは、この難しい演技をそれなりの力でやり遂げたと考えている。

2013年11月23日 記

(追記2)

 業務出張による、11月23日(土)からの日本滞在時に、自宅にあるアナログ・レコードを引っ張り出してきた。残念ながらプレーヤーの不調でこれを再聴することはできなかったが、替わりに曲はユーチューブに全編がアップロードされていたので、これを改めて聴いてみた。

 オリジナル版であると思われるこの曲目と、今回のシンガポール公演のそれを比較してみると、幾つか違いがあることに気が付く。第一幕では、オリジナルでは3曲目に入っている「Call Me Rusty」が、今回の公演では省かれている。そしてオリジナルでは5曲目から「Pumping Iron – Freight – AC/DC – He Whistled at Me」と続く曲の順序が入れ換わって、「He Whistled at Me– Freight – AC/DC - Pumping Iron」となると共に、今回の公演では「Crazy」、「Make Up Heat」、「Laughing Stock」といった新しい曲が加わっている。「Call Me Rusty」が省かれていることが、私が当日 Rusty の存在に途中まで気が付かなかった理由であるような気がする。

 第二幕は、略オリジナルと同じ構成であるが、最後のハイライトで Pearl と Rusty が歌い上げる「Only He」と「Only You」が、当日のプログラムでは「I Do」というタイトルで記載されていた。記憶では、ここはオリジナル通りの展開であったので、なぜ曲名だけ変えたのかは分からない。

 こうして日本滞在時の週末、改めてオリジナルの音楽を聴きながら、これまた引っ張り出してきた80年代のロンドン公演時のプログラムも眺めながら、再びその時代のノスタルジーに浸ることになった。当時のプログラムはほとんど写真のみで、演出や俳優についてのコメントは限られていたが、それでも実際のレース・シーンの写真は溢れている。そこでは確かに実際のローラーゲームが行われていたのである。ある意味、バブルに向かう時代の前兆であったかもしれないが、このミュージカルの世界も、当時の社会的な熱狂の一つの表現であったのではないかと改めて感じたのであった。そしてシンガポールに帰国した今、またユーチューブでこのオリジナル音楽を聴きながら、この追記2をしたためた次第である。

2013年12月8日 記