アジア・ドイツ読書日誌と
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日誌
ロンドン・東京・フランクフルト・シンガポール音楽日記
第五部:シンガポール編 (2008−2020年)
Larry Carlton & Steve Lukather-Live in Singapore
日付:2015年1月21日                                        会場:University Cultural Centre Hall, NUS 
 2015年最初のコンサートは、ジャズ・フュージョン・ギタリストの Larry Carlton(以下「ラリー」)と、かつて Totoで人気を博したロック・ギタリストの Steve Lukather(以下「スティーブ」)のギター・デュオ・バンドである。

 双方のギタリスト共、私は過去にそれほど熱心であった訳ではない。ラリーについては、音源としては、その名も「Larry Carlton」と題された1978年のソロと、Lee Litenour と競演した「Larry and Lee」(1995年)を持っているだけであるが、どちらもそれほど聴き込んだ訳ではない。特に、後者は、当時凝っていたギター・デュオの緊張感あるバトルを期待して購入したものの、結局リトナーのBGMの延長線にある音楽で、ややがっかりした記憶がある。

 他方のスティーブも、Toto が最盛期にあった頃、彼らのヒット曲は耳にしていたものの、アルバムを買うところまではいかなかった。その後もせいぜい「TSUTAYA」で彼らのベスト版を借り、MDで時折聴く程度であった。また1994年12月、ドイツで Kansas のライブに参加した際、前座で Toto のボーカルであった Bobby Kimball 率いるバンドが登場し、「アフリカ」や「ロザンナ」などが演奏されたが、そのときも余り関心は高まらなかった(別掲「Kansas」評参照)。

 しかし、シンガポールに来た後、偶々店で安売りしていた Totoの25周年記念再結成時の、アムステルダムでのライブ映像(2003年)に接し、バンドとしての Totoを再評価することになった。それは、ひとつには、2012年5月にシンガポールでライブに接した日本人ピアニスト、上原ヒロミの最近のトリオ作品(スタジオ録音「Voice」、「Move」及び最新の「Alive」)で参加している Simon Phillips (ライブ自体のドラマーは、この時は彼ではなく、Steve Smith であったがー別掲参照)が、Totoのオリジナル・ドラマーであることを知ったこと、そして何よりも、スティーブが、ヒット曲の決まりきったフレーズとは別の部分で、ガンガンと弾きまくっている姿を目にしたからだった。なるほど、Totoというのは、スティーブを核にしたライブ・バンドだったのだ、というのをこの映像で認識することになったのだった。今回のライブのアナウンスがあって、すぐチケット購入に走ったのは、まさにこの映像の効果であった。

 ラリーとスティーブは、既に、「No Subscription Live in Osaka 」(2001年)で競演しているので、もう15年近く、一緒に活動しているということになる。また今や街中からほとんど姿を消してしまったCDショップで、この二人のデュオの映像が出ていたのも記憶している。しかし、今回、それを再び探す時間はなく、週末に、前述のToto再結成ライブの映像と、ユーチューブにある、この二人のデュオ映像のいくつか(特に2001年のパリでの1時間半のフル・コンサート映像―まさにこれが上記の映像である)を眺めてから当日のコンサートに向かった。

 今回のチケット購入には、もうひとつ動機があった。それは会場の「University Cultural Centre Hall, NUS」が、現在の町の中心部からはやや離れた場所にあるオフィスの至近距離にあり、私が業務で頻繁に訪れている場所にあることであった。この国立大学の中にあるホールで、こうしたフュージョン系のコンサートが行われるというもの珍しさもあり、このコンサートには足を運んでみようという気持ちになったのである。

 当日、軽い夕食をとってから、業務で何度も足を運んでいるシンガポール国立大学構内に出かけていった。確かに、今までは横を通り過ぎながら気がつかなかったが、道沿いにりっぱなホールが建っている。開演30分ほど前に中に入ると、もちろん、Esplanade Hall などの正式な会場に比べると地味ではあるが、きちんとした会場であることが分かる。ホールで軽くワインを飲んでから、P列―というので前から16列目ということになるのだろうー中央の席に着いた。今日のチケットは、S$132ということで、先日のPat Metheneyよりも高い席を奮発して購入したのだが、位置的にはその時と同じ位のステージへの距離である。観客はほどほどの入りであるが、我々の2列前は、一列がほとんど開いているような状態で、予想していたとおり、このプログラムは、当地では必ずしもファンが多くないようであった。

 こうして、定刻の8時、ほとんど待たされることなくコンサートが始まった。会場が暗転すると、まずサポートの3人が登場。そしてほとんど間髪をいれず、ラリーとスティブがステージに現れる。

 あまり聴き込んでいない音楽であることから、曲名はほとんど特定できなかったが、まずは、ミティアム・テンポの8ビート・ナンバー。メイン・テーマから、ラリー、スティーブの順でソロをとり、最後に二人が短いフレーズの掛け合って終わる、20分程度のセッション風の曲でスタートする。ラリーのソロは、もともと私はあまり関心がないが、スティーブのソロは、今まで映像で見てきたとおり、ジャズというよりも明らかにロックのアドリブで、指運び、フレージングの双方とも素晴らしい。

 一曲目の終了後、スティーブによるメンバー紹介。彼の英語は、訛っていて聞き取りにくいが、ドラムの Keith Carlock は、Steely Dan にいたというところは聞くことができた。コンサート後調べてみると、確かに彼は、再結成後発表された「Two Against Nature」(2000年)、「Everything Must Go」(2003年)に参加している。このSteely Danとの関係で言えば、そもそもLarry Carltonが、彼らの「Katy Lied」(1975年)、「The Royal Scam」(1976年)、「Aja」(1977年)、「Gaucho」(1980年)に続けて参加しているので、そうした人脈からの選択なのであろう。ベースは巨漢の黒人。その風貌からすると、2001年のパリ・ライブでも競演している Cris Kent であろう。キーボードは、若めの白人である。

 2曲目も20分程度の曲で、ここではキーボード、ラリー、スティーブ、ベースの順でソロが入る。そして3曲目は、やはりラリーが以前在籍していた Crusaders の曲で、亡くなったそのキーボード奏者 Joe Sample に捧げる、と紹介されたスロー・テンポの「Lilies of the Nile」。ラリーが参加している、彼らの「Southern Comfort」(1974年)というアルバムに収録されている曲であるが、エレピの静かな伴奏から、ラリー、エレピ、スティーブのソロが展開されていく。スローな曲でも、スティーブのソロは聴き応えがある。

 「歌うか!」というスティーブの掛け声と歪ませたギター・イントロで始まったのが、4曲目の「Crossroads」。言うまでもなく、Cream 時代のクラプトンの「スローハンド」を一躍有名にした作品である。ここでは一転、スティーブが、叫ぶボーカルとギターでロックすることになる。クラプトンとはやや趣が異なるが、スティーブの掻き鳴らすギター・ソロは、こうした曲にはぴったりである。5曲目も、どこかで聞いたことのあるアップテンポのインストゥルメンタル曲。二台のギターによるユニゾンのテーマから、スティーブ、ドラム、キーボードとソロが入る。6曲目は、また再びスローなジャズ。眠気をそそるややムード音楽風の演奏であるが、スティーブのソロで再び覚醒される。さらに一曲、やや長いドラム・ソロをフィーチャーした曲が入った後、ラリーによるイントロが奏でられる。ラリーの代表曲といわれる「Room 335」である。このコンサートの予習の過程で、ユーチューブ等で多数紹介されているこの曲の映像や、その他のコメントで、私は初めてこの曲を知ったくらいであるので、あまり個人的な思い入れはないが、やはりこのイントロを聴くと、そろそろ大トリに近くなったなという感じが強まる。テーマは、さすがにラリーも弾き慣れているのだろう、馴染みやすいメロディーが心地よく耳に響く。ただ、やはりスティーブのソロになり、緊張感が高まるというのは、それまでの全ての曲と同じである。そこで、いったん彼らはステージから引き上げる。

 アンコールは、ビートルズ(George Harrison)の「While My Guitar Gently Weeps」。スティーブが、「初めてやる曲だ」と紹介して、ボーカルとメインのギター・ソロをとるが、これは、上記のTotoの25周年記念再結成時ライブ(2003年)でも、スティーブのボーカルで演奏されている曲なので、むしろ「定番」である。その映像でも感じたが、スティーブの思い入れがある曲なのだろう、ボーカルもギター・ソロも、この日一番説得力があった。そして10時少し前に、この日の1時間50分のコンサートが終わった。

 前記の、「No Subscription Live in Osaka 」(2001年)に関するネット上の評で、ある投稿者が、この作品を「ラリー・カールトン・バンド Feat スティーヴ・ルカサーといった趣」と称していたが、まさにこの日のコンサートも、彼が言うところの「ラリーを中心としたバンドに、毛色の違うスティーブを呼び込み、彼に思う存分弾きまくらせた、といた感じ」そのものであった。ただ、同じ評で、この投稿者が「それにしてもラリー・カールトンが素晴らしい、うまく表現出来ませんが格が違います。(表現力と言うか・・・)」という時には、この感覚はまったく理解できなかった。他の評によると、スティーブが、若い頃ラリーに傾倒し、彼のフレーズをひたすらコピーしまっくったこと、その意味で、スティーブにとってはラリーは敬愛する師匠である、ということである。確かに、そうした師匠を敬愛する弟子の仕草は、この日のスティーブにも度々感じられた。しかし、そうした人間関係を別にすれば、やはり私にとっては、ラリーのギターはやや退屈で、スティーブのギターだけが強い印象を残したというのが、この日のコンサートの率直な感想であった。そしてその意味で、著名なギタリスト二人の競演に対して払ったこの日のS$132は、やや高くついたと感じざるを得なかった。かつて私がラリーの作品に感じた退屈さ、それは、上記のラリーが参加している、巷の評価の高かった Steely Danの「The Royal Scam」や「 Aja」を「TSUTAYA」で借りて聴いた際に、私があまり心を動かされなかったことにも繋がるのであろう。20分程度のジャム風の曲が多く、時として日中の業務の疲れから眠気に襲われながら、スティーブのソロで再度気を取り戻すことが多かった、私のもう一つ歳をとったこの日のコンサートであった。

 因みに、彼らは、シンガポール公演後、日本に向かうが、日本では、青山ブルーノートを含め、東京・大阪で10回程度のコンサートが予定されているとの事である。相変わらず日本での外タレ需要が強いことを感じさせられる。

2015年1月25日 記